第4菌 HEART HAZARD侵襲

◎1

 アルコはキンタロウとカビルらとともに団地に到着すると自分の目を疑った。なぜなら先日アルコがお邪魔したときとは明らかに違って団地は見る影もなく倒壊していた。キンタロウが崩れた瓦礫に近づくと七二七号室のひしゃげた扉が転がっており、付近に落ちていた火山灰家の焦げたネームプレートを無言で拾い上げた。


「手分けしてセツちゃんを探しましょう」


 アルコはキンタロウの背中に声をかけるが返事はない。代わりにひそひそと相談するような声がした。


「妹はどこにいる?」

「キンタロウ、だからそれを今から探そうと――」

「それどころじゃないのはわかってるが……頼む、教えてくれ」

「キンタロウ、何をひとりでブツブツ言ってるんですか?」

「真横からうるせェな!」


 キンタロウは怒鳴った。


「あいつらの声が聞こえねェだろうが」

「あ、あいつら……?」

「ったく、これだから人間はよ」


 彼にはいったいどんな声が聞こえているというのだろうか。

 アルコは好奇心を刺激されながらも黙る。


「あいつらはどこにでもいて人間どもを観察してんのさ」


 キンタロウはうそぶいてからおもむろに歩き出した。まるで何かに導かれるようなキンタロウに続いてアルコも崩落した七号棟に登っていく。バラバラとひときわ大きな団地の壁が崩れ砂煙が立つ。目を伏せて砂煙が晴れるのを待つと、その団地の向こう側の陰からズヌーンと巨大な飛行船が顔を出した。船首はとんがったおちょぼ口のようでくびれた船体の背骨にはいくつものプロペラが縦一列に並んでおり今にも飛び立ちそうだった。船尾は細長く伸びておりおそらく気流に流されないためのバンカーの役割があるのだろう。その飛行船のクジラのようにおおきな黒い目玉がギロリとキンタロウたちを一瞬睨んだ気がした。


「なんだこりゃあ」

「あれは……」


 アルコは見覚えがある。


「ハイブリット飛行船タツノオトシ号」

「あんた知ってんのか?」

「……ええ、まあ」


 そこでキンタロウとアルコは同時に目撃する。気を失ったセツをお姫様抱っこしたガラスの仮面の男が今まさに飛行船の船尾から乗降口に入って乗船したところだった。ガラスの仮面の奥の瞳がちらりとアルコたちを確実に捉える。

 キンタロウはたまらず叫んでいた。


「セツ!」

「お兄様!」


 すると自分の声をかき消さんばかりのアルコにキンタロウはまさかという視線を向ける。


「おい、ひょっとして……」

「はい。あれは間違いなく私のお兄様です」


 あの碧い瞳に白い髪、そしてあのすらりとした背格好に透き通った雰囲気。

 アルコは確信した。


「国際指名手配された練菌術師バクテリアルケミスト集団――『ハートハザード』のボスです」

「なんで王女の兄貴がよりにもよってうちの妹を……」

「……それは私にもわかりません」


 ふたつの兄妹の刹那の邂逅を終えて、飛行船の乗降口の扉が閉まると同時にタツノオトシ号は尻尾で地面を叩いた。その反動を利用してブワンーッと一気に浮遊した。


「今はそんなこたァどうでもいい!」

「はい!」


 キンタロウとアルコは息を合わせると瓦礫の上をズサーッと駈け降りて追いかけていた――まさにそのとき、天から竜の咆哮が轟く。爆音の衝撃波が空気を伝って襲いかかりアルコたちは声にもならない声を上げてその場から動けなくなってしまう。その次の瞬間、超巨大キノコ雲から飛行船めがけてメラメラと青い炎の息吹が押し寄せた。アルコはぎょっとしたがそれを危機一髪で舵を切ってタツノオトシ号はかわした。

 その遠ざかる飛行船に向かってキンタロウは喉が千切れんばかりに叫ぶ。


「セツ……! セツナヒメ!!!」


 なおもキンタロウが走って追いかけようとするがそこで黒雪団地からギギギィーと軋む音が聞こえ、見上げると団地の棟がひどく傾いている。そして運の悪いことに屋上に溶け残って降り積もった残雪が落下してアルコの頭上に降り注いだ。


