第5菌 砂の王国プトラプテス上陸

◎1

 炎天下のサラサラ砂漠をとある風変わりな一行が歩いていた。


「喉がカラカラだ」

「もうすぐでオアシス都市シアワセに到着するはずです」

「ニャーン」


 瓢箪ひょうたんの水筒の中身も残りわずかである。キンタロウ、アルコ、カビルという三者の視線が交錯した。まさにそのとき水筒を提げていたラクダが反旗を翻し、首をめいっぱい伸ばして瓢箪の水筒の飲み口を咥えると、器用に栓を外したのちガブガブと水を飲んでしまったではないか。


「このバカラクダが!」


 キンタロウはラクダから瓢箪を奪い取るが惜しくも中身は空だった。崩れ落ちるキンタロウの横で砂漠には似つかわしくない白衣姿のアルコはぶつぶつ呪文を唱えている。


「もうすぐでオアシス都市シアワセに到着するはずです。もうすぐでオアシス都市シアワセに到着するはずです」

「……あんた、呪文のみたくそれしか言ってねェぞ。だいじょうぶか?」

「ニャーン」


 怒る気力も失せてしまったキンタロウの灰色のつなぎは汗でまだら模様になっていた。うだるような暑さの中キンタロウは灼熱の砂をざっと掴む。


「まさかこんな一面砂だらけの国があるなんてな」


 瞬間、突風が吹いた。砂が舞ったのちキンタロウが薄く目を開けると、蜃気楼がムワーンと晴れて突如眼前に立派な都市が出現した。


「おいおい、なんか出たぜ」


 そんな驚嘆の声を漏らすキンタロウの背後でドサッと倒れる音がする。キンタロウが振り返るとアルコが倒伏して砂に顔を埋めていた。


「しっかりしろ! 先生!」


 キンタロウが駆け寄るとアルコはうわごとのように繰り返した。


「もうすぐでオアシス都市――」

「ああ、そうだ! そのシアワセに着いたぞ!」


 熱中症と脱水症状で意識レベルの低下しているアルコを背負い、キンタロウは砂漠のオアシスを目指した。そしてしばらくしてアルコは意識が朦朧とするなかキンタロウの切迫した声が聞こえる。


「おっちゃん、水くれ!」

「そんなもんあるわけねえだろ!」

「なんでだよ! ここはオアシスなんだからあるに決まってんだろ!」


 怒れる灰色の男を無視し続けるおじさんだったが、その背に背負ったアルコを見て目を剥く。正確にはアルコの首から提げていたものを見ていた。


「その青い笛は……」


 そして一呼吸置いてからおじさんは得意げに鼻を鳴らした。


「おし、水だな! へいお待ち!」

「お、おう。ありがとな、おっちゃん!」

「いいってことよ。それにしてもえらくタッパのあるお姉ちゃんだな」


 大きなお世話だ。

 そう心の中で愚痴るアルコにキンタロウが陶器製のコップに入った水を飲ませると、ゴクゴクと喉から潤いが広がっていく。


「ぷはぁ!」

「先生、どうだ?」

「はい。キンタロウと店主のおかげで生き返りました。ありがとうございました」


 アルコはお礼を言った。

 すると八百屋のおじさんは信じられないというふうに言う。


「まさかあんたたちサラサラ砂漠を越えてきたのか?」

「あーそうだよ。悪いか?」


 額に汗をにじませたキンタロウは嫌みっぽく言ってから一息ついて注文する。


「おっちゃん、俺にも水くれ」

「悪いが断る」

「なんでだよ!」

「ここだけの話、この国は万年水不足なんでな。いやこの国だけじゃねえ、世界中は竜痘の汚染によって深刻な水不足に悩まされてんだよ。水を奪い合う戦争、通称水戦争ウォーターウォーが世界各地で起こってるっちゅう話だ」


