第2話 その場しのぎ

「どうだ? 当代。 おとなしく次代と共に俺に殺されればそこの六匹は助けてやるが」


 ぼくの耳はキンキンと甲高い音しか届けていないのに、頭に響くのはそんな意味。


「どうせ皆殺しにする気だろ」


 お姉ちゃんが怖い顔でそう言う。黒い鼠はぞっとするような表情(かお)をした。ぼくにはそれが笑って見えた。


「それがどうした? お前のせいでガキ共が無駄死(し)ぬかガキ共のせいでお前と次代が死ぬか。それを俺に祈りながら選べ」


 そんな邪悪な物言いに、お姉ちゃんは即答する。


「じゃあ三つ目。お前を倒して全員そろって山を下りる」

「なら死ね」


 鼠がお姉ちゃんに飛びかかる。いやかかった。気付いたときには行動は終わっていて、お姉ちゃんの肩から血が出ていた。まるでなにかに切り裂かれたような傷……血がついていたのは鼠の口元だった。

 お姉ちゃんは少し遅れて肩を抑えた。


「ぐ」

「……致命を免れたか。未熟でも爪というわけか」


 鼠は独り言のようにそう呟く。前に文字通り立ちはだかっているのは爪吉だった。ぼくは爪丸を見ているから驚きはしないけど、後ろからは動揺したような呼吸音が聞こえる。


「み、巫女さまを守るニャ。お前なんかボクがやっつけてやるニャ」

「頭を狙ったのだが逸らされるとは……なかなかに勘がいい」


 余裕の態度を崩さない鼠。そんな鼠にお姉ちゃんが笑いかけながらこう言った。


「巫女の血なんか経口摂取しちゃって、どうなっても知らないわよ」


 お姉ちゃんはなにやら唱えながら手で形を作った。

 ————その瞬間、鼠が燃え上がった。自然発火には不自然な蒼い炎。お姉ちゃんがなにかした、そうぼくは直感した。


「どんなモンよ。いかにマガツといえども、これはキツいでしょ」


「さあ、逃げて」とぼくたちに促すお姉ちゃん。促しながらも鼠からは目を離さない。ぼく、いやぼくたちは直感した。お姉ちゃんは残って鼠の足止めをするつもりなのだと。だが、それと同時にどうしようもないことも理解していた。だから血の流れる肩からは目を逸らして山道を駆け下り始めた。




「……このくらいじゃ死なないわよね」

「……結ぶニャ?」

「わたしのは爪丸。それに波長が合わない。だから収爪(しゅうそう)は使用不可」


 燃え盛る蒼炎。そこに視線を固定しながら一人と一匹は言葉を交える。


「……少量でもこの威力とはな」


 蒼炎が消える。中から出てきたのは先ほどとは変わらぬ様子の鼠。足元には黒い塊が落ちている。鼠の再生速度が蒼炎の燃焼速度に勝った、そして蒼炎が自然に消えた。ただそれだけのことである。しかし、それは葉月たちを時間稼ぎという選択肢に追い込むには充分なほどの絶望だった。


「アイツ相手に前衛できる? わたしサポートするから」

「………………死んだら恨むニャ」


 彼らの勝利条件は爪一族本部からの増援のみ。

 しかし、それはあまりにも薄い勝機で————




 一目散に逃げ去るぼくたち。どう考えてもこれが最善。ぼくたちは足手まといでしかない。こんな非日常という言葉も裸足で逃げ出すような状況でもそれだけはわかった。

 だから、逃げる。それだけがお姉ちゃんの役に立つ唯一の方法————のはずなのに。

 なぜか爪吉が頭をよぎる。


「ぼく、戻るよ」


 反射みたいに口から出た言葉。それはみんなの足を止めた。


「なに言ってるんだよ!碧!」

「おれたちにできることなんてないって」

「そうだよ碧くん」

「……お兄ちゃん」


 もちろんみんなに猛反対される。でも、心のひっかかりは取れない。むしろ深く鋭く突き刺さった気がする。ここで戻らないと一生後悔する。そんな予感が止まないのだ。

 ぼくだけはお姉ちゃんたちの役に立てる。そんな気がする、いやそれは混乱にまみれて筋なんて一本も通ってないけれど————確信だった。


「やっぱり戻るよ。みんなは逃げてて」

「……ッ」


 みんなはなにか言おうとしたけど黙った。納得はしていないけど、許諾はしてくれたみたいだ。こんな的外れなぼくの考えを信じてくれたんだ。


「じゃあ、ぼくいくよ」


 みんなは手を振るのもほどほどに逃げていった。別に見捨てられたとかではなかった。なぜかそれにも確信が持てた。その確信にぼくは強烈な違和感を覚えたけれど、やることは変わらない。