「え?」


 避ける間もなくアルコは残雪の下敷きになってしまった。ああ見えて実は雪は途轍もなく重いのだ。


「おい! だいじょうぶか!」


 キンタロウが駆け寄って懸命にアルコを掘り起こすと、ポニーテールが解けて錦糸きんし玉子のような金髪が濡れている。気を失ってはいるが呼吸はできているようだ。しかしキンタロウが安堵するのも束の間、ギシンギシンと不気味な音が鳴ったかと思えば、ズーンと団地の七号棟がキンタロウたちに向かって倒れてきているところだった。カビルは「ニャンギャー!」と絶望的な鳴き声を上げる。逃げ場はなく時間的猶予もない。


「おに……さま……おにいさま……リューリお兄様」


 アルコはうわごとのように呟いていた。


「置いていかないで。私も連れてって。一生のお願いですから……」

「気ィ悪い。俺をいったい誰と勘違いしてやがる」

「私はずっと……お兄様に追いつきたかったのです」

「…………」


 呆れながらもキンタロウは覚悟を決めたようにアルコの前に立ちはだかった。グガガガーと倒壊して迫り来る団地の壁に対して腰を落として構えをとった。


「俺に力を貸してくれ」


 左手を右胸に添えた瞬間、麹菌がムワワァーンと周辺に蔓延はびこり、キンタロウは呼吸を整えてからカビまみれの右拳を握り締めた。そして自らを育んだ団地に向けて突き穿うがつ。


「《アスペルギルス・オリゼー》!」


               ***


「あぶなっだいっ!」


 竜の息吹を神回避して揺れるタツノオトシ号船内。恐竜男は態勢を立て直すとガラスの仮面の男に質問を投げかける。


「てか、リューリの知り合いだいな? さっきの?」

「…………」

「よかったんだいな?」

「問題ない。青い血のしがらみだ」

「だいなー」


 そう言って恐竜男は興味を別のものに移す。


「それにしてもその娘生きてるだいな?」

「生きている」

「驚異的に回復したかと思ったら今度は急に意識を失ったもんだから焦っただいな」


 すると意識不明のセツはガーゼマスクの下で呟く。


「……おにぃ」


 その腕の中の小さな声を聞きながらガラスの仮面の男は無表情に窓の外を見下ろした。


               ***


 しんしんと雪が降るなか一棟の団地が倒れていた。倒れた団地の壁には阻止円のような穴が穿たれ、その中心には雪まみれのアルコを抱き起こすキンタロウの姿があった。


「おい! しっかりしろ!」

「……キンタロウ」


 カハッと意識を取り戻したアルコは喀血して雪を朱く染める。呼吸をするたびに肺が腐りみるみるうちに蝕まれていくのを感じているとアルコの手のひらに雪が舞い落ちた。


「雪が綺麗ですね」

「そんなこと言ってる場合かよ!」


 キンタロウが焦燥を浮かべるとカビルは心配そうに寄り添う。


「どうしたらいい? あんた医者だろ?」

「正しくは医者志望です」

「なんだっていい!」

「無理ですよ。竜の胞子を吸い込みすぎちゃいました……えへへ」


 なぜか照れたように笑うアルコの胸元には雪の結晶のような血管が浮かび上がっており、首筋には竜鱗のような疱瘡ほうそうがポツポツと膨れ始めていた。キンタロウは頭に雪を積もらせながら黙って考えるが妙案は何も浮かばない。


 そんななかアルコの胸元からポコンと青白い竜玉菌が浮き出ようとした。慌ててキンタロウはそれを両手で必死に押しとどめる。傍目には心臓マッサージをしているように見えるかもしれない。


「諦めるな。必ず助けるからな」

「キンタロウ、もう充分です」

「充分じゃねェよ!」

「本当に感謝しています。ありがとうございました」


 アルコは心からお礼を言った。


「キンタロウが振る舞ってくれた料理たいへんおいしかったです」

「また何度でも作ってやるよ。だから……! 諦めるんじゃねェよ……」

「自家製ミソの作り方も学びたかったです」

「そんなもんいくらでも――」


 とそこで、キンタロウは雷に脳天を打たれたように閃く。


「そうか。……その手があったか」

「?」

「ちょいと失礼するぞ」


 キンタロウはそう断るとアルコの上半身を起こしてからぐっと顔を近付けた。灰色の瞳は宝石のような碧い瞳を凝視してだんだんと顔の距離が縮まっていく。まるでアルコは石になってしまったかのように動けない。


「キ、キンタロウ?」

「…………」


 しかし狼狽するアルコにキンタロウは何も答えず、お互いの顔が目と鼻の先に迫ったところでアルコは覚悟を決めたように瞳を閉じた。白い吐息を感じて湿った鼻先が触れ合おうとした、その次の瞬間、アルコの首筋に鈍い痛みが走った。


