第8話 ダールノア

 ダールノア城は切り立った断崖にへばりつくように建てられている。リリーたちは馬車がやっと通れる桟道さんどうを渡り、ゴツゴツとした岩肌の合間を縫うようにして登ってゆく。進むにつれて霧も出てきた。やがて……。


 立ちこめる濃霧の先に城塞と街が一体化したダールノアが見えてきた。ダールノアは鉱山の街としても有名で、人を寄せつけない高所にも関わらず街は活気に満ちていた。鉱夫、商人、傭兵たちがいたるところでたむろし、リリー一行を見かけると物珍しそうに人垣をつくる。


「こんな所を盛装馬車が通るぞ!? どなただ!?」」 

「ウルドへ嫁ぐリリー殿下だ!!」  

「『灰色の傘を持つ貴婦人ベルデラモンテ』にお会いなさるのか!?」


 野次馬は興味津々といった様子で囃し立てるが、馬車を警護するソフィアがひと睨みするとおとなしくなった。



×   ×   ×



 ダールノアの最上部には灰色の岩を組み上げて造られた宮殿がある。城門の前ではダリアが臣下を引きつれて待ち構えていた。


「リリー、よく来てくれたわ!!」


 ダリアは目鼻立ちのはっきりした中年の女で、帝都から取りよせた派手な赤い宮廷ドレスを着ている。豊かな栗色の髪には藩王のあかしであるティアラをつけていた。厚化粧にどぎつい紫の口紅をさし、鼻をつく香水まみれでリリーへ近寄ってくる。


「まあ、こんなに大きくなって……ルシアお姉さまがご覧になったら、さぞお喜びになったでしょうに……」


 ダリアは品定めでもするかのようにリリーを見つめながら、『ルシアお姉さま』と親しげに母の名前を呼ぶ。一瞬、リリーの顔は強張こわばったが、すぐに平静をよそおって挨拶を交わした。


「ダリアおばさま、今回はお招きにあずかり光栄です。ご機嫌麗しゅうございます」

「リリー……本当に綺麗になったわね。」


 ダリアにとってリリーはまだ幼いままだった。皇女だというのに返答を無視し、まるで親類でもあるかのように軽々しく接する。舐めるようにリリーの全身を見つめながら一方的に捲し立てた。


「ああ、まるでルシアお姉さまに生き写し。帝都を離れて10年近くたつけれど、こうして再び会えるなんて夢のよう。きっと、ルシアお姉さまのお導きだわ!! ねえ、リリー。このお城を見てちょうだい!! グランゲートの宮殿とそっくりの大広間も造らせたのよ。今日はそこでお祝いをしましょう!!」

「……ありがとうございます」


 リリーは穏やかに微笑みながら答えた。その後ろではソフィアとクロエがダリアへ暗い視線を向けている。二人とも、リリーの様子を確認しながら気配を消していた。



×  ×  ×



 ダリアが言った通り、ダールノアの大広間は帝都グランゲートにある宮殿大広間とうり二つだった。巨大な石柱や翼竜よくりゅうの彫刻まで、何もかもが似せて造られている。すべてが帝都に対するダリアの執着だった。


「この長机はね、帝都から有名な石工いしくを呼びよせて造らせたの」


 ダリアは自慢げに説明しながら白石しらいしでできた机の端に座る。リリーは長い距離を挟んでダリアの正面に腰をかけた。真後ろではいつも通りソフィアとクロエが直立している。二人は親衛隊と近侍隊の隊長であり、リリーの許可なく引き離すことは藩王のダリアといえどもできなかった。


「さあ、お食事を始めましょう。リリーのために帝都の宮廷料理人も唸る食材を集めさせたのよ!!」


 ダリアが張り切るだけあって、長机には豪華な食事が並んだ。


 遥か北方にあるユルビア地方の仔牛、南方の果てにあるフォルア海の鮮魚、珍しい果物やぶどう酒まで……給仕たちは帝国各地から取りよせた豪華な食事を持ってくる。給仕たちが金髪で色白の美少年なのはダリアの趣味だった。


