猫負町界談
跳躍 類
第1話 勧善懲悪
ぼくの名前は天瀬碧(あませみどり)。X県Y市霊猫(れいびょう)町の霊猫小学校に通う小学五年生です。
学校生活は順調、クラスのみんなが友達です。一時期、自分の女の子じみた外見をイジられてコンプレックスになってしまったけど、それもまたぼくの長所たりうることをお姉ちゃんに教えてもらってからはあんまり気にならなくなりました。
「なあ、今日のテストどうだった?」
一緒に下校しているのは橘健太(たちばなけんた)。お隣さんで物心ついたときからの友達です。
「うん? 92点。ケアレスミスしちゃった」
「へへ、おれは満点」
「ええ! 今日は漢字もあったのに?」
こんなふうに何気ない?会話をしているだけでとても楽しいです。
お姉ちゃんいわく、それはとても素晴らしいことらしいです。ぼくもそう思います。
「うん、おにいちゃんにアドバイスしてもらったんだ。それで漢字ばっかり勉強した」
「ふうん、ぼくは漢字間違えちゃったから次そうしてみようかな。文章問題は簡…単」
目の前に現れたのは黒白茶色の三毛猫。お姉ちゃんがどこからともなく連れてきた猫で、名前は爪吉(つめきち)。ぼくになついてくれています。この子はとても賢くて、なんと毎日通学路までお出迎えしてくれます。
「今日もありがと爪吉」
そんな爪吉を見るとぼくはうれしくなって思わず駆け寄ります。
そうして頭を撫でると、爪吉は喉を鳴らしてよろこんでくれます。
健太といっしょにひとしきり撫でると、満足した健太と手を振り別れて、爪吉を抱きかかえながらぼくは家の玄関をくぐるのです。
こんな感じでぼくの日常は続いていく————
ちょっとしたトラブルも、あったけどね。
ぼくの名前は爪吉。天瀬家の守りを任された爪一族の一員だニャ。
天瀬家はこの町において、とても重要な家系。それを任された俺も爪一族きってのエリート猫————というわけではなく、ただ五感が他よりも鋭いからという理由でここに配属されたに過ぎないニャ。
「爪吉くん、なんか異常ない? 大丈夫? 些細なことでもすぐに言ってね」
この人————猫は爪丸(つめまる)さん。三年先輩の大ベテランだニャ。ほら語尾にニャーニャーついてないでしょ? おれのような喋り方は自我を持ち、町を守護する爪一族としては未熟者————未熟猫の証だニャ。この言葉も人間たちのモノを真似ているに過ぎないニャ。だから猫としてのアイデンティティがあいまいでよく猫やねずみを人と呼んでしまうんだニャ。
「大丈夫だニャ。爪丸さん。怪しい人っ子…ねずみっ子一人いないニャ」
「うん、ならよかった。それといちいち訂正するの、ちゃんと癖づいてる
ようだね」
「その調子ならすぐにちゃんとできるようになるよ」と爪丸さんが褒めてくれたニャ。うれしいニャ。
そろそろ碧くんが家に着くニャ。あとはわたしがお出迎えするだけ、もしかするとこの後どこかに遊びに行くかもだけど、まあ、ひとまずは安心。登下校護衛任務終了だニャ。
無自覚訳アリ少年天瀬碧の耳にあてがわれているのはスマートフォン。平均的小学五年生には珍しい持ち物である。
キラリと輝く新品同然のスマートフォン。かれこれ三年選手である。
「えぇ…今夜?」
微笑み浮かんだ困り顔。その原因は電話先の少年、彼にとっては親友と呼ぶべき橘健太である。
「うーん、急に言って許してもらえるかな……」
「大丈夫、おれんちも許してもらえたしそれに」
少年たちの議題はずばり肝試し。町内最大標高を誇る山、霊猫山の麓にある墓場が舞台である。
