◎3

 わたしはタバコの副流煙で薄く目を醒ました。薄暗い室内を見回すとモニターや化学薬品が所狭しと並んでいる独特の部屋の匂い。それに混じってコーヒーサイフォンがコポコポと鳴っておりその前に白衣を着用した人物を見つける。

 その黒髪短髪の人物は先端の湾曲した鑷子ピンセットで紙巻きタバコを器用に挟み、もう片方の手には灰皿代わりのビーカーが握られていた。ピンセットで摘まんだタバコを器用に喫煙すると先っぽが赤く灯る。


「やっと目覚めたようだね、眠り姫」

「えっと……どちらさんかいな?」


 わたしが尋ねると白衣の男は名乗る。

「ぼくはDrドクター.クドゥー。しがない科学者だ」

 怪しい科学者は軽く自己紹介を済ませるとタバコをピンセットのU字カーブに嵌めてビーカーの中にピンセットを立てかける。ビーカーの縁でタバコが蚊取り線香のように絶妙な均衡バランスを保っていた。


「きみの名前は?」

「あっ、セツはセツナヒメ……火山灰、雪菜姫」

「そうか。いい名前だね」

「そいはありがとうばってん、ここはどこ?」

「ここは600メートル上空」

「じょーくう?」


 セツは団地育ちなので高所には慣れているつもりだったがそれでもせいぜい地上30メートルである。


「イエス。飛行船タツノオトシ号内のぼくのラボラトリーなのだよ」

「……タツノオトシ号」

「ちなみに船体横には『H2』と書いてあるが、この飛行船は水素じゃなくてヘリウム菌の生成したヘリウムで飛んでるから安心したまえ」

「はあ」


 正直セツはそんなことはどうでもよかった。自身の着用している水色の患者服を見下ろしながら尋ねる。


「えっと……セツは団地が倒壊してからの記憶がいっちょんなかとばってん?」

「それも無理はない。なぜならきみの故郷のディカリア王国は竜災に遭って壊滅状態になったのだからね」

「えっ……」


 セツは絶句した。そして当然の疑問が脳裏をかすめる。


「うちのおにぃは無事と?」

「さあね。安否は不明といったところだ」

「そう……ね」


 きっと生命力の強い兄は生きてるだろうことは心配していなかったが、セツのことを心配しているだろうことをセツは心配していた。

 それからセツは深々と頭を下げる。


「助けていただいてありがとうございました」

「実は助けたんじゃなくて逆に助けてほしかったりするんだがね」

「どがん意味と?」


 セツが飲み込めずにいるとクドゥーは衝撃の事実を告げた。


「我々はハートハザードという練菌術師の組織だ。そしてきみはぼくたちに拉致された」

「えっ、なんそい?」


 セツが驚くとクドゥーのぐるぐる眼鏡が怪しく光る。


「でも、どがんしてセツば拉致せんばならんと……」

「きみが特別だからさ」

「特別って……セツはただの竜痘で――」

「違う」


 クドゥーはきっぱり否定すると、ふところから丸いコンパクトミラーを取り出した。セツの勝手な科学者のイメージと違って意外にも身だしなみを気にするタイプなのかもしれない。


「鏡を見てごらん」


 鏡を受け取りおそるおそるセツは鏡をのぞき込む。実はセツは鏡が苦手だった。なぜならこめかみに竜痘患者特有のあばたがあるからである。しかし薄目で鏡をのぞき込んだセツは面喰らってめを見開く。そこにはおよそ自分とは思えない美少女がいたからだ。


