◎3

 枯れ果てた噴水広場の縁石に腰掛ける不審な二人組。


「リュー子が大王と交渉してる間の陽動なんて骨が折れちゃいそう」

「リューリを変な名前で呼ぶな。骨折るぞ」

「ボクちん、骨ないっしゅ」

「なら切り刻む」

「大事なところ以外なら許すんこ」

「黙れ」

「ねえ知ってるんこ? キノコって全身が性感帯なのよ?」

「殺すぞ」


 軍服を纏ったほうは触覚の二本生えた黒い仮面を被っている。口元にはストロー状のぐるぐる巻きの口吻がデザインされており、サラサラの黒髪には蝶の髪飾りが舞っていた。

 一方コック服のほうはというとデカいキノコ頭に金髪ロングのウィッグを被っているのみである。


「久しぶりの外出だってのにステージにも立てないだなんて……」

「心配いらない。これからここが戦場ステージに変わる」

「元軍人のあんたなんかと一緒にしてんじゃないわよ」


 マッシュパッカーとナナセが丸い噴水の縁石に絶妙な距離感で座っているとダッダッダッと足音が聞こえる。ふたりが同時に顔を上げると、目の前には灰色の青年と高身長の白衣の女性が立っていた。それと加えてもう一匹、足下に薄汚い毛玉がいた。

 灰色の青年は荒い息とともに言った。


「やっと見つけたぜ、ハートハザード」

「ちょ、キンタロウ速いですって」


 アルコはそう言いながらもなんとかキンタロウを見失わずに付いてきていた。それから噴水の前に座る珍妙な二人組に視線を這わせる。このただならぬ雰囲気はほぼ間違いなくハートハザードだろうとアルコは確信した。むしろ違ったらそのほうが怖い。

 するとそのうちの黒蛾の仮面のほうが足を組み替えながら質問する。


「おまえら忍者警察メジャイか?」

「は? ちげえよ」


 キンタロウは即座に否定した。


「俺はもやし屋の火山灰菌太郎だ」

「そう。ならその後ろの奴らは何だ?」


 ナナセに言われて、キンタロウとアルコが目だけで背後に注意を配ると、そこではじめて気づいた。いつの間にか目許以外を黒いターバンで覆い隠した集団がアルコたちの背後に忍び寄っていたのだ。その黒尽くめの額には三角形の黄金が煌めいていた。何にせよ、アルコはまったく黒尽くめの気配を感じ取れなかった。それはキンタロウも同様で呆気にとられている様子である。


 円形の噴水広場は土作りの建造物に四方八方を囲まれ東西南北に通路が伸びていた。東側に位置するキンタロウたちとは別に西南北側の通路からも黒尽くめの集団が曇り空とともに押し寄せている。そんなこんなであっという間に噴水広場は取り囲まれ、噴水を中心に小さな円ができた。噴水に降り注ぐ太陽光が鉛色の雲に潰されるのを最後まで見届けたのちマッシュパッカーとナナセはそれぞれ立ちあがる。


「なんか忍子にんこのついでに変な雑菌も釣れたみたいんこ」

「問題ない。殲滅せんめつするだけ」


 そんなふたりにキンタロウとアルコが警戒心を募らせる。するとその横をすり抜けるようにして四方八方から黒尽くめのメジャイたちがハートハザードの二人に襲いかかった。というよりは飛びかかった。その中にはキンタロウたちの頭上を飛び越す者もいる。そしてその手には黒光りする暗器のクナイが握られていた。


 しかしその刃がナナセに触れようとした――まさにそのとき、パァンパァンパァンパァンパァンパァンパァン! と七回の発砲音が鳴り響いた。直後、空中の七人の忍者の慣性が殺されてそのまま誘蛾灯にぶつかった蛾のようにポトリと噴水広場に墜ちた。

 アルコはナナセに視線を滑らせるとその黒手袋の手には二挺拳銃が握られていた。


Heaven sevenヘヴンセヴン.Version 2.77model」


 ナナセは自らの愛器を紹介した。全長二七七ミリメートル、重量一・七七七グラム、ダブルアクション式、四七AE弾使用、装弾数七発、そして黒い光沢のある遊底スライド部分には紅蝶が刻印されていた。