碧が心配しているのは両親の許可。いくら日本でも屈指の治安の良さを誇る霊猫町であろうとも、子どもたちだけで夜出歩くのはさすがに許されないと考えたのだ。
「おれたちだけなのがダメなんだろ? じゃあ、お前んちのお姉ちゃんについてきてもらえばいいじゃん」
「多分、ノリノリで来てくれるぜ」と少しうれしそうな声色を見せる健太。
「その手があったか」と相槌を打つ碧。
「じゃあさっそく頼んでみるよ」
言うが早いか、携帯を勉強机に置いて一階へと駆け下りていく碧。
彼の姉は人間離れしていた。文武両道、才色兼備。処女作かつ文学賞初応募で文学史に名を刻み、“かっこいいから”という理由であらゆる格闘技を修めた。これらをたったの一週間で成し遂げた凄烈なまでの天才である。
「お姉ちゃーん。肝試しについてきてほし……」
「いいよ、今夜だよね。何人と行くの?」
この食い込むような即答の主が碧の姉。天瀬葉月(はづき)。腰まで届く黒髪に、百七十に届いて上回る長身、端正な顔立ちそして原因不明の青みがかった瞳。その才能に恥じぬ美形である。
「五人くらいかな。場所は……」
「えっ! おにいちゃん肝試しにいくの!? わたしも行くー」
三寸ほど遅れて末の妹、天瀬雫(しずく)が飛び出してきた。
長姉はこれをなだめる。
「はは、雫は今日はお留守番かな。せっかくの小学五年生だし、碧は同世代と楽しんできなさい」
「いいよお姉ちゃん別に。それに人が多い方が楽しいだろうし」
妹の要望に応えたい気持ちは当然あった。しかし、碧の言葉は嘘ではなかった。彼は人と関わることが好きだった。だから親切心など抜きに雫についてきてほしいと感じたのだ。
「また碧はそんなコト言って……でも雫?いいの?山だよ?肝試しだよ?キツイよ?疲れるよ?オバケ出るよ?怖いよ?」
「うん、いい。行きたい」
「強っ」
こうして規格外の才女が妹の生来の好奇心と頑固さの前に折れ、雫の同行が決まった。
「爪丸さん、どうするニャ? どうやら肝試しに行くみたいだニャ。それも雫ちゃんを連れて」
天瀬家の一室。一匹の猫が壁に耳を立て、もう一匹に聴こえたモノを報告している。耳を立てているのは爪吉。わざわざ二足歩行になって前脚でヒゲをイジりながら報告を受けているのが爪丸である。
「ふむ、まあ、今回は葉月がいるから大丈夫だとは思うけど……ついてこうか。万が一ということもある。目的地もなかなかに不穏だし」
「?」
最後の一文に対して爪吉はきょとんと首をかしげる。あざとい。その反応に爪丸は答えを返す。
「あの山はいわくつきでね。まあ、きみも一人前に成ったらあの山のことを長老から教えてもらえるさ」
「さあ、行こう」と爪丸は話を切り上げ、部屋内の秘密で作られた猫専用出入り口に向かう。
「爪吉くんは葉月たちについていて、異常があればニャーンと鳴いて合図を」
「了解ニャ」
かくして夕日は沈み、霊猫町は夜の闇に包まれる。その変化はこの町を陰り照らす二対を暗示しているようだった。
肝試しの舞台は霊猫墓所。この町には珍しい陰気な空気が蔓延するスポット。それゆえ、町の若者からは肝試しの穴場として知られている。大したうわさもないのに扱いは心霊スポットのごときである。
「じゃあ、事前に決めた二人組を発表していくよー」
葉月はそんな建前を垂れ流しながら、全員の携帯にペア表を送った。雫は兄のモノを見ている。今回の肝試しは墓所最奥部にある猫地蔵を携帯で撮ってくることでクリアとなる。
二つのペアが葉月のほうを見る。その目は細く絞られている。視線の受け皿はそっぽむいて口笛でベートーヴェンを奏でていた。
