第8話 インド人と交渉


 リヤカーがある。

 最大積載量は200 kgと書かれており、本日討伐したアリを載せきることはできそうであった。

 リヤカーに詰まれていた塵取りと箒が二人分あり、二人してアリの死骸を集める。


「……体が痛い。手が痛い。背筋が痛い」


 これ、明日は全身筋肉痛ではないのか?

 何十回、バールらしきものを天から地面まで振り下ろしたかわからぬ。

 剣道でもやっているならばともかく、私にはまともなスポーツ経験すらない。

 こんなもの毎日できるのかと訝しむが。


「寝ている間には身体に経験値が浸透し始めますから、大丈夫ですよ。特に初日は早いので」

「そんなものか?」

「そんなものです」


 リヤカーにアリの死骸を放り込みながら、首を傾げる。

 まあ、経験者が言うならばそんなものなのだろう。

 明日も続けることにしよう。

 それはいいとして。


「で、このアリの死体はどうするのかね?」

「業者に引き取ってもらいます」

「業者」


 まあ、そういう物だろうとは思うが。

 業者というか――担当公務員の桐原さんに対応してもらうのだろうか。

 そう考えて。


「あ、唯野さん。公務員は何もしてくれませんよ」


 完全に否定する言葉を放った。

 なんでだよ。

 農林水産省は何もしてくれないと聞くが、ダンジョンから排出されたものなのだぞ。

 何が怪しいし、面倒があるかわからないから、公務員を通してだな。


「このアリ、正直あんまり価値もない事がわかってますからね。公務員とて、ほぼ金にならないものは引き取ってくれませんよ? ダンジョン産だからといって、何か危険があるものではないことも判っています。もう業者との仲立ちすらしてくれません」

「ええ……」


 では、どうすんだよ、これ。

 ゴミ?

 業者って何処さ、という顔をしているとだ。


「薬品会社の方が研究用に引き取ってくれます。一応は昆虫なので、蟹やエビと同じくキチン質で構成されていますから。1キロ単価ですけど。これが時給400円の一部になります」

「……要は金にならないわけだね」

「少なくとも今はなりませんね。いや、将来的には別かも? キチン質はバイオマス資源とか、いろんな産業への応用・開発研究が進んでいますから……」


 藤堂君が、ふとリヤカーを眺めて。

 うーんと、冷静な顔で呟いた。


「いや、でも、一日がかりでリヤカー半分ほどは少量にすぎますし……。これがレアアースなどの触媒に換算されるまでの価値が生じるとはなりませんね。やはり残念ですが」

「やっぱり金にはならないと」


 知っている。

 世の中、そんなもんだろうと思う。

 私はため息を吐いて、その業者さんとやらを紹介してもらうことにした。





 ※




「オー、マイフレンド。トードー、ユーアーチャンピオン?」

「オーケー、マイフレンド。もちろん本日もチャンピオンだったよ。アイアムチャンピオン」


 ぐっ、と親指を立てる藤堂君。

 それに嬉しそうに頷く年かさのあるインド人。

 車からアリを受け取るための、荷籠らしきものを引っ張ってくる若いインド人二人。

 何がチャンピオンだ。

 お前、ちょっと藤堂君お前。


「どうしましたか、唯野さん。何か苦い虫でも噛んだ顔をして」

「ちょっとこい、藤堂君」


 襟首をつかんで、二人して背を向ける。

 オー、と特に何の意味があるのかわからない声を出すインド人三人。


「おまえ、この人達インド人じゃないか」

「え、唯野さん。ひょっとしてインドの人とは喋れない恥ずかしがり屋さんですか? 先に言っといてくださいよ」


 藤堂君はからかうような目で私を見た。

 私は正気を疑った目で、この高校生を睨んだ。


「薬品会社の人と言ったよな? 誰がインド人を連れてこいといった?」

「薬品会社の人ですよ。白衣だって着てますよ」

「違うよ。あれ白衣じゃないよ。白いクルタパジャマだよ」


 お前は白衣と、クルタパジャマ(インド人の民族衣装)の区別もつかないのか。

 どんな目ん玉をしてんだ。

 ひょっとして低偏差値の高校で生徒会長をやっているのか。

 そう小声でボロクソに罵ってやる。


「……誰もがわかりきっている、見ればわかる細かいことをいちいち。チッ」

「なんで私が悪い風に言われなきゃならんのだよ!!」


 ええ、舌打ちしたよ、この高校生。

 薬品会社の人が、ダンジョンから出たアリをゴミみたいな値段で引き取ってくれるからと。

 私に案内してくれると、私の想像したスーツ姿や白衣姿の薬品会社ではなく。

 なんか、白いクルタパジャマのインド人が来たオチ。

 それなのに、私がさも悪い風に舌打ちした。

 しかも、藤堂君だって全部状況を把握している。

 強く殴ってやりたい。


「ナニカ、モンダイアルカ? チャンピオン、ドゥカーンダール(店主)に何かモンダイアルカ?」


 私たちが争っているのを見てか、不思議そうに小首を傾げるインド人。

 問題しかないわ!

 ドゥカーンダール(店主)と言っている時点で、どう考えても薬品会社の人じゃあないだろうが!!


「ええ……なに、これ何?」


 本当に訳が分からない。

 もし肉体的に私が強ければ、藤堂君の首を絞めて説明を求めるが。

 全くかなわないので、仕方なくも紳士的に努める。


「結局、何なんだこれ」

「薬品会社です」

「ドゥカーンダール(店主)と言っているだろ」

「ダワードゥカーンダール(薬屋の店長)かもしれないじゃないですか! 何か不満があるなら、自分で聞いてくださいよ! 僕だってあんまり理解できてないんですよ!!」


 そうではなくて、明らかにカレー店の店主か何かだろ。

 あるいは何か胡散臭いインドショップの輸入業者の店主である。


「ロウドーシャドモ、何かドゥカーンダールに不満アルカ? 不満あるならカエルヨ?」

「待ってください」


 帰られては困る。

 それは困る。

 このリヤカーに半分ほど積まれたアリの行き先がない。

 引き取ってくれると言うならば、はした金でもありがたいのだが。

 無いが、その、何だ?


「え、何? 何が起きてるの?」


 それだけが解せない。

 私は薬品会社が引き取ってくれると聞いていたのに。

 現れたのはドゥカーンダールと名乗る、怪しいインド人であった。

 私にどうしろというのだろうか。


「ホラ、理解できたなら四千円払うよ」


 ドゥカーンダールが私の右手をがしりと掴み、その手に四千円を握らせた。

 いや、まだリヤカーに乗ったアリの重量も何も計算していないのだが。

 私の疑惑は気にもせず、若者のインド人二人はリヤカーから荷籠にアリを移している。


「ええ……」


 金銭を受け取ってしまった。

 とても労働量には見合わないが、貰ってしまったなら仕方ないし。

 頼りになるはずの藤堂君は、チャンピオン、チャンピオンと称えられながら、ドゥカーンダール(店主)に手を振っている。

 だから、どうしようもないんだ。

 私はお別れの言葉を述べた。

 

「……さよならドゥカーンダール」

「オー、ヤセッポチ。サヨナラ! 明日もマタクルヨ!」


 とりあえず、私の名前がヤセッポチに決まった。

 それだけは、とにかくも不満だった。

 このインド人が、アリの引き取り手となった謎は後日に知ることとなるが。

 藤堂君は説明を拒否してさっさと帰りやがったし。

 この時ばかりは、本当になんでインド人三人が、という謎しか残らなかったのだ。

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