「竜鱗のカサブタがなくなっとるやんね」


 処女雪のようなきめ細かい肌の懐かしい感触を確かめるとまるで生き別れた双子に会ったような感覚だった。それから今度はセツは口元を押さえる。


「あっ、セツのガーゼマスクはどこにやったと?」

「もう捨ててしまったよ。あんなたいして効果の薄い粗悪なマスクなんか」

「そこまでいうと?」


 セツは愛用のマスクを勝手に捨てられて傷ついた。

 しかし今はそれよりも。


「そいじゃクドゥー博士に竜痘ば伝染うつしてしまうかもしれんとばってん」

「その心配はない。どういうわけか今のところきみの竜痘は完全抑制状態にある」

「ん? セツが……免疫ば獲得したってこと?」

「それはわからない。きみの超回復の一件との関連性も考えなければならないのだよ」

「超回復?」

「無自覚か……。であれば、どの年齢から回復力を発揮しだしたのかも疑問だね」

「そいは知らんばってん。セツは生まれてこのかた大怪我っちゅう大怪我ば負ったことがなかけん」

「セツくんは過保護に育てられたようだね。なら原因究明のため今後詳しく検査させてもらいたい」


 クドゥーはぐるぐる眼鏡をカチャッと押し上げた。

 セツは何をされるのだろうと警戒しながら思い当たることを口にする。


「そういえばセツのおにぃは獲得者やったばってん、関係あっとかいな?」

「きみの実兄が……。でもそれならセツくんが今までなぜ免疫を獲得できなかったのかが気になる。うまく免疫が機能しなかった理由は何なのか」

「さあ?」


 セツが首をかしげるとクドゥーは質問を重ねる。


「ところでセツくん、きみの保有菌はなにかね?」

「えっと特になかとばってん」

「無菌者……モルド出身ではまずありえないね」

「どがんして?」

「簡単なことだ。モルドなんて菌の温床だからさ」


 クドゥーはあっけらかんと答えた。


「セツくんは実兄から相当大切にされていたようだね」


 セツはなんとも言えない顔になる。


「しかし保有菌の仕業ではないとすれば、不衛生な環境そのものが原因か。あるいはなにか食べたときに体調を崩したりしなかったかい?」

「そがんこと急に言われても……。うちのおにぃは麹菌の保菌者やったけん、毎日食卓にお味噌汁は並んどったばってんが……」

こうじ菌……アスペルギルスか」


 クドゥーは考え込んだのち、とある仮説を打ち立てる。


「もしかしたらセツくんの竜痘が治らなかったのはきみの実兄のせいかもしれない」

「おにぃ?」

「そう。すべては前提から間違っていたんだ」


 若干興奮気味なクドゥー。


「クドゥー博士、つまりおにぃが悪い菌ば媒介しとったってこと?」

「いや、違う。媒介してたんじゃなくて培養してたんだ」

「え?」

「セツくんの実兄それ自体が悪玉菌だったというわけさ」

「どーゆーことかいっっちょんわからん」


 ちんぷんかんぷんなセツにクドゥーはもったいぶるのをやめて喝破した。


「セツくん、きみはもしかしてだったのではないのかね?」

「え……ええ!?」


 思いもよらぬ博士の見解にセツはつい大声を上げた。


「そもそもセツくんには竜痘を抑制するポテンシャルがあったにもかかわらず、麹菌アレルギーによってセツくん本来の回復力が抑えられた。そのせいで竜痘がいつまで経っても不活化できなかったのだよ。これで一応の辻褄つじつまは合う」

「なるほどばってん……どがんやろ」

「もちろん他の食材のアレルギーの可能性も大いに考えられるが」


 その検査もおいおいなのだろう。もし本当にセツが麹菌アレルギーなのだとすれば……。

 もう一緒にいることはできない。おにぃの作ったお味噌汁も竜痘が治るまでは飲めないことになる。もしかしたら一生飲めないかもしれない。

 セツにとってそれはとても悲しいことだけど……。

 それにしても。


「ぷっ、ぷあはははっ!」


 そんなふうに急に噴飯するように笑うセツにクドゥーはすこし面喰らったように尋ねた。


「何かおかしいかね?」

「んにゃ、なんかおにぃらしかなぁって。昔からやることなすこと空回っちゃうとよ、うちのおにぃ」


 それはまるで噛み合わない歯車のように。

 涙をぬぐうセツを見ながら、クドゥーは科学者として真摯に言う。


「誓って、ぼくは被験者に虚偽の報告はしないと約束するよ」

「うん。セツはクドゥー博士ば信じるたい」


 何にせよ、今のセツには選択肢はない。

 クドゥーは本当か嘘かわからない様子で情報を開示する。


「それから言い忘れていたが、我々は竜痘菌ワクチンの研究開発をしていてね」

「そいにセツが協力しろって話やろうもん?」

「イエス。賢い子だ。ワクチン開発が成功した暁にはきみを解放して故郷に帰すことを約束しよう」

「よかよ」


 二つ返事でセツは答えた。どうせ帰る場所はなく帰る必要もない。心のどこかで袋小路のような日常が壊れてしまえばいいと望んでいたのだ。


「セツくん、恩に着る」


 そう言ってから、クドゥーはガラス風船型のコーヒーサイフォンに手をかける。


「そういえばまだ飲み物も出してなかったね。セツくんはコーヒーでいいかね?」

「なんでんよかぁ」

「まあ淹れ物はビーカーしかないんだがね」


 クドゥーはニタニタと笑いながらサイフォンのフラスコに入ったコーヒーを付近のビーカーに注ぐ。すると数秒後、みるみるうちにビーカーから紫色の煙が立ちのぼり始めたではないか。


