第23話 舞踏01

「わたしはリリー殿下が幸せであればそれでいいのです。たとえ、殿下が砂漠のけものに嫁ぐとも、変わらぬ忠誠と敬意を捧げます」


 リヒャルトは目元に憂いをにじませながら告げる。言いようはレインをさげすむようで、『リリーの婚約者』に対して敬意の欠片もない。だがそれはリヒャルトだけでなく、帝都の大貴族なら誰もが抱く当たり前の感覚だった。


 どれだけウルド国が強国で、藩王ロイドが『砂漠の狼王ウルデンガルム』と呼ばれる名君でも、大貴族には関係ない。彼らにとってウルドの人間は辺境を彷徨さまよう野良犬だった。


 『せいぜい、投げ捨てた骨を拾って尻尾を振るがいい。番犬くらいには使ってやる』……と大貴族たちはウルドを蔑視している。だから、リリー本人が望んだこととはいえ、皇女が辺境国家へ降嫁こうかするなどあってはならないことだった。



「リリー殿下のいない帝都はなんと悲しく、寂しいことでしょう。ですが

、このリヒャルト・ヴァンフリー。殿下に何かあればすぐに駆けつけます」



 リヒャルトが切なげに微笑むとケラーや同席した女たちも感動した面持ちになる。リリーも再び感動せずにはいられなかった。



──ああ、リヒャルトお兄さま今でもわたしを想ってくださる。叶うならばわたしも帝都グランゲートでお兄さまと過ごしたい。いつかのように、柔らかな陽射しが降り注ぐ王庭おうていを並んで歩きたい……。



 リリーは仄かな恋心を思い出した。リリーにはリヒャルトが強く、優しく、そして優雅に見える。しかし、『皇位にく』という目的を果たすために恋心は必要ない。むしろ邪魔だった。



──余計な感情に目がくらんではだめ。わたしは傾国姫けいこくき。目的のためには手段を選ばない。



 リヒャルトの好意を肌で感じていたリリーは思慕の情を押し殺した。そして、滅入りそうな心を奮い立たせるように勢いよく立ち上がる。賓客たちの注目が集まると右手を高々とかかげて声を張った。



「踊るわ!! 独身最後の夜よ、盛大に盛り上げて!!」



 リリーが笑顔を振りまくと客席から拍手と歓声が沸き起こる。すぐに帝都からやってきた宮廷楽団が明るく躍動感のある舞曲を奏で始めた。



「リヒャルトお兄さま、一緒に踊ってくださらない?」

「畏まりました。リリー殿下、光栄です」



 リリーが手を差し伸べるとリヒャルトはうやうやしく一礼して手を握る。音楽に合わせて真紅の宮廷ドレスが軽やかに揺れ、リリーのしなやかな手足が流れるように動く。リヒャルトはリリーにステップを合わせながら、ときおり身体をよせる。


 やがて、曲調がゆるやかなものへ変化すると二人は手を取り合い、互いの視線と指を絡めた。リリーは少し上気した顔で微笑み、つややかな唇をかすかに動かした。



「リヒャルトお兄さま。初めて舞踏会へ行ったときを思い出します」



 リリーの青い瞳が遠い過去を慈しむように潤んでいる。リヒャルトはリリーの感触を確かめるように指先へ軽く力をこめた。



「あのころから君は変わらない。美しいままだ。リリーの前では砂漠の太陽ですら陰って見える」



 リヒャルトは親しげな態度で気取った台詞セリフを並べる。リリーは頬をさらに紅潮させ、伏し目がちになりながら聞いていた。胸の奥が熱くなり、音楽に合わせた歩調が乱れそうになる。すると、リヒャルトが腰に手を回して抱きよせた。



「どうか安心してほしい。わたしは必ず君を救いに行く」

「……」



 リヒャルトは唐突にささやいた。リリーは言葉の意味が理解できなかった。



──わたしを救う……?



 リリーがいぶかしんでいると音楽の終わりがやってくる。二人は名残惜しい気持ちを抱きつつ、息を合わせて姿勢をそろえる。とたんに、大広間を割れるような拍手と歓声が包みこんだ。




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