第4話 友情と忠誠

 帝都グランゲートの街中を親衛隊に護衛された馬車が駆けてゆく。馬車の中ではリリーが勝ち誇っていた。何もかもが思い通りに運び、自然と口元もほころんでしまう。


──『砂漠の狼王ウルデンガルム』も、戦場を駆ける女丈夫も、大したことなかったわね。わたしが誰かを愛するなんてありえないのに……簡単に騙されるなんて、ちょっと拍子抜けだわ。


 さぞ、ロイドとサリーシャには健気で可憐な皇女に見えたことだろう。演技とも知らず、二人とものん気なものだ……いや、演技だと気づいたとしても、『皇女』という権威に逆らえるはずもない。そう考えると声を出して笑いそうになってしまう。


──人々にとって結婚とは『永遠の愛』を誓う儀式。でも、わたしにとっては目的を果たすための手段でしかない……。


 リリーの青い瞳は車窓へと向けられた。そこには『昏い静寂の塔アグノス』を模した高層建築物が、幾筋もの光を放ちながら建ち並んでいる。煌びやかな帝都の夜景は神聖グランヒルド帝国の揺るぎない繁栄を物語っていた。


『リリー殿下お誕生日おめでとうございます。神聖グランヒルド帝国万歳!!』』


 すでに摩天楼の一つには垂れ幕が下がり、大きく書かれた祝辞がライトアップされている。その文字を読んだとき、リリーの笑みは増した。


──帝都の連中は皇女であるわたしが反旗をひるがえすなど、夢にも思わないことなのでしょうね……。


 リリーは愉快で仕方がなかった。誰一人としてリリーの心に宿る狂気に気づいていない。


──わたしは誰よりも執念深い。でもその分、誰よりも臆病だ……。


 暗い車内でリリーは縮こまるように座席へ深く座り直した。黒革の背もたれに寄りかかりながら目を閉じると、規則正しい車輪の音と乾いたひづめの音が耳に心地よい。ソフィアと親衛隊に警護されて『』と実感するとき、リリーは心から安心できた。



×  ×  ×



 馬車は『昏い静寂の塔アグノス』がそびえる宮殿へと戻ってきた。火山灰を使用したコンクリート、遠方より運ばれた白い巨石、それらを組み上げて造られた城塞はどれも見事だが、権力を誇示するかのような城門や城壁は人の温もりを感じさせず、鬱々とした雰囲気をあわせ持っていた。


 かがり火がいざなう宮殿内部はどこまでも広く、馬車は城郭の合間を縫うようにして進んでゆく。衛兵たちは馬車を見かけると直立不動のまま敬礼した。やがて……。


 白い石柱せきちゅうが並ぶ神殿が見えてくると馬車は神殿前の広場で停まった。ここはフレイヤ神殿と呼ばれる場所でリリーが居住する建物だった。


「リリー殿下、ご到着!! 親衛隊は展開、防御円陣にて警戒にあたれ!!」

「「「ハッ!!」」」


 ソフィアが号令を下すと親衛隊は馬から降りて散開してゆく。物々しい警備のなか、馬車の扉が開いてリリーが広場へ降り立った。リリーはソフィアを伴って神殿へ続く階段を上ってゆく。すると、すぐに頭上から声がかかった。 


「「「お帰りなさいませ、リリー殿下!!」」」


 階段の頂上、神殿の入り口前では20人ほどの侍女たちが横一列に並び、あるじの到着を待っていた。誰もが黒の給仕服をまとい、フリルのついた白いエプロンとカチューシャを身につけている。ただ……。


 少し異様なのは全員が腰に湾曲わんきょくした刀身とうしんの短刀を二本、装着していることだった。鞘には不気味な髑髏どくろの装飾までほどこされている。侍女たちは『皇女こうじょ近侍隊きんじたい』とも呼ばれ、ソフィアの『皇女親衛隊』と共に近衛兵の役割をになっていた。


「みんな、ただいま。遅くまで待っていてくれて、ありがとう。感謝するわ」


 階段を上り終えるとリリーはねぎらいの言葉をかける。すると、侍女たちの中心に立つ少女が嬉しそうに駆け寄ってきた。少女はリリーと同じ背丈で、夜目よめにもわかる真っ赤な髪をツインテールにしていた。


「リリー、お帰り!! ソフィーもお疲れさま!!」


 少女は侍女らしからぬれしい態度で話しかけてくる。リリーとソフィアは苦笑まじりの顔を見合わせながら神殿内部へ足を進めた。


「クロエ・ベアトリクス。わたしたちが留守にしている間、変わりはなかった?」

「あったり前じゃん。わたしは『皇女近侍隊』の隊長だよ!!」


 リリーが尋ねるとクロエと呼ばれた少女は満面の笑みで答える。笑窪のある愛らしい笑顔を見てソフィアがため息をついた。


「クロエはリリーがいないから退屈だったんだろ? 遊び相手がいないから……」

「あ、わかる?」


 クロエは気恥ずかしそうに「えへへ」と笑いながら舌を出す。舌には銀色の円形ピアスが二つ付いていた。


「ソフィーは何でもお見通しだね」


 クロエはカリッという音を立てて、八重歯でピアスを軽く噛む。愛らしい笑顔の奥には陰鬱な嗜虐性を秘めていた。急に目を細めたかと思うと真剣な声色になる。


「みんな、あとはわたしが引き受けるから下がって」

「「「畏まりました。クロエさま」」」


 クロエが命じると侍女たちはリリーへ黙礼し、物音一つ立てず、神殿の暗闇に溶けこむようにして消える。すべてを確認するとクロエは再びソフィアの方を向いた。


「ところで、ソフィー。首尾は? 結婚は上手くいきそう?」

「それはリリーから直接、聞くといいよ」

「そっか……リリー?」


 クロエは少し緊張した面持おももちでリリーの顔を覗きこむ。リリーはゆったりとした優雅な仕草で銀髪を耳にかけた。


「すべて上手くいったわ。もはや、わたしとレインの結婚はガイウス大帝おじいさまの勅命よ」

「本当!? やったね、リリー!! ソフィー!! 二人ともすごいよ!!」


 クロエが飛び跳ねるようにして喜ぶと、リリーとソフィアも口元に笑みを浮かべる。3人はまるで友人同士でもあるかのように会話していた。ソフィアも皇女を『リリー』と呼び捨てにし、リリーも『ソフィー』と親しげに話しかけた。


 リリー、ソフィア、クロエ……三人は人目のないところでは友人同士という絆を大切にしていた。友人として接することがリリーなりの敬意であり、願いでもある。ソフィアとクロエはリリーの願いによくこたえた。それでも……。


 ソフィアとクロエが自分の役目を忘れることはない。リリーが浴場へ向かうときも二人は武器を手放さなかった。片時も油断することなく周囲に目を光らせている。


『どんなことがあってもリリーを守り、リリーのために戦って死ぬ』


 それがソフィアとクロエに共通する信念だった。『絶対的な忠誠』と『かけがえのない友情』……目には見えない二つの感情が絡み合って皇女リリーと結びついていた。

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