「えっと……博士、だいじょーぶと?」

「イエス。これは非常にまずいね」

「え?」


 クドゥーとセツが顔を見合わせた――その次の瞬間、ボムンッ! と、コーヒーが爆発した。研究室内は爆煙に包まれ、ケホッケホッとアフロ頭になったセツは咳き込む。クドゥーはヒビの入った丸眼鏡を押し上げると、自作のシガレットケースから最後の一本のタバコをピンセットで摘まんだ。懐からマッチ箱を取り出し、中のマッチ棒を器用にこすりタバコに火を点けた。


「煙が目に染みるねぇ」


 最後の一服をすると次第にタバコは灰に侵食されていき、ついにはポトリと床に落ちた。


「セツくん、研究室を出て左に進んだ突き当たりの食堂に行きたまえ」


 クドゥーの言葉(遺言?)通り、消化器官のように配管の張り巡らされた通路を進むとセツは両開き扉の前にたどり着く。意を決して開け放つと、中は煌びやかな装飾の施された部屋であり瀟洒な蝶々のシャンデリアとヤタガラスの燭台、そしてサンゴのアクアリウムが展示されている。大きなキノコの円卓に小ぶりなキノコの椅子が合わせられており、その椅子にはハートハザードと思しき面々が並んで座っていた。

 一斉に新参者への警戒の視線が集まるなか、ひとり巫女装束を着た女性が立ちあがる。


「ようこそ初めまして」


 そう言って、その人物はズカズカと目の前まで歩いてくると突然セツを抱きしめた。


「ちょっ、なんばしよらすと!?」


 セツは戸惑いの声を上げるも顔面がその女性の胸に押し潰されて呼吸ができない。


「あっ、ごめんごめん。かわいくって……つい」


 その人物は正気を取り戻したようにセツから離れて自己紹介する。


「あたしの名前はアーカーシュ・アラガキ。一応ハートハザードのナンバー2をやらせてもらってるわ」


 アーカーシュと名乗ったナンバー2の女性。髪型は茶髪のストレートで枝毛ひとつない。しかし真に特筆すべきは、頭に樹枝状の二本の紅い角が生えていることだった。その珊瑚のような二本の角には純白の鈴緒が結ばれている。


「んっ? なんか焦げ臭い?」


 アーカーシュはくんくんと鼻をヒクつかせると角の色が鮮やかな紅から紫に色づく。先ほどのコーヒー爆発事件のにおいを嗅ぎつけられそうになったので、なぜかあわてて誤魔化すようにセツも自己紹介をした。


「セツは……火山灰雪菜姫です」

「セツちゃんね。よろしく。うちの他の連中も紹介するわ」


 と、アーカーシュはメンバーたちに水を向ける。


「そっちの恐竜の着ぐるみを着たのがドラのすけ。短くしてドラとか呼ばれてる」

「よろしくだいな」


 しかし挨拶するドラのすけの顔は恐竜の着ぐるみのギザギザの口に隠れてうかがえない。


「マッドサイエンティストの魔の手からよく生還できただいなー」

「マッドサイエンティスト?」

「クドゥーのことだいな」

「別にセツは何もされとらんばってん」

「ま、知らないのが幸せだいな」


 セツは意味ありげな怖いことを言われた。

 それからドラのすけは七時の方角に座る黒い軍服の女性に話を振った。


「そっちのナナセが加入したばかりのときなんて――」

「黙れ。殺すぞ」


 ナナセと呼ばれた女性はドラのすけを遮って睨みつけた。

 彼女は軍帽を被っており首には黒のチョーカーを嵌め、漆を塗ったような黒髪が肩に垂れている。裾の長い軍服からは女性が持つにはいかつい二挺拳銃がのぞいていた。足下はコンバットブーツで固め、太ももには黒光りした軍用サバイバルナイフを携帯している。


