第47話 欲望


「んー……やっぱり、城の天井裏でこそこそとしてたのはあんただったかルード」

「へぇ、すげぇな。俺が全力出した隠密に気付いてたのか」


 西の城郭から少し離れた林道にて。走り去っていった馬車の轍の上に俺は立つ。


 相対するのは理外の剣士。少なくとも、俺が見てきた中で、最も卓越した剣の使い手『無明』だ。


「いやいや、あんたさんの腕前はすごいよ。まったくもって、わしとしては驚くしかない話だが、まず間違いなくあんたの気配は全くなかった……消失していた」

「おかしな話だ。お前は俺の気配に気づいてたんだろ?」

「いいや、違うよ。あんただけど、あんたじゃない。こうやって前に立って、んでもって痺れんばかりに殺気を押しあてられて初めて気づいた。あんたの後ろに、結構な気配がするんだよ」

「俺の後ろに?」


 ふと、俺は何の気なしに後ろを見る。あるのは夜の闇に浮かぶ轍と、空高くに光る月だけだ。


「おかしな話だろ? お前さんは一人なのに、たくさんの人間の気配がする……あんたいったい何者だ?」

「それはこっちのセリフなんだが……とにもかくにも、さっきの答えを教えちゃくれねぇか?」


 立ち話をして時間を稼げば、馬車を逃がす時間は稼げるだろう。そんなわけで、戦わずにこうして話しているわけだが――


「ナズベリーに何をした?」


 事の次第によっちゃあ、時間稼ぎも忘れて殴り掛かっちまうかもしれねぇな。


 確かに、ナズベリーと俺の関係は浅い。ソロモンバイブルズのメンバーとしての交流はほとんどなく、会話する機会も山の国に来てから多くなった程度のもの。


 流砂の国の旅路では、基本的にブルドラの監視に回っていたし、コルウェットという話し相手も居たし、その後の事後処理段階では、仕事が違いすぎて会うこと自体が稀だった。


 それでも……俺は知っている。


 あいつの生真面目さをよくよく知っている。


 あいつの酒癖の悪さをかなりよく知っている。


 あいつが、いろんなものに縛られて、身動きが取れなくなってるってことも、よーく知っている。


「聞いたところで理解できるかどうか……いや――」


 悩むそぶりをしながら語る無明。彼にとっては、ナズベリーに何かをしたのは特に隠し立てするようなものではないらしく、余裕綽々とその存在をちらつかせている。


 ただ、俺の目の色を見て気づいたようだ。


「気づいてるな、ルード」

「なんとなくだけどな」


 俺が気づいていることに、気づいたようだ。


「記憶だろ、お前が弄ったのは」

「よくわかってるじゃないか」


 記憶。そう、記憶だ。


 あいつが低国ヴィネに残した現在のチームメンバーや、モアラからの依頼を投げ捨てて逃避行に走るとは思えない。だが、彼女が投げ捨てられないモノがどうなる?


 何のしがらみもなく、ただただ一目惚れした男に出会ったら、彼女はどうなる?


 答えは簡単だ。


「ナズベリー。俺のことを覚えてるかよ」

「……申し訳ありませんが、存じ上げておりません」


 こうなった。


 無明と俺の立つ場所より少し離れた木の陰に潜む彼女に話しかけてみれば、今まで見たこともないような無防備な立ち姿で彼女は現れたのだ。


 まるで、今までのすべての冒険を忘れてしまったかのような立ち振る舞いで――いや、忘れたんだろうな。すべてを。


「わしの友人は言った。なぜ人間は欲を持つ? と」


 月明かりの中、ぬらりと無明の腰に佩いた鞘から刀が抜かれる。


「欲に貧富の差はない。富める者は求め、貧しき者もまた求める。求めるものが違うだけで、欲望に支払う対価は同価値だ。では、欲とは人間の本能なのか?」


 恐ろしい。刀が抜き放たれたその瞬間に生じた殺気は、俺が今まで相対してきた相手の中でも五指に入る――それこそ、威圧感だけでいえば、かの低国ヴィネ172層に現れたダンジョンボスに迫るのではないだろうかという気迫だ。


