第6話 描けない少女の黒い友


 ―――この『相談室』に、有るはずの無い自らの絵が飾られていると気付いた少女は、それは驚いた顔をしていた。


 しかし僕がここが夢の世界であることを念押しすると、素直な性格故か成る程と納得し『あっちでは、ゴミとして捨てられただろうし、夢でもこうして飾ってあるのは嬉しい』と喜んだ。


 僕が淹れた珈琲を笑顔で飲んでくれた少女は、絵が描けなくなってからは元々好きだった小説や童話を読みふけっていると話してくれた。


 またこの夢の世界に来られたら、今度はお勧めの本を持ってくるとまで言い、「だって私が見ている夢なら、頑張ればまた会えるでしょう?」と黒いおかっぱの髪を揺らしながら楽しげに語ってくれた。


 とても好ましい少女だ。


 少女……五十嵐みちは『彼女』によく似ているなと思う。


 日本人という人種だけでは無く、誠実な人柄と心の柔らかな在り方が、特に。

 だからこそ、悪意ある棘もその柔らかな部分に刺さってしまったのだろう。


 けれどそれ故に、私も手を差し伸べたくなったのだ。


 たとえ『もう一人の相談者』がいなかったとしても、彼女とはきっと出会うべくして出会っただろう。

 

 みちが現実の世界へと戻った後、彼女の座っていたソファを眺めながらそんな風に思う。

 窓から差し込んだ月の光が、まるで彼女の未来を示すように座面を明るく照らしていた。


◆◆◆


「それで……話に間違いは無かったかな? 君」


 誰も居ない筈の、しんと静まりかえった部屋でそう声をかけた。


 すると、五十嵐みちが先ほどまで座っていたソファの足下、絨毯に落ちる影が、声に反応してすうっと立ち上がるように上に伸びていく。


 まっすぐ伸びた影は、やがて黒い猫の形をとり、平面から立体へと姿を変えた。

 存在感ある気配は、幽鬼の類では無く生あるものだ。


 影から現れたのは、艶やかな黒い短毛をもつ、満月の如き黄色い目をした黒猫だった。


「あってるよ。室長だって、みちが嘘を言ってないことはわかってただろ」


 なのにどうして確認なんて真似をする、と言わんばかりに、黒猫は月の瞳で僕を睨む。


「そう責めないでくれ。何しろ我々は彼女達人間とは感性が違うのでね。たとえ同じ出来事でも、感じ方が違えば見え方も違ってくるものさ」


 やんわり諭せば、黒猫はちっと舌打ちをして「わぁってるよ」とぶっきらぼうに言い捨てた。

 髭がピンとなっているところから照れているだけだろう。


 彼ら黒猫はよく魔女の使いであったり、日本では運搬業のシンボルなど、比較的器用なイメージを持たれているが、目の前の黒猫はどうやら違うようだ。


 不器用な謝罪は、元野良猫だった彼が一人の少女のおかげで丸くなったからだろう。


 それを微笑ましく思いながら、僕は【背に羽の生えた】黒猫を見た。


『おまえさんが室長かい? 悪いが俺の悩みを聞いてくれないか』


 そう言ってこの相談室を訪れた彼は、かつて野良だった自分を拾い、家族として、そして友として可愛がってくれた飼い主に起った出来事を語った。


「みちが描く俺ってすっげえ格好良いんだ。黒だけじゃなくて、青色とか、紫とか、色んな色を使って毛並みを描いてくれるんだよ。それにさ、前にギジンカってのも描いてくれてさ。これがまた吃驚で、この俺がニンゲンになってるのを想像して描いてくれたんだよ! すげえだろ? みちは俺の事イケメンって言ってた。俺、すごくすごく嬉しくてさ。自分が本当にニンゲンだったらなって思ったんだ」


 黒猫は、黄色い瞳を飾った絵に向けて言った。


 声音には懐かしさと、大切にしてくれた少女への愛情が込められている。


「……なのに、みちは絵が描けなくなった。あのニンゲンのせいで。俺ずっと見てたんだよ。みち、ブシツとかいう所に戻ってから泣いてた。家に帰っても泣いてた癖に、オカアサンの前では泣かなかった。みちにはオトウサンがいないから、たぶん心配させたくなかったんだと思う」


 黒猫は、飼い主が座っていたソファに視線を移し痛ましげな顔をした。


 土へと還った動物達の国、月からずっと彼女の事を見守っていたのだろう。一部始終を目にしながら、彼女に寄り添ってやれないことに心を痛めていたのだ。


「生きてくうえで、強くならなきゃいけないのはニンゲンも俺達も同じだ。だけど俺……みちに俺のこと描いてもらえないのは寂しい。俺がいなくなってからも、みちは何度も俺を描いてくれてた。上から見ててずっと嬉しかった。だから今……みちが描けなくなってるのをどうにかしてやりたい。俺の大切なみちが悩んでるのを、解決してやってほしい。みちの悩みは俺の悩みだ。頼む、室長」


 元野良だった黒猫は艶やかな毛に覆われた頭をぺこりと下げた。


 誇り高きエジプトの神の血を引く末裔は、一人の少女の為に、安寧の地から下界の夢へと降り立ち、ここに『相談』しにやって来たのだ。


 自らの転生が、暫し先になる事と引き換えに。


 黒い頭と、彼が集めた『かつて千々に割かれた絵』を見て、僕は頷いた。


「相分かった。我が相談室の名にかけて、この僕が、君と彼女の悩みを解決して差し上げよう」


 僕が了解の返事をしたのと同時に、描けない少女の黒い友は大切な彼女がいた場所に身体を擦り寄せ、そして嬉しげに喉を鳴らした。


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