第21話 敬意
皇族においては兄弟であっても他人と思え。莫大な領地と財産、途方もない権力は血の繋がりを希薄にして骨肉の争いを生じさせる……神聖グランヒルド帝国の朝廷では誰もが知る常識だった。
ソフィアが率いる皇女親衛隊と戦列艦『グランヒルド』がかかげる
──互いに喰らい合う醜い竜……わたしたち兄弟にふさわしい紋章ね。
リリーは
アレンはリリーと同じ銀髪に碧眼で、青を基調とした式典用の軍服を着ている。短めの髪型で、皇太子のみに許される
『アレン皇太子殿下は神聖グランヒルド帝国の未来そのもの』
アレンは聡明で慈悲深く、臣民からは『皇位継承のあかつきには偉大な皇帝となって歴史に名を刻むだろう』と大いに期待されていた。しかし、リリーは違う感想を抱いている。
リリーはアレンの完全無欠な人柄の影に自分と同じ狂気を感じていた。アレンには母ルシアの餓死刑を知りながら黙殺したという過去がある。幼く無力だったリリーとは違い、皇太子となったアレンにはルシアを救う
──アレンお兄さまはお母さまを見殺しにした。お母さまの愛を裏切った。他の兄弟たちだってそう。
リリーはアレンや兄弟たちを憎み、恨み、軽蔑している。しかし、黒い感情を表情や態度には決して出さなかった。いつも可憐な皇女を演じている。今も笑顔でアレンを出迎えていた。
× × ×
アレンはリリーに気づくと目配せをして、まずはレインに声をかけた。
「君が僕の
アレンは爽やかに微笑みながら右手を差し出した。レインはリリーと出会ったとき以上に緊張した様子で、恐縮しながらアレンの手を握る。
「皇太子殿下、お会いできて光栄です。わたしは藩王ロイド・ウォルフ・キースリングの息子、レイン・ウォルフ・キースリングと申します」
「僕はアレン・ルキウス・グランヒルド・ミトラス。よろしく」
「こ、こちらこそよろしくお願い申し上げます!!」
レインの声は上ずり、手も震えている。そのことに気づくとアレンは
「あはは、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「……」
アレンの物腰はやわらかく、声色は慈悲を感じるほどに温かい。レインは感動して舞い上がり、自分を見失っているようだった。
──レインは感動してばかりね……まあ、無理もないことですけど……。
アレンを前にすれば誰もが恐縮し、畏敬の念を抱いて
──まるで、帝都の華やかさに初めて触れた田舎者。こっちが恥ずかしくなるわ。
レインが恐縮して頭を下げるたびに、優柔不断で弱々しく見えた。
──仮にも、このわたしの婚約者ともあろう
リリーには『恋愛を通して一緒に成長する』という経験がない。だから、『このわたしが一緒にいるというのに』とか『わたしに恥ずかしい思いをさせないで』という傲慢で一方的な感情を抱いてしまう。『リリーの立場や権威を守るため、レインなりに必死だった』とは考えなかった。
──これ以上、情けない姿を晒さないで。
リリーがため息をつくころ、アレンの後ろから宮廷服を着た少年がピョコッと顔を出した。少年は中性的な顔立ちをしており、一見すると少女のようにも見える。さらさらとした髪を真ん中で分けており、右側が銀髪、左側が黒髪だった。
「アレンお兄さま、リリーお姉さまは?」
少年はアレンを見上げながら可愛らしい高い声で尋ねる。少年の名前はテオ・ルキウス・グランヒルド・テンティウス。皇位継承権第3位の皇子でリリーの弟だった。テオは落ち着かない様子で辺りを見回していたが、リリーに気づくと顔をパァッと明るくさせる。
「リリーお姉さま!! お会いしたかったです!!」
テオはリリーへ駆けよって思いきり抱きついてくる。リリーは無邪気に笑うテオの頭を優しくなでた。テオは2歳のときに父ルキウスを亡くし、4歳のときに母ルシアを失っている。両親の愛と温もりを知らないテオにリリーは愛情を持って接していた。だが……。
「テオ、元気にしていましたか?」