「彼は答えた。“違う”、と。では欲望とはどこから生じるのか。友人はそんな疑問にも答えてくれた」


 圧倒的な殺気を前にして、俺の体は無意識に身構える。肉体強化は既にフルスロットルで、何が起きたとしても対応できる構えだ。


「欲望は“享受”から始まると。物を受け取ったその瞬間から、人の欲望は始まるのだと」


 刀持ちを相手に武器が無いのは不安だが、俺には〈重傷止まり〉のスキルがある。いざとなった時には、にわか仕込みの土魔法で地面を隆起させ、盾なり武器なりを作ればいい。


「受け取ったが最後、人間は次を求めちまう。しかも、前よりもいいものを、だ。しかも最悪なことに、それが手に入るのが当たり前のように人間は語るんだってな」


 言わずともわかる。この演説の終わりが、戦いの始まりだ。


「では――受け取ったすべてをなくした人間はどうなるのか。それが、わしが使ったスキルだ」

「へぇ、悪趣味だな」

「ああ、そうだろう?」

「ああ、そうだな!」


 膨れ上がる殺気は攻撃の兆し。走馬灯のように流れる自分の死にざまが、次の瞬間に訪れるであろう未来であるかのように、頭の中を過っていく。


 いずれ訪れるであろう今。抜かれた刀が、薄暗い月明かりを反射してひらめいたその瞬間――!


「……は?」


 俺の体は崩れ落ちていた。


「身のこなしからなんとなくわかる。あんた、俺に入ってないだろうが、?」


 いや、まて。何が起きた。


「前に見てからなんとなーくだがな。あんたの戦いは自分を顧みてねぇんだよ。そんな奴は、阿保か馬鹿か、もしくはそんな動きをしても死なねぇ奴しかいねぇよ」


 素早い身のこなしで無明が俺に近づいてきたことは分かった。だが、なんで俺の体は動かない!!


 重傷止まりは発動していない。ということは、俺は死んでいない。重傷に至る傷を負っていない。


 そのはずなのに、なぜ――


「斬っても斬っても倒れない。めんどくさいよなー、めんどくさいよなー。じゃあこうすればいい。殺して蘇るんなら、殺さず動けなくすればいい」


 無明の言葉は、俺が最も恐れていた


 斬っても死なず、突かれても死なず、燃やされても、沈められても何をされても死なない俺が危惧する、唯一の弱点。


「とりあえず、腕と足の腱を切った。立つこともできねぇとは思うが、まあゆっくりして行ってくれよ」


 動けなくなる。


 死ぬこともできずに、身動きだけが取れなくなる。それが、俺に対する最大の対策だった。


 それを――少なくともこの無明は、俺の不死を知らないはずなのに、俺の動き方だけで予測し、そして対策したのだ。


 たった数日会っただけの俺の力を見抜き、初見で対応してきたのだ。


「ともかく、もう一回言っておこうか……邪魔されると、困るんだよね。おい、ナズベリー! こいつを固めてくれ!」

「あ、はい! わかりました!」

「くそっ!」


 固める?

 固めるだって!?


 ああ、そうか! 何時かにヴィネが言っていた! 

 天賦スキルは魂に刻まれたスキル! たとえ記憶が無くなったとしても、魂が使い方を覚えていれば何となく使えるもんだ!


 くそっ! 固められるのはまずい! マジでやばい!


「おい、ナズベリー! やめてくれ!」

「……すいません」

「ナズベリー!!」


 クソッ、クソッ、クソガァ!!!


「悪いなルード。出会ったのは偶然だが、実はわしはお前のことを知っている。理の外に居る者イレギュラーに、場を滅茶苦茶にされるわけにはいかねぇんだ」


 ナズベリーの天賦スキル〈金鉱脈〉は、その手と魔力に触れたものを金に変える。


 俺の体は今、ナズベリーの手に触れた。触れた先から、少しずつ少しずつ金に変わっていく。


 固まっていく。動けなくなっていく。


 かつて恐れた事態に落ちていく。


 最後の最後。視界すらも金に変えられ真っ暗になったその時、その声は聞こえて来た。


「すべてが終わった後に、また会おうか」


 その言葉に対して、俺は何かを言おうとしたが、既に喉も口も何もかもが金に変わって、何も言うことができなかった。


 何も言えない。


 何も聞こえない。


 何も感じない。


 何も見えない。


 ただ闇の中で、俺は自らの慢心を恥じながら、静かに敗北を噛みしめた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る