 あまりにも一瞬の出来事に何が起こったのかわからずアルコは開いた口が塞がらない。倒れたメジャイを視診するとジュワッと胸元からの出血が見られた。凶弾をまともに受けたメジャイはまだ意識はあるようだったが徐々になにやら様子がおかしくなりはじめた。呻き声を上げながらしきりに上半身を掻き毟っており、それもひとりではなく倒れた七人のメジャイ全員だった。


「落ち着いてください!」


 アルコが落ち着くように促しても一向に聞く耳を持たない。よく見ればメジャイの腹部が妊婦のように膨らんでおり加えて妖しく蠢いていた。


「一滴残らず吸い尽くせ」


 ナナセが二挺拳銃の遊底で自らの肩をトントンと二回叩いた――その次の瞬間、倒れた七人のメジャイの目、鼻、口、耳の穴という穴から我先にと大量の赤い蝶が羽ばたいた。そして絶叫も虚しくメジャイは孕んだ幼虫に内臓を食い破られて大量の紅蝶とともに血をまき散らしながら息絶えた。


胡蝶バタフ菌――《吸血蝶きゅうけつちょう》」


 背筋が凍り身の毛もよだつような恐ろしい光景を見て他のメジャイたちは怯んだ。しかしそんななか、一歩出たのは灰色のつなぎを着たひとりの青年だった。キンタロウはナナセを睨めつけながら言う。


「俺の妹セツを、雪菜姫を返せ」

「…………」


 ナナセは無言のまま何やら考え込むような仕草をすると、横からマッシュパッカーが口を挟む。


「なるほど。あんた、セツ子のお兄ちゃん子だったのね。ようやく話が見えてきたわ」

「もしくはてめェらのボスの下へ俺を案内しろ。別におまえでもいいぞ、キノコ」

「誰がキノコじゃ、人間ボケァ!」


 急にドスの利いた声でマッシュパッカーは怒鳴った。どうやら彼女(彼?)の前ではキノコは禁句らしい。

 すると取り乱したマッシュパッカーを抑えつけながらナナセは答える。


「それは無理な相談。それでもどうしてもと言うのなら私を倒したのち拷問して聞き出せ」

「きひひ。いいぜ」


 キンタロウは毛糸で編まれた手袋を外してからポキポキッと指を鳴らした。


「俺の菌でたんまり吐かせてやる」


 そんな血気盛んな一般人に遅れを取ってはいられないとばかりに周囲のメジャイたちも互いに目を合わせながら自らを奮い立たせる。それに呼応するように赤い蝶たちが空中で獲物の周りを泳ぐサメのように円を描き狂喜乱舞していた。


 するとナナセは二丁拳銃の照星を片目でそれぞれ覗き込みながら二丁の銃口をキンタロウに合わせた。キンタロウが身構えると、なぜか今度はナナセは二つの銃口を下げて右斜め後ろに構える。それはキンタロウの立ち位置とは真逆の噴水の方向である。

 キンタロウが不審に思ったまさにそのとき、ナナセはトリガーを引いて発砲した。弾丸はマッシュパッカーの股の間を通過した――その次の瞬間にはキンタロウの眼前にナナセは迫っていた。キンタロウの隣にいたアルコも同時に目を剥く。


「――んなッ!?」


 しかしそう認識したときにはすでに間合いはガン詰まっているわけで、キンタロウはナナセの全体重の乗った肘打ちを腹部にもろに食らう。そしてキンタロウは後方のメジャイたちの黒い人垣にぶつかりそのまま奥の建物の壁にめり込んだ。

 ナナセは二丁拳銃をホームポジションに戻したのち、肩を叩きながらめり込んだ壁のほうを見やった。土作りの壁がポロポロと落ちてその中からドブネズミのように這い出るキンタロウ。