笑顔の裏でリリーは自分の行為に吐き気を覚えた。神聖グランヒルド帝国の皇位継承を考えたとき、皇位継承権第3位のテオは皇位継承権第5位のリリーよりも優先される。間もなく殺す弟の頭を愛おしそうになでる……リリーは狂気じみた自分を嫌悪せずにはいられなかった。
「はい、戦列艦にもちゃんと乗れました!!」
リリーの心を知らないテオは得意げに答える。しかし、次の瞬間には両手をギュッと握りしめ、悲しそうに眉をよせた。
「でも、リリーお姉さまがいないからつまらないです……」
「……」
リリーは少し困ったように微笑みながら再びテオの頭をなでる。すると、今度は後方から怒声が聞こえた。
「テオ、早く馬車に乗れ!! 皇帝陛下が待っておられるのだぞ!!」
リリーと同程度の銀髪をなびかせた青年が
「お、お兄さまごめんなさい!!」
怒鳴られたテオは
「すぐ怒鳴るのはソロンの悪い癖だよ。テオはまだ子供なんだ」
「兄上はテオに甘いのです。リリー、お前もテオを甘やかしすぎだ」
「ソロンお兄さま、申しわけございません。ほら、テオ。早く馬車に乗って……」
「う、うん……」
リリーはテオをガイウス大帝の乗る
「アレンお兄さまにソロンお兄さま。遠路はるばる足をお運びくださいまして、本当にありがとうございます」
リリーが頭を下げると後ろにいるクロエも黙礼する。
「リリーも元気そうで何より」
アレンは嬉しそうに頷いているが、ソロンは不機嫌そのものだった。兄妹が険悪な雰囲気になると、気をきかせたつもりなのか、レインが恐る恐るソロンへ挨拶を始めた。
「ソロン殿下、初めまして。わたしはレイン・ウォルフ・キースリング……」
「……」
レインが挨拶をしてもソロンは無視し、見下すように睨みつける。その瞳はリリーやアレンと違って黒く、冷血動物のように冷たかった。
「……ふん」
ソロンは口元を歪めて冷笑し、足早に
「レイン、ソロンは人見知りが激しくてね。どうか弟の無礼な態度を許して欲しい」
「皇太子殿下、わたしは何も気にしておりません。気にかけてくださり、ありがとうございます」
「……君は寛容な男だね。それじゃあ、前夜祭と婚礼を楽しみにしているよ」
アレンはレインの肩を軽く叩いて儀装馬車へ向かった。
──あとはマリアお姉さまだけね……。
リリーが一番心配しているのはこれからだった。レインの隣に立って静かに語りかける。
「レイン、これからマリアお姉さまが降りてくるけど、絶対にお姉さまの目を見ないで」
「え?」
「いいから、約束して」
「わ、わかったよ」
レインは『わけがわからない』といった様子だったが、リリーの真剣な眼差しに気づくと素直に頷いた。するとすぐに
──マリアお姉さま……。
リリーは人影の中心を見た。そこには黒い喪服を着た女がいる。彼女がリリーの姉である皇位継承権第4位の皇女、マリア・ルキウス・グランヒルド・アイリスだった。リリーは喪服姿に驚くレインへ事情を説明した。
「マリアお姉さまはお父さまが亡くなってからずっと喪服を着ているの」
「そ、そうなんだ……」
レインはリリーの父ルキウスに想いを馳せて悲しげな表情になる。ただ、その顔を見たリリーは、
──あなたの父ロイドがお父さまを殺したのよ。
と、レインの気づかいを煩わしく感じた。リリーはクロエと一緒になって黒衣の一団へ近づいてゆく。すると、マリアを取り巻く人物たちが一斉に道を開けて頭を下げた。
「マリアお姉さま、お久しぶりです!! 来ていただいて光栄ですわ!!」
「……」
リリーが声をかけるとマリアはゆっくりと振り向いた。その顔には、目と口の部分が三日月のように婉曲した真っ白い仮面を付けている。
──いつ見ても見慣れないわね。マリアお姉さまは美しいお顔と一緒に心まで隠してしまわれた……。
仮面は笑顔を
「こちらがレイン・ウォルフ・キースリング。わたしの夫となる方です」
「マリア殿下、お初にお目にかかります。わたしはレイン・ウォルフ・キースリングと申します。このたびはウルディードまでお越しくださり、誠にありがとうございます」
