第6話 雇用契約書?


 色々悩んだ挙げ句、藤堂君を雇用することになってしまった。

 さて、ここで何が必要かと考えたが。

 まずは――


「雇用契約書?」


 首を捻る。

 藤堂君に聞いたが、そんなもの貰っていないとの回答。

 桐原さんを見つめた。


「雇用契約書には法律上の作成義務がありませんよ、唯野さん。まあ、どのみち労働基準法に従って労働条件通知書を作成しなければなりませんが……おそらく藤堂君は貰ってないでしょう。私が彼を雇用していると知ったのも、前任者の死亡時でしたので」

「契約書なんて貰っていませんね。無理やり押しかけてのアルバイトでしたので、当然ながらバイト代も時給400円でした」


 この子、さては本気で頭がおかしいな?

 私は藤堂平助を名乗る高校生にぞっとしたものを感じながら、視線をやる。

 彼の連れである男子高校生二人であった。

 できるものなら、彼の愚行を止めて欲しかったのだ。

 ぶんぶん、と二人ともして残念そうに首を振る。

 止めたい気持ちはあるが、どうも止めても無駄らしい。


「……前任者の場合は押しかけだったかもしれないが、私の場合はサラリーマン時代の貯金があり、生活資金に苦労している現状ではない。それどころか、君の経験を熱心に学ばなければならないだろう。令和の労働基準法に従った労働条件通知書を作成しよう。ネットから書類一式を拾って作成するので、小一時間ほど待ちたまえ」

「それは有り難い話ですが、何か固いですよね、唯野さんって。リラックス!」


 リラックスできるか馬鹿者。

 なんで君はそんなに無駄に明るいのだ。

 だいたい、何事につけキチンとやるのが立派な社会人としての在り方である。

 その立派な社会人が高校生を危険地帯に送り込んでよいのかといえば違うが、私には選択肢がない。

 一方的に契約内容を告知する。


「とりあえず先に内容を決めておこう。時給は1000円。歩合制というか、成果物によってはボーナスも考えよう。契約期間の定めなし。業務内容はダンジョン内における私の補佐。それと……保険は? 入れるのか?」


 首を傾げて、桐原さんに尋ねる。


「ダンジョンに出向く危険な仕事で、入れる保険があるわけないでしょう。民間の保険はまず駄目です。自衛隊にも警察にも団体保険がありますが、まあダンジョン管理者や冒険者は入れませんよ。職業組合? もっと無いです。何せダンジョン管理者や冒険者同士の協力関係自体が存在しませんので。どこも手いっぱいですよ」

「ないのか、商業別組合(ギルド)。本当に夢も救いも何にもないな」


 もっとさあ、ダンジョンが出来て10年も経つのだからさ。

 誰か先人たちが少しばかし、なんとかしていてくれよ。

 どこも手いっぱいですか、そうですかと。

 愚痴を吐きそうになったが、辛うじて止める。

 桐原さんの返答自体は当然の内容であったが、一応聞いてみる。


「漁師さんにだって漁業保険や漁業共済制度があるだろ? そういうのはないのか?」

「……一次産業並みに社会に必要な立ち位置じゃありませんし、ダンジョン管理って」


 酷いことを平然と言うなよ、桐原さん。

 というか、桐原さんは何の公務員なのか。

 おそらくはダンジョン管理専門の公務員なのだろうが、農林水産省のようにダンジョン省なんて愉快な名前の省庁はない。

 詳しく聞きたいが、それはまた別な機会で良い。

 私が言いたいことはだ。


「ダンジョンでカンパチ(青物)が取れるのに、農林水産省は私を守ってくれないのか」

「安全な食料の安定的な供給に、『現状では』何の関係もないから守りませんよ。残念ながら唯野さんは、ただのダンジョン所有者であって農家さんでも漁師さんでもありません。判って言ってるでしょう」


 糞、駄目か。

 まあ、ゴリ押しなので無理だとは思っていた。

 しかし、それが駄目となるとだ。

 社会人の責務を行わなければならない。

 未成年者への忠告である。


「藤堂君。なんというか、はっきり言っておくがだ。私は君を守ってやれる立場にないし、若くもなければ実力もない。ダンジョンに籠もっている君の方が強いだろう。それで――命はもちろん、腕や足がなくなったりしても助けてやれない。何の保証もしてやれない。保険にも入れない。私は善良な管理者の注意義務以上の責任を負わない。それでも君は構わないのかね?」


 最終通告として、ハッキリ言ってやらねばなるまい。

 これが彼に対する、最後の善意だ。

 

「問題ありません。死ぬこと自体が怖いわけではありませんので」


 藤堂君は私の目をまっすぐ見つめていった。

 大きな溜め息が、自分の口から洩れていく。

 なら仕方なし。

 おそらく、何か彼の背景には目的や願望があるのかもしれないが、私にはもはや関係ない。

 

「……家に帰って、労働条件通知書を今の内容で印刷する。それでは、本日にでもダンジョン内部における間引きのレクチャーを私にお願いしたい」

「もちろんですとも! 僕に任せてくれれば、間引きに関しては絶対に安全ですよ!!」


 ばん、と胸を叩いて藤堂君は頼もしく叫んでくれた。

 先ほどの溜め息とは違い、なんだか次は苦笑いが出てきて。


「下層階は駄目ですけどね! カンパチに突撃されたら、多分僕でも死にますから!!」


 ああ、やはりカンパチ(青物)に突撃されたら死ぬのだなと。

 ダンジョンで鍛えられた人でも死ぬんだなあと。

 苦笑いを消して、やはり大きな溜め息を、また吐いた。


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