第2章 皇女と灰色の国

第7話 招待状

 リリーはレインとの婚約に際して直轄する領地と財産をすべて帝国に献上した。しかし、手放さなかったものもある。それはソフィアが率いる親衛隊4000騎と、クロエが率いる1000人の近侍隊だった。


「リリーよ、婚約祝いには何が欲しいのか?」


 玉座から尋ねるガイウス大帝に向かってリリーは隠すことなく本心を打ち明けた。


「それでは、ガイウス大帝おじいさまに申し上げます。どうか、『皇女親衛隊』と『皇女近侍隊』の随行ずいこうをお許しください。彼らはわたしにとって家族も同然。見知らぬ異国へ嫁いだとしても、彼らがいれば平穏無事にやってゆけます」

「それならば容易たやすいこと。親衛隊と近侍隊が一緒ならばにとっても安心だ」

 

 リリーが切実に訴えるとガイウス大帝は何度も頷いた。リリーはすでに領地と財産を手放している。「何も持たせずに嫁がせるわけにはいかぬ」と可愛い孫を想い、何ら疑うことなく許可を出した。


「リリーの結婚は国家の慶事けいじ。余も速やかにウルドへ行幸するであろう!!」

「「「御意にございます!!!!」」」


 ガイウス大帝が大仰に告げると居並ぶ廷臣ていしんたちはこぞって頭を下げた。


ガイウス大帝おじいさま、ありがとうございます」


 リリーもドレススカートの端をつまみ、片足を引きながら頭を下げる。流れるような所作は優雅さと気品に満ちあふれていた。


「「「なんと麗しいお姿だろうか。リリー殿下が去るのは帝都グランゲートからともしびが消えるようなものだ」」」


 朝廷を取り巻く人々はリリーの美しい帝国式儀礼を見て誠実な皇女と感心する。誰も彼もが、リリーを『傾国姫けいこくき』と噂したことを忘れていた。



×  ×  ×



 まず帝都を出発したのはロイドとサリーシャが率いるウルド軍5000騎。その後に続いて皇女親衛隊4000騎と1000人の近侍隊に守られたリリーの本隊が進む。総勢、10000人に及ぶ行軍だった。


 帝都グランゲートからウルド国までの道のりは遠い。大木が生い茂る深緑の森と豊かな水源に恵まれたガントランド国を抜け、国土の半分以上が巨大な岩石と火山灰に覆われたダール国の山岳地帯を踏破とうはしなければならなかった。


 『リリー殿下ご結婚』の一報はガントランドやダールにも伝えられ、リリーは両国で歓待を受けた。特に、ダール国の藩王であるダリア・ボルクはリリーの母ルシアと旧知の間柄で、もとを正せば帝都の名門貴族、ボルク家の出身だった。


 ダリアは40歳も年上のダール国藩王に嫁いでいたが、婚姻関係の間は帝都グランゲートを離れずに別居していた。不毛の地で暮らす老齢の夫をあからさまに嫌い、包み隠そうともせずに愛人をつくっていた。しかし、不思議なことに……。


 夫が死去するとダリアはダール国を訪れて藩王の地位を継いだ。「火と灰だけの気鬱な国」と忌み嫌っていたダール国を継承し、今では『灰色の傘を持つ貴婦人ベルデラモンテ』と呼ばれるまでになっている。そのダリアの使者が領国を通過するリリー一行のもとまでやってきた。


