第22話 宴席

 青い大理石でできた半球形の屋根と、白い砂岩さがんの城壁が夕陽を浴びて輝いている。ウルディードを訪れた旅人たちはその美しさに見とれて足をとめ、言葉を失うという。


 ウルディードはウルド砂漠に点在するオアシス都市のなかで一番大きかった。一年を通した降水量は極端に少ないが、地下には巨大な帯水層たいすいそうが幾つもあり、そこから汲み上げた水が作物や樹木に生命を与えている。


 ウルディード城内の庭園には樹々がしげり、その間をリリーとクロエが歩いていた。リリーは真紅の宮廷ドレスに着替えて大広間へ向かっている。大広間では婚礼前夜祭が開かれていた。



「「「おお、なんという美しさだ!! まさしく帝国の珠玉!!」」」



 クロエに先導されてリリーが入ってくると大貴族たちは口々に称賛する。リリーは一人、一人に微笑みかけながら用意された席へ向かった。主賓席に近づくともう一人の主役、レインが立ち上がる。


「リリー、待っていたよ」


 レインは椅子を引いてリリーを座らせる。みんなが席につくと貴賓席に座る皇太子アレンが乾杯の音頭をとった。



「明日、リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤとレイン・ウォルフ・キースリングが婚礼を挙げる。レインは我が義弟おとうととなり、ウルド国は皇統に連なる。神聖グランヒルド帝国はさらなる繁栄をとげることになりましょう。神聖グランヒルド帝国万歳!! ガイウス大帝万歳!!」



 アレンはガイウス大帝へ向かってさかずきをかかげる。ガイウス大帝が頷くと大貴族たちが一斉に大声を上げた。



「「「神聖グランヒルド帝国万歳!! ガイウス大帝万歳!!」



 万雷の拍手が大広間に響き、ゆるやかな弦楽器の音色が宴席に彩りをそえる。歓談が始まるとリリーは挨拶に訪れる貴族たちから次々とワインを注がれた。リリーは笑顔で挨拶をかわしつつ、注がれたワインのすべてを飲み干した。リリーと同じテーブルに座る女の友人が感心する。


「さすがリリーね。でも、明日は婚礼よ。そんなに飲んで大丈夫?」

「このくらい平気よ。飲んだうちに入らないわ」


 リリーはケロリとした顔で微笑んだ。すると、もう一人の女が嬉しそうにワイングラスをかかげた。


「やっぱり、リリーはこうでなくちゃ。わたしたちの友情にもう一回乾杯しましょう!! リリーの独身最後の夜に……乾杯!!」

「「「かんぱーい!!!!」」」


 リリーとレインのテーブルには数名の男女が座っている。全員が大貴族の子女で『リリーの友人』を自称していた。彼らの会話はいつも通り、帝都で流行っている歌劇や髪型のことばかりだった。遠い異国まで友人の結婚を祝いに来たというのに、レインには一切の興味を示さない。 



──それだけ、レインに魅力がないということ……。

 


 リリーはちらりと隣に座るレインを見た。レインは必死になって笑顔をつくり、相槌をうっている。リリーにはその姿が『皇女の友人たちに気に入られようとして必死な男』として映った。



──つまらない男。



 リリーがため息をつくころレインは居たたまれない様子で立ち上がった。


「リリー、僕は賓客のみなさまに挨拶をしてくるよ……」


 レインの目は『君も一緒に来てくれないか?』と訴えている。だが、集まった大貴族たちは誰もが知った顔であり、いつわりの結婚で今さら挨拶する気にはなれない。リリーはレインにすべてを任せた。

 

「レイン、挨拶はあなたにお願いするわ」

「……うん、わかったよ」


 レインはおとなしく席を立ち、やがてフラフラになって席へ戻ってきた。すると、饗応きょうおうを担当するレインの側近が心配そうに近づいてくる。この側近はベル・クラウスといってレインの幼馴染だった。