「なかなかにタフだな」

「なんだその技は……」


 キンタロウが疑問を呈するとまたもや銃口を下げて後ろ手に構えながらナナセは律儀に答える。


「これは軍人の頃に体得した近接格闘銃術――銃道ガンドーだ」


 すると噴水広場をぐるりと囲む背の高い建物の屋上に潜んでいたメジャイたちは一斉に飛び降りた。同時に無数の手裏剣とクナイの雨を降らせる。鋭利な暗器の応酬にさすがのナナセも肝を冷やすかと思いきや、ナナセはまたもや二挺拳銃を右斜め後ろに構えてクラウチングスタートのように発射した。――瞬間、風を置き去りにするような超加速。それは大口径の銃を発砲した際の反動を推進力に利用した移動法だった。

 地上のメジャイに一気に距離を詰めるとナナセはすかさず右前方に発砲し、その反動で体の軸を回転させて後ろ回し蹴りをメジャイのあごにヒットさせる。銃道による零距離射撃。銃口を胸に突きつけてトリガーを引いた瞬間、銃弾とともにメジャイの背面から真っ赤な蝶が羽ばたき乱れる。


 それでも果敢に襲い来るメジャイたちに構わず発砲するたびにナナセは加速度的に移動した。かと思いきや、今度は自らの進行方向に発砲して減速するので捉えどころがない変則的な動きになり、まるで銃という名の乗り物に乗っているかのようである。あげくの果てにはリコイルを利用したバク宙を披露すると、軍服の裏地に縫い付けられた特殊な胡蝶菌培養マガジンを空中で華麗にリロードした。着地と同時にカランカランと甲高い音を響かせてサナギの抜け殻のような空のマガジンが地面にふたつ落ちた。

 まさしく蝶のように舞い、蜂のように撃つ戦闘術だった。


「散れ、散れ、散れ」


 ナナセは歌うように口ずさんでから、おもむろに二丁拳銃をそれぞれ体を軸にして対角線上に構える。


「胡蝶菌――《七舞十六夜小唄ななまいいざよいこうた》」


 するとナナセは四方八方を空手の型を決めるがごとく滅多撃ちにした。縦横無尽に弾丸が空を駆けると、排出された蟲の卵のような空薬莢がコキンコキンと音を立てて地面に落下した。あちこちで吸血蝶が飛び回っているのもまたナナセの姿を捉えづらくしていた。


 キンタロウは右手でめり込んだ他の四肢を引っこ抜いてから、倒れるようにしてその場に着地した。ナナセの変則的な移動経路をキンタロウは予測しようとするが厳しそうである。


「そうじゃないだろう。キンタロウ」


 キンタロウは自分に言い聞かせるように言った。


「目じゃなく耳でろ」


 そう言ってキンタロウが耳を澄ますなか花火のように何発も銃声が鳴り響いた。そしてキンタロウは「十三、十四」とブツブツと数を数えながら突如、カッと目を開く。


「ここだ!」


 それからキンタロウはメジャイたちの間をすり抜けながら走ると、ジェット機のように駆け回るナナセと事故を起こすようにぶつかり受け止めた。ナナセの勢いに押される形でキンタロウの足跡がズサァーと噴水広場に延びるも、初めてナナセのその足が止まった。


「なぜ?」


 驚きを禁じ得ないナナセにキンタロウはニヤリと笑う。


「あんたの二丁拳銃の総弾数はそれぞれ七発の合計十四発。銃道の加速には発砲というアクションが必要になるよな。そしてさっきの一発が十四発目だ。弾が切れて次にリロードするまでに超加速は使えないため。その間にわずかな隙ができるってわけだ。弾切れ時を狙うのは飛び道具を攻略する常套手段だろ?」

「よく喋る男だ。嫌いなタイプ」

「悪かったな」


 キンタロウはふてくされたように呟いた。


「つまり男なら拳で語れってことだよな?」


 そんな独自の偏った解釈をすると、キンタロウは右手をギュッと握りこんで拳を構えた。次の瞬間、ブッシューオリオリオリ! と、おびただしいほどの麹菌が周囲に蔓延った。そしてナナセの胸ぐらを掴んで離さないままキンタロウは菌を纏いし右拳を繰り出した。


「麹菌――《アスペルギルス・オリゼー》!」


 インパクトの瞬間、たまらずナナセは超人的な反射神経を駆使してクロスした銃身でガードした。加えて吸血蝶たちが寄ってたかってクッションになった。しかしアスペルギルス・オリゼーの爆発的な増殖力はすさまじくほぼ勢いを殺せない。吸血蝶はパンッと血をまき散らして木っ端微塵にはじけ飛び、そのままナナセは後方に吹っ飛ばされてキンタロウとは逆方向の建物にめり込んだ。