 ぼくは振り返ると、山道を駆け上っていった。




「碧!?」

「碧くん!?」


 お姉ちゃんと爪丸がびっくりしている。細かな傷は増えてるけど、間に合った。

 爪吉は取っ組み合いの真っ最中。やっぱりというか確信というか爪丸みたいに喋れるみただ。身体じゅうに赤色が散っている。返り血ではなく爪吉自身の血だ。

 ぼくは直接的にそう察した。

 鼠はこちらを見て驚いている。


「爪吉! こっち来て!」

「まさか」


 糸口は爪吉。そう全身が訴えてる。爪吉の近くに。

 けど爪吉は鼠につきっきり、ぼくが行くしかない。とにかく爪吉に触れたい! 


「ちょっ、碧くん!?」


 触れさえすればいい、そんな気持ちで駆け寄る。でも怖いすごく怖い。

 ————だけど、お姉ちゃんや爪吉、みんながいなくなるのはもっと怖い!


「させるか」


 鼠がこちらに向かってくる。爪吉には隙だらけだけど、爪吉の攻撃がまるで効いてない! これじゃぼくは爪吉にたどり着く前に殺される。

 さりとて爪吉がこちらに来ようと隙を晒せば一瞬で殺される。そんな気配があった。

 ならば————


「お姉ちゃん!」

「もうやってる!」


 お姉ちゃんはもう手を形作っていた。鼠を取り巻き縛る蒼炎、それは鼠に絶対的な隙を創り出した!


「ちい」

「爪吉!」

「碧くん!」


 爪吉との距離が急速に縮まる。

 だが————


「やらせん」


 鼠が蒼炎の縄を引きちぎってこちらに向かってくる。無理やりの代償かその身体には縄状に傷がついていた。相当深い。だけど、鼠は衰えることなくこちらを殺しにくる。

 爪吉との接触が間に合わないほどの勢い。お姉ちゃんがどうにかする時間もない。

 結局、ぼくはなにもできずに死ぬしかないのか————


「邪魔ァッ」


 迫る暗闇を爪吉が引き裂いた。 横を素通りする鼠を跳び上がって蹴りつけたのだ。

 効いたのかよろめく鼠、そんな鼠を踏み台にこちらに飛び込む爪吉。

 ぼくたちを暗闇が包み込む余地はもうない。




 烈光一閃。体現するかのごとき速度で視覚に釘付けの四感たちを丸ごと奪う閃光。

 色を許さぬ純白世界。それに飽き飽きした頃、全明の闇は晴れ、月光降り注ぐ薄暗闇の中途世界に、両者は第三者たちの前に姿を現した。


「重ッ」


 爪吉を抱きかかえながらつんのめって倒れる碧。その原因は爪吉である。比較的小柄な、小柄だった爪吉だが、今やその体躯はマガツに匹敵するほどになり、体重も増加した。

 摩訶不思議的に急増した質量に抵抗すらできず完全屈服した碧の貧弱体幹が逆転の目を潰した。


「クソ」


 迫っていたマガツの凶爪。それを期せずして碧は躱したのだった。

 一発逆転を狙った後は隙だらけ。いつのまにやら碧の胸から脱出していた爪吉がそこを突く。


「痛ったぁ。鼻血出たかも。重くなるならそう言ってよ爪吉」


 生体の衝突からは想像しえない「ガンッ」という金属音が頭上で響くなか、のんきにそんなことを言いながら起き上がる碧。蹴り飛ばされて宙を舞う最中に、やっと“蹴り飛ばされたこと”と“隙があったこと”を同時に理解したマガツ。

