第3話 ショットガンは使えない


 結局のところ、私は相続登記のハンコを押印しなければならなかった。

 残念なことに、全く残念なことに。

 世界で一番信用できないと言われる日本の不動産業界の社員のように、そういう嘘をつくことが平気でまかり通っている社会の住人による言葉ではないのだ。

 このサラリーマン人生を通しての見解では、あの公務員である桐原さんの言葉は理知に満ちていた。

 残念なことに、現代ダンジョンを継ぐしかなかったのだ。


「カンパチに跳ねられて死にたくない」


 私の目的は、まずそれだった。

 前任者である親族と、同じ死だけは避けたい。

 というのも、その死因が間抜けというからではなく、私も同じ理由で死ぬ可能性が少なからずあるのだ。

 むしろ、高確率で死ぬ可能性がある。

 危険予知であり、ハインリッヒの法則である。

 KYT(危険予知訓練)であるのだ。

 何、全部聞いたことがない?

 知らぬなら解説するが、工員なれば確実に勉強することになる安全のための法則である。

 工場の一つも持つ会社のサラリーマンであれば現地研修ということで、実際にやる機会もあるだろう。

 人間の失敗というものは、適切な行動から外れた不安全行動による原因がほとんどであるのだ。

 スマートフォンを見ながらに歩き回って、車やバイクに轢かれるなどは、原因は明らかにスマートフォンを見ていたことであることは説明不要だろう。

 つまり、カンパチである。

 カンパチは、皆が回転すしで食べたこともある白身魚のアジの仲間である。

 人は体長1.9m、重さ80キロ前後のカンパチに衝突されると死ぬのだ。

 それは死傷者が出たことからも明らかで。

 多分、水中だと轢かれても死なないが、それが空中に浮遊する現代ダンジョンのカンパチであれば死ぬのだ。


「桐原さん、何故、前任者はカンパチに刺された? まず、それを知っておかなければ」

「ええと……多分」


 桐原さんが、書類をめくりながらに確認する。

 できれば、スマホを見ながらとかの不安全行動であってほしい。

 対策も容易だからだ。


「キロ1000円という冒険者の言葉に目がくらんで、カンパチを捕らえようとして、だそうです」

「カンパチ最大サイズ、80キロだと8万か……」


 8万は大きいな。

 命を懸けるほどの額でもないが。


「実際には、カンパチは養殖物の方が高いので、3万がせいぜいだそうですが」

「さらに下がったな……」


 前任者は小銭に目がくらんで死んだ。

 私のKYT(危険予知)ノートにはそう残しておこう。

 ええと、なんだ。 

 KYTノートに書こうとしたが、表に書くべきダンジョンの名前がわからない。

 現代ダンジョン?

 この呼び方も、いつまでも続けているわけにはいかない。


「桐原さん、この現代ダンジョンの呼び名はあるのか?」

「ないですね」


 お互いに、ヘルメットなんぞを被りて囁きあう。

 ハンコを押した翌日には、霊安室の死体を火葬して、弔いばかりは済ませてダンジョン相続の手続きに入っている。

 今日はダンジョンの見学である。


「唯野さんが、自分でご自由にお付けになればよいと思うのですが」

「唯野ダンジョンでもよろしいか?」


 肩を竦めて口にする。


「お好きにどうぞ。どうせ、地元と貴方は『ダンジョン』としか呼びません」

「そうだな」


 好き好んでフルネームを呼ぶ人もおるまい。

『現代ダンジョン』も長い。

 どうせ、他のダンジョンに出向く機会もないのなら、単純に『ダンジョン』で良かった。

 私はそんなことよりもだ。

 前任者が死んだ理由が気になる。

 体調190 cm体重80キロのカンパチなんぞ、こちらに歯向かってくる前に遠距離から撃ち殺せばよかった。

 だが、噂で知る限りの話だと。


「ダンジョンで、銃はやはり使えない?」

「残念ながら使えません」

「やはり物理的に?」


 桐原さんはこくりと頷いた。

 実際、使えたら自衛隊がなんとかしてくれそうなものである。


「不思議パワーで弾丸が使えないのです。一応、研究が進んでいるところによれば奇妙な見えない粒子がダンジョン内に散布されているせいで、スリングショットやロングボウなどでも至近距離以外では威力が極端に減衰します」


 実際のところ、使えたら凄い楽だったろうにな。

 銃器は人間をヒグマにも立ち向かわせる最強武器である。

 それが使えないとなると、やはり。


「どうしても近接戦になると?」

「なりますね。ダンジョン管理者の中には、西洋甲冑を着込んで闘っている方もおられます」


 それではまるでRPGの冒険者ではないか。

 ただし、弓矢系の武器が差別されているのは浪漫に欠けるかもしれないが。


「唯野さん、一刻も早く間引きを始めることをお勧めします」


 二人で、ぴたと立ち止まる。

 そこはダンジョンの手前であった。

 『立ち入り禁止区域』と書かれたロープが周囲に張り巡らされており、その中には深い深い洞窟じみた地下への階段が出来ている。

 そうだ、人工物にしか見えない階段だ。

 現代ダンジョンという者は常に地下にできて、このように突如として湧き出るのだ。


「前任者の残した装備は?」

「バイク用のボディプロテクターを使用していたそうですが、破損しております。武器もダンジョン内で逸失していたようですので、装備は新しくお買い求めください」


 一から装備を調えろと言うことか。

 さて、幸いにして貯金は中年独身サラリーマンとして老後のため蓄えてきた額が数千万あるが。

 まさか、老後ではなく明日を生き残るために使うなどとは思いもよらなかった。


「どこで装備を揃えれば?」

「ご安心を。国家認定の許可を受けました業者に連絡をしております。すぐにでも呼び出せますが?」


 私は頷いて、ダンジョンの入り口から立ち去ることにした。

 

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