 キンタロウは右拳を左手でさすりながら言う。


「女を殴るのは趣味じゃねェ。さっさとセツの居場所を吐け」

「だから拷問して聞き出せと言った」


 ナナセは何事もなかったかのようにパラパラと剥がれ落ちる壁から抜け出した。


「馬鹿か。そんなことできるわけねェだろうがよ」


 キンタロウは呆れたように頭を掻くとナナセは一言問う。


「なぜ?」

「そんなことしてセツを取り返してもセツは喜ばねェからだ」

「理解不能な意味不明の思考回路だ」

「あーそうかい」


 キンタロウは別に理解を求めてはないというふうだったがナナセは続ける。


「犠牲なき勝利などない。勝利があればその裏には敗北がある。そして戦場に勝者などいない。ただそこにいるのは傷を負った敗北者のみだ」

「かもな。でも傷つけられたからって誰かを傷つけていいことにはならねェだろ。そしてあんたが傷ついていいことにもならない」


 キンタロウはナナセをまっすぐに見つめて言った。


「俺はいい医者知ってるぜ。紹介してやろうか?」


 そう言ってキンタロウは噴水近くでマッシュパッカーと対峙するアルコに視線を投げた。投げられたアルコは当初は戸惑った様子だったが、それから胸を張って答える。


「どんな傷でも私が治します」


 それを聞いてナナセは一瞬目を細めたあと、目を閉じてふっと邪悪に笑う。


「おめでたい奴らだ」


 ナナセがそう呟いた瞬間、突如星の数ほどの吸血蝶が激しく羽ばたきだした。のちに吸血蝶は次々とメジャイにたかりだした。手で払いのけようとするが木の葉のようにひらひらとすり抜けて吸血蝶には効果が薄い。一方キンタロウは大量の麹菌で防御煙幕を作ってやり過ごしていた。するとナナセは両手のヘヴンセヴンをリロードしてから右手の拳銃の銃口を空に向けた。


「胡蝶菌――《紅蜜人間花べにみつにんげんか》」


 ナナセが引き金を引いて号砲のような銃声が曇天に轟いた瞬間、なんと吸血蝶は一斉にメジャイの皮膚に鋭いストロー管を突き刺し、チュウチュウと血を吸い出したではないか。血管に注射針のような針がいくつも刺さり激痛を伴いながら貧血を起こすメジャイたち。唇が紫に染まり目の下にクマができ、みるみるうちにメジャイの体はしおれて干からびていった。吸血した吸血蝶の腹はパンパンに膨れあがり、血が透けるほどに赤くなっていた。中には血を吸いすぎて飛べなくなっている固体もいる。まさかコウモリでも蚊でもなく血を吸う蝶がいるとはキンタロウは思いもよらなかった。


「醜い花も散るときは美しい」


 ナナセは一面の紅葉でも見るように真っ赤に染まった人間花を見やった。そんなナナセをキンタロウは睨みつけると、おびただしい吸血蝶の舞うなか二人の視線がバチバチと熱い火花を散らした。


 一方キンタロウとは真反対の西口にいたアルコは発狂しながらアタッシュケースからアルコールランプを取り出してマッチで火を点けると周囲にかざして血濡れた吸血蝶を必死に追い払っていた。


