第4章 皇女と神託の守護者

第18話 神託の守護者

 反乱決行日の朝、ウルディードの空はいつものように晴れ渡っていた。まだひんやりとした空気と、人気を感じさせない静寂が辺りを支配している。


 静けさのなか、ウルディード城内では皇女親衛隊や皇女近侍隊の分隊長たちが続々とリリーの部屋を訪れていた。誰も彼もが鬼気迫る顔つきをしており、視線の先にはソフィアがいる。ソフィアは皇女親衛隊の指揮官を示す真紅の軽装甲冑に身を包んでいた。


「まもなくガイウス大帝がウルディードへ到着し、夜には婚礼の前夜祭が開かれる。酒宴が終わった深夜にわたしたちは決起する」


 ソフィアはそう告げると傍らのクロエに目配めくばせを送る。クロエは頷いて部隊長たちにウルディード城内を描いた絵図を手渡した。そして、部屋に置かれた木箱を見つめる。


「炸裂弾や爆薬はあのドレスがしまわれた木箱に入ってる。各々の部隊へ慎重に運んで。設置場所は絵図に描いてあるわ」

「「「畏まりました」」」


 部隊長たちは部下に命じて大型の木箱を運ばせる。それを見届けると今度はソフィアが続けた。


「わたしがガイウス大帝を討つ。ウルディード上空に三連の火矢が上がったら帝国正規軍の駐屯場所を爆破。混乱に乗じて上級将校たちを押さえて指揮系統を分断する。粛清が終わり、リリーが皇位継承を宣言するまでが勝負だ。立ちふさがる者に容赦はするな、斬り伏せろ」

「「「……畏まりました」」」


 ソフィアの顔に焦りの色はなく、口調も冷静そのものだった。部隊長たちは静かに頷いて部屋を出ていく。その姿が見えなくなるとソフィアは小さく息をついた。


 親衛隊や近侍隊はリリーの母ルシアの祖国、ベトラス国の人々で構成されている。彼らはルシアが受けた仕打ちを忘れていない。


『帝国は神託の守護者アグノリアであるルシアさまを我々から奪った。それも、餓死刑というおぞましい方法で。暴虐を振るう帝国には裁きの鉄槌をくださなければならない』


 べトラス国の人間ならば誰もがそう思っている。本当は神聖グランヒルド帝国の皇太子であるアレンにルシアの無念を晴らして欲しかった。しかし、アレンも他の兄弟たちも沈黙を貫くばかりで何もしない。唯一、ベトラス国へとやってきて胸の内を語ったのはリリーだけだった。リリーはべトラス国の重臣や神官たちにこう言った。


『わたしはガイウス大帝おじいさまを討って皇帝となります。そして、昏い静寂の塔アグノスを破却してお母さまを


 重臣や神官たちは驚くとともに、感激で胸が震えた。リリーにとってルシアはまだ死んでいない。そのことを知ったとき、悲嘆に暮れるばかりで何もしない自分たちを恥じた。神官や重臣たちは、


『我らがベトラス国はリリー殿下を新たなる神託の守護者アグノリアと認めます。例え、帝都グランゲートからどのような藩王がやってきたとしても、我らの心はリリー殿下とともにあります。来たるべき日を迎えるために協力は惜しみません』


 と、約束した。事実、ベトラス国では文武に秀でた少年少女をリリーの親衛隊や近侍隊に送りこんだ。少年少女たちはリリーと同年代であり、


『リリー殿下は、母親が幽閉されても傍観するだけの冷酷な兄弟たちとは違う。ルシアさまを救おうとなさるリリー殿下こそ、ベトラス国の正統な後継者。神託の守護者アグノリアとしてふさわしいお方』


 と、信じて疑わない。やがて、親衛隊と近侍隊はリリーへの狂信的な忠誠心と圧倒的な戦闘力を誇るようになり、と呼ばれるまでに成長した。そして、指揮官を務めるソフィア・ラザロは武力の象徴そのものだった。


──今のわたしたちに敵はいない。だが、思わぬところで足下をすくわれることもある……。


 ソフィアはジョシュに喫した敗北を思い出していた。


──過信するな、油断はできない。用心し過ぎて困ることはない。


 ソフィアは自分に言い聞かせながら、ちらりとテラスへ視線を送った。テラスではリリーが一人、たたずんでいる。風に揺れる銀髪と華奢な背中は例えようもないほど孤独で、寂しそうに見えた。青色の宮廷ドレスはルシアが『昏い静寂の塔アグノス』に消えた日に着ていたものと同じだった。それだけでもリリーの執念が垣間かいま見えるが、ソフィアは違う感想を抱いた。


──みんな、リリーを勘違いしている。リリーは復讐心にとらわれた傾国姫けいこくきなんかじゃない。


 ソフィアだけはリリーの本心を知っている。リリーの目的はガイウス大帝や兄弟たちを打倒して皇帝になることではない。もっと根深くて陰湿な目的を胸に秘めている。それは、隣にいるクロエですら知らないことだった。



──『神託の守護者アグノリア』とは『昏い静寂の塔アグノス』と語り合う者……リリーは歪んだ世界を正す救世主なんだ。



 ソフィアにとって、リリーと共有する秘密はかけがえのない財産だった。リリーのつるぎとして戦えることに、これ以上ない喜びを感じている。自然と、ソフィアは長剣に手をかけて柄を強く握りしめた。

 

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