「彼女は元軍人の橋本七瀬はしもとななせちゃん」


 アーカーシュは紹介を続けた。


「そしてドラの隣でフシューフシュー言ってるのがモルドジョーね」

「フシューフシュー」


 モルドジョーは室内にもかかわらず一体型のガスマスクを着用している。口元のチューブは背中の二本の酸素ボンベに繋がっている模様。

 アーカーシュは手慣れた様子で紹介を続ける。


「そしてお次は八時九時の位置に座ってるのが双子の世界竜予報士――フギンとムニン」

「主に世界竜の動きと気象予報を組み合わせて――」

「――この艦を運航しているよ」


 瓜二つの双子兄弟は同時に挨拶をした。

 頭には頭襟ときんを被り漆黒の山伏やまぶし装束に身を包み、足下では一本下駄を鳴らしている。そして何よりも目を引くのは背中に生えた黒い翼だった。しかもその黒い翼は片翼同士が結合していた。どうやらこの双子は世にも珍しい烏天狗の結合双生児だった。


「双子の見分け方としては左側の金髪で金の羽扇はねおうぎを持っているほうが兄のフギンで、右側の銀髪で銀の錫杖を突いてるのが弟のムニンって覚えてね」


 アーカーシュが丁寧に双子の見分け方まで説明してくれたが翼が結合しているのだから立ち位置は変わらないのでセツは間違えることはなさそうだった。そこで奥の扉から料理を載せたカートを押す人物が現れた。人物……といっていいのかは、はなはだ微妙ななりをしている。というのもその人物は赤地に白い水玉模様のキノコだったからである。


「料理できたんこ~」


 白いコック帽を被りコック服を着たキノコが何食わぬ顔で料理を配膳している。

 というか、メイク濃いな。それがセツの第一印象だった。

 つけまつげ長っ!


「彼はシャベリ菌に感染したキノコのマッシュパッカー。この飛行船のコックよ」

「んまっ、アカ子、この未通女おぼこだれよ?」


 マッシュパッカーと呼ばれたキノコは縦に扁平な鼻の繊維が意地悪く歪んだ。


「まあいいわ。手始めに雑用からやってもらうんこよ」

「マッシュパッカー……この子はそういうんじゃないから」

「アカ子、そうなのぉ?」


 誤解があっさり解けたようでセツは簡単に挨拶を済ませるとジメッとした目線を食らう。


「セツ子ねぇ、どう料理してあげようかしらんこ」

「なんば言いよっとかいっちょんわからんとばってん……」

「要するにね、ボクちんの股間のマッシュルームが――」


 マッシュパッカーがそう言いかけたところで――ヒューッスト! と、虚を突くようにマッシュパッカーの眉間に銀色のナイフが突き刺さった。


「んこっ!」

 

 マッシュパッカーは真っ赤な血を噴き出すとその射線の先にはナナセが投擲後のポーズを決めていた。


「食事前だ。慎め、セクハラキノコ」

「なによ! トークのほんの先っぽんこだけじゃない!」


 マッシュパッカーはナイフをブシュッと引き抜いたのち、おとなしく全員に料理を配膳する。


「こう見えて料理の腕は一流だから安心してね、セツちゃん」


 アーカーシュは苦笑しながらフォローするように言って零時の方向にセツを招く。

 そこには白髪碧眼の美男が座っていた。


「この人がハートハザードのボス――リューリ・ドラゴンハート」


 リューリと呼ばれた男は眉ひとつ動かさない。まるで生きたお人形のようである。白スーツにターコイズブルーのループタイを締めており、肩にはそれぞれウサギの尻尾のような白いもわもわの物体を乗せていた。


「そして右肩に乗ってるのがケサラン、左肩がパサラン。リューリの相棒たちね」


 アーカーシュに紹介されたケサランとパサランには黒ゴマのような目がふたつ付いておりリューリの耳元でなにか囁いているようにセツには見えた。


 ともあれ。

 アーカーシュの計らいによって十一時の席にセツは座ることになりアーカーシュが一時の方向に着席するといよいよ食事が始まる。円卓には和洋中の料理が置かれ、七面鳥のロースト、鯛の塩釜焼き、トマホークステーキ、豚の丸焼き、サーモンと新タマネギのカルパッチョ、ハンバーガー、マッシュルームの炒め物、ピザ、チャーハン、麻婆豆腐、赤ワイン、ビール、日本酒なども取り揃えられていた。