「ひい! チョウチョさん! こっち来ないでください。血液感染症が怖い!」


 それを傍からジメッとした白い目でキノコが見ていた。


「ケッ、これだから血の通った人間はダメなのよね」

「やっぱりあなたは見たまんま純然たるキノコなんですね」

「そうよ」


 威張るように金髪のウィッグをなびかせてマッシュパッカーは言った。

 アルコはそんなマッシュパッカーに命じる。


「リューリお兄様のもとへ私を連れて行きなさい」

「へえあんたリュー子の……タッパ以外は似てないわね」

「身長だけ似て悪かったですね!」


 ツッコむアルコをマッシュパッカーはまじまじとなめ回すように見てじわりと笑う。


「面白くなってきたんこ。不可思議に絡み合うような糸、それは愛!」

「あの……ですから聞いてます?」

「あら聞いてますんこ」


 マッシュパッカーは面倒くさそうに言う。


「でも今リュー子は大王と取り込み中よ」

「取り込み中……って、いったい何をする気ですか?」

「さあセックスでもしてんじゃない?」

「は、はあ!?」


 アルコは内心パニックに陥った。お兄様の恋愛遍歴については正直ノータッチだし王宮時代は会う女性会う女性を魅了して虜にしてるとは認識していた。しかしそういった類いの噂は聞かなかった。つまりはそういうことなのか。


「冗談の通じないお姫様ね」

「はい? 冗談?」

「そうよ。まあリュー子のセクシャリティについては不詳だしあながち冗談ではないかもしれないけどね。あながち」

「なぜあながちを繰り返したのですか?」


 しかしアルコは自分がリューリのことを何も知らないことを思い知った。なぜディカリアを出て行ったのかもわからない。だから直接会ってこの耳で聞くしかない。


「だとしたらボクチンにもワンチャンあるのかしらんこ?」

「いいえ、ありません。お兄様は私の手で守ります」


 アルコが心に固く誓っているとマッシュパッカーは唐突に問うた。


「あんた、レズ?」

「はい? ……急になんですか?」


 アルコはそのフラッシュパンチに面喰らった。


「で、実際どうなのよん? 女と寝たことあんの?」

「えっとないですけど。それどころか……」


 これ以上は言うまい、という構えのアルコ。


「じゃあなんで女と寝たことがないのにレズじゃないってわかんの? 食べたこともない食べ物が苦手だとなぜわかんの?」

「食べ物と一緒にしないでくださいよ」


 そうツッコみながらもアルコは相手に合わせて答える。


「苦手だとは言っていません。ただ私はケーキが好きなだけです。好きな物に理由はいりません」

「男はケーキで女はパンってわけね」

「あるいはその逆かもしれません。ある人にとっては」


 珍しく悪戯っぽくアルコは笑うと、釣られてマッシュパッカーも微笑んだ。


「ちなみにボクチンもケーキは好きよ。白濁のホイップクリームまみれになってボクチン自身がケーキになりたいくらいよ」

「……いや、知りませんけど」


 アルコは苦笑しつつも欲しい情報は手に入れた。語るに落ちるとはこのことだ。


「リューリお兄様が大王と取り込み中ってことはこの国の王宮にいるんですね?」

「おっとつい口が滑っちゃったみたいね。あんたローションプレイうまいでしょ?」

「だから知りませんって!」


 鬱陶しそうに言い放つアルコ。それからアタッシュケース片手に構えをとった。


「ええい、洒落臭しゃらくさいですね。さっさとあなたを倒して王宮に向かいます」

「邪魔はさせないわんこ」


 アルコとマッシュパッカーは向き合うと、その周りをメジャイたちが取り囲み特設リングを作った。


「ボクチンも人気者ね。イキたい奴から前へ出な」


 マッシュパッカーはヌメッとした視線を周囲に送る。他のメジャイたちは気後れした様子で相手の出方を窺っていた。


「そっちが来ないならこっちから行かせてもらうわ」


 とそこでマッシュパッカーは先手必勝とばかりに体勢を低く走り出すとアルコの正面から突き上げるようにアッパーを繰り出した。アルコは咄嗟にアタッシュケースで防御したが、その瞬間マッシュパッカーはニヤリと伽藍堂の口を歪めた。


きのこ菌――《コマッシュ》!」


 するとアルコが受け止めた拳からはなんとノコノコッとキノコが生えたではないか。衝撃と同時にエアバッグのようにキノコが拳の上で急成長を遂げるとパンチの威力をかさ増ししていた。


「――ッ!」


 だがしかしアルコはそのキノコ拳を受け止めると、そのまま数メートル後ずさってなんとか持ちこたえた。それとスイッチするようにメジャイたちがマッシュパッカーに襲いかかる。しかし軽やかなステップでメジャイの攻撃を紙一重で躱し、マッシュパッカーは重いカウンターキノコパンチで殴り散らしていく。シュッシュッシュッというボクサー特有の呼吸音とともにメジャイたちは次々と空中を舞って八日目の蝉のように地面に落ちてノックアウトした。噴水広場のリングに最後まで立っていたのは両拳にキノコのグローブをはめたキノコボクサーだった。

