第6話 いってらっしゃい
―碧視点―
「ここが爪一族の本拠地か……って猫ばあちゃんの家じゃん」
マガツの同時襲来があった翌日、そのまま全員で夜を明かしたぼくたちは爪一族の長老に会いにきていた。
本拠地、猫ばあちゃんの家は、周りの家の二倍くらいの大きさがあり、遠くからでも目立つ。寄ると、その中からは相変わらず猫の鳴き声が漏れ出ていた。
「猫ばあちゃん……ああ、志保(しほ)さんのことか。僕が子どものころからおばあさんだね。葉月は?」
「あの人何歳なんだろうね爪丸。わたしどころかわたしのお母さんが赤ちゃんのときからおばあちゃんだったらしいよ」
文字通り、猫をたくさん飼っている家で、霊猫町の隠れた名所の一つである。その猫数は長年通い続けた健太いわく「底が知れない」らしい。
「昨日葉月が話したことは長老には秘密にしておいてほしい。長老は現状維持を選ぶだろうから」
爪丸がそう忠告する。多分、ぼくと爪御ちゃんに言っている。特に爪御ちゃんのほうに睨みにも似た視線を向けている。
その忠告に、片方は震えながらもぼくと爪御ちゃんはうなずきで、同意し、インターフォンを押した。
「あらー、碧くんじゃないの。葉月ちゃんに爪丸、爪御に爪吉と随分とまあ大所帯で来たものね。さあ、上がりなさい。お茶でも用意するから」
扉が開けられた先にいたのは、“猫ばあちゃん”こと伊藤(いとう)志保(しほ)さん。
この家で無数の猫たちの面倒を一人で担っている人である。この家に行けば猫とお菓子に巡り合えるのでもっぱら小学生たちの憩いの場と化している。
いつまで経っても元気な白髪の小さいおばあさん。
「志保さん。今日はお茶しに来たわけじゃないんだ。長老に合わせてほしい」
猫ばあちゃんは、その言葉を聞くと、一瞬驚いたかのように目を見開き、その後いつもの優しい目に戻り、お姉ちゃんのほうを向いてこう言った。
「そう、結局話したの。葉月ちゃん。葉月ちゃんのことだからちゃんと考えた末なんでしょ? 葉月ちゃんは賢い。だから大丈夫」
それを聞いたお姉ちゃんは、「ありがとうございます」とだけ言い、黙ってしまった。
「お茶は準備しておくわ。爪光(つめみつ)もそっちのほうが好きだから。好みは前のままでよかった?」
そう言い、ぼくたちがうなずくのを確認すると、ついてくるようにこちらへジェスチャーをした。家の奥に入っていく猫ばあちゃん。ぼくたちはその後をついていった。
「ちょっとここで待ってなさいね」
猫ばあちゃんが止まったのは台所。彼女はそう言うと冷蔵庫を開けた。周囲に広がる魚臭さ、その中央には、なぜか見事な鯛のお頭が鎮座していた。
お頭の眼に指を当てられ押し込まれる。その生々しい外見に反してカチリと無機質な音が鳴る。
瞬間、家全体が揺れ、冷蔵庫が真っ二つに分かれた。冷蔵庫の下には四角い穴があり、はしごがかかっている。
お姉ちゃんのほうを見ると得意げな顔をしていた。お姉ちゃん作か……
「さ、この下よ」
老齢ながらにさっさとはしごを下りていく猫ばあちゃんを少し心配しながら、ぼくたちも後につづいた。
「よく決断してくれた。代償を飲んでくれたのだね。天瀬碧くん。未曾有の事態だ。戦力はあればあるほどいい」
はしごを下りた先に一匹の猫がいた。猫というにはあまりにも大きい、大型犬にも匹敵するような体躯、毛並みは黒く、長老と言う呼び名に反してその質は艶やかである。
その見ているだけで息が詰まるような圧迫感は、収爪した爪吉や爪丸というより、マガツのソレに似ていた。
「さ、みんなこっちに来なさい。飲み物でも飲んで話そうじゃないか」
長老がこっちに手招きする。長老の前には、いつの間にかちゃぶ台が出現していた。
「碧くんはカフェオレ。葉月ちゃんは紅茶。爪光はコーヒーで後はミルクね」
猫ばあちゃんが飲み物を出してくれる。猫にコーヒーって大丈夫なのか
「気にする必要はないぞ。ワシに毒は効かん」
顔に出ていたのか、爪光こと長老がそんなことを言う。
「早く本題を始めましょう。長老」
「ああ、そうだな爪丸。さっそくだが本題に入ろう。マガツどもの本拠地が分かった。お前阿たちがあのマガツを仕留めてくれたおかげだ。この機を逃す手はない」
本題とはマガツ本拠地への強襲、その作戦だった。
「ところで爪吉よ。マガツにやられたという傷は大丈夫か?」
爪吉は確かお姉ちゃんによる巫術での治療のおかげで完治しているはず。
