◎2
プトラプテス王国首都シアワセの翡翠王宮内。
真っ赤な玉座に座るはこの国を統治支配するエメラルド大王。上品な厚手のローブを纏い、胸元には翡翠の宝石の胸飾りが輝いていた。そして何よりも頭部の黄金の王冠がその権威と高貴さを象徴していた。
「よう来てくれたな、
エメラルド大王が歓迎の意を示すがガラスの仮面を被った白スーツの男はひとり佇み、うんともすんとも言わない。その両肩には白い綿毛のような物体をそれぞれ乗せている。何人もの近衛兵が取り囲むエメラルド大王に対して謁見者はその男ひとりだけである。
「まあよい。で、このプトラプテス王国と手を結びたいということだったか?」
「…………」
「それにしてもオアシスダムの所有権を寄越せとは横暴が過ぎるぞい」
「…………」
「さっきから黙りこくってないでなにか申したらどうじゃ? これでは交渉にならんぞい」
あまりに無口な不審人物にしびれを切らしたようにエメラルド大王は言った。
するとガラスの仮面の男は不躾に言う。
「貴様がメジャイに我々がプトラプテスに来訪する情報を流していることは承知している」
そうあっさり看破されてエメラルド大王は冷笑した。事前にこのプトラプテスに偵察スパイでも送り込んでいたのだろうとエメラルド大王は内心当たりを付けた。
「ほう。ならばなぜわざわざ自ら罠に飛び込むような真似をするのだ?」
「こちらも事前に手は打ってある」
「ふむ、面白い。ならばこの都市で蠱毒をはじめようとな」
「一切違う」
「ほほう。ではなんぞな?」
エメラルド大王が問うとガラスの仮面の男は静かに答えた。
「一方的な殺菌だ」
それはどこかで聞いたような殺菌力のある言葉だった。
男の無味乾燥な言葉を聞いてエメラルド大王は声を出して笑った。
「あっはっは。よろしい、ちょいと化かし合いと行こうか」
***
長い地下迷宮を抜けるとそこは神殿だった。
「冒険・探検・大作戦だいなー!」
恐竜の着ぐるみを着たドラのすけは松明を持ち単独で遺跡調査に挑んでいた。太い石柱の間を元気よく猪突猛進して走り回っているととある壁に突き当たる。前方を照らすと顔が人間、体が獅子の羽の生えた
。巨大なスカラベから逃げる猫。そして文字の掘られた石盤などが散見された。
それらを見てドラのすけは首をかしげる。
「なんて書いてあるんだいな?」
「それは象形文字菌属の一種である
すると地下迷宮の別通路のほうからそんなかわいらしい声が聞こえた。ドラのすけがそちらに松明を差し向けて流し目を送ると、華奢な少女がいた。しかしドラのすけは違和感を覚える。なぜなら彼女は灯りらしきものを何も持っていなかったからである。その代わりといってはなんだが水色の粘菌が体に纏わり付いていた。少女の髪型はお団子ツインでまとめられており、真っ青なチャイナドレスを着用している。スリットからは網タイツの細い足がのぞき、花の刺繍靴を履いていた。水色の髪の少女は淡々と続ける。
「ヒエログリフ菌とは石盤などに文字を彫り、その状態を何十世紀ものあいだ維持して人の思いや願いを後世に伝えていく貴重な菌種。ちなみにここはソルトラ神殿というのです」
「詳しいな。おまえ、誰だいな?」
ドラのすけが尋ねると待ってましたとばかりに少女は自己紹介した。
「忍者警察考古学専攻のホコリ・シャンポリオンなのです」
「トランポリン?」
「シャンポリオンなのです!」
「おっけー!」
ドラのすけは歓迎するように両手を挙げてから負けじと大声で名乗る。
「おいらはドラのすけだいな!」
だいな……だいな……いないないな、とやまびこのように神殿に木霊した。
ホコリは一拍置いてから確信的に言う。
「ドラのすけさん、あなたはハートハザードの一員ですね」
「おいらを知ってるだいな?」
「ええ知っていますとも。だってあなたたちを逮捕しに来たのですから」
