二章 Nullis amor est sanabilis herbis. 1
うだつの上がらない男のカノシタは、出会ったばかりのぴえん系殺し屋女子のノアが運転する、ホワイトのジャガーF─TYPE75クーペに乗って東京を走っていた。カノシタは助手席で縮こまっている。彼自身、何故こういう状況なのかまだわかっていない。
そもそも、こんな少女が殺し屋だと言う。高級車を飛ばし走っている。何だ、この状況。車内に流れるアニソンが場の空気に全然合っていない。うまぴょいするアニソンは卑怯だろう。そんな雰囲気ではないし、心がぴょんぴょんしない。
「…………あの」
「なに」
「どこ向かってるんすか、これ」
「君が泊まってるホテル」
「…………さいですか」
何で宿泊しているホテルが把握されているのか考えたが、なにも浮かばないので考えることをやめた。「いや、マジでどういう状況なの?」と今でも思っていた。
「あのラブホ、あんなことして大丈夫なのか?」
「知り合いが管理してる、それ専用にしてたホテルだから問題ない」
「……死体とかってどうすんの?」
「処理専門のクリーニング屋に頼んだ」
ラブホテルを出る時、確かに「大川クリーニング」と名乗る白装束集団がやってきたのを覚えている。おそらく、それが処理専門なのだろう。
知られてばかりでは負けたような気がして、なんとか相手の情報を仕入れようと試みた。コミュニケーション能力の高さがここで生かされるのは不満だが、強気でいくしかなかった。
「……バッグとかコートとか、パパ活で買って貰った?」
コートの話題を出した瞬間、舌打ちしてあきらか不機嫌になってカノシタを睨んだ。刺されてもおかしくなかったが、ノアは顔を前に戻した。
「ノア、そんなので貢いでもらってないから。全部自分で稼いだし。コートは、誕生日に貰った大事なコートだったんだけど。凄く大事だったんだけどっ」
「俺じゃねぇって……」
本当に気に入っていたらしく、当たりが激しい。NGワードに認定して、今後はその単語を出さないようにとカノシタは誓った。
赤信号で停まる。カノシタは街行く通行人達を眺めた。
──ああ。他は普通の生活を送っているというのに、俺はなにしてるんだろ。
今となっては普通の生活が恋しい。。
ノアはバックミラーとサイドミラーを交互に見た。
「カノシタ君はなにしてる人なの?」
「急になんすか」
「ノアは教えたでしょ」
確かにそうだが、そんな経歴を教えてもらっても嫌だった。
「公務員だよ」
「へぇ。お国の下僕さんなんだ」
「下僕の下僕。北の方の地方公務員だよ」
「あー。そういう感じ。お金持ってる身なりじゃないし。そんなのだから女の子から無視されるんだよ」
「根に持つタイプだろ。お前」
「まぁ、カノシタ君には後でしっかり返してもらうから、コートの件は許してあげるけど」
「いやいやいやいや。そんな高いの無理だし。そもそも俺のせいじゃないっての」
「ぷっ」
ノアが笑いを堪えきれずに吹き出した。
「地方公務員ごときが払えると思ってないよ! それに、身につけたいって思った物は自分で揃えるのがノアのポリシーなの。貰い物だって、好きなブランドや気に入ったものじゃないと身につけたくないもん」
「馬鹿高ぇ買い物っすね」
「──ねぇ、カノシタ君。ノアがいくらで仕事請け負って、好きな服とバッグと香水を身につけて、好きな車を転がしてるかわかるでしょ」
カノシタを見ていたノアの表情は、馬鹿にして見下しているものではなく、悲哀に思った表情でもなかった。
「アタシ、結構スゴいんだよ?」
目元の近くでダブルピースし、にかっと笑った。
自信に満ち溢れている己に酔っている。
間違いでもなんでもない。そのことをカノシタはつい先程、目の当たりにされたのだから。
表情から読み取れる、鋼に似た、確固とした自分の意志。
