一章 Amantes,amentes. 2

                 ◇



 結局、中華料理店には行かず、近くのラブホテルに直行した。

 どういう状況かなのか。カノシタはシャワーを浴びながら考える。

 街で声をかけられ、食事どころかホテル直行。これはまさに──

「逆ナンというやつでは?」

 ようやく自分にも運が回ってきたのではないか。気付けば、妹と同級生の結婚話やら話題をよく聞くような年になってしまった。子供がいてもいい年だ。そんな自分に、女性の運が巡ってきたと言っても過言ではない。いや、そうだと願いたい。

 シャワーを浴び終え、バスタオル一枚姿で戻る。白を基調とした部屋は、シンプルながらも清潔感と高級感があった。部屋は広く、キングサイズのベッドを置いてもかなり余裕があった。ソファやローテーブルも置いてあるが、それでも広々としていた。珍しく大きな窓があり、東京の夜景も眺めることができた。

 実際、料金を見れば高かった。普通のホテルより高い。カノシタが宿泊しているビジネスホテルより高かった。

 ノアはベッドに座り、傍らにバッグを置いてデコレーションされたアイフォンをいじっていた。

 コートは脱いでいた。リボンやフリルの装飾がついているガーリー系の服。ピンクのブラウスに、ハイウエストの黒いサスペンダースカートを着ているのを部屋に入ってから知り、典型的なぴえん系女子だと失礼ながら思っていた。

 一瞬だが、いなくなっていると考えた。金銭だけ取られて無一文になる最悪のオチを想像していたが、今のところそうなっていない。ちゃんといる。

「出た。シャワー浴びなよ」

「それより隣座ってよぉ」

 手を引かれて隣に座る。

 タオル一枚の男と、ぴえん系女子。不思議な光景であり、東京では珍しくもない光景なのだろう。そんなことを自分もすると考えれば、妙な高揚感が生まれてきた。

 肩が触れるか触れないか絶妙な距離。香水の匂い。ノアの顔が近付くにつれ、胸が高鳴る。

「カノシタ君にお願いがあるんだけど、聞いてくれる……?」

 ここに来て不穏な質問にカノシタは身構えた。まさか宗教勧誘だとか、絵画を買ってくれと抜かすつもりか、と。秋葉原で遭遇した絵画押し売りが懐かしいが、宗教被害者による政治家殺害は記憶に新しい。断れば刺されるのでは。メンヘラに刺されて血だらけになった新宿ホストの事件も思い出す。そんな形で全国デビューはしたくない。普通に死ぬ。物理的にも、精神的にも。

 しかし、ここで引いては名が廃る。

「いいよ。どんなこと?」

「嬉しい! あのね────?」

 ────ん?

 カノシタの思考が一瞬止まった。

 無邪気な笑顔でノアは続ける。

「教えてくれたら、楽しいことしてあげられるんだけどなぁ。ね?」

「文書?」

「そう」

 何を言っているのかわからない。

 文書とは何のことなのかわからないし、ノアがどうしてそんなものを欲しがるのかもわからない。そもそも、カノシタは仕事ではなくプライベートで来たのだ。仕事で使うような資料など持っている筈もなく、プライベートでも文書など持っていない。持つ必要すらない。

「文書ってなに?」

「わかってるのにぃ。カノシタ君ってば焦らし上手ぅ」

「いやいや。マジでわからん。意味わかんね。なに言ってんの?」

 予想外の質問で、冷静を装っていた口調が崩れた。

 カノシタとしては、普通の喋り方だった。

 今まで笑顔だったノアの表情が消えた。

 それを見たカノシタは背筋に悪寒を感じるほど、怖いと思った。人を人と見ていないような瞳だった。

「もう。君ってばさぁ」

 すぐ笑顔になったノアの右手が、バッグに伸びる。左手がカノシタの胸に触れた。

「じゃあさ。こうすれば思い出せる?」

 左手が首を掴み、力尽くで押し倒された。力には多少の自信があった筈なのに、ノアの握力と力の強さは異常だった。

 首の骨が折れそうな勢いで掴まれて呼吸が出来ない。僅かな空気を取り込もうと口を開けた瞬間、ひんやりとした金属棒のような物をねじ込まれて呻いた。

 口にねじ込まれたのは、細長い円筒状の物体。その先には映画やアニメでしか見たことがない拳銃のような物。否、拳銃だった。

 ノアがバッグから取り出したのは、サプレッサーを付けたグロック34拳銃だった。強化スライドにゴールド着色加工された強化バレルが印象的で、小型フラッシュライトとマイクロドットサイトが搭載されていた。

