021 「ムカ着火ファイヤー」

「一位はクリスティーナだ! よくやった!」


 まあ、当然の結果ですわね。運動能力には自信がありますから。他の生徒がまだ半分も走っていないうちに、わたくしはゴールしました。

 ふふん、ディアトマーレのことを三回も抜かしてやりましたよ。

 抜き去る度に、「どうしました? 随分と遅いペースですが、体調が優れませんか?(亀かよ、おっそ)」ですとか、「ごきげんよう、また会いましたわね(鈍間!)」ですとか、「お先にゴール致しますので、もうお会い出来ないのが残念ですわ(あたしはもうゴールだが、お前はあと何周だ?)」と煽ってやりましたよ。

 身体を動かすと気分がいいですね。

 ハニー先生の胸揺れ軽減魔法のおかげで、いつもより速く走れた気がします。

 そして。


「……はぁ……、はぁ……、ちょ、ちょっと、はぁ……、はぁ……、速すぎま……せんか?」


 セリナのことは五回くらい抜きました。

 走り出す前に運動は苦手と言っていましたが、ここまで苦手だとは思いませんでした。


 その後、授業終わりにヴァリライカ先生とお揃いのジャージを貰い、グリーンスムージー一年分は後で寮へ届けて頂けるとのことでした。

 正直、どちらも要りません。


 そして本日最後の授業。

 四限目の対人魔法学です。授業は西棟にある広い教室で行われます。

 そして、教師はディアトマーレ先生です。


「さて、この教室では対人魔法について学んでいくのだが、近年、対人魔法学は要らないのではないかという声もある。何故かな、クリスティーナ?」


 まーた、わたくしですか。

 そうですねぇ。


「平和だからですか?(戦争がないから?)」


「そう、平和だからだ。戦争が終わった平和な世界ならば、人を傷付けたり、攻撃したりする魔法は必要ない、そういう声が上がるのは当然だ」


 ディアトマーレ先生は「しかしだ」と話を続けます。


「平和な時代においても、悪意をもって危害を加えようとしてくる輩は沢山居る」


 ブルーローズ寮生がわたくしの方を見て、揶揄やゆするように笑いました。

 どーせわたくしの事を悪意を持って危害を加えてきた暴力女だと嘲笑っているのでしょうね。


「対人魔法学では、そのように悪意を持って危害を加えてくる者に対しての、防衛術を学ぶ」


 なるほど、攻撃するためではなく、攻撃された場合にどう対処するのかを学ぶのですね。


「防衛魔法の基本は、術式解体だ。先日の入学式で、首席のマリナファラレが行った魔法は見事だった」


 セリナは得意そうな顔を浮かべておりました。


「術式解体とは、自分に向けられている魔法、事象に干渉している現象を正しく認識し、術式を一つ一つ解きほぐす、美しく繊細な魔法だ」


 なーに言ってるのかさっぱり分かりません。お粗末オワコンです。


「術式解体を行うために必要なのは、魔法に対する知見、経験、そして閃きだ。どのような魔法なのか、どうやってその魔法を構成しているのかを理解しなくては、術式解体は成立しない」


 ディアトマーレ先生「そして」と再びセリナを見ました。


「閃きに関しては、先日見せてくれたマリナファラレの魔法がとても参考になる。どのような魔法なのかを、自分の理解出来る領域へと強制的に引っ張ってくることで、対象の魔法を自らのコントロール下に置いた」


 車で例えてもらえませんかね。それこそ、わたくしの理解出来る領域なのですが。


「あとは、そうだな––––メジャーなやり方ではないが、相手の魔法を打ち消すほど強大な魔力を直接ぶつけて、相殺する。英雄、ユリナファインが得意としていたやり方だ」


 ディアトマーレ先生はわたくしを見ながら言いました。


「ただ、魔力消費が大きく、あまり効率的なやり方ではない。勉強が苦手だったと言われるユリナファインらしい力技だ」


 ブルーローズ寮生から乾いた笑い声が上がりました。ムカつきます。


 でも、ディアトマーレ先生が言っていることはおかしくないですか? だってお母様には、全ての魔法の発動を無効化出来るヴァニタスの魔法がありますよね。それを使えばまどろっこしいことはしなくてもいいのでは?

 なぜ、ディアトマーレ先生はそれを言わないのでしょうか?

