第12話 コーギー室長のお悩み解決法 ~彼の背景 恩師の名~
県内唯一の芸術科がある高校の推薦が取れなかった俺は、一般受験で城ノ浦高校を受験した。
学力的には真ん中程度の成績だったが、結局首の皮一枚で芸術科に入学する事ができた。
たぶん、ここから一年発起すれば良かったのだ。
推薦では無くとも希望校に入る事が出来たのだから。
なのに、推薦を得られなかったことでふて腐れた俺は、たかだか十年と少ししか生きていない癖に、まるで悟ったような振りをして、斜め上から人生を見てまた逃げてしまったのである。
我ながら、つくづく阿呆だと思う。
同じ中学出身で推薦を受けた阿佐ヶ谷という男子に嫉妬して、どうせあいつが取るんだからと最低限しかコンクールなどへの出品をしなかった。
推薦入学者にだってそれなりのプレッシャーがあっただろうに、それすら気付かずに。
いくら思春期で反抗期だからって、自己中心的にもほどがあった。
だけどそれがこの時の俺だった。
友達も、せっせと作品作りをするやつより、趣味の延長で進路をなんとなく決めたような生ぬるい相手としか付き合わなかったし、見当違いなクールを気取って毎日朝早くから遅くまで作品作りをしている真面目な生徒を無駄な努力だと馬鹿にした目でみていた。
芸術科に入学した事で、授業で絵を描けるようになり制作時間は格段に増えていたのに、実際に描けたのは中学の頃よりもっと少なかったように思う。
家計を助ける為にアルバイトをせねばならないからと、放課後はすぐにバイト先に直行していた。
バイトがあるから、家に余裕が無いから、それを努力しない言い訳にしていた。
そうして日々を繰り返し、俺は結局県外にある特に名前の知られていない美大に入学した。
勿論、推薦を受けたあの阿佐ヶ谷は都心にある有名美大へ進学した。
それを羨ましく思いながら、けれどやらなかったのは自分だとわかっていた俺は無気力に大学生活を送り、せめて後に続くやつらが同じ轍を踏まないよう導きたいと地元の美術教師になった。
教師になったこと自体は後悔していない。
ただあの頃もっとやれば良かったという悔いだけが残っているのみで。
―――そうだ。
俺は―――俺みたいな間違いをしないで欲しいと思って―――教師(せんせい)になったのに。
―――五十嵐にあんな事をしてしまった――――。
襟元がキツかった中学時代の自分から、作り笑いをしている高校生の自分になって、大学生になって、そして……俺は『今』の俺になった。
『……なあ池村よ。お前……今も描いてるか……?』
「え……っ!?」
まるで走馬灯のように自分の過去から現在へと意識が戻ってきた瞬間、黄昏に染まる職員室の机の上、珈琲カップの中に俺はかつての恩師の姿を見た。
既に飲み干した筈の液体がいつの間にか湧き上がり、水面には年老いた男性の顔がある。
一目で分かった。
それが、あの中学時代の美術部顧問なのだと。
「せ、せん、せい……?」
唇が、声が、震えた。
カップの丸い水面から俺を見つめる目は静かで、あの時と変わらず穏やかだった。
名前も忘れてしまった俺の恩師。
絵の道に進みたいと思ったきっかけは確かに彼だった筈なのに、悔恨の含まれた記憶はその名前を残そうとしなかった。
いつか先生の訃報が届いた時ですら、俺は焼香のひとつも上げに出向かなかったのに。
『なあ池村よ、誰にだって後悔はあるさ。俺もある。だからあの時、お前にああ言ったんだ』
「せん……」
先生がカップの中で笑う。
皺の刻まれた老いた顔は、まるで苦も楽も全て乗り越えた仙人が如く厳かで。
彼の言った『あの時』がどの時だったのか。
説明されずとも理解して―――そして俺は十数年ぶりに、嗚咽した。
泣くことなどとうの昔に忘れたと思っていた。
年齢的に涙もろくはなっているが、こんな風に、心の底から自分の事で泣くなど、年嵩のいった男にはあるまじき事だと考えていた。
なのに今、俺は堪えきれない感情を押し流すように涙を流している。
既にこの世にない恩師に、救いを求めて。
「せ、先生……っおれ、俺は生徒に酷い事をしてしまいました。自分の後悔を、身勝手にもぶつけて、生徒の作品を、この手で、切り刻みました……っ」
両手にカップを握り締めて、一人赤く染まった部屋の中、丸い円に浮かぶ彼に向け叫んだ。
許して欲しいのはかつての恩師にではなく、自らの手で心を砕いた少女にだ。
『そうさなぁ……お前が間違えたのは、頑張らなかった事よりも、その悔恨を彼女に向けた事だな。でもなあ池村、お前ちゃんとわかってるじゃないか。それに、なんだかんだで、諦めずに今も描いてるだろう? お前は続けてる。描くのをやめて、全然別の道に進む事だって出来たのに、痛い思いをしながらでもお前はずーっと続けてたんだ。だから今、『そうして』るんだろう? 間違えたなら、正せばいい。謝ってこい、池村。お前の生徒に。俺もお前に謝るから。あの時……もっとちゃんと導いてやれなくて、わるかったなぁ』
「せん……っ」
水の波紋が広がるように、静かにゆっくりと言葉を紡いだ先生は、最後俺に謝罪していた。
はっとして、目を見開いて、驚きながらカップに映る顔を凝視した瞬間、皺をぎゅっと集めるみたいに、先生が深く深く笑って。
そして、瞬きをした後には、底に珈琲の名残を滲ませた、空のカップが手の中に残されていた。
「先生……」
黄昏時に染まる職員室で一人。
俺は、忘れていた恩師の名前を思い出した。
そして―――『彼女』の元へと向かう為、席を立ち、廊下に飛び出した。
言うべき事を―――彼女に、許しをもらえるまで伝えるために。
コーギー室長のお悩み相談帖 国樹田 樹 @kunikida_ituki
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