第23話 仇敵

朝は同居人の動く音で目が覚める。

大きめのベッドの上で身を起こし、暫しの間ウトウトする。

今頃扉の向こうでは、エドワードが2人分の朝食を用意していることだろう。


「おはよう」

「おはようございます。朝の用意できてますよ」


最低限の身だしなみを整えて、寝室を出て、彼に朝の挨拶をする。

自分で髪をとかすことにも、もうすっかり慣れた。

今日の朝食はパンだ。

それに昨日のスープの残りと、腸詰が2本。

実のところ、私が男爵令嬢だった頃より良いものを食べている。

パンは硬くなったけれど、スープに浸せば気にならない。


「今日の予定は?」

「今日は何の予定もないです。家の掃除でもしようかと」

「そう」


彼が家にいるのなら、私も家で休んでいよう。

私も特に予定はない。


(強いて言えば、昨日買ってもらった服を着て早くどこかへ行きたい)


私は昨日のことを思い出して、つい口元が緩んだ。

家族以外から贈り物を貰うのは初めてのことだったから。


「どうかしましたか?」

「え、どうかとは」

「何だか楽しそうだったので」

「いえ…何でもありません」


はしたない女と思われたくなくて、私は何でもない風を装った。


(…ダメだわ。自分でも分かるほど顔が熱い…)


これは羞恥か、それとも別の感情か。

両方かもしれない。

取り繕うことには多分失敗していたけれど、彼はそれ以上追求してはこなかった。

ありがたいような、もっと追求してくれても良かったような。




エドワードは常に一定の距離を空けて私に接している。

初めて会った頃よりは距離は縮まっているけれど、それでも一線は越えてこない。

もちろん、そういう人だからこそ同居などという行為に踏み切れたのだが。

しかし2ヶ月経った今では、一線を越えてもいいのにと思う日も時々ある。

もし彼がその気になったら、私はきっと貴族になることを諦めるだろう。

だからこそ、彼は一線を越えないのだろう。




「何か手伝う?」


食後、部屋に戻って着替えをし、また居間に戻って、食器を洗うエドワードの背中に問う。


「いえ、もう終わるので大丈夫です」

「そう」


手伝うかと聞いたが、私は料理も掃除もしたことがない。

同居を始めてからは寝室の掃除も洗濯も全てエドワード任せだ。

することのない私は、窓の外の流れる雲を目で追った。

開け放った木窓から涼しい風が吹き込んでくる。

…それでもまだ少し暑いか。


(凍れ)


私は魔法で窓際の棚の上に氷柱ひょうちゅうを作った。


「へえ、涼しいですね」


氷に気付いたエドワードがそう言った。

得意の氷魔法を褒められるのは、嬉しい。

私は調子に乗って更に2本の氷柱を作ったが、流石に少し寒くなり過ぎた。


「いいなあ、俺も氷魔法が使えたらなあ」

「できないの?」

「独学だと氷は難しかったですね。水と違って中々身近に無いじゃないですか。冬場に雪に手を突っ込んで感覚掴めないか試したりしたんですけど、ダメで」

「雪に手を…?」


何故そんなことを…。

そう思ったが、独学で魔法を修得しようとしたら自然から学ぶしかないのかもしれない。


(私は…母に全て教えてもらえたから…)


今になって、自分が恵まれた環境にいたことを思い知り、少しだけ悲しくなった。


「…良ければ、教えましょうか?」

「え、いいんですか!」

「上手く教えられるかは分からないけれど…」

「構いません、ぜひお願いします」

「分かったわ」

「わーい、やったー!」

「ふふ、そんな子供みたいな」


穏やかな日常だった。

ここ数年で、あるいは、生まれてから最も心が安らぐ日々。

願わくば、こんな日々が少しでも長く…。




ドンドンドン!

