第7話 コーギー室長のお悩み解決法 〜情報収集〜

「あれって夢だよねぇ、やっぱり」


 仄かに赤くなったキャンバスを眺めて呟く。

 すると、隣で私と同じくイーゼルの前に座っていた友達が振り向いた。

 彼女の長い髪がふわりと揺れる。焦げ茶色の髪の毛先が光で透けて金色に見えた。


「何―? 夢がどうかした?」


「ううん。なんでもない」


 放課後の美術室が夕日に染まる時間。

 他の部員達は皆帰ってしまい、今は私ともう一人、須藤めぐみだけになっている。


 まあ、めぐみ……めぐは、私に付き合ってくれているだけなのだろう。


 一緒に遊ぶ時間も少ない中で、それでもこうして付き合ってくれる奇特な友人に視線を向けた。


「ね、めぐんとこの康太君って最近どう?」


「どうって?」


 めぐは首を傾げながら、あたしのすぐ横できょとんとした顔をした。


 今は私の事より、めぐにはもっと気に掛けなきゃいけない子がいるはずだ。でも脈絡なく聞いたから、虚を突かれたのだろう。だから、私はもう一言重ねることにした。


「ほら、確か最近元気ないって言ってたでしょ」


「ああ……」


 私が言いたいことに気がついたのか、めぐはちょっとだけ眉を下げた。それから深めの溜息を吐いて、パレットからナイフで色を取りキャンバスに乗せていく。


 独特の油絵の具の臭いが、鼻腔につんと漂った。


 めぐは私と同じ油絵を選択していて、描く時はいつもこうして隣り合わせで作業している。


 隙間はちょうど人一人が通れるかどうかって距離で、話をしながら描くにはちょうど良い塩梅だ。


 そんなすぐ横に座っているめぐが「んっっとねえ……」とちょっと言いにくそうに続きを話し始めた。


「なんかねー……やっぱ相変わらず元気無いんだよね。ゲームばっかしてるのは同じなんだけど」


「そっかぁ……なんか悩みとかあるのかな。めぐに話したりとかは?」


「ないない。あいつああ見えてプライド高いからね」


「友達関係のことかな」


「うーんどうだろ。前はよく友達の家に遊びに行ってたけど、最近はそれも無いからそうかもしれない。まあもう暫く待ってみて言ってこなきゃ、無理にでも吐かせてやろうと思ってんだけど」


 めぐはそう言って肩を竦めた。


 普段から強気な彼女だけど、弟の康太君の事は叱りながらもしっかり大事にしている。


 だから本当は私に付き合って放課後に残っている場合ではないのだ。

 なのに今こうしてくれているのは、彼女の性格がとても優しいからだ。

 

 私はそれが申し訳なくて、そしてとても嬉しかった。


 今までは、私が残れる日の放課後に二人でこうして並んで描きながら、今日はどこまで進んだとか、ここの色合いはちょっととか、ああだこうだ言いながら作業するのが、私達のお決まりだった。


 だった、という過去形なのがちょっと悲しいけど。


「……ねえ、やっぱり今日も描かないの?」


「うん」


 本当は描かないんじゃなく描けないのだと、めぐは知っている。

 だけど気付いていてもこれ以上突っ込みはしない。その心遣いが有り難かった。


 めぐみは女子なら誰でも羨ましくなる大きな瞳を伏せ、長い睫を蝶の羽根みたいに瞬かせた。


 ぱっと見は洋風の顔立ちと緩く癖のついた長い髪でお人形さんのようなのに、その実中身は苛烈だと皆知っている。


 そんなめぐが、大きな瞳を眇め眉間にぎゅっと皺を寄せた。


「あたしあの先生嫌い。嫌みだし気分屋だし自分の好みじゃ無い絵はみーんな否定するし!」


「めぐ、声大きいって。聞かれたら大変」


 片手で絵筆をぎりぎり握り締めながら文句を叫ぶ友人にまったをかける。

 