 マッシュパッカーはアルコと目が合ってから感心したように言う。


「ボクチンのパンチを見切るとはやるわね、あんた」

「そんな汚い拳をもらいたくはないですからね」


 そう言ってアルコはボコッと凹んだアタッシュケースから仕事道具であるメスを取り出した。自身の酒精菌の分泌したアルコールによって消毒済みだ。


執刀きらせてもらいます」


 アルコは白いゴム手袋の裾をミチーンと引っ張り嵌め直してから、メスの峰に人差し指を添えて構えた。そんなアルコにマッシュパッカーは軽いフットワークを駆使して一気に距離を詰める。


「《コマッシュ》!」


 キノコの高速左ジャブが飛んでくるもアルコはそれに合わせるようにスッとメスで切りさばく。


「酒精菌――《アルメス》」


 キノコの傘の部分がサクッと割れて中の繊維がのぞくとマッシュパッカーは叫び声を上げる。


「ギャー! あんた料理人の手になんてことしとんのじゃ!」

「いや知りませんもん」


 コックだったのか。とアルコは驚いた。そんなに手を怪我したくないのならばボクサーという戦闘スタイルはもっとも不向きであると言えた。しかしそれは医者であるアルコ自身にも言えることかもしれない。多少同情しながらもアルコはその隙に畳みかける。メスから滴り落ちるアルコールの雫をピッとマッシュパッカーの目に飛ばして目眩ましをした。


「ギャコー! 染みる!」


 とそこで、アルコはアルメスとは逆の左手を握り込むとギュムッとゴム手袋が鳴った。それからジュワッと濃度70%のアルコールが左拳を包み込み、その左拳をキノコの顔面めがけてアルコはパンチを突き出した。


「《アルパン》!」


 世界で類を見ないほどに綺麗な拳はノチャッ! とマッシュパッカーの顔面を捉えたかに思えた。しかしマッシュパッカーはボクサーの防衛本能によってヒットの瞬間に両腕をガードポジションに構えてさらに頭を深く下げた。アルコのアルパンはマッシュパッカーのキノコ頭を見事にかすめると金髪のウィッグがファサッと落ちた。

 マッシュパッカーは距離を取ってから充血した目で怨みがましくアルコを見据えた。


「そんな穢れを知らない拳なんて目を瞑ってても当たるわけがないじゃない。誰も傷つけたことのない、誰にも傷つけられたことのないあんたの拳ではね」

「すみません。あなたみたいに汚くなくて」

「カッチーンコ、あんたのブロンド引っこ抜いてくれるわ!」


 マッシュパッカーは怒ったように地団駄を踏んだ。するとその足裏からノコノコッとキノコが

生えるとホッピングのようにビンビンと跳ね出した。


「茸菌――《マッシュズ》」


 そのままマッシュパッカーは機動力の増した高速跳躍移動で円形の噴水広場の建物から建物の間をスーパーボールのように跳ねた。アルコはそれを目で追うのがやっとである。そしてついに怒れるキノコの猛攻が始まり、左ジャブがアルコのレバーに思いっきりヒットしてさらに背中や腰など多方向から多段のパンチを喰らう。


