第1話:あたらしい街
「キリ!起きなさい!」
階段の下から、母さんの声が聞こえる。
「はーい……」
私はとりあえずの返事をして、ベッドから体を起こした。まだ少し肌寒いが、窓からは柔らかい光が差し込んでいる。
気持ちの良い朝のはずだが、昨晩に見た夢がどことなく、気分を憂鬱なものにさせていた。
私はがしかしと頭をかいた。
母さんと父さんが離婚してから、数週間が過ぎていた。
あれから両親の間では、どちらが私を引き取るかでひと悶着あったようだけれど、軍配は母さんにあがったらしい。
そんなこんなで、私は母さんと一緒に暮らすため、新しい街に引っ越してきたのだ。
海と森に臨んだ『ボシア』という街。坂が多いのは難点だが、古い家々が森から海へと悠然と並ぶその街並みは、とても美しいと思った。
憂鬱を振り払うように私は立ちあがり、鏡の前に立つ。
鏡の中には一見、少年と言っても差し支えないような自分の姿が映っていた。
寝ぐせでボサボサの亜麻色のショートヘア。眠そうに自らをにらみつける薄緑の大きな瞳。
これで言葉遣いもぶっきらぼうなものだから、母さんがよく「もっと女の子らしくなさい」と目くじらを立てるのも仕方がない。
……改める気はないけどね。
私の名前は、サトノ・キリ。
いや、サトノは父さんの姓だから、今はイツツバ・キリだ。
この春、13歳になったばかり。
「キリ、いい加減に起きなさい。今日から学校でしょう?」
母さんがイライラした声で怒鳴り出した。私は息をつくと、叫び返す。
「起きてるよ! 着替えてるだけ!」
今日から私は学校だ。家から歩いて20分ほどの距離にある、公立中学校。
あまり気が進まなかったが、義務教育を受けなければいけない歳だというのはわかる。でも転校なんて初めてだし、新しい環境の中でうまくやっていけるかどうか。それが心配だった。『ぼっち』になったらどうしよう……
そんなことを考えながら、階段を下りる。
「おはよう、母さん」
「おはよう、キリ。転校初日から遅刻だなんて恰好悪いわよ。はやくご飯食べちゃいなさい。紅茶は自分でいれてね」
テーブルの上にはトーストとベーコンエッグ、りんごとアボカドが用意されている。おいしそう。
私はどうしても直らなかった寝ぐせを押さえつけながら、ティーパックをお気に入りのマグカップに入れた。お湯を注ぎ、アボカドをつまんで口に運びつつ、母さんに声をかける。
「ねえ母さん、隣の家のことだけど……」
「お隣? お隣がどうかしたの?」
「うん。隣の家って、やっぱり誰も住んでいないんだよね?」
「そうだと思うわよ? 夜になっても明かりがつかないし、このあいだ訪ねても、誰も出てこなかったじゃない。……どうしてそう思うの?」
不思議そうに聞いてくる母さんに、私は言葉を濁す。
私と母さんが越してきた家の隣には、古いレンガの家が建っていた。
『趣がある』と言えなくもないが、いっそのこと『廃屋』と言ったほうがいいだろう。
近所の人に聞いても、人が住んでいるのかどうかはっきりしなかった。
そんな「怪しげな」家だ。
敷地の奥では植物たちが葉を伸ばし、建物のほとんどを覆い隠してしまっている。家と呼ぶには申し訳ない様相で、キリには、もはや『小さな森』のように見えた。
それでも「お隣さん」である以上、もしも人がいるなら挨拶をしなくては……と戸をたたいたが、結局、住人が出てくることはなかったのだ。
母さんによると、その後も人が生活している気配はないらしく、結局空き家だったのだろうということで落ち着いたのだが。
昨日の晩、不思議な夢を見たのだ。
夢の中で、なぜか私は自分の部屋の窓から、隣の敷地を見下ろしていた。すると隣の家に明かりが灯り、窓に人影が見たのだ。
夢だと思うが景色がとても鮮明で、なんとなく気持ちが悪かった。
「ううん。夜、隣に明かりがついているような気がしてさ」
「そうなの? もしかして留守にしてらっしゃったのかしら? それなら、もう一度訪ねてみたほうがいいわね」
「でも、寝ぼけてそう見えただけかも……街頭の明かりかもしれないし」
「……どっちなのよ」
母さんが、大きなため息をつく。
いけない。危険なサインだ。
私は残りのパンを紅茶で流し込み、「いってきまーす!」と家を飛び出したのだった。
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