第4話 冷適解
―爪吉視点―
戦いにはたいてい攻め手と受け手が存在する。そこには様々な要因が絡むが、現在それを決定づけているのは射程距離である。三メートル、それがボクの“伸爪”の射程距離。対してマガツのソレは一メートルにも満たない。
ならば、攻め手がボクの爪にゆだねられるのは自明、自身の最も得意な領域に相手を引きずりこんだボクが有利にコトを進めているはず————
「ふむ、最大射程は三メートルといったところですか、私に致命傷を与えられる二メートルの距離をきっちり保つとは真面目ですね。感心しますよ」
はず、だけど、そんなボクに反して不利な状況にあるはずのマガツの口調は涼しげ。
そしてその身体にも傷一つついていない。こちらの振るった爪は最小限の動作でことごとくはじかれる。驚くべきはその膂力。軽い動作のはずなのに、全力で振るったボクのほうが力負けしている。生物としての基本性能が違いすぎる。
「ふむ、まあ伸びる爪のことはあらかたわかりました。次はあなたについて教えてください」
「なにを————」
マガツの奇妙な言い分。それに口を返そうとしたその時。
リンリンリンと首元の鈴のうち四つがけたたましく鳴り出した。
「ほう」
「なっ」
葉月さんからもらった鈴には二つの機能がある。
一つは救難信号の送信、そしてもう一つが救難信号の受信である。
「どうしたんですか? その鈴。なにかトラブルでも」
「なにをした」
鳴ったのは五つのうち四つ、残った一つは爪丸さんのだ。
つまり、守護地のうち、実に四か所が救難信号を送っているということ。
基本的に救難信号は生半可なことでは使わない。手に負えない事態が起こったときに初めて使うモノなのだ。
そして、あの四地点を任されているのは手練ればかり、マガツの三文字が脳裏をよぎる。
「顔色が悪いですよ。なにかよくないことでも?」
「うるさい」
マガツに向けて爪を振るう。マガツはそれを後ろに飛んで躱した。
そして相手は間合いの外に出てしまった。
まさか、人間たちを襲うつもりなんじゃ————
「そうはさせるか」
「話が逸れてしまいましたね。さあ、あなたのことについて教えてください。
御安心を。あなたの仲間の所に行った五柱(にん)は、私よりも格段に弱いですから」
「だからなにを」
「だ・か・ら」
ボクは誓ってマガツから目を逸らさなかった。
「————あなたが本命ということですよ」
「なっ」
なのに、マガツは瞬間、ボクの目と鼻の先に出現していた。
少し遅れてほとんど同時に鳴った足音が聴こえた。視界に入ったマガツの後方、コンクリートの地面には、足跡がくっきりと刻まれていた。
常識外の脚力、そしてそれを完璧に制御して目前にピタリと止まったマガツは、確定的な殺傷を振るう。
回避は間に合わない。爪で防御————
「ぐっ」
「ほう」
致命傷は防げた、致命傷は。でもその代償は重かった。マガツの爪撃を防御した右前脚が半ばからぷらんと曲がる。骨が折れたのだ。
「その爪、とてつもなく強靭ですね。こちらの爪が砕けてしまいました。痛い痛い」
「はっ、それはどうも」
「まあ、問題はありません」と当然のように爪を再生させるマガツ。相手はノーダメージ。対するこっちは右前脚が使えない。先ほどの攻撃を凌いだはいいが、正直言って命がほんの一瞬伸びただけ————いや、まだだ。まだチャンスはある。
「さて、あと三本ですね。抵抗、頑張ってください」
マガツはそう言うと、またもや消えた。アイツは攻撃前にほんの一瞬だけ止まる。その瞬間、爪を振るってアイツを刻む。躱せぬように最大射程、左前脚による薙ぎ払い。
————この一振りにすべてを懸ける。
「残念」
「えっ」
ボクは確かに、狙い通り止まったマガツにこれ以上ないタイミングで爪撃を放った。
しかし爪が感触を得ることはなく、ただ空を切るのみだった。
ボクが捉えたのは残像、肝心の本体はボクがのんびりとすべてを懸けた攻撃をしている間に、上へ飛んでいた。
「一手遅かったですね。惜しい」
上空から強襲を仕掛けてくるマガツ。狙いは当然、全力で振り切って伸びた左前脚。前足を全て折られれば、もう勝ち目はない。
しかしどうすることも出来ない。マガツは確実にボクの前足を叩き折るだろう。
それでも負けじと、垂れ下がったままの右で防御しようとする。
ああ、碧くん、ごめん。今日、お出迎えできないや————
「どりゃあ!」
「うん?」
降り注ぐ敗北は、間一髪で爪に蹴っ飛ばされた。
「ナイスタイミングです。で? 誰ですか。私の邪魔をしたのは」
「わたしだニャ、マガツめ! このわたしの出世の糧となるがいいニャ」
カッコいい登場の割に締まらない語尾。その語尾は未成熟の証。
未成熟ながらにあのマガツの攻撃を止めてみせた実力、そしてなによりその毛並みに見覚えがあった。
色一つない純白の毛並み。現れたのは「神童」と評される爪一族きっての天才、爪御(つめみ)。
「大丈夫かニャ? 爪吉。せっかく収爪を為してわたしに追いついてきたと思ったらこのザマとはガッカリだニャ。あなたはわたしのライバルなんだからもっと頑張るニャ」
言い返せない。収爪を為すまでは天才の戯れだと思って聞いていたけど、強くなってからは普通に腹立つ。でも、事実だから言い返せない。
「まあ、わたしが来たからには安心ニャね。マガツの一匹や二匹、わたしがボッコボコにしてやるニャ。これで二匹めニャ」
サラッととんでもないコトを言い出す爪御。未成熟のくせにマガツを下すとか……コイツどうなってるんだ?