「レイン、大丈夫?」


 ベルが声をかけるとレインは顔をしかめながら答える。


「ああ、大丈夫……」

「大丈夫じゃないだろ? ホラ、これ飲んで」


 ベルはグラスに入った黄色いジュースを手渡した。


「酔い醒ましの効果があるから……あと、少し風に当たってきなよ」

「ありがとう。そうするよ」


 レインがジュースを飲み干すと向かいの席に座る男がニヤニヤと笑う。この男はケラーといい、レインやリリーと年齢が変わらない。


「レイン殿は弱いようですな?」


 ケラーはわざと大声でレインへ話しかける。女の友人たちと話しこんでいたリリーも二人の方を向いた。


「ケラー、『酒も』とはどういう意味ですか?」


 リリーが尋ねるとケラーは「コホン」と咳ばらいをして話し始めた。


「それはですな……レイン殿は2年前、ガトランドで行われた武術大会でコテンパンにやられたのです。大会は参加者の総当たり戦でしたが、レイン殿は全敗という記録をお持ちなのです。わたしも一撃でレイン殿を倒しましてな」

「「「まあ!!」」」

 

 女たちが驚いた様子でレインを見る。リリーも目を丸くしてレインをを見つめていた。クロエに調べさせた事前情報によれば、レインは『文武両道に秀でた青年将校』のはずだった。


「藩王殿は武芸も酒も苦手のようですな」


 レインに注目が集まるとケラーは口元に薄ら笑いを浮かべて繰り返す。リリーは意外そうに首をかしげた。


「でも、レインは『砂漠の狼王ウルデンガルム』と呼ばれるロイド殿と勇将サリーシャ殿の息子。強くはないのですか?」

「いやいや……」


 ケラーは笑いをこらえながら続けた。


「リリー殿下、それは間違った考え方です。確かにロイド殿とサリーシャ殿は英雄ですが……鷹がトンビを生むこともあるのです。あ、レイン殿の場合は狼が犬を生むと言った方がよいですかな? 祝宴の席で言うのは申しわけありませんが、レイン殿は初陣もまだの様子。それはです。残念ながら、これは事実でございます」


 ケラーの口ぶりには嘲笑もまじっている。リリーが隣を見るとレインは顔を真っ赤にして俯いていた。顔が赤いのは酒のせいだけではないだろう。



──わたしが隣にいるというのに……言い返すことすらしないのね……。



 リリーは呆れるのを通り越して、レインに対する興味がサッと引いていくのを感じた。これ以上、レインに何か期待する方がバカらしい。



──どうせ、今日でレインとの関係は切れる。



 リリーがそう思っていると落ち着いた男の声が聞こえた。



「ケラー殿、もうやめましょう。せっかくの宴席なのですから」



 リリーが声のする方を向くと金髪の青年が立っている。皇太子アレンに負けず劣らずの貴公子だった。とたんにリリーの表情が明るくなる。



「リヒャルトお兄さま!! 来てくださったのですね!!」



 リリーは立ち上がってリヒャルトと抱擁をかわした。



──まさか、リヒャルトお兄さまが来てくださるなんて!!



 リヒャルトは朝廷でも名の通った俊英で、『やがてはアレン皇太子殿下の右腕になるだろう』と期待されている。リリーが心を許す数少ない人物の一人で、かつては仄かな恋心を抱いたこともあった。