「まあいいや」という思考が全員の脳に共通するなか、肝試しは始まった。
はじめに入ったのはイイ感じの雰囲気の男女が一組、もちろん恣意的組分けの結果である。
キャーキャーという高い声が数度響いたのち、早足で二人は出てきた。少女のほうは少年の腕にがっちりと抱きついていた。少年の顔は赤くなっていた。
次は短パン日焼け少年こと橘健太と眼鏡少年という異色の一組、恣意的である。
二人は堂々とした様子で出てきた。しかし、葉月は見逃さなかった。健太の膝が震えていることを。そして聴き逃さなかった。健太が墓所内で何度か叫びそうになっていたことを。
葉月は健太の頭を撫でた。少年は赤面した。
そして、雫と碧の兄妹組が出発した。
「怖いねぇ雫」
そんなことを言い合いながらぼくたちは手をつないで歩く。雫は弱音を吐かない。だけどその手は震えている。口数もいつもより少ない。
怖いモノ知らずな妹だと思っていたが、やはり雫は小学校低学年、怖いモノは怖いのだろう。
正直、ぼくもかなり怖い。
懐中電灯があるのであまり怖くないと予想していたが、懐中電灯が明かしてくれるのはその中心部だけで、それ以外の部分にはまだ夜の曖昧さがまとわりついているのだ。
むしろ生半可に見えてしまう分、風が起こす小さな動きにも過敏に反応してしまう。
「……どうした?」
不意に妹に意識を向けると、はあはあと息を荒くしていた。反射的に呼びかけると妹がもたれかかってきた。
「雫!?」
続けて呼びかける。姉を呼ぶべきだという考えが頭をよぎる。雫がこんなに弱っているところを見るのは久しぶりだった、疲れたくらいでこんなことになるのなら、ぼくにはもっと兄としての威厳があるはずだ。
明らかな異常事態である。
「お姉ちゃーん!! 来てええ」
即断即決、ぼくはすぐにお姉ちゃんを呼んだ。
しかし、ちょうど呼び終えた瞬間、ぼくの全身に刺すような感覚を襲った。
「うぐ」
思わず身体を見るが、特に変化はない。ただ悪寒だけが背筋を走って————否、変化は起こっていた。それはぼくたちの目の前に音もなく現れた。
爪吉の鳴き声、それを受けて爪丸が葉月の前に飛び出した。
アイコンタクトを交わす一人と一匹。
やるべきことを為した爪丸は、飛び出した勢いのまま、修羅場と化した墓所へと二人を救出すべく突入する。
兄と妹の前に現れたのは黒い塊だった。大きさは70センチほどだが、彼らの眼(きょうふ)はさらにそれを大きく写していた。その場に重苦しい空気が広がる。
二人はそろって息の出来損ないを垂れ流していた。本能が警鐘を鳴らし、二人に逃走を命じていた。しかし、二人は動かない。動けないのだ。目の前の濃密な死が足を震わせ、喉を詰まらせる。
塊がゆっくりと振り返る。二人は凝視していた。動きに刺激されてかピントを合わせて止まっていた眼球が機能を取り戻す。
塊は四足歩行のようだった。足は短い。
走馬灯が駆け巡る中、ゆっくりと振り返る黒塊。
それが完遂された瞬間、自分は死ぬのだと二人は理解した。
脳髄の悪あがきがもたらすスローモーションの中、塊の正体は少しずつ二人の前に晒される。
一瞬、二人は混乱した。
黒塊の正体は鼠だった。
脅威など感じるはずもない生物。しかし、そんな相手に自分たちは死を連想している。
恐怖をも超えた諦観のなか、幼い二人は自身の運命を受け入れた。
「っぶない」
二人は驚愕を取り戻した。ねずみが二人に飛びかかる刹那、一つの影が運命を吹き飛ばしたのだ。その影は二人の飼い猫の爪丸だった。
爪丸はひとまず安堵した。間一髪だが、二人を救うことができた。