「すごかぁ。こがん贅沢か料理はじめてよ」

「好きなだけ食べていいからね、セツちゃん」

「ほんなこて? じゃあ遠慮なくいただきます」


 セツは食事に手を付けようとするがナイフとフォークの使い方が思いのほかむずかしくおぼつかない。その様子を見かねたアーカーシュは提案する。


「セツちゃん……おはし用意しようか?」

「だ、だいじょうぶやけん」

 

 田舎者だと思われたくない田舎者のセツはガチャガチャやっていると、フォークを持った左手が赤ワインの入ったグラスを倒してしまった。血のような赤ワインがテーブルクロスの上に広がり垂れるとポタポタとリューリの白スーツにこぼれてじわじわと染み広がっていく。


「ご、ごめんなさ――」


 セツが謝ろうとした――次の瞬間、ヒューッスト! と、セツの顔のすぐ横にリューリの白皙の手があった。手のひらは大きく指が長くて細い。


「え?」


 呆気にとられつつセツはそのリューリの手を見やる。するとその手にはあと薄皮一枚でセツのこめかみに突き刺さっていたであろう銀色のナイフが握られていた。ナイフを投げた張本人であるナナセも驚いたような表情を浮かべていた。


「リューリ、なぜ?」

「彼女もまた鎖ののひとつだ」


 リューリとナナセは視線を交錯させたまま、身じろぎひとつしないで牽制していた。


「食器で遊ぶなんこ!」


 するととうとう我慢できずにマッシュパッカーが両手で机を叩いた。すると今度はナナセが返す刀でフォークを投げつけ、マッシュパッカーの眉間にブズッと本日二本目が突き刺さる。


「あっはんこっ!」

「はーい。そこまでよ」


 アーカーシュは手を叩きながら仲裁に入るなりリューリのスーツの染みをハンカチでポンポンとやさしく拭く。


「まあ洗濯菌で落ちるでしょう」

「ほんなこて……ごめんなさい」

「セツちゃん、気にしないで。こういうこともあるわ」


 するとおもむろにリューリは何を思ったか立ちあがって食堂から出て行こうとする。


「リューリ、どこ行くの? ほっといたら染みになるわよ」


 アーカーシュは背中に声をかけたが聞こえていないかのようにリューリは食堂を出て行ってしまった。その後ろ姿を見送りながらアーカーシュはため息を漏らす。続けてメンバー全体に向き直り情報を共有した。