でも目の前のマガツは、爪御がいた第四地脈に襲来したヤツとは一線を画す強さのはず。一人で立ち向かうのは危険だ。
「爪御! そいつは強い! 二匹でやろう。伸爪で援護するから前衛を頼む」
情けない。片前足が使えないとはいえ、援護することしかできないとは。
爪御はもう戦闘に入っている。いくらアイツでも危険だ。
「そうニャね————コイツめちゃくちゃ強いニャ」
「なに?」
マガツの超スピードに紙一重で対応しながらそんなことを言う爪御。マガツが初めて驚きの声を上げる。
爪御は勘が異様に鋭い。それはもはや理不尽の域にある。基礎能力も成体に少し劣る程度。弱い個体とはいえ、マガツ討伐を成し遂げたのも納得である。
「掠っただけで死ぬニャ! ヤバいニャ!」
「ならさっさと死んでくださいよ」
天然の煽りを食らわす爪御。ボクは爪を伸ばして援護する。倒せなくてもいい。それはもう諦めた。片前脚が使えないボクはもちろん、爪御もこのマガツを斃すには攻撃力が足りない。だからヤツをこの場に留めておくことを第一に動く。
幸い、ヤツの行動を妨害できるだけの攻撃力はある。マガツも好きには動けない。
このまま爪丸さんが来るまで粘る。
「はあ、この手は使いたくなかったのですけどね……仕方ない」
不穏なマガツの言葉。ボクの後方で鳴る爆発したような音。何かが後ろからくる! 反射的に横に避ける————
「カハッ」
確かに、避けた。ボクのとなりスレスレを何かが通りすぎる気配も感じた。でも、確かにボクの脇腹に衝撃が突き刺さっていた。
「ガハッ、ア、ウ、ハッ」
口内に鉄の臭いが溢れている。ヤバい死ぬ。内臓の破損を感じさせるほどの衝撃。これはまずい、呼吸ができない。立ち上がらなければ、マガツが人間たちを襲う。
脇腹を見た。ぐにゃりと不気味に凹んでいる。そばに転がっているのは、肉片。
ボクの肉片……いや違う。鼠だ普通の。
こんな鼠にあんな威力が出せるのか。意識はブラックアウト寸前、チカチカと黒い閃光が視界で点滅する中、真っ先に疑問に挙がったのはそれだ。
「心苦しいです。まさか神鼠弾(しんそだん)を使ってしまうとは……」
「し、んそ、だん?」
肺から絞り出すように疑問を投げかける。もうダメだ。このままだとボクと爪御、どっちも死ぬ。せめて、情報を爪御に持ち帰らせなければ。
「ええ、同胞たちへのせめてもの弔いのために教えて差し上げます。鼠の神たる私たちマガツは、鼠の生物としての限界を超えさせることができるのですよ。しかし、それもただ一瞬の輝き……限界を超えた鼠はその力に耐えきれず自壊してしまう。かわいそうに……あなたたちが無駄に粘るから二人も同胞が逝ってしまった」
「同胞って……所詮消耗品扱いのくせに善人ぶるなニャ」
爪御が正論を吐く。
「善人ぶってるのはどっちですか? あんな身勝手な下法で成り立っているあなたたち爪こそ、よっぽど欺瞞に満ちている」
「なんのことだニャ?」
そうか。いくら強くても未成熟は未成熟。長老からあの話を聞いていないのか
「知らないなら教えて差し上げますよ。あなたたち爪、いや、霊猫町繁栄の裏側を————」
―幕間―
「爪重(つめしげ)さん爪重さん。絶対援軍呼んでくるニャ」
屋根から屋根に飛び移り駆けているのは爪晴(つめはる)。第二地脈の守りを任された未熟の爪である。
マガツの暴威は第二地脈にも例外なく降りかかった。
「爪吉なら。爪吉の収爪ならみんなを助けられるニャ」
目的地は爪吉が担当する霊猫小学校。第二地脈に襲来したマガツは、成体の爪である爪重が食い止めている。だがマガツの力は絶大で、倒すには爪重と爪晴では力不足だった。
「急がなきゃニャ。爪重さんが死んでしまうニャ」
爪晴は駆ける。飛び込むは事態の中心。
このちっぽけな爪は、後に正負、勝敗を決するほどの切れ込みを入れることになる。
―碧視点―
休み時間。ぼくは皆と運動場で遊ぶ気も起きず、学校の植物園のベンチで一人座ってヒマワリを眺めていた。
視界の主役はヒマワリだが、ぼくはまったく別のことを考えていた。
ゴキブリ……あの違和感はなんだったのだろう。ゴキブリをあんなに気持ち悪いと思ったことはない。そしてそれを捕まえて逃がした田中さんも————
