第9話 ダリアの矜持

「昔は恨んだわ。ルキウスさまも、ルシアお姉さまも……でも、人間の感情って不思議なものね。二人が死んでから年月を重ねると、あれだけ恨んでいたはずなのに親愛の感情だけが残るの。少なくとも、わたしはそうよ。今となってはどれもが美しい思い出に思えるわ」


 ダリアは人間の複雑な愛憎を物語る。だが、リリーにとってはどれもが話だった。中年女の思い出などに興味はない。早く核心部分を聞き、『ルシアの最期の言葉』について尋ねたかった。


「そう、焦らないで」


 ルシアはリリーの心情を見透かすように牽制してくる。陶器でできた香炉こうろに灰を落とし、再び煙管きせるに火をつけた。吐き出す煙と一緒に質問を投げかけてくる。


「リリー、あなたはルキウスさまの最期についてどのように聞いたのかしら?」

「お父さまの最期ですか?」

「ええ、そうよ。ルシアお姉さまは何て言ったの?」

「アルメリア共和国との戦場にてたおれたと聞いています」

「もっと詳しく」

「……敵情視察のおりに不慮の遭遇戦となり、乱戦中に流れ矢が当たったと聞きました。自ら陣頭に立ち、皇帝らしい立派な最期だったと……」

「ふふふ。実の娘にすら嘘を教えるなんて、ルシアお姉さまもとんだ女狐ね。それとも、本当に知らなかったのかしら……」


 ダリアは意味深に呟きながら笑みをこぼす。


「リリー、よく聞いて」


 ダリアは注意深く辺りに気を配りながら語り始める。目つきはきょろきょろと定まらず、何かに怯えているようにも見えた。


「ルキウスさまはね、戦死なんかではないの。戦場のどさくさに紛れて暗殺されたのよ」

「!!??」


 リリーの青い瞳が大きく見開かれ、頬も固まった。ダリアはそんなリリーを見つめながら、さも面白そうに続ける。


「皇帝が自ら敵情視察? 陣頭に立つ? そんなの、聞いたことがないわ。忠臣と信じる家臣たちに殺されたのよ」

「……」


 ダリアは愛する母を「女狐」と呼び、尊敬する父の死までも「暗殺」と侮辱する。リリーは心の奥底でゆらゆらと怒りの炎が燃え上がるのを感じた。激情が頭をもたげてくるが顔色は冷静そのもので、瞳にだけ静かな怒りを宿す。



「ダリア・ボルク。教えましょう」



 リリーはついにダリアを呼び捨てにした。ゆっくりと立ち上がり、流れる銀髪を落ち着いた様子で耳にかける。


「まず一つ……わたしは大業を志す皇女。酒と麻薬に溺れる藩王ごときが戯言ざれごとをほざいても気にとめません。ですが、そんなわたしでも絶対に許さないことがあります。それは、お父さまとお母さまの輝かしい過去をいやしい言葉で汚されることです」


 リリーの雰囲気はがらりと変わり、ダリアが知っている『幼いリリー』は姿を消していた。ダリアは驚いて瞠目どうもくする。リリーは冷徹な眼差しでダリアを見下ろした。


「それと、もう一つは……どんなときであれ、親衛隊と近侍隊はすぐにわたしのもとへ駆けつける。そして、粛々とわたしの命令を履行する」

「??」


 ダリアは言葉の意味が理解できないのか、訝しげな顔つきになる。リリーはそんなダリアを無視して声を張り上げた。



「ソフィア!! クロエ!!」



 凛とした声が響くと同時に大広間の扉が勢いよく開け放たれる。間髪入れずにソフィアとクロエが入ってくる。二人は数十名の親衛隊と近侍隊を引きつれていた。ダリアの兵士は一人としていない。


「ダリア・ボルクは先帝ルキウスと先帝皇后ルシアを侮辱した。皇女リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤの名において捕らえよ」

「御意」


 リリーが命じると即座にソフィアがダリアへ歩み寄る。ソフィアは歩きながら長剣を抜き放ち、ダリアの首もとへ突きつけた。しかし、ダリアはおののくどころか、長剣を無視してリリーを見すえる。



「なんて攻撃的な気性なのかしら……あなたは真実を知りたくはないの? それとも、知る勇気がないのかしらね……」



 ダリアの表情からは酒と麻薬に溺れる陰鬱な暗さが消えていた。虚ろだった瞳も、いつの間にか生気を取り戻している。ソフィアのつるぎを恐れない姿からは言い知れない覚悟も伝わってくる。リリーはもう少しだけダリアの話を聞くことに決めた。


「ソフィア、剣をしまって」

「畏まりました」


 ソフィアが剣を収めるとダリアは椅子の背もたれに寄りかかり、大広間を支配する親衛隊と近侍隊を意味ありげに見回した。だが、今さらリリーにソフィアやクロエを退出させる気はない。


「親衛隊と近侍隊はわたしの家族。ソフィアとクロエは姉妹も同じ。一緒に話を聞きます」

「……あなたには家族が多いのね。羨ましいわ」


 ダリアにはまだ皮肉を言う余裕があった。リリーが再び椅子に腰かけるとおもむろに話し始める。


「ルキウスさまが亡くなった戦争には、わたしのお兄さまも参戦していた。皇帝直属、近衛師団の部隊長だったわ。ある日、そのお兄さまから手紙が来たの。戦場で手紙なんて書かない人だったから驚いたわ。それも、自分の侍従じじゅうを使って秘密裏に届けさせたのよ。手紙にはこう書かれていた……『皇帝が暗殺された』とね……よほど慌てて書いたのか、筆跡が乱れていたわ」