 しかし、直ぐにその理由を思い出しました。

 自分でも解けないからです。


「さてさて、座学だけでは、皆退屈だろう? 軽い運動をした後で眠くなっている生徒も居そうなことだし、ここからは実践だ」


 ディアトマーレ先生は大きな杖を取り出しました。


「まずは、二人一組を作りたまえ。ああ、クリスティーナ。世界を救ったユリナファインの娘、クリスティーナ。前に出て来たまえ」


 名指しです。嫌な予感はしましたが、わたくしは仕方なく教室の前方へ歩いて行き、ディアトマーレ先生と向かい合いました。


「今から簡単な防衛呪文を教えるが、高名なる英雄の娘に、手伝ってもらいたい。いいかな?」


「構いませんわ(嫌だ)」


 はい、何を言っても無駄です。


「では、まず、そうだな––––君が私に向かって、簡単な炎魔法を放ってくれたまえ。簡単な魔法だ、あまりに高度な魔法を放たれては防げないからな」


 ブルーローズ寮生から、笑い声が上がりました。


「教室を吹き飛ばすような真似はよしてくれよ」


 再び笑い声が上がりました。


「もちろん、この教室は授業内容の関係で強力な防御魔法を張り巡らしてあるので、ちょっとやそっとじゃ吹き飛ばないがね」


「ディアトマーレ先生、わたくし杖を持っていませんの(無理だろ、そもそも杖もねーし、炎の魔法なんか使ったことねーし)」


 それにハニー先生がそういうことを他の先生に話しているのでは? 何故この人はそれを知りませんの?


「知っているとも」


 知っているなら、なぜこんな周りくどい事をしますの?


「だが、使


 ……確かにディアトマーレ先生の言う通り、お母様は杖を使ってません。この礼儀正しく振る舞う魔法を使った時も、宙に浮いた時も、わたくしの格好を変えた時も、大人数で行わなければならないという空間転移の魔法を使った時も。

 お母様は指をパチンと鳴らしただけでした。


「あの有名なヴァニタスの魔法でさえ、杖を使わずに発動したらしい」


 ディアトマーレ先生はワザとらしく指を鳴らしてみせました。


「なら、君も出来るだろう?」


 ブルーローズ寮から、再び蔑むような笑い声が上がりました。

 なるほど、なるほど、わたくしに恥をかかせたいのですね、この先生は。

 杖もなく、今までまともな魔法を使ったことのないわたくしに(お風呂掃除魔法くらいしか使ったことがありません)、皆の前で簡単な炎の魔法も出せないのかと、恥をかかせたいのですね。


 今まで唱えたこともない炎魔法の詠唱を必死に捻りだし、聞いたこともないような馬鹿げた呪文を唱え、何も起こらなかったという事象をバカにしたいのですね。


 ですが、そうなるのは。

 明白で。

 確実で。

 現実です。

 無力な自分が悪いのです。


 仮に出来ないと言ったところで、「なんと、簡単な炎魔法さえ出来ないのか」とバカにされるのは見え見えですし。


 仕方ありません、恥をかいて笑い者になりましょう。もう一度言いますが、無力な自分が悪いのです。

 メラメラと燃えるような感情が心のうちから湧き上がるように溢れてきました。

 眼球まで燃えるような感覚です。

 気分は最悪です。イライラです。ムカ着火ファイヤーです。

 もう、これが呪文でいいでしょう。

 わたくしはお母様のように指をパチンと鳴らしながら、唱えました。


「ムカ着火––––」


「……っ! 待て!」


 わたくしが呪文を唱え始めた途端、ディアトマーレ先生はわたくしの顔を凝視し、目を見開いて静止してきましたが、わたくしはそれを無視して詠唱を続けました。


「ファイヤー」


 呪文を唱え終わると、教室からはみ出す程大きな魔法陣が出現しました。さらに、その上に重なるように、幾つもの魔法陣が次々と出現し始めました。

 高く、高く。

 まるで、城を覆うように。


「……っ! 全員、ここから離れろ! クリスティーナもだ! 急げ!」


 ディアトマーレ先生の焦った叫び声を聞き、生徒達は急いで出入り口へと向かいます。

 わたくしはそれを呆然と立ち尽くし見ていました。

 ディアトマーレ先生は短い杖を取り出し、聞いたこともない言葉を早口で唱え始めました。


「何してるんですか、早く!」


 セリナに手を引かれ、わたくしが教室を出た直後でした。

 後方から大きな爆発音が聞こえ、わたくしとセリナは大きく吹き飛ばされてしまい、うつ伏せで床に倒れてしまいました。

 周囲からは叫び声や悲鳴、物がガラガラと崩れ落ちる音が聞こえ、何が起きているのか、何が起こったのか全く状況を飲み込めません。


 やっとの思いで起き上がり、確認すると––––教室がありません。

 どこにも見当たりません。

 いえ、教室があった場所には何もかもがなくなり、僅かに燃え残る炎が、その場所で何があったかを示しているようでした。

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