「ええ、問題ありません」
爪吉が即答する。
「そうか。流石は収爪、凄まじい回復力だ。並みの爪ならば今頃は寝たきりになっているところだろうな」
長老は話を続ける。
「爪吉が健在ならば、作戦の変更はなしだ。収爪二匹を主力とする少数精鋭でマガツの本拠地を強襲する。碧くんも参加してくれるね」
長老が付け加えた最後の言葉に、お姉ちゃんから聞いたことを思い出す。
(この事態。長老は、碧が爪吉を収爪させる気がないと判断すれば、強引な手段を用いてでも、碧にそれをさせようとしてくる。だから————)
だからそれを悟られずに、口先だけ、強襲の参加に同意する。
「はい。自分の育ってきた町をあんな連中に好きにされるのは許せないです」
「……そうかそうか。勇敢な子だ」
長老がそれを聞いてにっこりと笑う。しかし、次の瞬間には、その眼はギラリと残忍な色を帯びた。そして、ぼくたちにこう宣言した。
「お前たちが抜けた穴は気にすることはないぞ。なにしろワシが出るのだからな」
―爪吉目線―
長老から伝えられた場所は、霊猫山麓の洞窟だった。
「ここがマガツたちの本拠地か……よし行こう。さっき決めた通り、僕が先行して、爪吉くんと爪御ちゃんは葉月と碧くんを守ってあげて。碧くん優先で」
「了解ニャ」
「了解です」
意を決し、洞窟内に足を踏み込む。そこから強烈な負の気配が漏れ出ていた。
「やばいですね。このケガレ。こんなの垂れ流してたら普通気付きそうなもんですけど」
「そうだね爪吉くん。でも、捜索班はここを見つけるのにだいぶ苦労したようだよ。どう思う葉月」
「そうね。罠かケガレを放出しなければならない理由があったかのどちらかね」
狭い通路を抜け、大きな広場に出た。そこでぼくたちは、進むたびに強烈になっていったケガレの正体を見た。
「来たな。収爪たちよ。我が名は禍津大神(まがつおおかみ)。歓迎するぞ。派手な宴といこう……!」
そこに鎮座していたのは、巨大な鼠。その体躯は、他のマガツを上回るどころかヒグマにも引けを取らない規格外中の規格外。
そしてなによりも、その身から溢れ出すケガレ! その恐ろしい濃度は、マガツとは比べるべくもない。
「いかにもなのが出てきたわね。マガツオオカミだから……オオマガツ?」
「ふざけてないで、目の前に集中しろ葉月。まずは僕がタイマンだ。僕以外が言っても死体が増えるだけ。爪吉くんは碧くんにくっついていて、葉月は巫術でサポートを。爪御ちゃ
んは危機察知と二人の護衛を」
爪丸さんがてきぱきと指示を出し終わり、前へ出た。そして————
「さあ、マガツ。僕と一対一だ」
「ほう、もう一匹の収爪はどうした? まさか、サノのヤツにつけられた傷がまだ完治していない、などという妄言を垂れるつもりか」
「オマエごとき僕一人で十分ってコトだよ……!」
爆発するかのような地響きが鳴る。それは爪丸さんの強烈な踏み込みによって発生したもの。自他の体重を変化させる“重爪”の応用、踏み出す脚に最大の体重を乗せて、圧倒的な推進力を生み出す。これこそが、爪丸さんが最速たる所以————
「……速いな。流石は収爪と言ったところか」
「なにっ」
腹部を貫かんと放った体当たり。それは確かにマガツに命中した。しかし————」
「硬い! 爪丸さんのアレが効かないなんて」
「いや、違うニャ。爪吉」
爪御がボクの言葉を遮る。
「アイツは、あの巨体を衝撃の方向に超高速で揺すって、タックルの威力を逃がしていたニャ」
そんなバカな。確かに一瞬揺れたような気はしたけど……。いや、爪御の勘だ。きっとそうなんだろう。
「へえ、見かけによらず結構なテクニシャン。でも、そんな芸を披露してくれるってことは、今のを食らったらヤバかったってことだよな」
爪丸さんが煽る。
「希望をへし折るようで申し訳ないが、先ほどの攻撃、正面から受けても余にはそよ風ほどの痛痒も感じなかったであろう。ただ、最高戦力で向かって来ぬうぬぼれた貴様らに、戦力差を教えてやったまでよ」
「減らず口を叩くなよ」
あの言葉は嘘じゃない。それが肌でわかる。それほどの戦力。
「まだ続けるのならば、仕方がないか。そこの連中にも、一つ暇つぶしをくれてやろうぞ」
次の瞬間、ボクの全感覚が察知したのは無数の敵意。ソイツらは天井、すなわち死角にいる。完全なる不意打ち、迎撃が間に合わない————
「どりゃーニャ!」
