第2話 国家による救済などはない
「全ての相続を放棄するよ。国が土地もダンジョンも貰ってくれ」
私は静かに、相続の放棄を告げた。
当たり前だろ、こんなもん。
何が悲しゅうて、現代ダンジョンなど相続せねばならんのか。
「土地や不動産の相続放棄は法律上可能ですが――」
ぺらぺらと、桐原さんが準備されていたプリントをめくる。
予想されていた発言らしい。
「相続放棄後の管理義務というものはご存じでしょうか?」
……なんか大学時代に聞いたことがあるな。
全然関係ないサラリーマン稼業をやっているが、確かに法学部にいたころはそんなことを民法で習ったことがある。
「第940条 相続の放棄をした者は、その放棄によって相続人となった者が相続財産の管理を始められるまで、自己の財産におけるのと同一の注意をもって、その財産の管理を継続しなければならない」
覚えていないが、確かに聞き覚えのある条項を桐原さんは述べている。
要するにだ。
「相続放棄は確かに可能であると。可能であるが――相続放棄が認められても、次の引き継ぎ先や管理者が決まるまでは放棄した不動産の管理義務は、そのまま残るということだろう?」
言いたい事を口にしてやる。
要するに、相続放棄をしてもいいが、現代ダンジョンの管理義務は残ると。
そのままダンジョンが放置されて、例えば間引きから逃れたモンスターが市街に溢れかえって被害者でも出た場合、その罪と被害は管理義務がある私が責任を負うと言うことだ。
「おや、お詳しい」
「いちおうは法学部卒なもので」
三流私大卒だがな。
ついでに言えば、だ。
「確かにそういった法律はある。あるが、実際のところは最終的には国家に責任が求められることになるだろう。日本国土である以上は、国家にしか引き取り先がないんだから。コモンウェルスという言葉を、公共学を嗜んでいらっしゃる公務員の方がご存じでないわけない。公共の善を実行してくれたまえよ」
「そうですね。もちろんそうです」
善良な公務員である桐原さんは、確かにそうであると頷いた。
「最終的にはそうなるでしょう。そもそも、一般の方に自助努力で現代ダンジョンを管理せよなどというやり方が根本的に間違っております。我が国には軍隊はおらねど自衛隊がいるではありませんか。自衛隊の主たる任務は『日本の平和と独立を守ること』であるからして、災害救助と同じく、このような事態に即応してしかるべきではないかと。誰もがこう考えるでしょう」
ぎゅっと桐原さんが握り拳を作る。
「だが、それはそれ。これはこれ。令和に入って後、日本に突如生まれた現代ダンジョンは確かに災害であるものと、私などは受け止めております。ですが、それは私人としての意見であります」
おそらく、この人はこの人で色々と言いたいことはあるようなのだが。
現実には、まあ諦めているようだ。
「マンパワーが明確に不足しております。自衛隊は民間の私有地ではない土地。例えば『青木ヶ原樹海』などの国立公園の特別保護地区に発生したダンジョンに手いっぱいになっております」
それは知っている。
本当に残念ながら、それは知っているのだ。
スマホでニュースぐらいは見る人間であれば、誰もが知っている現実だ。
「現在は国家も有事と受け止めております。自衛隊の予備役まで駆り出している状態です。さて、本当に恥ずかしながら、この状況では――」
「私有地の相続放棄した土地まで構っている余裕がないと? 相続放棄を認めても、最終管理責任を国家が引き受けるまではしないと?」
「そうなります。別に、やりたくないからやらないとか、そんな子供じみた対応ではありません。恥ずかしながら、やりたくても手が回らない状況なのです」
まあ、それは信じる。
日本国民の一人として、それはちゃんと政府を信じようではないか。
それはそれとして、だ。
「仮に相続放棄をしても、無意味だと?」
「相続放棄は認められますが、管理義務の放棄までは認められません。そして、国家が現代ダンジョンの管理責任を認めるのは、体制が整った数十年後の事でしょう」
それでは意味がないだろう。
要するに、この相続登記のハンコを押すか押すまいか、あまり意味はないのだが。
「どちらが、より『マシ』かね。それをお聞きしたい」
「相続登記を認める方です」
「それは何故?」
真剣に尋ねる。
桐原さんはダンジョン管理に経験豊富なようで、明瞭に答えてくれた。
「管理義務の範囲がどこまでかは、判例が少なくて国家も決めかねているからです。例えば、これが相続登記の認められた私有地であるならば、他の者が勝手にダンジョンに入って死亡したとしても罪にはなりません。逆に、管理義務の場合は……ホラー映画をたとえとしますと」
仮に、ホラー映画に出てきて、すぐ死にそうな馬鹿な若者が現代ダンジョンに入り込んで。
そこで死んでも私有地なら違法侵入者が死んだだけなので問題はないが、相続放棄をしているなら管理義務違反であるとして私に責任を求められる可能性がある。
少なくとも、善管注意義務を満たしていたかどうかの説明は法廷にて求められると。
「……」
顔を両手で抑える。
そんなもの、選択の余地は事実上ないではないか。
いや、まて。
不惑の歳なれば迷いようはないところであるが、ここはよく考えよう。
逃げ道は――ないとして。
「現在は? 誰が、この、私が相続するところとなる現代ダンジョンを管理している?」
「放置状態です。ですが……放置はあまり危険ですので、もう一週間もすれば強制的に、自治体の有志による『間引き』が執行されることになります」
自治体の有志による『間引き』。
令和に生きる社会人なれば、誰もが聞いたことのある言葉。
登山時に遭難した際の捜索費用がいくらかかるかと同じく、聞きたくもない言葉である。
「その費用は?」
「数百万ほど……」
払えるか! 馬鹿!
いや、厳密には2、3回なら貯金で払えるが、数回もすれば貯金も尽きる。
私はただの独身中年サラリーマンでしかないのだ。
「桐原さん。貴方を善良な公務員と見込んでお尋ねしたい。もはや逃げ道はないかね」
「残念ですが、ありません。私とて、このような仕事をしたくてしているわけではありません。貴方が、この相続登記申請書にハンコを押して、一刻も早く自らに『間引き』を始めることが最良と知っているからに、こうしております」
桐原さんの瞳は真剣であった。
誰もが、こんなことをしたくはない。
なれど、他に道もないからこうしているだけだと。
残念ながら、それは信じるほかに無かった。
「ハンコをどうか、唯野さん」
私は、ハンコを促す桐原さんの言葉に応じて。
せめて、彼がスーツの似合う男性公務員ではなくて、美女か何かだったら誘いにも楽しく乗っかれたのになあと。
酷くつまらないことを考えながらに、申請書にハンコをついた。
私がハンコとともに署名した名前は、唯野仁成(タダノヒトナリ)。
まるでなんらかのジョークとしか言えないような、凡人としかいえない名前であった。
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