 いくら放課後とはいえ、廊下を誰が通るかわからない。万一当人になど聞かれれば、彼女も只ではすまないだろう。


 そう思って、私は普段の彼女の呼び名で止めた。だけどめぐは、きっ! と私を睨み、迫力いっぱいの表情で凄んでくる。


 美人の怒り顔は怖いというが、まさにそうだ。


「いいよ別にっ。これ以上文句言ってきたら校長に直談判してやるんだから! あの先生、みちにだけ厳し過ぎんのよっ!!」


「そうかなぁ……」


 勇ましい友人を前に、自分も彼女くらいの強さがあればなぁと苦笑した。


 描き直しを目の前でシュレッダーされた時に、先生相手とはいえこうして怒ることが出来ていたら、傷はもう少し薄かったのかもしれない。


 だけど怒るのは体力が必要なのだ。これから家に帰って洗濯物を取り込み、お風呂と食事の支度をして宿題をするとなると、中々配分が難しい。

 

 ただ、あれ以降描けなくなってしまった事だけは、我ながらショックだった。


 駄目なら駄目で諦めればいいのに、女々しくもこうして毎日キャンバスの前で睨めっこをしている。


 不毛なのはわかっていても、やめられなかった。


「みちはさ、家に帰ってからも掃除とか、ご飯作ったりとか全部自分でしてるじゃん。あたしらなんかよりよっぽど時間なくてもちゃんと課題も出して、コンクールにも出してたのに、先生のあの態度はほんと無いよ」


「まあ……それは先生には関係の無い事だし……」


「それでも六回も描き直しさせるなんて、嫌がらせかっつーの」


 ぶつぶつ言いながら、めぐは自分のキャンバスをがしがし描いていく。キャンバス一面に華やかな秋桜が咲き乱れる花畑は、彼女自身を現わしているように綺麗で可愛らしい。見た目の繊細さと違い実は強い花であることもよく似ている。


 私もあんな風に自由に描けたらな、と思い今度は自分のキャンバスを見てみるが、やはり何も浮かんではこなかった。

 

 そろそろ日も暮れる。帰り支度をしようかと、椅子から立ち上がりイーゼルに手を掛けたところで―――ガラガラと扉が開かれた。


「なんだお前ら、まだ残ってたのか」


「……はい」


 私と、めぐの両方が入ってきた人に頭を下げた。ちなみに返事をしたのは私で、めぐは一言も発していない。顔なんて仏頂面だ。綺麗な顔立ちなのに、勿体ない。


 顔を顰めながら部屋に入ってきたのは、今年から美術部顧問になった池村先生だ。


 年齢は五十代半ばと聞いた覚えがあるけれど定かではない。あまり人を外見で判断すべきではないと思うが、お世辞にも格好良いとは言い難く、普通に白髪交じりのおじさん先生だった。


 笑顔なら感じが良い人に見えるのに、池村先生は眉根を寄せながら、鬱陶しげに私達を見ている。


「もう遅いからさっさと帰れ。それと……五十嵐、お前も無理して来るな」


「なっ……」


「めぐ!」


 ガタン! と勢いよく椅子から立ち上がっためぐを咄嗟に制止し、私は先生に視線で問いかけた。


 意図を図りかねた為だ。


 私が描けなくなっているのは先生も気付いている。

 恐らくきっかけも。


 だけど、あれから部活の退部について言われた事は無かった。

 描けないのに、だ。


 ならば、無理して来るなというのは、どういう意味なんだろう?


 そう思ってじっと先生の反応を伺ってみたけれど、先生は顔を逸らし「ちゃんと鍵、閉めとけよ」とだけ言って部屋を出て行ってしまった。


 私はそれを、今にも先生を追いかけ掴みかかりそうな勢いのめぐを押さえ込み眺めていた。


 ふと、その視界の端に覚えのある茶色い鹿撃ち帽と大きな三角耳が、見えた気がした。


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