そして一気に緊張感が高まった。それからドラのすけがスフィンクスの小指の爪にもたれかかった――次の瞬間、ズゴン! とスフィンクスの小指が引っ込み、ズゴゴゴーッと、とあるギミックが作動した。
「おーっとなんだいなっ!?」
「ド、ドラのすけさん……いったい何をしたのです!」
「お、おいらは何にもしてないだい! ただスフィンクスにもたれかかっただけだいな」
「アイヤー! 絶対にそれなのですー!」
そうこう言っている間にも四方八方の通路が上枠からの石壁によってシャッターのように閉じられてしまった。こうしてものの見事に地下神殿に閉じ込められてしまった男と女。
さてはて、その運命やいかに。
***
ここはオアシスダム。この施設はエメラルド大王の命令によって建設された。当初は水質の悪い水を高く売る民間水道局から脱却し、国による徹底管理のもと水質の向上・安定化という名目だったが、いざ蓋を開けてみれば国家が水を独占する結果となった。
そして冷たいコンクリートダムの反り立つ壁の陰に隠れるようにしてタツノオトシ号が停泊していた。双子の
「なあフギン、あのピンク髪の
「なんだ、ムニン。もしかしてあの子のことが気になるのか?」
「そ、そんなんじゃないやい!」
「まあ何にせよ、クドゥー博士がロリコンでもなきゃ問題ないだろう」
「ロリコンなら大問題ってことか」
「そゆこと」
カラスのクチバシのように口のとんがったマスクを被った兄フギンと弟ムニン。フギンは金の羽扇、ムニンは銀の錫杖をそれぞれに装備し、黒い結袈裟を首から回している。背中に生えた漆黒の翼の片翼はもうひとりの片翼に貫通してクロスするように結合していた。そんな一心同体の双子を尻目にモルドジョーはダムの隙間から生えた名も知らぬ花を愛でている。
「モルドジョー、花に
「フシューフシュー」
モルドジョーは聞いているのかいないのか、背中に背負った酸素ボンベと一体型のガスマスクが唸りを上げる。
とそこへ、黒い影が忍び寄った。その人物は黒い警察帽を被っており、顔は目許以外を黄金と青の包帯で互い違いに覆っている。その包帯の隙間から赤い瞳がハートハザードらを鋭く睨みつけていた。もみあげ部分の垂れた包帯の先端には黄金の鈴がぶら下がり、チャリンと鳴るとそれに呼応するように胸元のアンク十字の鍵がまぶしく輝いていた。
「本官は忍者警察刑事部ヘリオ第一忍長、オシリス・フェニックスだ」
慣れた手つきで黒革の警察手帳を開くオシリス。そこには忍者警察のシンボルである三角錐の王嶽金字塔が輝いていた。
「おまえらをひとり残らず捕縛する」
そんなオシリスを待ってましたとばかりにフギンとムニンは挑発した。
「やれるもんなら」
「やってみな、おじさん」
「フシューフシュー」
そして花から目を離せないでいるモルドジョーは相対した。
オシリスは右背面に一本、左腰後部にもう一本の刀をL字クロスさせるかたちで差しており、どうやら二刀流使いのようである。包帯まみれの手でそれぞれ抜刀すると、右は順手持ち、左は逆手持ちといういかにも忍者風情の構えをとった。
「この刀は伝説の刀鍛冶、
オシリスは二刀の刀身の根元をキンと合わせた。
「いくぞ、
右刀をもう一方の刀の峰に沿わせたまま勢いよくこそぎ押すと、明るい火花が散った。刹那――それを火種として一気に燃え上がり、二刀の刀身はあっという間に炎に包まれた。
「この火炎菌は今まで数多の血肉を貪ってきた。本官に見つかったことが運の尽きだったな、双翼の結合双生児よ」
しかしそんなオシリスの言葉は双子の耳には残念ながら入っていなかった。
「「あっちっちー」」
汗をにじませる双子にオシリスは電光石火で近寄ると躊躇なく斬りかかった。
右の刀は兄、左の刀は弟。
「火焔菌――《
織り成す斬撃が二羽の烏天狗の頭を捉えた――かに見えた。しかし、間一髪のところでビューンッと暴風が吹き荒れる。双子はその暴風にさらわれたのちダムの中腹ほどの高さまで急上昇して、それからピタッと止まった。
「《
