なんもかけない


 何にも書けない。


 しかしその意味合いは、前二話を書いていた頃とはずいぶんかけ離れたものになってしまった。

「何にも書けない」というタイトルの作品が連載中になっていて、なおかつ10000文字以上書くといった手前、新しい作品を作ることは出来ない。

 いくら神アイデアが10個、100個浮かんできても書けない。


……なんということだろう。「なんもかけん」という冗談みたいなタイトルのせいで、本当に何にも書けなくなってしまったのだ。


 助けてくれ。

 何にも書けないといったが、あれは嘘なんだ。書けるんだよ。

 今考えてるやつはタイトル「文芸誌:第二人格の友」ってやつなんだけど、面白そうだと思わない?

 でもそれだって、これが10000文字埋まるまでは一切手が付けられないってことだ。

 もちろん、前の話と、この話の中にある「10000」って数字を書き換えれば良いだけなのかもしれない。そうなったら、この作品はこの話で最終回ということになる。


 いや、「なんもかけん」という連載中作品をすっぽかして、敢えて新連載を出すことによって、無駄に字数を埋める手間ちょうえき免除しゃくほうするとともに、「この男は人生の困難を克服したのだ」と周囲に知らしめることも出来るかもしれない。

 しかし……もし、新連載の更新が止まってしまったらどうだろうか。そうなったら、「やはりこの男、何一つとして克服できておらぬか」と失望と嘲笑をもたらすのではないか。

 止まってしまわねばいい、そう楽観的な自分は思っている。が、悲観的な自分は冷静にこう言い放った。


「新連載を更新し続けられるような人は【なんもかけん】なんて作品を出す真似はしないでしょ」


 見切り発車。

 この作品を生み出したそもそもの原因。

 彼の指摘は的確だった。事実、私は多くの連載小説を見切り発車によって頓挫させているのである。


 私は100均で山ほど買った黒かりんとうのうちの一袋を開けて、口の中に入れていった。

 こんな夜中(午前3時)に油と糖分なんて、なんという罪なのだろう。

 私は現在進行形で後悔をしている。食べてから後悔するならまだしも、食べつつももう後悔している。

 この黒かりんとうと不摂生が後々の生活習慣病を生み出し、私に迫りかかってくるのだろう。

 例えば数十年後、様々な人生の経緯から「真実」に目覚め、名作「坊ちゃん」をおよそ2週間で書いた夏目漱石よろしく昼夜を問わず爆速で書いているとしよう。

 そして、もう少しで全容を掴めるとなった瞬間、スイートブールの糖分や黒かりんとうの油が、他の様々な不健康要素と一緒に私の命を取り立てるのである。

 薄れゆく意識の中、私は思うのだろう。


「なんということだ。こんなことなら、あの頃から、せめて自分で自分の首を絞めるような、馬鹿らしいことだけは止めておけばよかった」


 瀕死の自分の目の前で、ゆっくりと日めくりカレンダーのように見せつけられる膨大な無為の領収書たち。

 そしてその中には「なんもかけん」にかけた執筆時間も含まれているに違いない。

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