私が私であるが故に、と言わんばかりに。
その表情が、どこか恐ろしかった。
「あ。そうだ」
ノアは顔を戻し、ハンドルを握り直した。
「シートベルトもっかい確認してね。跳ばすから」
「は?」
直後、ノアはアクセルペダルを踏んでエンジンを大きく噴かす。
信号が青になった瞬間に走り出したと思ったら、180度ターンして逆走し始めた。
「おい!?」
カノシタの声がエンジン音で掻き消され、気にもしないノアはスピードを緩めない。それどころか、ドアにつけたホルスターから拳銃を取り出すと、擦れ違ったバイクの運転手の頭に銃弾を叩き込んだ。
ヘルメットを容易く貫通し、制御を失ったバイクはガードレールに衝突してひしゃげるように大破。運転手は、アパレルショップのショーウィンドーにボロ雑巾のように投げ飛ばされていた。
「おまっ……お前、何してんのっ!?」
「煩いなぁカノシタ君は。あれ、ノア達を追ってきてたの。あのままホテル連れていくの? ほら、もう来たよ」
言う通り、もう一台のバイクとセダンが急旋回して追ってきた。
「来た来た」
セダンからAKアサルトライフルを持った男が窓から身を乗り出して撃ってきた。走行しながらの為に当たりはしないが、幾らかはボディに当たった。
「撃たれてる。撃たれてる!」
「防弾だから大丈夫だってぇ。はしゃぎ過ぎぃ」
ノアは余裕だった。セダンはあくまでも牽制役割。本命は、バイク。一気に近付いて連射性能と貫通力が高いサブマシンガンで瞬殺。そんなところだろう、と。
やらせる訳がない。
ドリフトしながら道を曲がる。バイクも後を追って曲がり、車の後ろについた。前には行かせないように車体を左右に揺らしながら走る。バイクの運転手はイングラムM10サブマシンガンを片手で撃った。
「ぎゃああああああ!」
「うっさいなぁ」
騒ぐカノシタを余所に、ノアはハンドルを思い切り切った。
猛スピードで揺れながら走行していた車が、ノアの運転操作で旋回した。そのターンを利用して、バイクを車体の尻で跳ね飛ばした。バイクと人間が跳ね上がり、運転手はコンクリートに叩きつけられて動かなくなってしまった。瀕死状態なのは見てもわかるが、そこにノアは拳銃で確実に頭を数発撃ち抜く。
停まることなく、そのままバック走行しながら追ってくるセダンから逃げた。
「後ろ! 後ろ向きに走ってるっすけど!?」
もはやコメントするのも面倒になったのか、ノアは無視して拳銃を撃つ。セダンは止まらない。マガジン交換して少し考え、「うん」と何か決めたように頷いた。
スピードを緩めた。セダンが撃ちながら迫ってくる。防弾であろうとも、撃ち続けられるのは良くない。が、ノアはセダンが距離を詰めてくるのを待った。
眼前まで来た瞬間。再びスピードを上げた。そのままバックするのではなく、また180度ターンすると、セダンの真横に車をつけた。
アサルトライフルで撃たれる前に、ノアはセダンのタイヤを撃つ。ランフラットタイヤではなく、ただのノーマルタイヤが破裂する。猛スピードで走っていたせいでハンドル制御が出来ず、セダンは大きく揺れ出した。
「えいっ」
後部車輪めがけて少しぶつけると、セダンは反対方向に流れていった。歩道に乗り上げ、そのまま橋の上から大きな川へと突き刺さるように落ちていった。
「これで邪魔者はいなくなったね。じゃ、ホテルへレッツゴー!」
大きな噴水のように水しぶきを立て、水泡となって沈んでいく様を呆然と眺めるカノシタを余所に、ノアはドライブデートでもするかのように車を走らせた。
野次馬など関係なく通り過ぎていく。携帯電話で写真や動画を撮られようとも、ノアはまったく気にもしなかった。
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