バサバサッと翼の片翼同士が結合した双子はお互いに片翼ずつ器用に羽ばたかせて、驚くべきことにホバリングしていた。
「残念だったなー、おじさん。ぼくたちは
「悔しかったらここまでおいでー」
挑発するフギンとムニンはピュンピュンッと自由に空を飛び回っている。そんな双子の言うとおりにオシリスは忍長装衣を脱ぎ捨てると、躊躇なくダムの壁を駆け昇った。
「「なに!?」」
目を丸める双子を無視してオシリスは壁を蹴りジャンプすると、弟のムニンに空中で斬りかかった。
「クゥカァ!」
ムニンは銀の
「ムニン!」
兄のフギンがすかさずムニンを抱きしめて空中で体勢をかろうじて立て直した。
「ムニン、だいじょうぶか?」
「だいじょうぶ……ッ!」
そうは言ってもムニンの手は赤く腫れており火傷を負っていた。双子はオシリスのヘリオ第一忍長の役職は伊達ではないことを再認識させられる結果となった。
オシリスはスタッと着地してからフギンとムニンを見上げると、
「フシューフシュー」
と、横から耳障りな呼吸音が聞こえる。
オシリスは横目を使うと、そこにはダムに向かってかがみ込む大男がいた。
「おまえ、戦う気はあるのか?」
オシリスは右の刀の切っ先を向けて問うが、モルドジョーは名もなき花の前から動く気配を見せない。するとオシリスの構えた刀身からパチパチと火の粉が飛び散った。そのうちの火の粉のひと粒が不幸にも一輪の花に触れた瞬間、ボワッと火が燃え移ってしまう。メラメラと一瞬にして炎が花を食い尽くしてしまい、あとには黒い燃えカスだけが残り風に吹かれて消えていった。
しかし一輪の花には気にも留めずにオシリスは話しかける。
「おい、おまえ聞いてい――」
まさにそのとき、炎刀の火が揺らめいた。目の前の大男から不気味な気配が醸しだされ始めたのを感じて、オシリスは後ろに飛び退く。
なんだ、この殺気は……。
オシリスは怪訝な眼でモルドジョーを睨んだ。
瞬間、オシリスの刀の炎が蝋燭の灯のようにフッと消えた。
「……なに?」
オシリスが驚いたのも束の間。
「――ッ!?」
直後、オシリスは息ができなくなった。いや、正確には呼吸はできているのだが肺が酸素を取り込めていない。刀の炎が消えたことからみてモルドジョーの保有菌をオシリスは類推する。
「
オシリスの予測したとおり酸素菌の保菌者であるモルドジョーは周囲の大気中の酸素濃度を低下させていた。それに気づいたと同時にオシリスは息を止めたまま駆けだしていた。一刻も早く薄い酸素圏を突破しなくてはオシリスも火焔菌も息ができない。しかしいくら走ってモルドジョーから距離を取っても低酸素状態は変わらなかった。
「どういう、ことだ……!」
そこで絞り出すように枯れた声を出してオシリスが空を見上げると、一匹の烏天狗があざ笑っていた。
「疾風菌――《
フギンは金の羽扇を煽って風を操り、低酸素エリアごとピンポイントでオシリスを追いかけていたのだ。そんな単純なことに今さら気づくとは酸欠状態で思考能力が落ちていることをオシリスは自覚する。こうなれば酸素菌を操る保菌者を仕留めようと駆けだそうとした――まさにそのとき、ビュンッ! と黒い塊がオシリスを殴打した。
「おじさん、どこに行く気? ぼくと遊ぼうよ」
烏天狗双子が襲いかかり、ムニンのほうが銀の錫杖を持って空中からヒットアンドアウェイの連続高速攻撃をしかけてくる。フギンは風を操り、ムニンは直接攻撃するという二人の息の合ったコンビフォーメーションが完成していた。
「クッ!」
オシリスはかろうじて刀で受けることしかできずハートハザードの見事な連携にしてやられ防戦一方となった。
「おじさん、火が使えなきゃ何にもできないんだね」
フギンの左翼とムニンの右翼が蝋で固めたように結合しているにもかかわらず、自由闊達なコンビネーションで空中を飛び回る双子だった。
「じゃあこれで決めようかな」