「……」
レインはリリーの忠告通り、マリアの顔を見ないようにして挨拶をする。マリアは無言だったが、小さく頷いて儀装馬車へ乗りこんだ。
× × ×
先帝ルキウスにはリリーを含めて5人の子供たちがいる。
皇太子、アレン・ルキウス・グランヒルド・ミトラス。
第二皇子、ソロン・ルキウス・グランヒルド・アムルダ。
第三皇子、テオ・ルキウス・グランヒルド・テンティウス。
第四皇女、マリア・ルキウス・グランヒルド・アイリス。
第五皇女、リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ。
神聖グランヒルド帝国においては誰もが絶対的な権力者だった。リリーが皇位を望むなら、全員を殺さなければならない。
──わたしの味方はソフィアとクロエ。それと……。
リリーが隣を見ると解放感に
──レイン……。
リリーはレインの右手をそっと握った。レインは目を丸くしていたが、すぐに優しく握り返してくる。レインの爽やかな笑顔を見たリリーは心が少し軽くなった気がした。自然と、レインへ微笑みかけながら口を開く。
「わたしの家族に会えたわね……」
「うん、光栄だよ。紹介してくれてありがとう」
「……」
レインは照れ臭そうに微笑んでみせる。リリーは繋いだ手から純粋な気持ちが伝わってくるように思えて、思わず握る力を強めた。レインは首を傾げて不思議そうにリリーを見つめている。
「リリー?」
レインの声は心地よかった。それに、レインと目が合った瞬間、リリーは心に爽やかな風が吹きこむのを感じ、燃え盛っていた復讐の炎が弱まる気がした。
──どうして……。
リリーは戸惑った。反乱はすぐそこまで迫っている。今さら
──わたしは
傾国姫は男たちを
「レイン、あなたはわたしと結婚する。
リリーには男たちを思い通りに操ってきた経験がある。今までと同じように瞳を潤ませて切なげな表情をつくった。さくら色の唇を
「あなたとわたしで帝国を支配することができるわ」
リリーは初めて本心を告げた。レインの
「レインはウルドの狼なんでしょう? その牙は何のためにあるの?」
「……リリー、冗談が過ぎるよ」
レインは必死になって言葉を絞り出す。その答えはリリーの予想通りで弱々しい。リリーはレインの心を思い通りに操れた気がして満足だった。
──きっと……わたしが心と身体を捧げれば、レインはわたしのために死んでくれる。
それは確信めいた予感だった。リリーはレインの腕に両手を絡ませて強く抱きかかえる。わざとらしく胸を押しつけるとレインの喉元からゴクリという生唾を呑みこむ音が聞こえた。リリーは身体中にレインの視線を感じた。
──ほら、わたしの身体から目をそらすことなんてできないでしょう?
心と身体の感触を与えれば男なんて簡単に操れる。リリーにとってはすべてが簡単なことだった。リリーは動揺するレインに甘くささやきかけた。
「ごめんなさい、レイン。あなたが緊張しているのを見ていると可愛くて……またからかってみたくなったのです」
「……」
レインは顔を真っ赤にして目を伏せるばかりで、唇もかさかさに乾いている。
──
レインをからかうリリーはどこか勝ち誇り、高揚感で胸がいっぱいだった。その後ろではレインの反応を面白がってクロエもクスクスと笑っている。だが……。
リリーとクロエは忘れていた。ガイウス大帝との謁見が無事に終わったのはレインのひたむきな努力があったからだった。レインはリリーが皇女としての面目を保つために大軍を集め、ガイウス大帝の圧力にも耐えた。
そもそも、レインとの結婚を望んだのはリリーだった。そのことを忘れたかのような振る舞いは、レインへの敬意に欠けている。リリーとクロエは、
『砂漠の狼なんて簡単に手懐けることができる』
と、思いこんでいた。
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