始まりは、荒々しく玄関の戸を叩く音だった。


「誰だろう?ちょっと出てきます」


エドワードが席を立ち、私も気になって後に続いた。


「あれ、バーニーちゃん?」


訪ねてきたのは冒険者ギルド受付職員のバーニーだった。


「た、大変です!蛇が!」


彼女はよほど急いで来たのか、興奮して息も絶え絶え。

話も要領を得なかった。


「とりあえず中へ」


家の中へ通し、椅子に座らせる。

水を1杯飲んだところで、ようやく落ち着いた様子だった。


「で、蛇が何ですって?」

「…まず、王都での魔物氾濫スタンピードのことは知ってますか?」

「ええ、聞きましたよ。でも王都からは遠いし、向こうにはキッドもいるから、心配してなかったんですけど」

「氾濫自体は特に大きな被害もなく収まったようです。ただ…」


彼女は持っていた手紙を差し出した。


「俺宛てですか?差出人は…キッドから?」


エドワードが手紙に目を通す。

私も横から覗き込む。

内容をまとめると以下の通りだ。


・王都で魔物氾濫が発生した

・氾濫自体は無事に収まったが、氾濫の原因になった魔物を逃してしまった

・その魔物は西へ逃げた

・もしかすると私達の町を襲うかもしれない

・『灼剣』は氾濫の後処理で王都を動けない

・魔物は金級の大蛇、名を透明大蛇イオドという


「透明大蛇…!?」

「…なるほどね。キッド達が取り逃がすなんて珍しいと思ったら、透明化の能力か」


手紙の最後には透明大蛇の倒し方と、万一に備えて早めに警戒体制を敷くようにという助言。

そして『万一この町が襲撃された時は町とバーニーを守ってほしい』と書かれていた。


「あいつ、俺のこと過信し過ぎだろ…」




私達は休日を返上して冒険者ギルドに向かった。

ギルドまでは距離があるので、道すがら話を聞く。


「実際この町が襲われる可能性ってどんなもんです?」

「手紙が届いたのと同じくらいの時間に、東の町から『大人を丸呑みに出来るくらいの大蛇が出た』と報告を受けています」

「東の町…!」


この町から2日の距離にある町。

ついこの前依頼で行ったばかりの町だ。


「もう結構近くまで来てますね」


王都からこの町まで手紙が届くには時間がかかる。

歩いて1週間以上の距離があるので、飛脚を急がせても3、4日はかかるだろう。


「衛兵隊にも話を共有して緊急警戒体制を敷く予定です。町に残っていた冒険者達にも声をかけているところで」

「金級ですからね。この町に来るか分からなくても警戒はしておかないと」

「はい。それで、他の町のギルドに金級冒険者の派遣も依頼したんですけど、今回は金狼と違って場所が分かっていないので…」

「ああ…」


金級冒険者は来ない。

金狼討伐の際に来てくれたシェルティ氏も、既にこの町を去っている。

もしもの時は私達だけで対処しなくてはならない。




冒険者ギルドには既に何組かの冒険者パーティーが集められていた。

数は少ない。

それから私達もギルドで待機となり、夕方になるまでにもう何組かの冒険者が集まった。


「よう、エドワード」

「お前も町に残ってたのか。運の無い奴だ」

「いや、お互い様じゃないですか」


話しかけてきたのは『黄金の剣』のテリーとダックスだ。

粗野な冒険者の見本みたいな2人だが、何故かエドワードとは親交がある。


「しかし、春には金狼で夏には大蛇って、今年は一体どうなってんだ」


その言葉に、私の心臓は跳ね上がった。


(…きっと私の所為だ)


私は悪いものを呼び寄せる。

いつもそうだった。

悪いものを呼び寄せて、そしてまた私だけが生き残る。

大事なものを全て失って…。




「集まりは悪いが、透明大蛇の対策について話すぞ」


ギルド受付のバーナード氏が集まった冒険者達に説明をする。


「透明大蛇は戦闘時や危険を感じた時に透明になる。動きは素早く、音も立てない。地面が柔らかい土や草むらだった場合は身体を引きずった跡が残る。が、岩場などでは全く位置が掴めなくなる」