そう言ってムニンが錫杖の切っ先でオシリスの瞳を啄もうとした――その次の瞬間、シュールルル! チャリン! と、突如オシリスの顔に巻かれていた警戒色の包帯が解けた。それから包帯は生き物のように蠢きだして四方八方に伸びるとムニンの漆黒の右翼に絡まり捕らえた。
「ムニン!」
続けて、隣で叫ぶフギンにも包帯の魔の手が伸びる。あっけなく絡みつかれ墜落させられると、立て続けに地上のモルドジョーの片腕にも包帯が巻きついた。シマヘビのように身体を這い上がってホールドするとあれよという間にミイラのような包帯人間が三体できあがった。
顔の包帯がほどけるとオシリスの赤髪と赤ひげが露わになる。短い息を吐いて言う。
「世界の基本理念は三つ。生存競争。自然淘汰。適者生存」
こうしてオシリスはハートハザードのメンバー三人を一網打尽にしてしまった。
しかし、フギンは納得がいかない。菌臓には一種類の菌種しか着床できないはずである。菌の保菌者はひとりひとりが菌という名の国家を体内に持つようなもの。隣国とトラブルを起こさない国なんてない。菌同士がぶつかれば、それはもはや戦争だ。二種類の菌を宿すとなれば自らの体内がたちまち戦争地帯になってしまうはずである。
「どういうことだ。なぜ二種類の菌を飼っている?」
「それはな」
オシリスはフギンの当然の質問に警察帽を被り直して伏し目がちに答える。
「本官が菌臓移植手術を受けたからだ」
「菌臓移植だって……?」
「そうだ。今は亡き
胸部の包帯が解かれるとオシリスの褐色の肌が露わになり白い火傷の痕がのぞく。その火傷に混じるような右胸の手術痕が当時の悲痛さを物語っているように見えた。
「無駄口は終わりだ。神妙に縄につけ」
黄金と青の包帯を巻き直しながらオシリスは最後通牒を言い渡した。
するとそこで。
「モルドジョー! 今だ!」
フギンが叫んだ瞬間、またもやオシリスは呼吸不全を引き起こした。しかし先ほどとは症状が違う。息を吸った途端体内から冒されるような不快な感じだった。
「おじさん、実は高濃度の酸素は人体に有毒だって知ってたかい?」
今度は逆にオシリスの周りの大気中の酸素濃度がべらぼうに高くなっていた。それは刀の刀身の先端からじわじわと酸化して錆びが浸食するほどである。
だが、それがどうした?
オシリスはつまらなく思った。
「無駄な抵抗はよせ」
オシリスがそう呟いた次の瞬間、褐色の肌に縦横無尽に走る血管が赤く燃え盛り、今度は逆に火焔菌が息を吹き返す。血中酸素濃度が低くなれば血液は黒ずみ唇や末端部は青紫色に変わるのとは対照的に、血中酸素濃度が高くなればなるほどに血は赤く輝くものだ。現在オシリスの血液中では赤血球と火焔菌が酸素を互いに奪い合っていた。
オシリスは不死鳥之命の二刀はボワッと烈火のごとく燃焼して赤茶けた錆びを燃やし尽くすと、刀身は焼け焦げて新しく黒刀に鍛錬された。
「酸素なぞ所詮は火焔菌のエサに過ぎん」
業を煮やしたようにオシリスは返す刀で包帯に火を燃え移した。導火線代わりの包帯をメラメラと炎は伝っていき、身動きの取れない双子とモルドジョーにじりじりと向かう。
「フギン、たーすけーてー」
「フシューフシュー」
いくら導火線に息を吹きかけても現状を打破するのは困難を極めた。
絶体絶命の死に体だ。
炎が迫り「ここまでか」と、兄フギンがカラスの丸焼きにされる覚悟を決めかけた――刹那。
ボンッ! ボンッ! ボンッ!
と、肉体に点火される手前で導火線の包帯が爆発した。包帯の呪縛から解放されて自由の身になったフギンが空を見上げるとダムの縁上にとある人物が立っていた。
黒猫面の目許には翡翠の瞳がのぞき、身に纏った黒装束からはベールのような
「這いよる混沌――ニャルラトホテプ」
オシリスは猛禽類のような鋭い眼光で睨みつけた。
「この裏切り者が」
「…………」
這いよる混沌は闇に紛れる黒猫のように、それに黙して答えるのだった。
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