「……」


 ダリアの告白は衝撃的だが、兄からの手紙だけで『皇帝が暗殺された』と決めつけることはできない。リリーは冷ややかに尋ねた。


「ダリア、それだけでお父さまが暗殺されたというの?」

「そうよ……」


 ダリアは静かに頷いてみせた。


「お兄さまもあの戦場で死んだ。皇帝を守れなかったことを悔やんで殉死したと発表されたけれど……殉死した人間に『後ろからの刺し傷』なんてある? きっと、秘密を知ったから殺されたのよ。わたしのボルク家はね、家名を守るために何も言わなかった。『皇帝に殉じた誉れの家名』として弟が当主を継いだわ。でも……わたしは皇帝暗殺という大それた秘密を知ってしまった。帝都にいれば必ずお兄さまのように殺される。だから、ダール国を継承して帝都を離れたのよ」

「……」


 ダリアが話し終えるとリリーは黙りこんでしまった。狂人のつくり話にしては妙に真実味がある。

 

「ダリア、あなたの話が本当だとして、誰が暗殺したの? 手紙には暗殺者の名前も書かれていたはずよ。そうでないとおかしいわ」

「『誰』ですって? うふふ、ふふ、あはははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!」


 ダリアは堪えきれなくなった様子で笑いだした。耳に刺さるような笑い声が大広間に響き渡る。やがて、ダリアは愉快そうに身を乗り出した。


「あなた、先導させてるじゃない」

「……?」

「ロイドよ……ロイド、ロイド、ロイド!! ロイド・ウォルフ・キースリング!!!!」


 ダリアは笑っていたかと思えば急に唾を飛ばしながら叫び、石でできた長机を何度も叩く。


「ウルド国藩王、ロイド・ウォルフ・キースリングがルキウスさまを暗殺したの!! あの男がルキウスさまを殺し、ルシアお姉さまを狂わせた!! リリー、あなたは父を殺した男の息子へ嫁ごうとしているのよ!!」


 ダリアは興奮しながら大声で言い放つ。思わぬ人物の名前を聞いてリリーの心は大きく波立った。


──ロイド・ウォルフ・キースリングがお父さまを……。


 リリーは必死になって動揺を押し殺す。すると、リリーの心情を察してソフィアとクロエが近づいてくる。リリーは軽く手を上げて「心配ない」と合図した。そして……。



「そうですか……」



 リリーは短く答え、落ち着き払った様子でワインに口をつける。ダリアにはその冷静さが不気味に映った。


「あ、あなた……ルキウスさまが藩王ロイドに暗殺されたと知っても平気なの……?」

「ええ、多少は驚きましたけど、取り乱すような話ではありません」


 リリーは静かにワイングラスを置いた。そして、今度はリリーがダリアへ満面の笑みを向ける。


「それよりも、わたしは『母の最期の言葉』を知りたいと存じます。、教えていただけますね?」


 リリーの笑顔はぞっとするほど美しく、有無を言わせない凄みを併せ持っている。ダリアは得体の知れない恐怖を感じながら頷いた。



「あ、あのときルシアお姉さまは……『戦いなさい』と言ったのよ」



 ダリアが告げるとリリーはわずかに眉をひそめた。あれほど知りたかった母の言葉だが、リリーには『誰も恨んではいけませんよ』と言っていた母が『戦いなさい』と言うとはどうしても思えない。リリーの疑問をよそにダリアは続けた。


「わたしはルシアお姉さまが餓死刑に決まっても沈黙を通した。会いにすら行かなかった。ルキウスさまを奪い、わたしを裏切ったという情念にとらわれて友情を見失っていた。でも、今は違う……」


 ダリアは両目に涙をためていた。


「リリー、あなたは遠い過去に忘れてきたわたしの良心そのもの。あなたが帝都を離れる今、すべてを語ってルシアお姉さまとの友情に報いたわ。きっと、ルシアお姉さまも喜んでいるはず……」


 身勝手な思いこみだが、ダリアにはダリアの理屈があった。ダリアが幼いリリーに父の暗殺や母の言葉を教えなかったのは、リリーが復讐を望み、政争に巻きこまれるのを心配したからだった。


「ラキア山脈を越えての外へ嫁ぐ。それもルキウスさまを奪ったロイドのところへ……皇女としてあまりに惨めよ。せめて、真実を知る権利があるわ」


 ダリアは自分の世界に浸り一人で納得している。リリーは静かに尋ねた。


「このこと、他の兄弟たちは知っていますか?」

「まさか、初めて話したわ」

「……どうしてわたしだけにお話しくださるのですか?」

「あなただけがわたしを『ダリアおばさま』と呼んで慕ってくれたからよ。怒らせたら呼び捨てにされたけどね」


 ダリアが苦笑するとリリーも少しだけ口元を緩めた。ダリアはやはり、複雑な愛憎の感情に揺れている。リリーはこれ以上の会話を求めなかった。


「ダリアおばさま、お聞かせくださりありがとうございました。このこと、胸に秘めてウルドへ向かいます。いずれ、またお会いすることもあるでしょう。そのときまで、どうか息災で……」

「ええ、あなたもね」


 リリーはダリアに別れを告げるとソフィアやクロエを伴って大広間をあとにする。馬車へ乗りこむと黒い革でできた背もたれに寄りかかった。考えることは父の死と母の言葉……それらのことばかりだった。 


──お父さまは暗殺された、それもロイドに……。


 リリーはダリアの話が事実に思えた。ダリアが今さら嘘をつく理由がない。しかし……。


──ダリアおばさまが事実を語っているとしても……あのお母さまが『戦いなさい』だなんて、言うはずがない。むしろ、今のわたしを見たらきっと止めるわ。


 胸が焦がれるほど母の言葉を求めていたはずなのに、いざ知ってみると疑問ばかりが残る。暗い馬車のなかでリリーは静かに頬杖ほおづえをついた。

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