「あんぅ」


 思わず声が漏れてから驚きのあまりアルコは目を開けると、なんとキンタロウがアルコの生白い首筋に噛みついているではないか。浮き上がった頸動脈に沿わせるように犬歯が突き刺さるとなぜかアルコの頬は紅潮してしまう。変な性癖に目覚めてしまいそうになるがアルコは抵抗する気力もなくしばらくそんな時間が過ぎた。

 それからアルコは我に返ったようにキンタロウを突き飛ばした。


「何するんですか!」


 キンタロウは尻餅をつく傍らそそくさとカビルは逃げる。


「いってーな!」

「それはこっちのセリフです!」


 アルコは襟元を正しながら熱い吐息を飲み込んだ。


「かはは。だが、まあそんな元気があるってことはどうやら成功したようだな」

「成功?」


 キンタロウは犬歯をのぞかせながら笑うとタネ明かしする。


「あんたに俺の麹菌を注入したんだよ」

「あーなるほど」


 意外にもアルコは首筋を押さえながらすんなり納得した。

 それはキンタロウが麹菌の保菌者かつ竜痘免疫獲得者だからできる芸当だった。


「それにしても無茶しすぎですって」

「無茶なんてここじゃ日常茶飯事だ」

「だいたいそうするならそうするって言ってくださいよ。てっきり私は……」


 そこまで言ってアルコは年甲斐もなく赤面してしまった。


「私は、なんだよ?」

「な、何でもありません!」

「なーに怒ってんだ?」


 キンタロウは頭を掻いてから申し添える。


「だが、あくまでこれは騙し騙しの姑息療法だぜ」

「はい。わかっています」


 麹菌はあくまでも竜痘の進行を遅らせるだけである。今回は竜痘菌がアルコの体内で爆発的に増殖する前に抑え込んだがアルコの処女雪のような体細胞に種子はかれてしまった。

 キンタロウは侍のように両膝を地面について頭を垂れた。


「すまない」

「なぜ謝るんですか?」

「これからもまたこういうことがあるかもしれねェから先に謝っとく。すまん」

「私はこれから一定期間のうちに麹菌を摂取しなければ竜痘のステージが進行して、いずれは死に至るってことですね」


 アルコは冷静に自身の置かれている病状を確認した。


「悪い」

「もう謝らないでください、キンタロウ。私はむしろ感謝しています」

「?」

「キンタロウが助けてくれなかったら私はとうに死んでいますから」


 アルコは麹菌の寄生虫として生きていくことが約束された。私の体がキンタロウの麹菌に慣れてくれば効き目がなくなる可能性もあるし、麹菌の摂取(接種?)方法についてもこれから模索していかなければならない。

 ともあれ。


「キンタロウが私の特効薬ってことですね」

「しゃらくせェな」


 そう言ってひねくれ者のキンタロウは一息つく。そして視線を下ろした先の瓦礫の山からいつぞやのスノードームを発見した。それはヒナが卵の殻を破るように割れており、中身の液体のり菌がドロドロと漏れ出している。


「とりあえずセツのことだな」

「そうですね」

「何としてでも取り戻す」

「お兄ちゃんにそんなふうに思われてセツちゃんは幸せ者ですね」

「はあ? 兄貴なんだから当然だろ」


 キンタロウは照れくさそうに頬を掻いた。その横顔を見つめながらアルコは自分の兄ことを思い出して思わず声に出る。



  ちょっとだけうらやましいです



「あ? 何か言ったか?」

「いいえ」


 これは羨望か嫉妬か。なぜだか心臓がドキドキする。まさか噛まれたせいで変な感染症に罹ってしまったわけではあるまい。あるいは心の殺菌が必要かもしれない。

 潔癖病のアルコはそんなふうに思いながら言う。


「それからキンタロウ、私からひとつお願いがあります」

「なんだ?」

「噛みつく前は絶対に納豆を食べないでくださいね」


 アルコのささやかな願いを聞いてキンタロウは目を丸めたあと、ふっと微笑んだ。


「ああ、心得た」


 こうしてこの星の生態系の頂点に君臨する世界竜は建物も収入格差も人間関係も何もかもを完膚なきまでに壊していった。今降っているものが雪なのか菌なのか灰なのかもはや見当もつかない。しかしそれはすべてに等しく降り積もると、あたかも消しゴムで消したように国の歴史は真っ白に染まっていった。

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