「カハッ!」


 思わず、アルコはアルコール分の多い唾液と血を吐きながらその場に膝をついてしまった。


「ざまあみなさい」

「安心してください。これはマロリー・ワイス症候群ですから」

「なにそれ? 逆に心配になるんですけど?」


 なぜかマッシュパッカーに心配されてしまうアルコだった。すると突如アルコのアルコールを纏っていない箇所の衣服からノコッとキノコが生えた。


「ひい! 私の体からキノコが生えてますぅ!」


 ぎょっとするアルコにマッシュパッカーは問う。


「どうキノコに犯される気分は?」

「きちゃない! ばっちい! もうダメだ!」

「諦め早いわね……いくら何でも取り乱しすぎでしょ。なんかショックなんこ」


 マッシュパッカーはしめじのようにのっぺりと苦笑した。


「だってキノコですよ? 菌の塊ですよ?」

「あら、おいしいわよ?」

「私キノコ嫌いなんです」

「そりゃあんたみたいな潔癖症の小娘にはまだ早いでしょうね」

「いえ普通に食感と味が好きじゃないだけです」

「ただの食の好み!?」


 裏切られたようなリアクションのマッシュパッカー。


「あんたなんかキノコ喉に詰まらせてオシッコ漏らせばいいのに」

「どうしてそこまで言われなきゃいけないんですか!」


 アルコはキノコが好きな人の気が知れなかった。だってあんなのただの菌じゃん。発酵食品や乳製品ならまだ理解できるが菌そのものを目に見えるほどまで巨大に育てて食べるとか意味がわからない。控えめに言って常軌を逸している。


「最悪です。もうお嫁にいけません」


 アルコが傷心して落胆していると背中のキノコに何かが触れた。そのキノコセンサーに気づいた自分にまたしっかり落ち込んでからアルコが振り向くと、背中合わせにキンタロウがいた。


「キノコが生えたくれェで泣きごというな」


 背中合わせのキンタロウは躊躇なくアルコに生えたキノコをブチッと収穫して、あろうことかムチャムチャと食べ始めてしまった。


「毒キノコかもしれませんよ?」

「散々毒キノコは食べてきたからな。耐性があんだよ。それにこいつは毒は持ってねェ」

「どうしてわかるんですか?」

「そう言ってるからだ」


 そうか。キンタロウは獲得者なので菌の声が聞こえるのだ。つまりキノコの声が、気持ちがわかるのかもしれない。

 その光景になぜかマッシュパッカーは悶えて涙目で感動していた。


「これこそ生命の神秘よ」


 そして結局はツーマンセルの戦いに持つれこんでしまった。しかしアルコとキンタロウはまだ互いの能力ついて理解が浅く知り合って日も浅い。こうなるとハートハザード側が有利になりそうである。アルコがそう思ったまさにそのとき、酔いが回ったせいなのだろう、グラグラと地震が起こっている気がした。


「なんだか地面が揺れている気がします」

「いや……本当に揺れてるぜ、こりゃ」


 冷や汗を浮かべるキンタロウ。


「え?」


 目を丸くするアルコに続いて、噴水広場の面々は懸命にバランスをとっている。突然、石タイル張りの地面がひび割れてもこもこと盛り上がった。かと思えば、枯れたはずの噴水から黒い水が湧いた。いやしかし、アルコが目をこらしてよく見ればそれは黒い水ではなく大量のスカラベだった。ワシャワシャと湧き出てそれに続くように巨大な黒い影が地面を突き破った。その上にいたメジャイを吹っ飛ばしたのち、ややあって砂煙が晴れるとその巨大な黒い影の正体が明らかになった。


 それは体長十メートルはある巨大なスカラベだった。黒光りする甲虫特有の硬い外殻に覆われており、ヤシの木のようなかぎ爪の足が六本ばかし生えていた。そしてギザギザのシャベルのような小さな頭部にこれまた小さな王冠を載せていた。


「なんじゃありゃあ」


 キンタロウはあんぐりと口を開けて周囲の建物と比肩する巨大スカラベを見上げていた。それは他のメジャイやハートハザード、そしてアルコも同様だった。すると噴水から湧き出た一般的なサイズの大量のスカラベたちがそこら中に転がっている血の抜かれたメジャイの死体に留まった吸血蝶を押しのけて群がる。それから驚くべきことに死んだはずの死体が突如ムクリッと起き上がったではないか。


「何が起こっている?」


 ナナセは自らが葬ったメジャイたちをにらみ据えた。同時にメジャイミイラたちはナナセに襲いかかるが、銃道によってあえなく返り討ちに遭う。メジャイミイラの腕や足があらぬ方向に折れ曲がってしまう。しかしそれでも這いずり回りながら他の生存したメジャイを襲いだした。メジャイも抵抗するがクナイや手裏剣を刺してもメジャイミイラたちには効いている様子はなかった。当たり前だ。もう彼らはとっくに死んでいるはずなのだから。