 店頭にはカラフルな果物や野菜が並んでいるがどれもしおれて水気がなかった。

 水不足というのは事実らしくアルコはふと気になったことを質問する。


「おじさま、この国には砂漠の泉オアシスがあるのではないのですか?」

「あるよ。けどな悪いこたー言わねえ、エメラルド大王が即位してからというもの……オアシスにダムを建設して水を独占してやがんだ」

「なんですって」


 アルコは口元を押さえる。

 そんな貴重な水をどうして流浪ながれのアルコにくださったのだろうか。


「お姉ちゃんのその笛……あんたどっかよその国の王族だろ」


 八百屋の店主が目ざとく言い当てると、アルコが答えるよりも先にキンタロウが訂正する。


「勘違いしてんなよ。こいつは今や亡国の王女だ」

「まだ滅亡してませんから!」

「そしてその真の正体は酔っ払いの無免許医だ」

「ややこしくなるからやめて!」


 アルコは言い含めた。

 今度はキンタロウに脱水症状が出始めているのかもしれない。


「なんでい、助けて損したぜ」


 店主にそんなこと言われてお嬢様のアルコは黙っていられるわけがなかった。


「おじさま、果物を全部いただけますか」

「お、おう。そうこなくっちゃな。毎度あり!」


 アルコはオレンジ、マスカット、マンゴー、イチゴ、スイカ、サボテンの実、イチジク、ザクロを購入した。おもむろに白銀のアタッシュケースを開く。お目当てのメスを取り出すと持ち前のメスさばきでフルーツをカットし、八百屋のおじさんに借りたミキサーでトロピカルジュースを作った。


「そんな質の悪い癖に高級な果物買うんじゃねェよ。もったいねェ」

「質が悪くて悪かったな」


 つべこべ言うキンタロウに八百屋のおじさんは鼻白んだ。アルコは干からびたキンタロウの口にジュースを含ませると残り半分というところでキンタロウはヒョイッと飲むのをやめた。それからヒトコブラクダとカラフルな毛玉に目線を向ける。


「あとはカビルとラックのぶんだ」


 カビルとラックは喜んでペロペロベロベロと水分補給した。

 こうして一行は一命を取り留めた。中央市場には服、食べ物、民芸品などを売っている店が多数を占めており、ある程度の賑わいは見せていた。しかしその人々は一様にマスクをしていなかった。別にそれは暑いからという理由だけではない。


 この国では地形学的に強い風が日夜吹いているため万年雪は降っておらず、マスクをせずとも自然からの竜痘感染は抑えられている稀有な土地だった。これもオアシスと呼ばれる所以なのだろう。上空からプトラプテスに入国する場合は周辺の砂漠地帯の独特な気流を読み迷路のような暴風陣を突破しなくてはならない。地上から入国する場合は過酷な砂漠地帯を超えなくてはならず、つまりはプトラプテスを取り囲む砂漠は自然の要塞なのだ。

 アルコはメスをアタッシュケースに戻す際にと目が合った。


 それは竜爺の形見だった。


 あの日、すべてが青く燃えた芥子ケシの焼け野原で奇跡的に焼け残ったものを回収したのだ。大切なものなのでキンタロウの代わりにアタッシュケースの中に保管しているのである。なんとはなしにアルコは竜面を手に取った。そしてふとキンタロウを見やると彼は剣呑な眼光のまま街中を睨みつけていた。


「キンタロウ、どうかしましたか?」

「いや……だいぶ蔓延はびこってんな、こりゃ」


 街中には黒尽くめの装束を着た者たちが多数散見された。


「あんちゃん、悪いこたー言わねえ。虫が知らせるぜ」


 意味深なことを言うだけ言って、八百屋のおじさんは店じまいをしてしまった。それに続くように市場の出店から人の波がサーッと引いていく。乾いた空っ風が吹くとアルコは手を滑らせてカランカランと竜面を地面に落としてしまった。


「なにやってんだ。大事な形見を……」

「す、すみません」


 キンタロウは警戒しながらも地面に落ちた竜面を拾おうと左手を伸ばした――まさにそのとき、ガッと何者かに手首を掴まれた。キンタロウが顔を上げると、とある二人組が目に入った。

