第20話 眼光

 地平線の彼方に白い砂嵐が巻き起こった。かと思えば、砂嵐の中から巨大な戦列艦がいくつも出現する。無数に現れた戦列艦は黒い津波のようにウルディードへ押しよせた。


 神聖グランヒルド帝国が誇る水陸両用の戦列艦は、敵戦艦や城壁を一撃で粉砕する投石機とうせきき弩砲どほうを搭載している。船団を率いるのは神聖グランヒルド帝国皇帝、ガイウス大帝だった。


 ガイウス大帝はリリーの兄弟たちと一緒に帝国正規軍を率いてきた。それは神聖グランヒルド帝国の武威ぶいを内外に示そうと考えているからだった。わざわざ南方のカリム海からウルド砂漠へと入り、ウルディードまでやってきた。


──ガイウス大帝おじいさまらしい考えね。武力を誇示しないと安心できないのかしら。でも、火の手は思わぬ所から上がるものよ。


 軍港に立つリリーが不敵な笑みをこぼすころ、鉄柵を引き上げる金属音が響き渡った。砂船すなぶね専用の城門が開くと、次々と巨大な戦列艦が入港してくる。


 一番大きな戦列艦は『グランヒルド』という国名を冠した旗艦で、ガイウス大帝が乗船していた。『グランヒルド』が停泊すると鋼鉄の乗船橋じょうせんきょうが轟音とともに架けられた。



「神聖グランヒルド帝国、ガイウス大帝のお出ましである!!」



 戦列艦『グランヒルド』のなかから大声で叫ぶ声が聞こえてくる。ソフィアとジョシュ、親衛隊や儀仗兵は一斉に剣を抜き放ち、帝国軍旗と一緒にかかげた。ロイドとサリーシャは片膝をつき、レインも同じようにひざまずく。だが、リリーだけは直立したまま乗船橋じょうせんきょうを見つめていた。



「「「帝国万歳!! 帝国万歳!! 帝国万歳!!」」」



 親衛隊や儀仗兵が歓呼すると乗船橋に人影が現れる。人影のなかにはひときわ大きな体格の老人がいた。ゆったりとした真紅の宮廷服をまとい、『翼龍よくりゅう』の装飾がほどこされた帝冠ていかんいただいている。ガイウス大帝を見つけるとリリーは駆けだした。


ガイウス大帝おじいさま!! お待ちしておりました!!」

「おお、余の可愛いリリー。ウルド砂漠の暑さにまいってはおらぬか?」


 長旅だったにもかかわらず、ガイウス大帝はリリーの身体を気づかった。リリーはにこやかに微笑んでみせる。


「わたしはガイウス大帝おじいさまの孫。暑さなんかに屈しません!!」

「そうか、そうか。さすが余の孫だ」


 リリーの明るい声を聞いたガイウス大帝は表情をくずして目を細めた。上機嫌になり、ロイドやサリーシャにも声をかける。


「ロイド、サリーシャ、出迎え大義である」

「「ウルディードまで行幸してくださり、誠に光栄でございます」」


 ガイウス大帝は満足そうに頷き、跪いたままのレインへ視線を落とした。とたんに表情が一変して厳めしい顔つきになる。ガイウス大帝の顔色を見たリリーは『今からレインが結婚相手としてふさわしいかどうか判断される』と悟った。


