第55話 月下の悪魔


 月下。


 二つの月が地上を見下ろす夜の中で、南家陣地より少し離れた峠の上で、俺は目的の人物を見つけた。


「ここに居たか、バラム」

「あり。なーんでこんなところに来たのさルードちん。まさか~、私が恋しかったとか」

「ああさ、恋しかったとも。


 背の高いバラムは月明かりの中でもよく目立つ。高低差の激しい山の国の地形では見つけるにも時間がかかると思ったが、彼女の生まれ持った背の高さには感謝しないといけないな。


「よっこらせっと」


 峠の大きな石の上に腰を掛けていたバラムの隣に腰を据えてから、俺は静かに話し始めた。


「さて、何から話そうか」

「私がここにいることかな? それとも、マクアちんがまだ山の国を離れていなかったことかな?」


 はぐらかすように俺の言葉に応えるバラム。とはいえ、


「わかってんだろ」

「もちろん」


 そんなはぐらかしがきくような相手ではないことを知っているのか、はたまたはぐらかすつもりもなかったのか、少しだけ責めるように問い詰めてみれば、得意げな顔を共にそう言った。


 だから、俺は余計な言葉を挟まずに、直線的な問いをバラムへとぶつけるのだ。


「お前、こうなること全部わかってたろ」

「一応聞いておくけど、こうなるの範囲って?」

「全部だよ全部。無明が現れることも、俺が無明に負けて動けなくなることも、白竜が敵の手に落ちることも、西家と他三家が戦争状態になることも……全部、気づいていたんだろ」


 とんでもない話であるが、おそらくこのバラムとかいう悪魔は、いつからかはわからないけれど、少なくともあの日、マクアを救出する作戦が始まるよりも前に、今の状況になる未来を予期していた。


 そうとしか思えないようなことを言っていたのだ。


 あれは、一週間前のこと。作戦開始前に、バラムは俺にこんなことを言ってきた。


『馬車で逃げる時は、ルードちんが殿しんがりね!』


 何気ない言葉であったけれど、能力的な適正と優先順位を考えれば妥当な提案であったため、俺は二つ返事で受け入れたし、バラムが事前にそう言ってくれたおかげで、思考を挟まずに無明の影を見た瞬間に俺は奴に飛び掛かることができたのだが――一つおかしい点がある。


 それは、バラムという存在そのものだ。


 ヴィネが語り、バラムが示した答えの一つとして――何か特別なことがない限り、人間は悪魔に敵わないという方程式がある。


 そして、〈魔闘〉が使えない俺はバラムよりも弱いため、例え俺が〈重傷止まり〉を持っていようと、即座に現れた敵を倒し合流するという点で見れば、殿は俺よりもバラムが適任だ。


 特に、バラムはテレポートの魔法を使えるため、いざとなれば時間を稼いだ後にテレポートをし、安全圏に離脱することだってできたはず。


 だというのに、バラムは俺に任せ、俺は出まかせの合理性に騙されて無明の前に飛び出した。


 まるでそれは、バラムがようにも感じられてしまうのだ。


「……」

「で、どうなんだ?」

「半分正解~。ただ、別に私は全部お見通しってわけじゃないよ~」

「どうだか」


 悪魔にはそれぞれ、冒険者同様に二つ名が存在する。それが果たして称号なのか何なのかはわからないが、もしそれがその悪魔の能力を補足するものだとすれば……知略の悪魔と呼ばれるバラムは、例え未来が読めずとも、そう言った先々の予見が得意だったのかもしれない。


「影の正体については?」

「そっちは未確定だったな~。なんたって魔物っていろんな形があるからね。別に人間を個別に襲っても不思議じゃないし~」

「西家の策略については?」

「白竜をどうにかしようってところまではコユキちんの話から分かってて、それにわざわざ無明が西家を利用しようとしてるって聞いたから。このタイミングでわざわざ利用しようとする理由を考えたら、まあ白竜関係かな~って」

