三章 Omnia vanitas 1.

 うだつの上がらない男カノシタは、ぴえん系殺し屋少女ノアと共に行動を共にしていた。

 神奈川県横浜市にある高級中華料理店。大きい店構えの店は、一階は大広間だが二階は政治家や富裕層向けの完全予約制個室である。

「う~ん……このフカヒレやっぱ美味しい~! 溶けるみたいに柔らかい~……さいこう~」

 至福の笑みを浮かべながら、フカヒレを食べるノア。対して、向かい合って座るカノシタに笑顔はなく、眼前に置かれた料理には手をつけず眺めるだけだった。

「こんな美味しいの食べないのぉ?」

「いや……」

「ここはノアが払うんだから、今のうちに食べた方がいいよぉ。う~ん。この小籠包も美味しい~」

 ──喉通らねぇよ。

 一生に一度か二度あるかないかの超高級中華。本当なら、奢りと聞いて貪って酒も飲んでいただろう。が、これまでの出来事のせいで完全に気が滅入ってしまったカノシタの食欲がなかった。

「我慢はよくないよぉ?」

「我慢してねぇよ……お前は我慢なんて知らなそうだな」

「自分に尽くす主義でーす」

「自己愛主義者め。我慢も覚えろや」

 苛立って思わず毒吐いてしまい、「しまった」と内心焦ったカノシタはノアを見た。

「何で我慢するの? 好きなものなのに」

 機嫌を悪くして睨まれると思っていた。しかし、ノアは不思議そうな表情でそう聞いたのだ。この時ばかりは、見た目より幼い子供が質問しているように見えた。

「いや、それはな……大人になったらそうなるんだよ」

「えー理不尽。逃げてるぅ」

「逃げてねぇよ。それが大人の社会っつうんだよ」

「社会ねぇ」

 考えながらフカヒレを掬って食べるノア。

「やっぱりわかんないなぁ。ノアはノアの為に頑張ってるんだから、我慢なんて勿体ないじゃん。美味しいもの食べて、好きな服を着て、好きな化粧して、好きな推しを愛して。自分を愛して何が悪いの?」

「それは同意するけど、そこまでできるのは金持ちだけだ。下っ端の平には程遠い空想理論だ」

「そうなの? なんか理不尽……

 最後の一言に苛立ったが、彼女の顔を見て文句を言うのをやめた。本当にそう思っていそうな顔だった。

 わからないけど、悲しそうな表情だった。

 よくよく考えれば、ノアは学生だと言っていた。大学生かもしれないが、高校生という可能性もある。言動の幼さを考えれば中学生だということもあり得るかもしれない。

 自分より一回りも違う少女。そんな子供が、殺し屋などというものを生業にしている。

 彼女は何故、殺し屋になったのだろうか。その技術をどうやって学び、鍛えたのだろうか。車の運転を誰に学び、どうやって技術を高めたのだろうか。そんなものを初めて見た彼であっても、ノアの実力は相当なものだろうとある程度わかる。

 はたして、ノアという少女は、どんな過程で殺し屋になり、その人生を送ってきたのだろう。

「どうしたの?」

「…………いいや。なにも」

 注文していたビールを一口飲む。泡がなくなって少し温くなっていたが、乾いた体に効くのはやはり酒なのだと理解した。次にフカヒレを恐る恐る口にする。何度も噛んでいくと広がる旨味が凄い。これは美味い。小籠包や春巻きも食べれば、これも絶賛だ。ビールでもいいが、これは白酒パイチュウを飲みたくなる。

「……そういや、そのキャリーケースは何なの?」

「んぅ?」

 ノアの隣には、クリスチャン・ディオールのキャリーケースが置かれていた。中華料理店に着いた時、車から出してバッグと共に持ってきていた。

「内緒ぉ」

 小悪魔っぽく笑うが、全然笑えない。とても不吉なものでしかないことがよくわかったので、あえてなにも聞かなかった。

「というより、何で悠長に飯食いに来たんだ? 奢りにきた訳じゃないだろ」

「んー……ノアがお腹空いたっていうのもあるんだけどぉ、大部分はお仕事かなぁ。多分もうちょっとだと思うよ」

 仕事、と聞いてカノシタの箸が止まる。嫌な予感が急に押し寄せてきた。

 ビールの最後の一口を飲んだ時、なにやら外が騒がしい。悲鳴と皿が落ちる音が聞こえた。獣のような足音もする。

「きたきたっ」

「え。なに? なになに?」

 嫌な予感が当たった。

 複数の足音が心臓の高鳴りに呼応するように近付く。部屋の扉が蹴破られ、銃を持った数人の男達が押し入った。

 蹴破られたほぼ同時。予見していたかのように拳銃を取り出したノアが撃っていた。名乗り出る暇もなく血を噴く始末となった。

「いきなり撃つなよ!? びっくりするだろ!?」

「えぇ~? いい加減慣れてよぉ」

「慣れるかこんなもんっ!」

 不意打ちの銃撃に慣れたくもないカノシタは悲鳴を上げる。ノアは椅子から立ち上がり、撃った男達の頭に数発ずつ銃弾を撃ち込んでいく。殺した者を見下ろして観察する。

 ──ボディアーマー着てる。規格はⅢAあたりかな。ま、近距離なら関係ないし。ヘルメット被ってる訳でもないし。

 にやりと笑うノアは、マガジン交換してキャリーケースを床に広げた。

 その中にあったのは着替えでもなければ、推しのグッズが詰め込まれている訳でもない。衝撃緩衝材が敷き詰められたスポンジの中にあったのは、分解された銃と装備だった。

 素早く組み立てたのはAR15アサルトライフル。16インチ仕様バレルにはシグザウアー製小型ダットサイトに小型予備サイト。ショートフォアグリップを備えた装備だ。バレルは強化加工された物で、ノアがチョイスしたゴールド仕様の色に加工されていた。

 もう一つ取り出したのはタクティカルベルト。既にホルスターやポーチ、ナイフが装備されていた。ベルトを巻いたノアはポーチにマガジンを入れていく。

「いやぁ。久々だねぇ。こんな派手にやれそうなのは」

 どこか楽しそうに言うノアは拳銃をホルスターに納め、アサルトライフルのチャージングハンドルを少し引いて、装填不良がないか薬室を確かめる。

「これもカノシタ君様々だねぇ。こういう機会じゃないと殲滅することできないからさぁ」

「なに。俺、餌に使われたのコレ!?」

「ご名答~! わかってきたじゃん!」

「もうやだ! こんなクソガキの誘いに乗るんじゃなかった! 考えてみれば去年の冬からこんな感じだ! 職場異動してせっかくクソ上司から解放されたのに、もう薬飲まなくても良くなったのに、チクショウ!」

「カノシタ君クスリ嗜む人だったの? 軽蔑ぅ。おクスリ準備させよっか?」

「いらねぇよ!」

「大丈夫だってぇ。確かに餌には使ったけどぉ、要は全員殺せばいいだけなんだからぁ」

「それが不穏なんだよ! ああもうやだ! 東京やだ! いつからこんな物騒になったんだよ!」

「元からかなぁ」

 叫ぶカノシタを尻目にノアは準備を進める。

「ほらほらぁ。ノアが守ってあげるから立ちなよぉ。これが終われば全部万事解決なんだからさぁ」

「……本当なんだろうな」

「マジ」

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