第8話 おじさんはただ腕が痛い

「ケン! 絞るわよ! ニナお願い!」

「はい! 出でよ! 聖壁!」


 略式詠唱したニナは、光の壁を作り出し、相手の通り道を限定させる。


 人三人分がやっとのその幅に黒犬たちは炎を避けながら態勢を崩しながらも飛び掛かる。

 だが、そんな状況ではケンには格好の的でしかない。一太刀で首を落とされていく。

 絶え間なく波状攻撃で攻め立てる黒犬たちだが、それを超える速さで魔法で強化されたケンとリアが黒犬を撃退していく。


「ケン、剣を貸せ! そろそろ斬れないだろう!」

「ああ、頼む!」

「リア! 俺がけん制するから一度呼吸を整えろ!」

「は、はい!」

「ニナ! ケンの回復を」

「ええ!」


 ガナーシャもまた、必死に頭をフル回転させ、声をかけ続けた。

 光の壁はずっと続くわけではない。もう消えている。積みあがった黒犬達の死体の山の両側から襲い掛かる敵をケンとリアがそれぞれ対応し、ガナーシャはフォローし続けた。


「〈潤滑〉〈暗闇〉〈嫌悪〉」


 〈潤滑〉は滑りやすいという性質を持った魔力で相手の足元や手元を狙い滑らせるというもの。

 〈暗闇〉はただ黒色で粘性のある魔力を相手の目にくっつけるだけの魔法。

 〈嫌悪〉は不快にさせ視線を向けさせる魔法。


 低級の魔法を使い『いやがらせ』を続けるガナーシャ。

 あまりにも小さく戦闘が激しい為に誰も気づくことのない『いやがらせ』だが、それでも、確実に影響を与えている。


 滑り、見失い、苛立つ。

 滑ればこけて陣形を崩させ、見失えば誤って味方を攻撃したり運よく敵の方に向かえても空振る、苛立ては正常な判断が出来ずミスをしてしまう。


 敵を殺せない弱さだが、確実に死神の鎌を引き寄せる悪魔の悪戯。


 そして、そんな低級魔法を右手で放ちながら、左手は別の魔法を行使していた。

 それは〈弱化〉と呼ばれる魔法。


 ガナーシャの黒魔法は決して優れたものではない。

 最強の黒魔法の使い手、人魔王と呼ばれている【黒王】の百分の一程度の魔力しかない。

 黒王が敵百体の全身を弱体化させることが出来るが、ガナーシャの〈弱化〉は、指数本程度しか弱体化させられないだろう。

 だが。

 生物の身体とは全身が連動し動くもの。戦闘など命がけの状況では特にだ。


 いつもなら踏み込めている足の小指に力が入らない。 

 ぐっと噛みしめることが出来ず力が発揮できない。

 かくんとバランスを崩し行動できない。


 身体の違和感、そして、それに伴うストレスによる判断力の低下。

 それらはリア達のような強者と対峙する場合は命取りだ。


 その小さな黒魔法を、じっと動かずガナーシャは左手一本で操り相手の邪魔をする。


(アレの着地した右後ろ脚)


 黒犬は何もない所でこけて他の黒犬とぶつかりうまく連携出来ない。


(迂回して来るアイツの左前脚)


 黒犬はよろめきそのまま勢いを支えきれず壁に激突し次の行動が出来ない。


(ケンに噛みつこうとするのの右顎関節)


 黒犬は自分の顎に力が入らない違和感に気づき勢いを殺し後退してしまい攻撃出来ない。


(アレの右前脚)ふらつき飛び掛かることが出来ない。

(ステップ踏んでる左後ろ脚)筋をおかしくし満足に戦闘が出来ない。

(開こうとする顎)うまく開けず苛立ち集中出来ない。(ジャンプさせない、右後脚)飛ぶことが出来ない。(左前脚、右後脚、右前脚右後脚、左後脚、左後脚、右前脚、右後脚左前脚右前脚左後脚、右前脚顎右後脚顎左前脚右後脚右後脚左後脚左後脚右前脚、右後脚顎左前脚右前脚左後脚右前脚右後脚顎右後脚左前脚右前脚、左後脚右前脚顎右後脚顎左前脚右後脚右後脚顎……右後脚左前脚右前脚左後脚、右前脚顎右後脚顎左前脚右後脚右後脚左後脚左後脚左後脚右前脚右後脚左前脚右前脚左後脚右前脚左後脚右前脚右後脚顎左前脚右前脚左後脚右前脚右後脚顎右後脚左前脚右前脚左後脚右前脚顎右後脚顎左前脚顎顎顎右後脚右後脚左後脚右前脚右前脚左後脚右前脚顎右後脚顎左前脚右後脚右後脚顎……右後脚左前脚右前脚左後脚右前脚顎右後脚顎左前脚右後脚右後脚左後脚左後脚……左後脚、と)


