第5話 My name

平安名天稀へいあんなあまき!!」


「へ?」


立ち上がったと同時に、鳳さんが叫んだ。


「平安名天稀さんは…どうでしょう?優しそうで、利口そうで、穏やかそうで、気品があって、僕的にも、ナイスなネーミングだと思うんですけど…」


「平安名…天稀…」


私に、初めてつけられた名前。素敵すぎて、私は、また、泣きそうになった。それを、ぐっと堪えて、何とかこう言った。


「じゃあ、履歴書には…そのお名前をお借りします。ありがとうございました」


「あの!」


駄目だ。振り返っては駄目。泣いてしまう。だから、振り返らないまま、私は答えた。


「何でしょう?」


「うちの書店で今、アルバイト募集してるんです。一緒に、働きませんか?」


私は、思わず、振り返ってしまった。


「え?」


「俺が傍にいれば、天稀さんは1人じゃないし、いじめられたりもしないし、きっと、弱く…なれると、思うんです…」


「弱く…なる…?」


何を言っているのか、分からなかった。強いから、私は、誰より強かったから、こうして今まで生きてこられたのだ。熱湯を浴びせられようと、無視されよと、ノートや教科書を破かれようと、運動着をビリビリに引き裂かれようと、靴を何度捨てられようと、先生に視線を送って逸らされようと、強かったから…何とかやって来られたんだ。


「弱くなったら、私は、どう、私を…守れば良いの?」


私は、ポロポロ涙を零しながら、言葉も零していた。


「誰も…助けてくれない。誰も…愛してくれない。誰も…必要としてくれない。こんな世界で、迫られるのは、二択でしょ?死ぬか、強くなるか…。私は、生きる方を選んだの。強くなる方を選んだの。弱くなったら…もう…死ぬしかないじゃない…。絶望しか残ってないじゃない。16でホームレスになって、ご飯も儘ならなくて…、馬鹿だから、社会にも出る事も…出来ないないし…、人間扱いも…してもらえないし…」


私は、心の中で、ずーっとためて来た『何か』を鳳さんに、全て吐き出していた。鳳さんは、静かにそれを聞いていた。瞳に、涙を溜めて。


「とりあえず、段ボールのお城は…捨てようか…」


「は?」


「僕のうちにおいで。広くはないけど、一応2LDKだから。2人暮らしは困らない」


「何…言ってるんですか?」


「一緒に、暮らそう。それで、一緒に働こう。それで、………弱くなる方法を、見つけていこう」


「………」


私は、言葉が出なかった。その代わり、出たのは、今まで体験した事の無いほどの涙だった。





ガチャリ…。


冷たい扉を開ける鍵の音が、頭に響いた。


「入って」


パチン…。


また、部屋の電気をつける聞きなれない音が鳴る。私のお城には、電機は無かった。…いや、一晩中ついていた。街のネオン。止まる事の無い、光の渦。呑み込まれてしまえれば、どんなに楽かと、何度思っただろう?でも、さっき言った通り、私は、生きる方を選んだから、逃げる訳にはいかなかった。






でも、この時、確かに、私の人生は、変わり始めていた―――…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る