「肝試しは中止。お姉ちゃんのほうに逃げて」
振り返らずにそう告げた。いや、振り返ることができなかった。
空中で蹴り飛ばされた黒色は未だ無傷なのだから。
爪丸の後ろ脚には、針金のようなモノが刺さっている。ねずみの強靭な体毛である。
「「ええ! しゃべったあ!」」
安心感が二人の口をほぐし、渋滞していた驚愕が殺到する。
そんな二人に目を合わせぬまま、猫は重ねる。
「説明は葉月にでも。今は逃げて。葉月に合流すれば安心だから」
混乱が二人の頭が支配するなか、本能は最適解を選択した。すなわち逃走のために足を動かしたのである。
後ろを向いて、足に力を込める二人、先ほどまでの緊張が嘘のようだった。
「あ…ありがとう爪丸」
混乱のなかで輝く理性が碧に発音させる。使命感にも似たそれは確かに感謝を響かせる。
「おうよ」と高まる緊張と集中力の中で呟くように返す爪丸。
それを合図にしたように、兄妹は一目散に姉のもとへ逃げ出した。
「タイマンだよ。爪吉くんに気付かれることなくここまで近づくのは取り巻きアリじゃ無理でしょ。てか喋れる?」
そんな軽口を叩きながらも、爪丸は油断なく見据える。相対するは最大の強敵、口調は軽いが、状況はあまりにも重い。
逃走をも視野に入れる爪丸。ここで仕留めたいが無理をして死んでしまっては最悪だ。ならば徹するべきは時間稼ぎ、そう考えて口を開く。
「狙いは次代の巫女だろう? もう雫ちゃんはみんなに合流しているころだ。そこには当代と僕の後輩がいる。千載一遇の好機をお前は逃したんだ。諦めて出直せば?」
会話を返してくれればさらに時間稼ぎができる。それだけを考えていた爪丸は、ガパリと開く鼠の口を見て笑みを浮かべる。しかし、その色は次の瞬間曇ることとなる。
「なぜ黒色が私だけだと?」
言語の体を成さない高不協和音。しかし意味は伝わる。
その言葉は爪丸を動揺に追い込み、戦いの火蓋は切って落とされた。
闇に沈んだ墓所、五つの光が殺到する墓所入口に碧と雫が照らし出された。その姿を見て安堵する一同。安堵で全身の力が抜けそうになるのを葉月は我慢し、二人を含めた六人と一匹に逸る心を抑えながら言う。
「超異常事態だからこれからこの場を離れる。わたしから離れないように焦らずゆっくりついてきて」
雫と碧、そして爪吉以外の四人もこの状況が命に関わる類のモノだと直感していた。しかし、パニックになることはなく、むしろ落ち着いていた。そして元凶に直面した二人も冷静さを取り戻している。
これは正常性バイアスが原因というわけではなく、この町の住人であることが原因である。町の住人はなぜか皆いつも冷静で感情のコントロールが上手いのだった。
そういうわけで、何の苦労もなく皆の意思は統一され、離脱へと足を向けた。
葉月と爪吉が予想通りの結果に安堵し、帰路に足を踏み入れようとしたその時だった。
「巫女と未熟の爪か」
耳鳴りに似た高音。ただそれだけの感想しか与え得ないはずの騒音がなぜか意味を為す。強烈な違和感があるはずなのにそれに気づいた者は一人もいなかった。なぜなら一同はそれ以外の感情に支配されていた。
「問題にはならんな」
眼前に現れしは恐怖そのもの。負の集約。ありえざる二匹目の黒い鼠。
ソレらは神話になぞらえられて“禍津神(マガツカミ)”と名づけられていた。
あとがき
初投稿です。拙作全数話の中編ですがよろしくお願いいたします。
面白ければ感想をどうぞ容赦なくお願いします。作者の心が狂喜乱舞します
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