「なのにどうして……?」


 医者の卵として目の前の症例をアルコがにわかに信じられないでいるとキンタロウは目を細めてから確信めいて呟いた。


「こいつはスカラベどもが菌を媒介してやがるな」

「菌……?」


 動物や昆虫が菌やウイルスを媒介することは多々ある。代表的なものでコウモリによる狂犬病、蚊によるマラリア、ネズミによるペストなど例を挙げれば枚挙にいとまがない。つまりは何らかの菌によって死してなおメジャイは動いているということか。アルコはそう仮説を立てた。

 スカラベの乱入からの不死の軍団の誕生により戦場はかつてないほどの大混乱に陥った。というよりは大乱闘だった。とそこで女王スカラベに対して一歩あゆみ出る者がいた。それはマッシュパッカーである。噴水広場を進むキノコにメジャイミイラたちが襲いかかった。


「あぶないです! えーっと……」


 アルコはそういえば彼の名前を知らなかったことに気づいた。するとキノコの筋張った背を向けながらその人物は答えた。


「マッシュパッカーよ」


 すると意外にもマッシュパッカーは柔和な笑顔を作っていた。


「ミイラ川ミイ世たちには申し訳ないけど湿っぽくいかせてもらうわよ」


 そう言って、マッシュパッカーはキノコグローブの両拳を合わせるとモワァーンと菌の胞子が飛び散る。続けてその場に膝をつき、地面に左右のキノコの拳をつけた。


「茸菌――《冬虫夏草コルディセプス・シネンシス》!」


 その次の瞬間、ムクムクと細長い寄生虫のようなオレンジ色のキノコがメジャイミイラから続々と無数に生えまくった。さらにそのキノコから放出された胞子に触れた瞬間、スカラベや吸血蝶もピロピロと干涸らびたミミズのようなキノコに蹂躙された。虫たちはひっくり返ったのちに足をピクピクと痙攣させてまさしく虫の息である。そしてメジャイミイラはひとりまたひとりと操り人形の糸が切れたように倒れていった。


「シュシュッとこんなもんよ」


 マッシュパッカーがしたり顔でいい気になっていた。しかし当の女王スカラベは冬虫夏草などハエを払うようにしてびくともしない。

 するとそこでキンタロウも負けじと両手を体操選手のように前方にまっすぐ伸ばしたのちパンと手を叩いた――瞬間、ブワワワァーンと麹菌が噴水広場全域に広がった。


「なんだこの菌の量は?」


 ナナセは腕で目を覆いながら呟いた。

 それからキンタロウは右手で菌霧を摘まみ引くと、菌が徐々に引き伸ばされて形を変える。それから最終的に一式の弓矢に姿を変えた。右胸に引き絞った右手を添えたのち、左手はピンとまっすぐキノコの山を指して菌弓の曲線がしなると菌糸の弦がめいっぱいに張っている。そしてキンタロウは引き絞った右手の摘まんだ矢羽根をパッと離した。


弓麹ゆみこうじ菌――《アスペルギルス・不完全分解ディコンポジション》」


 発射された菌の矢がキノコの山に触れた――その瞬間、菌が爆散して麹菌に曝されたキノコの山はグジュグジュに分解して溶けた。


「これですこしは落ち着いたかい、先生?」

「キンタロウ……さっきより絵面がひどくなってやしません?」

「気のせいだ」


 キンタロウはアルコにバツ悪そうに答えるのだった。

 その横でプンスカとキレるマッシュパッカー。


「なんてことすんのよ。ボクチンのかわいい子供たちに」

「うるせェ。キノコばっか生やしてんじゃねェよ。この全身男性器」

「あはーん、それ最高の褒め言葉よ」


 身悶えながらクネクネするマッシュパッカーを無視したのち、キンタロウは誰に言うでもなく拳を鳴らした。


「一丁かもしてやるぜ」

洒落臭しゃらくさいので綺麗に殺菌します」


 そんなキンタロウとアルコに続いてマッシュパッカーとナナセも気炎を上げる。


「何本でも生やすわよ」

「私はまだ舞える」


 こうしてどっしりと構えた女王スカラベに三人の人間と一本のキノコが立ち向かった。


 

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