そして透明大蛇はしばしば人里を襲う。

人里も地面に跡が残らない。


「何年か前に出現した時は1つの領地が半壊したらしい」


ランプトン家の話だ。

知らず、握り拳に力が入った。


「見えないんじゃ戦うこともできないぞ。何か対策はあるのか?」

「ある。透明大蛇は獲物を捕食する瞬間は姿を現すらしい。そこを全員で叩く」

「捕食する瞬間ってもなあ…蛇がいつ飯を食う気分になるかなんて…」

「囮を出す」


そう。

それが透明大蛇の倒し方。


「お、囮って…」

「この中の誰か1人を蛇に食わせるってことかよ!」

「それが一番犠牲の少ない方法だ。誰か志願する者はいるか?」

「…た、食べられる前に助けてもらえるんだよな?」

「透明大蛇は獲物を食べる前に、大量の毒液を吐き掛けるらしい」

「毒?」

「強い毒だ。そして、毒液で弱った相手しか食いにこないらしい」

「じゃあ、囮役は死ぬの確定かよ…」

「志願する者はいないか?」

「「「…」」」


誰も手を上げない。

当たり前だ。

死ぬと分かっている囮役になりたい者などいるはずがない。


「じゃあ、俺がやります」




「え…?」

「エドワード!?」

「おいおい、正気かよ!」


この囮役…いや、死に役にエドワードが志願した。

私は理解できなくて呆然としてしまった。


「大丈夫大丈夫。2人は知ってるでしょ。俺は毒耐性高いんですよ」

「いやでもよぉ…」

「エドワード、本当にいいんだな?」

「ええ、俺が一番生存確率高いはずで…」

「ダメよ!!」


私の声はギルド内に響き渡った。

自分でも驚くほど大きな声だった。


「絶対にダメ!だって、死んでしまうわ!」

「いや、だから俺には耐性が…」

「耐性なんて意味無い!」


透明大蛇の毒は強い。

大量の毒を頭から被った人間は、全身の皮膚が溶けてグズグズになる。

屈強な男性でも激痛に悲鳴を上げ、その悲鳴を目印に透明大蛇はやってくるのだ。


「ライサさん。仮に耐性が無かったとしても、俺達の誰かがやらなきゃいけない仕事です。だって俺達は冒険者なんだから」

「でも…!」

「大丈夫。それにまだ、この町が襲われるか分からないんですし。心配ならこの町が襲われないように祈っておいてください」


確かに、現状は透明大蛇らしき蛇を東の町付近で見かけただけだ。

それにこの辺りにはいくつもの町や村がある。

その中から丁度この町が襲われるなんて薄い確率かもしれない。

それでも、私は不安だった。




そして、その不安は2日後に的中した。


「東の街道で馬車がやられた!」

「こんな時に出歩くなんて馬鹿かよ!」

「毒の痕跡からして、透明大蛇の野郎でまず間違いない!」


それは丁度昼の鐘が鳴った直後のことだった。

冒険者ギルドはにわかに慌しくなった。


「エドワード…」

「大丈夫。ちゃんと無事に帰ってきますよ」

『大丈夫だ。ちゃんと帰ってくるとも』


彼の言葉が亡き父の最期の言葉と重なって、私は泣きそうになった。


「エドワード!行くぞ!」

「はい!」


作戦は以下の通りだ。

まずエドワードが囮になって東門の前に立ち、透明大蛇を誘き寄せる。

他の冒険者や兵士は門の上に待機して、透明大蛇の姿を確認でき次第総攻撃を仕掛ける。


「出てこいクソ蛇!お前の相手はこの俺だ!」


エドワードは蛇を挑発しながら、空に向かって火球を打ち上げる。

東門付近は石畳で整備されていて、蛇の腹の痕跡などは全く残らない。

でも、きっと透明大蛇は気付いている。

探せ。

私が先に見つければ、エドワードは死ななくて済むはず…。


「PUSYAAAA!!」

「うわっ!?」


しかし、ダメだった。

気付いた時には空中を毒液が舞っていて、エドワードはそれを全身に浴びてしまった。


「ぐわああああああ!死ぬうううううう!」

「エドワード!!!」

「まだだ!まだ、姿は見えていない!」

こらえるんだ!」

「あいつの死を無駄にするな!」

「いやあああああ!!!エドワードおおお!!!」

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