 レインが『リリーの結婚相手としてふさわしくない』と判断されれば結婚はとりやめとなり、反乱の計画が水泡にすことになる。


──すべてはレインしだい……。


 リリーはレインに命運をゆだねて見守った。



×  ×  ×



「レイン・ウォルフ・キースリング、顔を上げろ」


 ガイウス大帝は威厳に満ちあふれた声でレインの名前を呼んだ。


「……はい」

「立て」

「は、はい!!」


 レインも身長が高い方だが、ガイウス大帝と比べれば大人と子供だった。ガイウス大帝はリリーと同じ青い瞳でレインを見下ろした。


「お前がレインか……」


 ガイウス大帝は首を傾げながらレインの顔を覗きこむ。


「お前の父ロイドは『砂漠の狼王ウルデンガルム』と称される藩王、母サリーシャは千里を駆ける勇将……だが、お前は何者だ?」

「……」


 ガイウス大帝はレインを押し潰すように顔を近づけて返答を迫る。レインは困り果てた様子で目を伏せている。当たり前のことだがロイドも、サリーシャも助け船を出さない。


──しっかりして、沈黙は悪手よ。信念のない男という烙印を押されるわ。ガイウス大帝おじいさまはそういう人よ。


 リリーは委縮するレインを見て苛立ちを覚えた。そんな心中をよそにガイウス大帝はレインを問いただす。


「お前はリリーと結婚できるほどの男か?」

「……」

「余がなぜ、リリーの結婚を認めたかわかるか?」

「……そ、それは」


 レインはようやく顔を上げた。その顔はガイウス大帝の圧力を受け流すように涼しげだった。


「皇帝陛下の御心みこころおもんばかるなど、臣下の身で畏れ多いこと。とてもできません」

「……ほう」


 レインは嫌みのない柔らかな口調で答える。リリーは『レインもこのような受け答えができるのか』と感心した。そして、それはガイウス大帝も同じで、にやりと口元をほころばせる。


「お前がロイドのように強き藩王になり、サリーシャのように帝国に尽くすと考えたから結婚を認めたのだ」

「か、過分なお言葉を賜り光栄でございます」


 レインが恐縮するとガイウス大帝の眼光が突然、鋭くなった。辺りは一瞬にして緊張感に包まれる。


「レインよ……何があっても必ずリリーを守れ」

「はい。当然でこざいます」

「絶対だぞ。二言は許さぬ。明日の婚礼で神々に誓う前に、まずは今、余の前で誓ってみせよ」

「……」


 レインは戸惑って隣のリリーへちらりと視線を送ってくる。リリーもガイウス大帝の言葉が意外だったが、微笑みを絶やさなかった。


──レイン、あなたは誓えるの? わたしはもう誓ったわ。愛ではなく、復讐ですけれど……。


 リリーは帝都グランゲートを出たときから覚悟を決めている。今さら動揺することはない。微笑んではいるが、冷徹な眼差しでレインを見守った。やがて、レインは静かに口を開いた。


「リリー殿下の夫として、リリー殿下をこの身に代えても守り抜きます。我が父ロイドと母サリーシャの名と名誉にかけて誓います」


 レインの言葉から嘘偽うそいつわりは感じられない。リリーは胸の片隅がちくりと痛むのを覚えた。それが罪悪感のせいかわからずにいると、ガイウス大帝の顔が再び笑顔に変わった。


「よくぞ申した。余は目に見えぬ神々に誓う人間よりも、父母の名と名誉にかけて誓う人間の方を信頼する。ロイド、サリーシャ、頼もしい息子を持ったな」

「「ありがたきお言葉」」


 息子が無事に謁見できて安心したのか、ロイドとサリーシャは深々と頭を下げた。


「さて……」


 ガイウス大帝は巨大な手をレインの肩へ置いた。


「リリーは余に似て気性の激しい部分もある。どうだ、リリーとは仲良くできそうか?」

「……」


 レインはちらちらとリリーを確認しながら答えた。


「リリー殿下はわたしを気にかけてくれるお優しい方です。仲睦まじく過ごせることと存じます」

「そうか……お前はロイドと違って口上が上手いな。リリー、レインはお前を想ってくれているか?」


 ガイウス大帝はレインに視線を落としたままリリーへ尋ねてくる。


ガイウス大帝おじいさま、レインとは出会ったばかりですが、わたしを大切にしてくれます。一緒に乗馬もしましたわ。とっても優しく接してくれるの。優し過ぎてちょっと物足りないくらい」

「そうか、そうか。物足りないか……ふははははははははは!!!!」


 リリーがありのままを答えるとガイウス大帝は空を仰いで哄笑する。笑い声で大地が揺れ、空気が震えるかと思われた。


「レインよ、花嫁を満足させるのも夫の勤めぞ」

「は、はい。努力いたします……」

「では、余は参るとするか。レイン、お前の家族となる兄弟たちにも挨拶いたせ」

「畏まりました」

「兄弟同士、手を取り合って神聖グランヒルド帝国を盛り立てるのだ」


 ガイウス大帝はそう言い残して儀装ぎそう馬車ばしゃに乗りこんだ。リリーは胸をなで下ろすレインの横で戦列艦『グランヒルド』を見つめる。


──あとはお兄さまたちだけ……。


 リリーは油断せずに気を引き締める。やがて、再び乗船橋じょうせんきょうがざわめいた。



「アレン皇太子殿下のお出ましである!!」



 かけ声が響くと同時に皇子、皇女たちが次々と戦列艦『グランヒルド』から降りてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る