「爪御……!躱せ! 五条伸爪————」
爪御が先に跳躍し、五条伸爪の隙間となる部分の鼠を斃してくれていた。
「ほう。そこの白いのは勘がいい。もう片方は爪が伸びるのか! 雑魚どもでは相手にならんな。ならば」
さらなる敵は二つの黒い影。前方に出現した二つの悪意は、ボクたちをさらなる死闘へといざなうに十分だった。
「一条伸爪(いちじょうしんそう)!」
「ニャー」
不幸中の幸いなのは、そのマガツたちが弱い個体だったこと。こいつらならば、ボクと爪御でも拮抗、勝利すらできる————
爪丸さんたちは未だに戦っている。ボクたちではついていくことなど到底不可能な超高速戦闘。ならば、ボクたちはやれることをやれるだけ————
「ほう、弱小とは言え、黒に優勢か。……ならばさらに面白くしてやる」
爪丸さんと戦っていたオオマガツの声が響く。その瞬間————
「嘘だろ」
「嘘ニャろ」
さらに二体のマガツが出現した。これは、アレを使うしかないのか————
―碧視点―
マガツが四体に増えた。今は爪吉と爪御ちゃんが応戦しているが、勝てる見込みはハッキリ言って無さそう。
状況は明らかに不味い。爪吉の血の臭いが増している。
「ヤバいニャ! こいつら頭いいニャ。飽和攻撃してくるニャ」
回避特化の爪御ちゃんを徐々に追い込んでいく。連携は超一流。対するこちらは、完全に爪御ちゃんと爪吉が分断されている。それに————
「ひゃははァ! 同胞の仇だァ」
そう叫びながら、マガツは二匹に苛烈な攻撃を浴びせかける。なにもできない自分が歯がゆい。お姉ちゃんは青い光を纏い、巫術を使っている。
爪吉がマガツに叩き落される。やっぱり爪吉の動きがおかしい、血もとめどなく流れている。傷が開いたんだ。完治なんてしていなかった。
爪吉はあとちょっとで戦えなくなる。
そして————
「クソ、こうなったら一か八か————」
「やめろ! 爪吉!」
ぼくには分かる。爪吉は自分を犠牲にするつもりなのだ。アイツはそんな奴だ。だけど、ぼくはそんなのイヤだ。
「爪吉! こっちに来い! 収爪だ!」
「だが、碧くん! 収爪をするとキミは————」
元の生活に戻れなくなるだろ。収爪のパートナーになると、他者からの記憶操作を受け付けなくなる。生物として一つ上の次元の存在になるからだ。だから、収爪をしてしまうと、ぼくはこの町にもう二度と酔えなくなる。
「いい! どうだっていい! それよりも、自分のために友達が見殺しにして、それをおめおめと忘れるだなんて————そんな自分をぼくは許せない……!」
「碧くん……!」
本心。これは思いやりなんかじゃない。
これはぼくのためだけの言葉、ぼくのエゴ、ぼくのわがまま……!
「させるか」
「させるか」
「させるか」
「させるか」
四匹のマガツが一斉にこちらへ向かってくる。このままいけば、あっちのほうがたどり着くのが速い、が————
「壁状(へきじょう)蒼炎(そうえん)」
「うにゃー!」
その道を阻むのは、お姉ちゃんと爪御。稼いだ時間は一瞬、マガツたちは跳躍し、その妨害を躱す。しかし、その一瞬が命取り。ぼくと爪吉はすでに接触していた————
「ほんとうによかったのか?」
「うん、友達の命には代えられないから。それにお姉ちゃんと同じになった感じでむしろちょっと嬉しい」
「……本心だな。俺たちの間に嘘はつけない」
一度体験したことがある温かい光。
それは互いが互いを思いやっている証拠。ぼく(おれ)たちは理解した。収爪は、己のすべてを捧げられる者同士にこそ為せるのだと。
「天瀬碧を殺せ! そうすりゃチャラだ」
「おう」
「おう」
「おう」
空中からの強襲。降って降りるは絶死そのもの。なのにぼくは安心しきっている。なぜなら————
「————五条伸爪」
圧倒的。格が違うその五条を食らったマガツ四匹は、一匹残らず細切れになった。
「————ありがとう。いや、行ってくるよ、碧。すぐに終わらせる」
爪吉によって、斬殺されたマガツの血液が降り注ぐのを待たずに、爪吉はぼくに向かってそう宣言した。
ならばぼくも言うべきことがある。
「いってらっしゃい」
はい。読んでいただきありがとうございます。よければ、応援コメントでの感想。おすすめレビューなどをよろしくお願いします。
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