出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない出来ない。


 その数、百体。


 広く全体をじいっとぼやあっと眺めながら小さく弱い〈弱化〉をとんでもない速さで夥しい数行使し続ける。


 魔力量も多くないため、邪魔出来るのは一瞬。

 踏み込みや着地の瞬間を狙い態勢を崩させると、黒犬同士がぶつかり混乱が起きる。


 だが、何が起きてもガナーシャは笑わない。ただじいっと観察し続けるだけ。

 細かく左手の指は動き、目はせわしなく黒犬を追い続ける。

 呼吸はほとんど乱れない。それは異常な光景。

 凪のように一切波立たぬ冷静な判断力と今まで培ってきた経験値、そして、それに伴い鋭く研ぎ澄まされた勘がぎりぎりの綱渡りの魔力操作を可能にさせた。

 凡才故に生まれた非凡な能力。


 ガナーシャは強くない。

 リアのように一撃で仕留められる魔法もケンのように縦横無尽に動き回り戦える強靭な肉体もニナのように傷を癒したり強化させる素晴らしい魔法も使えない。

 一人で黒魔法使いとして普通に戦えば黒犬一匹でも苦戦するだろう。

 しかし、弱いからこそ自分の役割を理解し、強い者を活かしうまく立ち回る。

 事実として、弱いガナーシャがいなければ、強いリア達もあっという間にやられていただろう。


 だが、ガナーシャが勘を働かせ敵を邪魔するならば、その邪魔を勘で感じ取る者もいる。


 それは一瞬の事。

 大きく後ろに回り込んだひときわ大きな黒犬が、一息ついたケン、そして、ニナの治癒を受けるリアの隙をついて飛び込んでくる。


「ガナーシャ!!!!!」

「…………」


 だが、ガナーシャは動かない。そのまま、すっと腕を差し出し黒犬に嚙みつかせる。

 メキリ。

 ガナーシャの右腕から砕けた音がする。が、その音を生み出す黒犬の大きな口は次の瞬間、断末魔をあげる。


「ばっかやろう!」


 噛みついた黒犬をケンが飛び込み一撃で首を落とす。

 だが、その顔は怒りに震えている。


「おっさん! 死にてえのか!? よけろよ!」

「大丈夫、死にはしないよ」

「くそが! イカれすぎだろ! クソおやじ!」


 ガナーシャは、才能がないからこそ何度も死線を潜り抜けてきた。

 それ故に、死への恐怖を何度も受け止め、死なないラインを冷静に淡々と見据えられるようになっていた。痛みに顔をしかめながらも、瞳に一切の揺れはない。

 死なないという確信がガナーシャにはあった。

 誰にも理解できない確信を持ったガナーシャの瞳には、その理解不能な狂気に満ちた男を見つめる若き剣士が。


「今、ケンが殺したのがおそらく黒犬の長だ。こっからは体力勝負さ。大丈夫? 出来る?」

「はああああああああああああ!? やってやんよ! くそがよおお!」


 ケンはガナーシャのその淀みない瞳に、全身の汗が噴き出しこの場の何よりも恐れを感じたが、声を上げ己を奮い立たせ、黒犬へと駆け出した。

 それに対し苦笑いを浮かべながら見送るガナーシャは、黒犬の長と自分の右腕一本であればおつりがくると考えていた。

 それに、


「ガナーシャさん、治療します」

「あー、ごめんね、頼むよ」


 掃討戦となったことでニナに余裕が出来、治癒魔法をかけてもらえるだろうから腕はすぐにくっつく。痛いだけだ。そう考えていたガナーシャは平然と砕けた腕を差し出す。


「はあああ、本当にひやひやします」

「いやあ、ごめんねえ」


 大きくため息を吐くニナにガナーシャは変わらず苦笑いを浮かべる。

 だが、すぐに間近に生まれた巨大な魔力の起こりと熱に顔を引くつかせる。

 どこにそんな魔力があったのかというほどの巨大な、そして、真っ黒な火球を生み出すリアの瞳は大発生の卵を捉えていた。ガナーシャの声は聞こえていないようでじいっと無表情で卵を見つめている。 


「……えーと、リアさん?」

「殺す殺す殺す、全部燃やし尽くしてやる」


 ガナーシャは目の前に光景に首を傾げる。

 彼女が何故こんなに怒っているのかが分からない。自分は死んでいないし、そもそもそこまで怒ってもらえるような存在ではないと思っていた。

 だが、確実にリアの怒りの原因は、ガナーシャの腕がかみ砕かれたことだ。

 そんな首を傾げるガナーシャの視線の先にいるリアも何故自分がここまで怒っているのか分からなかった。ただ、ガナーシャの腕に黒犬が噛みついた瞬間、心の奥底の何かが吹き出し溢れた。

 その溢れた何かを形にしたものが目の前の黒い火球だった。

 リアは、考えるのをやめた。いずれにせよ、


「悔いて、滅びなさい」


 燃やすだけだと放たれた漆黒の火球を初手と同じように防ごうと立ちはだかる黒犬をすべて焼き尽くす。そして、リアの魔法は卵に燃え移り、肥大化した部分を燃やし尽くした。

 そして、暴れるケンが長と守るべきものを失い弱り切った黒犬達の首を力任せに叩き折り大量の死体を血の海に浮かべた。


「えーと、めでたしめでたし、かな」


 ガナーシャは、目の前に広がる地獄のような光景に苦笑いを浮かべ、頭を掻いた。

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