「リリー殿下におかれましては、ぜひともダールノア城にお立ち寄りくださいませ。我があるじダリアも、リリー殿下のご婚約をお祝いしたいと願っております」


 使者は駐屯地の天幕に入ると跪いて口上を述べる。リリーは使者を見下ろしながら

小さく頷いた。


「わかりました。ダリアおばさまのもとを訪問いたしましょう。下がりなさい」

「はっ!! さっそく我があるじにリリー殿下のご来訪をお伝えいたします!!」


 使者が喜んで天幕を出ていくとリリーはかたわらにいるソフィアとクロエに尋ねた。


「ねえ、どう思う?」

「「それは……」」


 二人は答えずらそうに顔を見合わせて直言を避ける。リリーはそんな二人を見ながらダリア・ボルクという人物を思い出した。


「ダリアおばさま、昔から苦手なのよ。宮廷には似つかわしくないアバズレって感じで……」

「リリー、そんな言葉を使っちゃダメだ」


 ソフィアが眉をひそめるとリリーは口の端を上げながらクロエへ視線を移した。


「ふふふ、一度でいいから使ってみたかったの。クロエは面白かったみたいよ?」


 生真面目きまじめなソフィアとは対照的にクロエはクスクスと笑っている。しかし、ソフィアが横目で睨むとすぐに慌てた。


「ご、ごめんなさいソフィー!! ……あのね、リリー。言葉使いには気をつけて。ソフィーが怒るとメンドクサイから」

「あはは、そうよね」

「ちょっと、二人ともどういう意味だ?」

「ごめん、ごめん」


 リリーは不満げなソフィアに謝るとダリアについて語った。


「幼いころは一緒に遊んでもらったこともあったわ。でも、昔から何を考えているかわからないひとなの。なぜ、お母さまが仲良くされているのか、不思議に思うこともあったわ」

「そうなのか……」


 ソフィアは少し考えてからリリーを見つめた。


「それなら、先を急ぐことにして断ったらどうだ?」

「ソフィーの言う通りだよ。無理に挨拶しなくてもいいんじゃない? 今後、もし邪魔になるようなら消せばいいだけでしょ? 近侍隊に任せてくれたらすぐだよ」


 クロエはソフィアに同調しながら腰の短刀に触れる。手持ち無沙汰な様子は出撃を心待ちにする猟犬のようだった。リリーはクロエの赤い髪をそっとなでる。


「クロエは少し物騒なのよ。その忠誠心は嫌いじゃないけどね」

「リリー、それって『好き』ってことかな……?」


 クロエはあからさまに照れてしまい、舌についた円形ピアスをカリッと噛む。クロエの癖は照れ隠しのときに見せるもので、リリーは微笑みながら続けた。


「ダール国は険しいラキア山脈が連なる天険の地。ダリアおばさまがわたしたちの味方になるかどうか、この目で見定めないといけないわ。わたしたちが無傷で帝都へ帰還するためにもね。それに……」


 リリーは天幕に飾られた牙旗がきへ視線を移した。牙旗がきは獣の牙をした三角形の旗で、名誉と身を守るという意味がある。皇帝や皇族、または出征する大将軍のみに使用が許されていた。


 リリーには二種類の牙旗を所持することが許されている。一つは『火を吹く双頭の翼竜よくりゅう』の紋章で、もう一つは『昏い静寂の塔アグノス』の紋章だった。『昏い静寂の塔アグノス』はどこまでもリリーにつきまとい、ここでも監視している。



──監視者はときに無責任な傍観者ね……。



 リリーは母ルシアが消えた日のことを思い出した。


「ダリアおばさまは、塔の前にいた。わたしよりもお母さまの近くにいたの。お母さまがなんておっしゃったか、教えてもらわなければいけないわ」


 リリーが真意を語るとソフィアの表情が曇った。


「ルシアさまのお言葉、今まで教えてくれなかったのだろ? 今さら簡単に教えてくれるのか?」

「今まではね。でも、わたしがウルド国へ嫁ぐとなれば話は別よ。ダリアおばさまは必ず教えてくださるわ」

「なぜ言いきれる?」

「それは……今のわたしがあまりにもみじめだからよ」

「……」


 リリーが意味深に答えるとソフィアは思うところがあるのか黙りこんでしまった。重い空気が漂うとクロエが慌ててその場を取り繕う。


「それでは、リリー殿下のご出立でございますね。外交用の赤いドレスをすぐにご用意いたします!!」


 クロエはとびきりの笑顔をつくり、うやうやしい態度で頭を下げる。リリーとソフィアはクロエの明るい声に背中を押されながら出発の準備を始めた。

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