第16話 恋心

「では、いくぞ……」


 ソフィアは剣を構えて間合いを詰める。しかし、立ち合いだというのにジョシュからは緊迫感がまったく伝わってこない。


──バカにしているのか? 油断しているならそれまでの男ということだ……。


 ソフィアに手加減するという意識はない。鋭く一歩を踏み出すとジョシュの喉元めがけて刺突を放った。身体を半身にし、右手に持った木剣ぼっけんを思いきり伸ばす。『一撃で終わらせる』つもりでいたが、意外にもジョシュは木剣の切っ先をぎりぎりのところで躱した。


──わたしの突きを躱すか……。


 ソフィアはジョシュの実力を垣間かいま見た気がして感心した。ジョシュの顔からは余裕が消え、木剣をこちらへ向けて身構えている。


──やっと真面目に立ち会う気になったのだな……。


 ソフィアは木剣を目の高さに構えた。ジョシュを値踏みするように目を細め、再び木剣を向けながら警告する。


「ジョシュ。木剣ぼっけんとはいえ、当たれば無事ですまんぞ」

「……わかったよ」


 ジョシュは鬱陶しそうに答えていたが、やがて口元に笑みを浮かべた。さらには構えまでを解き、木剣を持った右手をだらんと下げる。ジョシュからは戦意と気迫が完全に消えていた。


──なぜ構えを解く!? お前は四聖と立ち会っているのだぞ!!


 ソフィアは侮辱された気持ちになり、ギリッと奥歯を噛んだ。


「ふざけているのか? 構えろ」

「これが俺の構えなんだよ」

「……」


 ジョシュの口調と態度は挑発的でソフィアを苛立たせた。


──わたしをあなどったこと、絶対に後悔させてやる。


 いつもは冷静なソフィアが感情的になっていた。先ほどよりも鋭く踏みこみ、無防備なジョシュの胴体めがけて刺突を放つ。殺気をみなぎらせた一撃だった。


──とらえた!!


 そう思った瞬間、ジョシュは半身はんみになって剣先を躱し、右手に持った木剣を思いきり打ち下ろした。木が打ち合う甲高い音が響き、ソフィアの木剣が甲板に転がった。


──何が……起きた?


 ソフィアは思考が追いつかなかった。気づくとジョシュの木剣が顎の下でぴたりと止まっている。木剣を打ち落とされた右手は衝撃で痺れていた。


──今のはなんだったんだ……。


 ソフィアは目を大きく見開いたまま固まった。こめかみには汗が伝っている。四聖と呼ばれるようになってから、剣を打ち落とされるのは初めてだった。


 ジョシュの剣技はソフィアが知る剣技とかけ離れていた。常人離れした動体視力と反射神経、そして腕力にものを言わせている。呆然としているとジョシュが得意げににやりと笑った。


「俺の勝ちだな」

「……」


 ウルドのような辺境に四聖を超える剣士なんているはずがない……ジョシュを侮っていたのはソフィアの方だった。悔しいながらも、剣を打ち落とされては敗北を認めるしかない。


──負けは負けだ……。


 ソフィアは潔く敗北を受け入れて静かに頷いた。だが、ジョシュへの不満が消えたわけではない。ソフィアは整った眉をよせてジョシュを睨みつける。すると、ジョシュは苦笑いを浮かべた。 


「なんだよ、まだやるのか?」

「……」


 ジョシュは呆れたように振る舞っているが、口調は優しげでソフィアを気づかっている。それが、ソフィアには気に入らなかった。『情けをかけられている』ように思えて悔しさに拍車がかかる。

 

──これ以上は恥の上塗りだ。


 ソフィアは木剣を拾おうともせずにジョシュへ近づいた。そして、両手をのばしてジョシュの首へ回す。


「な、なんだお前……」

「……」


──黙ってろ、約束を果たすだけだ。


 ソフィアは自分に言い聞かせてつま先立ちになる。恥ずかしさと緊張を押し殺し、そのままジョシュの耳元へ顔をよせた。


──と、戸惑うな。これはウルドの挨拶だ……。


 ソフィアは言い知れない感情に戸惑いながらも、そのままジョシュの耳のふちを軽く噛んだ。すると、ジョシュは驚いてソフィアと距離をとる。


「お前、何してんだ!?」


 あれほどの強さをみせたジョシュが少年のように慌てている。ソフィアにはその仕草が少しだけ可愛く思えた。ただ、動揺し、緊張しているのはソフィアもかわらない。


「……ウルドの作法を守ったまでだ。わたしは約束をたがえない」


 動じる姿を見せれば、さらにあなどられる……四聖としての矜持を打ち砕かれたソフィアは僅かに残った自尊心を守ろうとして必死だった。唇をキュッと結び、ジョシュを見つめながら左手で流れる黒髪をかき上げる。だが……。


「ほ、ほら……今度はお前の番だ」


 動揺を隠そうとしても恥ずかしさのあまり声がか細くなってしまう。ソフィアは未だかつて男にここまでの距離を許したことがない。もちろん、男の耳を噛んだのも初めてだった。


──これは約束だから、仕方がない……。


 やはりソフィアは自分へ強く言い聞かせた。白い首筋が露わになり、耳元では青い螺旋状らせんじょうのピアスが静かに揺れている。やがて、左肩にジョシュの右手が置かれた。重さを感じるとソフィアは一瞬だけびくんと震えた。少したつとジョシュの低い声が耳をくすぐる。



「俺はウルドの狼、ジョシュ・バーランド。俺の牙でお前が傷つくことは絶対にない」



 ささやきかきが終わるとソフィアは耳の上部に固い感触を感じた。噛まれているはずなのに、なぜか嫌悪感を感じない。むしろ愛しい存在を決して傷つけない優しさと覚悟が伝わってくるようだった。


──これがウルドの作法。まるで、何かの誓約みたいだな……。


 ウルドの狼にも意外な一面がある……そう思うとソフィアは不思議な感情にとらわれた。ジョシュとの間にリリーとは別の絆を感じることができる。その感情がどこから来るのかわからないまま、ソフィアはジョシュを見上げた。


「すまない、ジョシュ。わたしはちかいの言葉を言わなかった……」


 今のソフィアにはジョシュへ対する対抗心も嫌悪感もなかった。ただ、『敬意には敬意で返したい』と願う純粋な気持ちがあるだけだった。その姿は『リリーの冷たい狂剣バルサルカ』とはほど遠い。美しく可憐な乙女の姿だった。


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