 いつの間にかノアは、両腕を使えないように馬乗りになって、薄暗い笑みを浮かべて見下ろしていた。

「思い出した?」

 

 

 状況がわからず、カノシタは混乱していた。

 

 

「えー。まだ思い出せないのぉ?」

 意地悪く、ノアは更にサプレッサーを押し込んで上下させた。口内は圧迫され、喉奥を異物感が襲って噎せる。

「ほらほらぁ。疑似フェラ体験だよぉ。女の子の気持ちがちょっとはわかるでしょ? まだ思い出せないの? 記憶力わっるいなぁ。物忘れ激しいの? …………あ。喋れないのか。ごめんごめん」

 ようやく気付いたノアは、口内からサプレッサーを引き出す。涎まみれのサプレッサーを見て「うわ、きったな」と呟くとベッドシーツで丁寧に拭き取った。

 力は緩んだが、左手はまだ首を掴んだまま。最低限喋れるようになっただけだった。

「なんなんだよ、お前っ……!?」

「んー。まだ思い出してくれないのかぁ。おっかしいなぁ、ちゃんと合ってるんだけどなぁ……。ねー。ノアほんとにお腹空いてきたんだからさぁ、とっとと文書がどこにあるか教えてよぉ。まだ許してあげるからさぁ。教えてくれないと、ノア困っちゃうなぁ。偉い人に怒られちゃうなぁ。酷いことされちゃうなぁ。そうなりたくないからぁ、君のこといっぱい酷いことしないと駄目なんだよねぇ」

 そう言うやいなや、ノアは拳銃のグリップでカノシタの肝臓を殴った。普通の少女の力とは思えない強さで殴られ、「うごぉ!?」と変な悲鳴を上げてしまった。嘔吐感に襲われたが、なんとか我慢した。

「意味、わかんね……! マジでなんなんだよ……!?」

「…………んー。どっちだろ、これ」

 暴力を振るっているノアが何故か困っていた。冗談じゃない。困っているのはこっちだと言いたい気分だが、生憎と力任せに首を絞められていて声が出せない。

 少しだけ考えて決めたのか、「うんっ」と気合いを入れた。

「どっちにしろ困るし、知ってるの隠してるかもだしぃ。ただの一般人な訳ないと思うからぁ、酷いことしちゃう」

「あぁっ……!?」

 意味不明な発言にカノシタは暴れる。が、ノアはまたグリップで、今度はこめかみを殴った。意識が飛びかけた。

「ノアはそんなこと出来ないからヘルプ呼ばなきゃ。ここは防音完璧で、なにしても聞こえないからダイジョーブだってぇ。すっごい美人のヘルプさんだから、どんなに痛くて叫んでも大丈夫だよぉ」

 何が大丈夫なのかわからない。抵抗する力もなく、このまま無残な結末を迎えるのか考えると絶望でしかなかった。

 ノアが連絡しようと、拳銃からアイフォンに持ち替えた。

 まさにその刹那。

 数回の爆発音──もとい、銃声が響いた。

 ノアは咄嗟にカノシタの上から立ち上がり、角に身を隠しながら少しだけ頭を出した。

 部屋の入口が撃たれ、蹴破られた。四人の男達。各々が銃を持っていた。

 迷うことなく、ノアは構えて引き金を引いた。

「なんだ!?」

 カノシタは叫ぶ。気にせずノアは引き金を引き続けた。

 先頭で乗り込んだ男の体が、不格好に揺れながら崩れ落ちた。

 一度身を隠し、同じ場所から顔を出さない為に今度は立ち膝をついて構えて撃った。

 出鼻を挫かれた男達だが、一人がレミントンM870ショットガンを、壁から出して構えずに撃った。

 適当に撃っても、ショットガンから放たれるスラグ弾の威力は絶大だ。その破壊力たるものは想像を絶するものであり、例え構えずに撃って明後日の方向に着弾しようとも、万が一という予想を与えるには充分だ。

 扉の鍵を壊したのは、あのショットガンだろうと理解したノアは身を隠しながら応戦する。が、反撃の余地を与えてしまい、更に多くの銃弾に狙われる羽目になった。

 そのうち、弾切れになってスライドが後退したままになった。舌打ちし、ベッドに飛び乗ってバッグを掴む。隅っこで震えているカノシタのことなどもはや見ていなかった。

「行け行け!」

 拳銃を持った男を先頭に部屋に押し入った。

 最初、カノシタは助けが来たと思った。警察だと思った。しかし、あきらかに柄と人相の悪い私服の男達を見て、嫌な予感がした。

「あのアマどこ行った!?」

「ちゃんと見てろよ。文書探せ!」

「何だコイツ」

 ──

 もう終わりだ。この世の絶望が目の前にあった。

 ショットガンの銃口が向けられる。

 男達の意識がカノシタに向けられた僅かな隙を逃さず、倒れたソファに隠れていたノアが、右手にマガジン交換を終えたグロック拳銃と、左手にベンチメイド製ニムラバスナイフを逆手に持って飛び出した。