「こんなとこでなにやってるニャ!」
「えっ」
どこからか声が聞こえた。周りを見渡すも視界に届く範囲に人はいない。
もしかすると、植物の陰に隠れているのかもしれない。そう思って立ち上がろうとすると、また声が聞こえた。
「こっちだニャ」
声を聞こえたのは妙なことに足元。耳を疑いながらも下を見ると猫がいた。
「なんだ猫か」
しかし妙だ。絶対足元から聞こえたと思ったのに————
「無視するなニャ」
また足元から声が聞こえた。まさか————
「きみが喋ってるのか!?」
「気付くのが遅いニャ。さあ、早く爪吉を収爪させるニャ」
不思議と驚きはしなかった。多分、今日は奇妙なことがいっぱい起こったからだ。
「収爪……?」
「爪一族の究極体だニャ! さあ、早くついてくるニャ」
爪一族ってなんだ? それに爪吉だって……? ぼくの心はその名前をひっかけた。もしかすると、最近の奇妙な出来事の原因をこの猫は知っているのかもしれない。
「爪一族ってなに? なんで喋れるの? 爪吉とはどういう関係なの?」
急いでいそうなのに質問攻めをしてしまった。申し訳ない。
「あっ! 葉月さんに記憶を消されていたニャね。忘れてたニャ」
「葉月……? お姉ちゃんのこと?」
またもや心は名前をひっかけた。表面張力で丸みを帯びた水面が決壊しそうな、なにかが思考の奥底から飛び出てきそうな、そんな感覚。
記憶を消されていた……? なにかを思い出せそうだ。
「とにかく、その話は後————」
その時、植物園どころか学校をも揺るがすような轟音がぼくたちを襲った。
降り注ぐガラス。どうやら天井のガラスがすべて割れたらしい。
「危ないニャ!」
足元の猫は一息でぼくの頭上ほどにまで跳躍し、とてつもない速度で前足を振るってぼくに突き刺さろうとするガラス片を残さず叩き落した。
「なにが————」
「来たニャ」
遅れて黒い塊がどすんと落ちる。その音は、ソイツの身体の大きさに反してとても大きく重く聞こえた。現れたのは黒い鼠だ。
そして、ぼくはその姿に見覚えがあった。
耳をつんざく不快音。それはまるで金属をこすりあわせたようなそんな音。言語の形を為さないはずのそんな音が、ぼくの耳に意味を届けていた。
「おっ、サノの言う通りにしたら破れた。猫地蔵の結界も完璧じゃないんだな」
「……マガツ」
不意に口から飛び出たその単語に、ぼくの心はまるで終生の仇に出会ったかのように反応した。そうだ、この黒い鼠はマガツと言って、爪吉はコイツらと戦ってるんだ
「爪重さんはどうしたニャ」
猫が低い声でそう問う。
「ああ、あの猫か! 楽しかったぜ。全身ぼろぼろになっても立ち向かってきてちょっとウザかったけどな。まあ、ボキボキと脚を潰す感触はクセになりそうだったぜ」
「貴様ッ!」
猫がマガツに飛びかかった。しかし、その激情が生み出した一撃は敵になんの危害ももたらさなかった。
されるがまま。まるでそこに誰もいないかのように話を続けるマガツ。
「それに、真っ先に天瀬碧と出くわすとは運がいい。これで俺はもっと強くなれる。あの御方に力をもらってな」
「あの御方……?」
疑問がこぼれる。あの御方ってなんだ?
とにかく、爪吉のところに行かないと————
「続きはあの世で考えな」
「逃げるニャ!」
二回目なのにすごく怖い。だけど、不思議と足は竦まない。それでも、ぼくの取るべき選択肢が逃げることなのは明白だった。
「おっ、逃げるか。鬼ごっこだな。いいぜ。ハンデとしてコイツをぶっ殺してから追いかけてやるよ」
「衝動に従って道を選ぶニャ! そうすれば爪吉のところにたどり着けるニャ」
猫に宿ったのは悲壮の覚悟。少(じぶん)を殺してでも多を生かす、心を冷却したようなそんな選択。
悲しき合理を背に受けながら、ぼくはその場から逃げ出した。
あとがき
はい。最後まで読んでいただきありがとうございます。 応援コメントやおすすめレビューなどを残していただくと、すごくうれしいです
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