第17話 呪詛

 ダルマハルを出発してから二日目の昼。戦列艦『キースリング』はウルディードに到着した。幼い子供のように船窓へ張りついていたクロエの目が急に丸くなる。


「すごいなぁ……青いお城だ……」 


 感心するクロエの瞳に映るのは爽やかな青色で統一されたウルディード城だった。ウルディード城は希少きしょう価値かちの高い青の大理石で造られている。ウルド国の豊かさを物語っていた。


「ねえねえ、リリーとソフィーも……」


 クロエはいつものように明るい声で振り返るが、すぐに言葉を呑みこんだ。リリーもソフィアも深刻な顔つきで黙りこんでいる。リリーにいたっては眠れなかったのか、目の下にうっすらと隈もできていた。


「リ、リリー殿下、申し訳ございません!! すぐに下船の準備を……」


 クロエが慌てて駆けよるとリリーは静かに首を振った。

 

「いいのよクロエ。ここまで来たら、もう慌てる必要はないわ」

「……は、はい」


 リリーの言葉の端々からは覚悟が伝わってくる。クロエはおとなしく頷くことしかできない。すると、そんなクロエを見たリリーが微かに笑みを浮かべた。


「ウルディード城の美しさは帝都まで響いています。わたしたちが旗揚げする場所として申し分ないわ……ねえ、そうでしょうソフィー?」

「そうだな。華やかなリリーにぴったりだ」


 リリーが尋ねるとソフィアもそっと長剣を握る。二人を見ていたクロエは緊張感に欠ける自分を恥じた。


──そうだよね。リリーが帝都を出たときから戦いは始まっている……。


 クロエはすぐに気を引き締め直し、近侍隊きんじたい隊長としての役割に戻っていった。



×  ×  ×



 戦列艦『キースリング』はウルディード城内にある軍港に停泊している。リリーたちは船主であるレインを無視して船を降りた。皇女であるリリーが『花嫁としての準備がある』と言えば、誰も何も言わなかった。


 リリーは城兵に案内されてウルディード城内の貴賓室へと向かった。貴賓室はウルディード城東部の高所に用意されており、広々とした部屋には天蓋付きのベッドや、帝都から取りよせた豪華な化粧台まである。リリーはベッドに腰を下ろし、窓から外を確認しているソフィアに話しかけた。


「ソフィー、親衛隊の到着までどのくらい?」

「移動距離を考えると早くて明日の夜といったところか……」

ガイウス大帝おじいさまの到着はいつになるのかしら?」

「今からちょうど三日後になる。南のカリム海を通ってくるはずだ」


 ソフィアが答えると今度はクロエの方を向いた。


「クロエ、ガイウス大帝おじいさまやお兄さまたちの寝所は調べた?」

「うん。先発させた近侍隊がもう調べてる。帝国正規軍、ウルド騎兵隊の駐屯場所も押さえてあるよ」


 クロエは大理石でできた机にドレスを広げながら答えた。


「二人ともさすがね。順調だわ……」


 リリーはベッドから立ち上がるとテラスへ向かった。ソフィアとクロエも後ろに続く。白い石で造られたテラスはとても広く、ウルディードの街並みを一望できた。


「本当に綺麗な街ね。白い砂に白いレンガ……灰色の帝都とは違って純粋な美しさを感じるわ。何より、あの忌々しい塔がない……」


 リリーは少し思案顔でいたが、すぐにクロエへ声をかけた。


「クロエ、すべての準備が整うまではレインとの面会を断って。馴れ馴れしく近よってこられても迷惑だわ」

「畏まりました」

「わたしは結婚なんかしない。結婚なんて皇帝になるための手段の一つに過ぎないわ」


 リリーは何度も繰り返してきた言葉を口にする。しかし、今回は少しだけ雰囲気が違った。照りつける太陽へ手を伸ばし、掴むように手の平を握りこむ。青い目を細めながら、誰ともなくささやいた。


傾国姫けいこくき……この異名いみょうをわたしは気に入っています。だって、その異名に相応ふさわしい決断を下そうとしているから……わたしはガイウス大帝おじいさま弑逆しいぎゃくし、兄弟たちを殺戮して皇位にく。この『神聖グランヒルド帝国』を自分の物にする」


 リリーのささやきはまるで呪詛じょそのようだった。語る者も、聞く者も、『誰も運命からは逃さない』という怨念がこめられている。今さらながら、ソフィアとクロエはリリーの心の奥底にある深い闇を垣間かいま見る気がした。リリーのさくら色の唇はさらに動いた。


「他人から見れば正気じゃない行動も、当の本人からしてみれば真っ当な行動だったりするものよ。権力者の正義が弱者にとっては弾圧だったり、弱者の革命が権力者にとっては反乱だったりするように、立場が変われば見方も変わる。わたしにはわたしの理屈がある」


 呪いの言葉を吐き出すとリリーは不敵に微笑んでみせた。しかし……。


──じゃあ、レインにとっての結婚は?


 ふと、リリーの脳裏にレインの面影が思い浮かんだ。


──レイン・ウォルフ・キースリング……。


 出会ったばかりのレインは優しげな青年将校だった。どこか頼りなく、幼さの残るあどけない少年のようにも見える。リリーに見とれる顔、困ったときや照れるときの仕草、どれもがリリーにとっては新鮮で可愛いとさえ思えた。それに……。


──レインは本当に結婚するつもりでいる……。


 そう考えると胸の奥がざわざわと波立ってしまう。リリーはそんな自分に少しだけ驚いた。

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