 片手が使えず、左手の甲に置くように拳銃を支えて撃つ。一人の頭を撃ち抜いた。

 仲間が殺された死体を蹴り飛ばした。が、ノアは助走をつけて蹴り返す。死体が被さって動きが取れなくなった男を、死体ごと撃ち抜いた。

 最後の一人がカノシタからノアに構え直す。狙いを定めて引き金を引いていた時には、既にノアはそこにはおらず、体勢を低くして男に向かっていた。

 フォアエンドをスライドさせる。銃口がノアの額につくほどに近い距離だった。

 ノアは笑っていなかった。男は勝ったと笑い、引き金を引く。

 

 銃声もせず、スラグ弾も出ず、小さな金属音が鳴っただけ。

「弾数ぐらい数えるのが基本でしょ」

 ナイフでショットガンを弾き返し、間抜けな男の顔に9ミリ弾を数発撃ち込んだ。倒れているが、残りの死体の頭にも同様に撃った。

「雑ぁ魚!」

 死んでいる相手に吐き捨て、マガジンを交換。敵がいないか部屋を見回した。

「あーーーーーーーーっ!?」

「ひぃっ!?」

 突然叫びだしたノアに驚き、カノシタの体が跳ねた。

「ノアのコートが台無しになってるぅーーーー!?」

 ノアが駈け寄ったのは、壁に掛けていた自分のコート。清純さを纏うような白いコートは、先程の銃撃戦の最中、無残にも流れ弾で穴だらけになっていた。

「マジサイアクなんだけど!」

 穴だらけのコートを抱き締めて悲哀に満ちていると思ったら、今度は拳銃をカノシタに向けた。

「買って貰ったお気にのコートだったんだけどっ!?」

「俺じゃなくね!? それ俺じゃないでしょどう見ても!」

「うっさい変態! ザコ虫!」

 まったく状況が読めない中で、ヒステリックを起こされてカノシタはどうしていいかわからない。なんだこのクソガキ、情緒不安定じゃないか。

 どうなるのか考えられない中、ノアは深呼吸して落ち着きを取り戻して拳銃を下ろした。コートとナイフをベッドに置き、床に転がっていた自分のアイフォンを取った。

 画面が割れていないことを呟き、どこかに電話をかけた。

「…………あー。ノアだけどぉ」

 ──切り替えのプロかよ。

 今までのドスがきいた声はどこへやら。砂糖をぶち込んだような甘ったるい喋り方に戻したノアを見て、思わず凄いと思ってしまった。

「あのねぇ。言われた通りに会ったんだけどぉ、文書持ってないどころか、話通じない宇宙人さんなんだけどぉ」

 ──誰が宇宙人だ。俺が宇宙人だったら、常識の通じないお前らは異世界人だぞ。

「それでぇ、なんか怖い人達もやって来てぇ。ノアが全員殺しちゃったからいいんだけどぉ、この後どうすればいいのかなぁ、って思ってぇ。────え? マジで? ……うーん。そう言うならノア信じるけどぉ。わかったぁ。後で連絡ちょうだいねぇ。ばいばぁい」

 一瞬、素に戻ったのが気になったがカノシタは言わなかった。余計なことを言って撃たれたくなかった。

「…………はぁ」

 電話を切ったノアは深い溜め息を漏らし、やる気のないジト目でカノシタを睨んだ。

「着替えて」

「…………は?」

「着替えろって言ったの。それともなに。萎えて縮んでるのにまだヤる気あるの?」

 言われるまで、自分がタオル一枚だったことを忘れていた。先程の銃撃戦で取り乱し、そんなものの存在を忘れてしまっていた。

「とっとと着替えて。もう一回言わせたら、その汚いのぶち抜くから」

「…………なんなんだよ、お前」

「はぁ……。ま、もう一回ちゃんと自己紹介はしとくねぇ。ノアでぇす。主な趣味はVチューバーの推し活でぇ、職業は学生とぉ──。よろしくね、カノシタ君」

 カノシタの頭は、天地がひっくり返ったようにごちゃごちゃし過ぎて整理が追いつかない。

 

 

 そもそも、これは現実か?

 わざとらしい少女の笑顔も、部屋に転がっている死体も、広がる死臭と硝煙の臭いも、全てが現実と空想の狭間にいるようであやふやだった。

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