 そして————


「ゴメンゴメン、ボクも初めてでさ。大丈夫、鼻血は出てない」


 着地しながらそんなことを言う爪吉。


「葉月さんは爪丸先輩のところへ。ここはボクたちだけで大丈夫」


 場を満たす安心感に反して、葉月の顔は険しいままだった。

 彼女は無言でうなずき、相棒の元に向かった。


「逃げるか?マガツ。逃がさないけど」

「逃げるわけがないだろう。オマエらもあの巫女も逃げたガキ共も皆殺しだ」


 引き延ばされる一瞬。その糸を切ったのはマガツだった。

 地を深く踏み込むマガツ、ギリギリという筋肉がきしむ音。その姿はまるで最大にまで押し込まれたバネのようである。そこから放たれる弾丸(マガツ)は人体を容易く貫通する。

 圧倒的な肉体強度と筋力を持つからこそできる肉弾重射、それがマガツの最終手段(ファイナルプロット)

 狙いは碧、共鳴者さえ殺せば、爪吉の力は激減する————


「すごい威力。撃てたら、の話だけど」

「————は!?」


 その言葉を聞いたとき、既にマガツの視界は上下逆転していた。「あの距離をどうやって!?」そんな混乱の中、マガツは前を見た。

 そこには一歩も動かず変わらぬ様子の爪吉がいた。


「なにが————」

「教えてやらない」


 マガツは下から掬うように打ち上げられた。その衝撃はマガツを遥か上空にまで連行した。いくらマガツでも空気までは踏めない。

 マガツは敵を見据える。こちらは手出しできないが、それは相手も同じ。なんとか上手く着地して立て直しを図ろうとしたのだ。


「終わりだよ」

「え————」


 マガツは気付いていなかったのだ。この上空域がまな板、自分はそこに乗せられた哀れな鯉であることに。

 最期に一匹の鼠が見たのは、瞬時に伸びて自分を引き裂く猫の爪だった。


「————五条伸爪」


 悪意の化身、その片割れはここに斃された。




 心配事なんて今日で無数に生まれた。でも、一番わたしの心臓を急かすのは爪丸のことだ。

 アイツは自分の命を躊躇なく天秤に乗せられるヤツだ。この町のせいとかではなく元からそんなヤツなのだ。

 だから怖い、そして嫌だ。アイツが死ぬのもアイツだけが犠牲になるのも全部。

 墓所を迷うことなく全速力で突っ切る。懐中電灯なんていらない。そんなモノがなくてもわたしの目には何の不便もない。

 正直言うと嫌いなこの身体能力もこんな状況では役に立つ。鋭く切り裂かれたはずの肩ももう血が止まっている。

 知ってる血の臭いがする。爪丸のモノだ。たまらず名前を呼ぶ。


「爪丸!」

「葉月か。助かった。早く収爪(しゅうそう)を」


 霊猫墓所の最奥、猫地蔵。そこに爪丸はいた。

 自分よりも一回りほど大きいマガツの頭を抑えてその首を切り刻んでいる。よく見ると、首は切られたそばから再生しているようだった。今の爪丸では攻撃力が足りないのだ。


「了解」


 案外元気そうな爪丸に一旦安心しつつ、爪丸に触れる。次の瞬間、何度爪で掻き裂いてもすぐに再生してしまっていた首が一撃で落とされた。


「お疲れ、もう片方のほうもなんとかなったみたい」

「……爪吉くんが収爪に目覚めたか。相手は碧くん、きみの弟だろ。どうするつもりだ」


 死者ゼロの円満解決という結果に反して、葉月と爪丸の顔は曇っていた。葉月が返す。


「なんとかして阻止する。まだ一回目、一回だけならまだどうとでもなるし。幸い今回のマガツは殲滅できたんだから」

「どうだか、今回はマガツに変化が見られた。単体では間違いなく歴代最弱だが二匹いた。これは初めてのことだよ」

「ケガレの集中先が二つになってたとか?」

「かもね。もしくはもっと深刻か」


 明けぬ懸念。マガツを斃したのに問題が解決しないのは両者にとって初めてのことだった。


「とりあえず長老に報告だね。雫ちゃんの警備強化を進言しよう」

「そうだね。わたしもみんなまとめて家に送り返さなきゃ……ちょいと魔法をかけてね」

「巫術だろ」

「ふふ」


 こうして肝試し参加者、各々が寝床で夜明けを迎えることができた。

 ひとまずは成功、その場しのぎ。それに気づくはいつごろか。


 一章 おしまい


あとがき

 はい。 一章完です。PVが増えて応援がつくのってめちゃくちゃうれしいですね。

 例え一言でも感想をいただくとうれしさがさらに限界突破するのでよろしくおねがいします。


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