「白竜が操られてることについては……」

「ナズちんの行動見ればわかるでしょ~。それに、そういうことができる悪魔を、私知ってるからさ」

「……やっぱり、悪魔が関係してるのかよ」

「多分ね」


 全部お見通しじゃないって言ってたが、西家の策略から無明の行動に至るまでを予測しておいてよく言うな。


「その上でこうなることを見過ごしてたってのは……」

「言った方がいい?」

「いや、いい」


 きっと、これ以上に状況を改善させる手立てがなかった、ということなのだろう。


 というよりも、バラムが先々を予見したところで、どうにもならない状況にまで西家の策略が進んでいたと考えるべきか。


 たとえ無明がいなかったとしても、白竜は墜ち、山の国における戦争は始まっていた、とか。


 先立って白竜を討つ西家の陣形を破壊してしまうと、怒り狂った白竜によって西家領地が焼き尽くされて、西家の野望とは全く関係のない村落にも被害が出ていた、とか。


 そんな理由があった結果、バラムは俺と無明を戦わせて、こうなる道を選んだのだろう。


「……それで、どうしてそこまで読めるのに、作戦会議に参加しねぇんだよ」

「あ、やっぱりそれ言うんだ。それ言っちゃうんだ~~~……」


 バラムの予見の目をもってすれば、この先に待ち受ける西家との戦争で勝利を収めることもできるだろう。


 言外にそう言った俺の言葉に、がっかりしたような声でバラムは返事を返した。


 もちろん、そんな反応をするということは、何か参加できない理由でもあるのだろう。悪魔として、語れないことがあるのと同じように。


「なんだ、参加できない理由でもあるのか」

「わかってるくせに~。人間は試練を与えられる側で、悪魔は試練を与える側。前にも行ったことあるでしょ~」

「それならなんでプルソンはコーサを襲ったのさ。あいつも悪魔だろ?」

「あー……」


 言葉を濁すバラム。


 彼女がいう悪魔は試練を与える側というのは、かつてヴィネが俺に言った言葉だ。なぜ悪魔が、どうして人間に試練を与えるのか、というのは、おそらくそういう世界のルールがあるからなのだろうけど――だとしても、そこに人間の手伝いをしてはいけないというルールはないはずだ。


 そもそも、プルソンの行為はともすれば人間に対する協力ともとることができる。


 少なくとも、あの場にはアビルに敵対的な国家の先兵がいたわけだし、プルソン自体が兵器としてコーサーに投入されたと考えられる。


 はっきり言って、試練を与える側というには、少々横暴が過ぎるのではないだろうか。


「ルードちん。私とプルソンの間にある違いは……答えられないか、そういえば」

「何がそういえばなんだよ」

「いやいや、こっちの話だよルードち~ん。ともかく、明確な線引きがある以上、これ以上の協力は……」

「マクアの救出は違うのかよ」

「うぐぅ……痛いところ突くな~、ルードちんは。それでこそ、だけどさ」


 悪魔たちには、俺たちに語ることのできなに何かがあるのは前からわかっていたことだけれど、だとしても、その線引きはあいまいだ。


 試練を与える側として、与えられる側に協力することはできないと語りながら、彼女はマクアの救出という、ともすれば国家間の戦争に発展しかねない事態に手を貸している。


 はたして、その線引きはどこにあるのだろうか?


「わかった! わかったから正直に言うよ~!」

「それで?」

「……さっき言った通りだよ。私は試練を与える側だから、与えられる側に助力することはできない。その解釈を、私はこの戦争に適用しただけ」

「……」

「ルードちんが疑う気持ちもわかるけど、これ以上先は感情論になっちゃうし、言えない話も出てくるから勘弁してほしいよ~」

「……わかったよ。じゃあせめて、その感情論ってのを話して俺を納得させてくれ」

「うぅ……」


 出会った時から想っていたことではあるが、バラムは感情的というか、かなり気ままな性格をしている。


 それこそ、感情的に俺を殺しに来た時然り、だ。


 そんな彼女が、その感情をもってして線引きをあいまいにしているということは……もしかすれば、悪魔の隠し事にも近づけるかもしれない。


 ま、そんなのはおまけで、本当な単純な話、彼女が不参加を貫く理由を知りたいだけだ。


 それこそ……それこそ?


 あれ、なんだ? 


 今、どうして俺は、バラムにんだ?


「私さ、あんまり人の気持ちーとかわからないんだよね」

「まあ、そうだな」


 俺の中に燻った疑問などともかくとして、俺はバラムの話に耳を傾けた。


「いっつも自分のことばっかりでさ。いくら先が見えて、そのための手が打てるって言っても、それはきっと、私がいいと思った未来でしかないんだ」


 ……そうか。


 確かに、バラムの言う通りだ。いくら未来を見て、行動を選択できるとしてもそれはバラムにとっていい未来でしかない。


 でも――


「それでいいんじゃないのか?」


 俺は、そんな話で片付けてもいいと思った。バラムが使う力なのだから、バラムがいいと思う未来を選べばいい。それが俺の答えなのだけれど――


「私が悪魔じゃなかったら、ね」


 彼女は、悲しそうにそう言った。


「友人が死ぬ未来。人がお互いを嫌い合う未来。世界が殺し合う未来。私は自分の人生以上にいろんな未来を見てきて、そして現在を見て、過去を見て――ルードちんたちを見て、思ったんだ。ああ、やっぱり、私たちは与える側の存在なんだなって」

「俺を見て?」

「うん。あなたを見て」


 不思議なことを言うな。


 俺が彼女の何を変えたというのか。そもそも、俺を見て未来予知のスキルは使えないのではないのか。


「私の〈全知前納フューチャーテレパス〉はすごい便利だったんだけどさ、未来を見ることができないルードちんを見て、その何にもない未来を見て、思ったんだよね。……試練を乗り越えるっていうのは、こう言うことなんじゃないのかなって」