「レイン、紹介するわ。この方はリヒャルト・ヴァンフリー。皇族に連なる名門、ヴァンフリー家の当主で、わたしの家庭教師をしてくれたの」

「……そうでしたか」


 リリーは嬉しそうにリヒャルトをレインへ紹介する。レインは戸惑いながらもリヒャルトと握手をかわした。


「僕はレイン・ウォルフ・キースリング。ヴァンフリー家の御当主と挨拶できて光栄です」

「こちらこそ。よろしく、レイン殿」


 動揺がありありと顔に出るレインとは違い、リヒャルトは落ち着いた様子で握手をかわす。すると、赤ら顔のケラーが再び大声を上げた。


「そうそう。リリー殿下、先ほど申しました武術大会で優勝したのがリヒャルトさまなのです。リヒャルトさまこそ真の勇士!!」

「ケラー殿、大袈裟ですよ」


 リヒャルトは苦笑いを浮かべながら謙遜してみせる。それどころか、負けたレインを気づかうように声をかけた。


「レイン殿、勝負は時の運。あまり落ちこまないでください」

「あ、ありがとうございます……」


──リヒャルトお兄さまは、レインが気をつかってくださるのね。お優しいひと……。


 リリーはリヒャルトのかたわらに居心地の良さを感じた。昔から、リヒャルトはリリーの周りを大切にして気づかってくれる。



──わたしが結婚するとなっても、リヒャルトお兄さまの優しさは変わらない。



 リリーがささやかな感動を覚えていると、ケラーがリヒャルトの席を作って座らせる。リリーは名残惜しい気持ちになったが、リヒャルトのそばを離れてレインの隣に座った。


「さあさあ、お座りください!! それにしても、あの大会はお見事でしたな!!」


 ケラーは得意げになって武術大会の話を続けた。だが、その態度からはレインに対する侮蔑がありありと滲み出ている。すぐにリヒャルトがケラーをたしなめた。


「昔の話しはもうやめましょう。それに、わたしは武芸よりも一人で静かに絵を描いている方が好きなのです」


 リヒャルトは困り顔で目を伏せる。すると、テーブルを囲む女たちが「素敵」と感嘆のため息をもらす。リリーも同様に武芸を誇らないリヒャルトが『貴族の模範』に見えていた。ケラーも感心した様子で頷いている。


「さすが、本当の武人はつつましい。それに教養人でもあられる。親の威光にすがるとは違う。そうは思いませんか? レイン殿?」


 『犬』とはレインのことだ。あまりの言いように、リリーはレインの反応が気になった。しかし、レインは下を向いたままで、


「ええ……そう思います」


 と、か細い声で答えた。



──なんて情けないの……。



 繰り返されるレインの醜態。もはやリリーはレインの姿に哀れみすら感じていた。それはリヒャルトも同じだったのだろう。レインへ同情するように声をかける。


「レイン殿、武術大会でのことはどうか気にしないでください。人は何事にも得意、不得意があります。レイン殿も精進すれば、いずれ強くなることもあるでしょう」


 リヒャルトが励ますとケラーも身を乗り出した。


「リヒャルトさまはお優しい。レイン殿、しっかりと今の言葉を覚えておくのですぞ。あきらめずに武芸に励めば少しは強くなれるかもしれません」

「……」


 レインは黙って二人の言葉を聞いていたが、やがて静かに席を立った。


「お気づかいとご指導をありがとうございます。あの……少し飲み過ぎました。夜風に当たってきます」


 レインはそう言い残して立ち去ってゆく。リリーにはその後ろ姿が『負け犬』のように見えていた。すると、ケラーが肉を頬張りながら声を張る。



「まさに砂漠の犬コロ。誇りも何もありませんな」



 ケラーはリリーが何も注意しないのを見て、『どうせコイツもリリー殿下に捨てられる。恨みを買っても怖くはない』と安心しきっていた。『何を言っても大丈夫』と思いこみ、『砂漠の蛮族が皇女と結婚するなどありえない』という感情のおもむくままレインを侮辱する。



「犬にはこれで十分。ホレッ」



 ケラーは肉に付いていた骨を床へ投げ捨てた。女たちは「やりすぎ」と言いながらも笑っている。リリーは怒るでもなく、無感情に事態を見つめていた。


 やがて、ケラーはリリーへ視線を移し、立ち去るレインにも聞こえるようにわざとらしく声を張った。



「わたしは、リリー殿下はリヒャルトさまと結婚すると思っておりましたぞ」



 ケラーの行為は度が過ぎている。だが、リリーは遠ざかるレインよりもリヒャルトが反応が気になった。

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