「それから近々ニャルラトホテプと砂の都プトラプテスで合流する手筈になっているわ」


 それを聞いた途端、双子のフギンとムニンは微妙なリアクションをした。


「ニャルラトホテプかぁ。あいつなに考えてるかわかんないんだよな」

「それわかるぅ。あいつ元忍者警察だしな」

「それ以上の発言は慎んでちょうだい」


 アーカーシュに注意を受けた双子兄弟は渋い表情をふたつ並べる。それを横目にマイペースな様子でトマホークステーキにかぶりつくドラのすけ。


「にゃーるほどだいなー」


 食卓の料理のほとんどはドラのすけが平らげてしまった。

 そんな感じで、セツの初顔合わせは不良なものとなった。

 それからセツは失敗を洗い流すようにアーカーシュと一緒に入浴することになった。いわゆる裸の付き合いというやつである。

 ひのきの湯船に浸かりアーカーシュと顔を突き合せながらセツは鼻歌を口ずさむ。


 でんでらりゅうば でてくるばってん

 でんでられんけん でーてこんけん

 こんこられんけん こられられんけん

 こーんこん


 セツはふと気になったことを質問する。


「そういえばアカシュ姉は、なしてハートハザードにおると?」

「うーん、一言でいえば腐れ縁じゃないかしら」


 気持ちよさそうに答えるアーカーシュ。今の角の色は黄色に染まっている。


「実はリューリとあたしとクドゥーはディカリア王国の出身なのよね」

「え? そうやったと?」

「そう。そして国を出てから三人でこのハートハザードを結成したの」

「なして……国ば出たと?」

「一言でいえば若さかな」


 今でも十分若そうなアーカーシュは懐かしむように言った。

 アーカーシュの口癖は『一言でいえば』のようだ。

 なんでも一言でまとめないと気が済まないキャリアウーマンなのかもしれない。


「本来はリューリがディカリア王国の王様になるはずだったんだ」

「バリすごかやん」

「うん。建国以来の神童だって謳われてたんだけどね。でも結局はそれを蹴って国を捨ててこんなところまで来ちゃいましたとさ。馬鹿だねぇー。まあリューリらしいけどね」


 ボスに嫌みなく馬鹿と言えるのはこの船の中では幼馴染みだけだろう。


「モルドのときからリューリはなんか他の子と違うなって思ってたし、それはクドゥーもそうだった。類は友を呼ぶというか変わり者同士で連んでたんだね。当時はあたしも荒れててさ、喧嘩以外のコミュニケーションを知らなかったんだ。ふふっ、今も似たようなもんかもしれないけどね」


 アーカーシュは遠い目をした。

 一方でセツは兄のことを思い出しながら身の上話をする。


「セツはずっと寝たきりやったと。そいをおにぃが毎日看病してくれたけん、今のセツのあっとよ」

「いいお兄さんね」

「うん。うちのおにぃは偉大な人やけん、セツのせいでくすぶっとったらいかんと」


 おにぃは竜災でも絶対生き延びているはずだ。しぶとさじゃ誰にも負けない。

 また会う日までセツも成長しなければならないと心に誓う。


「どうせセツの心配ばしとるとやろうばってんね」

「悪いわね。あたしたちが誘拐しちゃったばっかりに……」

「んにゃんにゃ。よかけん気にせんとって」


 セツは顔の前で手を振った。

 セツがいないほうがおにぃのためなのだ。


「セツ、たっくさんいろんなことばしたかと。広い世界ば見て知って、いろんな場所に行ってみたかもん。この世のすべての面白いばしたい」

「あはは。ほとんど寝たきりだった子が元気になって爆発しちゃった感じね」

「そいで、いつかアカシュ姉みたいにセツも胸大きくなりたかけん!」

「あんまり大きくてもいいことないけどね」

「よかなぁ。そがんこといつかセツも言ってみたかぁ」

「なんだそれ……」


 アーカーシュは照れ笑いを浮かべながらセツのおでこをペチッと叩く。

 そうしていろんな秘密の話をしてお風呂から上がる頃にはアーカーシュの角は赤く染まって湯気が立ちのぼっていた。どうやらのぼせてしまったらしい。セツは脱衣所に用意されていた黒いセーラー服に疑問を覚えながらも袖を通して風通しのいい胸元に落ち込んでいた。それを励ますようにアーカーシュからセツは髪をツインテールに結わえてもらった。


 それから二人が共有スペースに戻るとなんだか慌ただしい。リューリは丸い木箱の金蓋をパカッと開くとにらめっこしていた。

 セツは隣のアーカーシュに質問する。


「あいはなんね?」

「あれはクドゥーが開発した世界竜羅針盤ワールド・ドラゴン・コンパス――略してよ。菌の種類や量を測定して世界竜の位置と方向がわかる優れものなの」


 羅針盤の中は青いマーブル模様が広がり、中心では赤碧玉ジャスパーの針が揺れ動いている。

 そして突如部屋が暗転すると特大モニターが降りてきた。そこには気象観測結果の映像が映し出されていた。飛行船マークの前の砂漠地帯に超巨大キノコ雲が渦巻いておりその中心には竜のマークが示されている。天気予報ならぬ竜予報だ。

 

「こちら操縦室のフギンと――」

「――ムニン」


 すると伝声管から内線が入る。


「「まもなく目的地プトラプテスの首都シアワセに着陸します」」


 同じ色の声が着陸アナウンスした。すると今度は逆にリューリが共有スペースの発信用の伝声管を通じて船内全体にアナウンスをする。


「乗員各自作戦に備えろ」

 

 セツは飛行船タツノオトシ号全体の空気が引き締まるのを感じる。覗き窓からシアワセの夜景を見下ろすと無数の光の粒が瞬いていた。


「まるで光る納豆ごたるね」


 セツがそう呟くと、遠くの砂漠では巨大生物のような超巨大キノコ雲が砂塵を巻き上げて蠢いていた。するとその中に人影が見えたような気がしたが、おそらくセツの気のせいなのだろう。たとえ見間違いじゃなかったとしてもそれはおよそ人ではない何かに違いなかった。

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