「リリーがいるとまるで宮廷にいるみたい。華やかだった昔に戻ったみたい」

「そう言ってくださると嬉しいですわ」


 ダリアは上機嫌で少年にぶどう酒を注がせる。リリーは笑顔で相づちを打ちながら

話を合わせていた。食事が進むにつれて自然と会話は弾み、酔いが回ったダリアはついにレインのことを尋ねた。


「それで? リリーはどうやって『砂漠の狼王ウルデンガルム』の息子を射止めたのかしら?」

「それは……わたしの片想いでございました。思いきって胸の内をガイウス大帝おじいさまやロイド殿ご夫妻に告げたのです」

「思いきったことをするものね。わたしとは大違いよ」


 ダリアが感心しながら頷くと今度はリリーが尋ねた。


「ダリアおばさまはどのような恋愛をなされたのですか?」

「わたしの恋愛?」

「はい。どうかお教えください」

「そうねぇ……」


 リリーの質問にダリアは目を細める。ただ、ダリアが語る恋愛話は思いもよらないものだった。


「わたしは人見知りが激しくて奥手な女だった。そんなわたしに、女としての悦びを教えたのがあなたの父上、先帝ルキウスさまよ。一番最初にこの身体に触れたのはルキウスさま。熱い吐息と愛のささやきは、今でも忘れられない思い出よ……」

「……」

「わたしは帝都でも有数の名門、ボルク家の一人娘。ルキウスさまに嫁ぐものと、恐れ知らずにもそう思いこんでいたわ。でも、そこへルシアお姉さまが現れた」

「……ダリアおばさま、何をおっしゃりたいのですか?」


 両親の話を持ち出されるとリリーは使っていたフォークを静かに置いた。そして、感情のこもらない青い瞳をダリアへ向ける。視線が合うとダリアは紫色の唇をにやりと歪ませた。


「気を悪くしないで聞いてちょうだい」


 ダリアはワインを注ごうとする給仕を手で制し、少しだけ前傾姿勢になる。


「あなたはきっと、わたしに教えて欲しいことがあって招きに応じたのでしょう? だったら、わたしの話も聞くべきよ。それが敬意というものだわ」

「……」

「ほら、あなたたち下がって」


 ダリアは給仕や衛兵に退出を命じ、リリーにも「どうするの?」と目で問いかける。リリーはダリアの意図を察してソフィアとクロエを呼びよせた。


「二人とも下がって。ダリアおばさまと二人きりにしてちょうだい」

「「御意」」


 二人は素直に一礼して大広間を出ていく。その姿を確認したダリアは細長い銀の煙管きせるを取り出して煙草を吸い始めた。ふぅ、と気だるそうに煙を吐き出す姿は疲れきった中年女そのものだった。


「若い女がいるだけで気疲れする。それに、あの背の高い方はソフィア・ラザロでしょ? 『リリーの冷たい狂剣バルサルカ』がいる前で話すほどわたしもバカじゃないわ」


 ダリアは椅子に寄りかかりながら天井を仰いだ。


「このダールノア城があるラキア山脈はね、帝都を外敵から守る壁とも言われているの。つまり、わたしは壁際に追いやられた女。美しい帝都に恋焦がれながら、灰色の岩山で朽ちてゆく……それもこれも、すべてはルシアお姉さまのせい」


 帝都の宮殿に似せた大広間を眺めながら、ダリアは遠い思い出のなかにルシアの面影を探した。それは、リリーの知らない母の姿だった。


「ルシアお姉さまはある日突然、朝廷に現れたの。ベトラス国の藩王、『神託の守護者アグノリア』としてね。ベトラスは神聖グランヒルド帝国のなかでも、もっとも古い領国の一つ。神官が藩王を務めるみたいだけど、ルシアお姉さまには神官独特の気どったところがなくて親しみやすかった。友人のいないわたしとも仲良くしてくれたわ。どれだけ嬉しかったことか……」

「……」

「わたしは初心うぶな女だったからね。ルキウスさまと仲良くするルシアお姉さまを見て喜んでいたわ。でも、いつの間にかルキウスさまはわたしを避けるようになっていた。そして、気づけばルシアお姉さまが身ごもっていたの。横取りされたのよ? 酷い仕打ちだとは思わない?」


 リリーに尋ねてはいるが、ダリアの視線は宙を漂う煙を追いかけている。心ここにあらずといった感じで目も虚ろだった。リリーはダリアの吸う煙草が麻薬のたぐいだと気づいたが、そのまま黙って耳を傾ける。ただ……。


──今さらそんなことをわたしに教えてどうするの? お父さまとお母さまにはできなかった意趣返いしゅがえしだとでもいうの? 


 リリーの疑問はそこにあった。確かにダリアはリリーにとってあまり聞きたくない話をしている。だが、酒と麻薬の力を必要とするほどの内容とは思えない。


──何かがおかしいわ。ダリアおばさまは、何かとんでもないことを話そうとしている……。


 そんな予感がしてならない。リリーは注意深くダリアの言葉を待った。

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