「…………」

「ルードちんを殺そうとする私は、コルちんを殺して、ルードちんを瀕死に追い込んだ。それでもあなたは、諦めずに立ち向かって、コルちんも私もヴィネちんも、みんなが笑って過ごせるような未来を勝ち取った……未来なんて見えないのに」

「未来なんて見えないから、俺はコーサーでいろんな失敗をした」

「でも、助けることもできたはずだよ。あなたは最後まであきらめなかった。プルソンだってかなり強い悪魔なのに、あなたが繋いだ命が、彼を跳ねのける力となってコーサーを救ったんだ……」


 バラムは言う。俺が、繋いだのだと。


 俺が、未来を描いたのだと。


「山の国の戦いには、多くの人間が参加するでしょ? 彼らには失うものがある。失うものがあるから戦う。勝ったとしても、負けたとしても、たくさんのものが失われる……そんな戦いの結果を、私は私の良し悪しで決めたくない……決めちゃいけないって、思ったんだよ」

「……そうか」


 バラムの言う通り、これから始まるであろう山の国の戦争は、その結果が如何なるものであろうと、圧勝だろうと、惨敗だろうと、どんな結果になろうとも、必ず失われる何かがある。


 マクア救出の時とは違う。失敗した時にどうなるかはわからないけれど、成功したとして、失われる命はなく、むしろマクアの命が助けられるだけなのだから。


 だからこそ、彼女はダメだと思ったのだろう。


「試練を与える側として、乗り越えるべき試練の行方を決めてはいけない。私は、そう思った」

「だから、自分の予見する力をこの戦争のために使わないってか?」

「そう。だって私は、この戦争の行方がどうなろうと、究極的な意味で無関係なんだから」


 確かにそうだ。


 俺にはコユキ、コルウェットにはナズベリーという、この戦争に関わる理由があるけれど、悪魔として生きるバラムにそう言ったこの戦争を放っておいて失われるものは無い。


 いや、あるのかもしれないけれど――突き詰めれば、そこまで執着するほどのものではないのだろう。実際、半年前まで、彼女が執着するのはヴィネだけだったわけだし。


 なるほど。


「それじゃあ……手を貸すのには全く問題はないわけだ」

「……え?」


 だからこそ、俺は最後まで吐き出した彼女の独白を利用した。利用したというよりも、屁理屈をこねた。


「バラムは未来を選択しない。なら未来を選択しない方法で参加してもらえばいい……ってか、参加してくれ」

「……なんで?」

「お前が何と言おうと、俺はこの戦争を最高の形で収めたい。勘だが、勘でしかないが……間違いなく、このまま西家とぶつかるだけじゃあ、全ては解決しない」


 この戦いにおける結果は多く考えられるが……山の国支配を目論む西家を打ち倒し、コユキを助け、ナズベリーを取り戻すためには、ただ戦うだけじゃあ絶対に解決しない。


 少なくとも……さっき、悪魔が関係しているとバラムが零した以上、一筋縄ではいかないはずだ。 


 悪魔は非常識な力を持っているのは、先のプルソンとの戦いで十分に理解している。ならばこそ、俺たちも悪魔を利用するべきだ。


「選択するのは俺たちだ。俺たちが試練を乗り越えるための選択をする。お前は戦う必要はないし、選ぶ必要もない……情報をくれ。俺たちが求める情報を、悪魔と呼ばれる策謀の知恵をもってして、与えてくれればそれでいいんだ」

「その先にあるのは――」

「その先にあるのは、お前がいいと思った未来じゃない。俺たちが見た、最高の結末だ」


 バラムがいいと思おうが悪いと思おうが関係ない。


 結末を決めるのは、そのために足掻く人間なのだから。もし、バラムの未来を決める行為に問題があるのだとしても……バラムが直接この戦争に関わらなければ、情報提供者として、可能性を語る協力者になっても問題はないはずだ。


 ってか、なってくれなきゃ、この戦いが最悪の形で終わる気がするんだ。


 だから、俺はバラムの手を取って言った。


「俺のために、手を貸してくれバラム!」

「……は、はい」


 果たして、俺の説得のかいあってか、バラムは手を貸すことに許諾してくれた。


「うー……ずるいな~、ルードちんは」


 ただ、その後作戦会議を行っている陣地まで戻る間、不服そうな顔をして顔を赤くしたバラムが俺のことを睨んできた理由に、俺は気付くことができなかった。


「まさか、惚れた弱みってのを理解することになるとは思わなかったよ~……パイモンのこと言えないな~」

「なんか言ったか、バラム?」

「何にも言ってないよ~!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る