 そのうちのひとりは水色の髪に真っ青なチャイナドレスを着た少女だった。頭には黄金と青の横縞模様の巾着を被せたお団子がふたつあった。

 そしてもうひとりは黒い警察帽を被った男で顔と身体中に黄金と青の警戒色の包帯を巻いていた。もみあげのように垂れた左右二本の包帯の先端の鈴がチャリンチャリンと鳴る。こちらがキンタロウの手首を掴んでいた。しかもものすごい力である。


「なんだてめェ」


 キンタロウがガン飛ばすとその包帯男は答える。


「我々は忍者警察だ」

「忍者警察?」


 キンタロウは眉をひそめるが、しかしアルコはその機関名に聞き覚えがあった。


「忍者警察……ですか」

「先生、知ってんのか?」

「え、ええ。私も本で読んだ程度の知識ですが……」


 アルコは記憶を掘り起こす。


「忍者警察は世界の治安を守る機関であり通称メジャイや忍警と呼ばれています。本拠地には黄金に輝く王嶽金字塔おうがくきんじとうがそびえ立っているらしいです」

「国際安全維持機構ってわけかよ。くだらねェ」


 そんなものとは縁遠い生活を送っていたキンタロウが知らなくとも無理もなかった。それにしても見た目でいえば、どう考えても怪しいのは向こう側だった。

 包帯男は訝しげに言う。


「その奇妙な面、貴様らハートハザードの一味だな」

「ああ? ちげえよ。よりにもよって一番むかつく勘違いしてんじゃねェよ」


 反抗的なキンタロウに対して包帯男は背中に交差するように差した二本の刀のうちの一本に手をかけた――その次の瞬間のことである。ボワッと火の粉が舞い散り辺りに炎の渦が巻いた。


「なんだ、こいつ……!?」


 キンタロウとアルコは瞬時に戦闘態勢に入った。キンタロウは掴まれてる左手とは反対の右手を握り込むとブワァーと麹菌が大繁殖した。アルコも拳をアルコール菌で湿らせるが濡らした傍から炎の熱によって揮発というか蒸発していた。三者三菌がにらみ合い一触即発の空気が漂うなか、突如ヌメヌメした水色の触手がとりもちのように三人に絡みついた。


「うわっ! なんですか、これ! 気持ち悪い!」


 アルコはグミのようにブヨブヨとした水色の物体から逃れようと足掻くが、暴れるほどに絡まっていった。どうやらこの物体は生物のようでドクンドクンと脈打っていた。

 そんなアルコに構わず包帯男はチャイナドレスに尋ねる。


「ホコリ、どうだ?」

「ええ。その男性の発言に嘘はありませんなのです」


 ホコリと呼ばれたチャイナドレスの少女は目を閉じたまま答えた。というか目を開けているのか閉じているのかわからないほどの糸目だった。


「ネンちゃん、もういいなのです」


 ホコリがそう言うと、水色のネチャネチャの物体はチャイナドレスのスリットの暗闇の中に消えていった。それから包帯男はキンタロウの手首から手を離した。


「悪かった。俺の勘違いだったようだ」

「勘違いしてんじゃねェよ」


 キンタロウは軽く火傷を負った手首をさすった。そして質問する。


「つーかなんでハートハザードと勘違いしたんだよ?」

「ふん。ハートハザードは犯罪活動時、奇妙な面を被っているからだ」


 包帯男は言い訳めいて答える。そののち、さまざまな仮面の写った指名手配書をアルコに差し出した。


「ハートハザードを見かけたらすぐに通報しろ。奴らはひとりひとりが高い戦闘能力を有しており非常に危険だ」


 言い慣れたふうに定型句をなぞってから包帯男はアルコたちに威圧的な一瞥をくれた。そしてもうひとりのパートナーに向き直った。


「ホコリ、散るぞ」

了解アイワ


 ホコリがそう答えた瞬間、ボンッ! と煙とともに忍者警察は立ち消えてしまった。

 キンタロウは煙に目を細めて「ゴホゴホッ」と咳き込みながらも笑みを浮かべて呟く。


「ハートハザードの奴らやっぱりこの国に来てやがったか」

「そうみたいですね」


 アルコたちは嵐の前の静けさの中に取り残された。今まさにこの都市で何かが巻き起ころうとしていた。


 

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