一章エピローグ下『糸は舞い、役者は躍る』



 ※注.とにかく長いのでご注意ください(7000文字)。また上編で言った通り情報過多です。ここで出さなくていい情報も出してます。つまり覚えてなくても問題ないということです。でも筆が乗っちゃったんです……蛇足……ではないはずです。(自信なし)

 ではエピローグ下編。よろしくお願いします。



 ―――――――――――――



 1


「そう、ですか。はい。西家は協力を拒否。いえ、ともすれば私たちの背後を槍で突いてくる可能性もあると」


 山間の屋敷の中で、一人の少女が従者からの話を聞いていた。


 艶やかな黒を映し出す髪を使用人に梳いてもらいながら凶報を耳にした彼女は、自らの家の行く先を案じながら、家の外を見た。


 そこに広がるのは、断崖絶壁ともいえる山間の景色と岩肌。まばらに密集した林道や谷底に流れる川など――そう、ここは山の国。


 脅威と山に阻まれし陸の孤島で、彼女は一つの家を取り持つものとして思う。


(……あの頃に戻りたい)


 あの頃、と言ったのは半年も前のこと。まだ自分が冒険者として活動していた、夢のような時間を指して、彼女は過去を振り返った。


 秘めた好意に焦がれながら、騒がしく慌しい旅路はとても心躍るものだった。――メンバーが次々に行方不明になり、バラバラになるまでは。


 冒険者としての活動に一旦の休止符が付いたことで、彼女は一度故郷に帰ることを選択した。失恋――というわけではないが、思いを寄せていた人間の死に弱った心を癒すために。


 しかし、帰って来た自分に待っていたのは跡継ぎ問題。どうやら自分以外の家の跡継ぎが軒並み死ぬか、相続を放棄したとのこと。そうして、白羽の矢は彼女に立った。


「コユキ様。南家との会談の時間が近づいております」

「……わかってる――います」


 慣れない口調に躓きながらも、彼女は責任を果たすために立ち上がった。幾重にも羽織った着物が、今の自分にのしかかる重荷のように思えて、全て脱いでしまいたくなる。


 それでも、それができないとわかっていて、小さく一つため息をついた。


 それから、やりたくもなければ得意でもない会談の場から現実逃避をするように、もう一度彼女は外を見る。


 悠々と聳える最高難易度ダンジョン『至峰バアル』の雲間に隠された頂を思いながら、彼女はずっと頼りにしていた人間の名を口にした。


「ルードさん。僕は、どうしたらいいの?」


 死んでしまった人間に、そんな言葉が届くはずもなく、返ってくる声もないままに彼女は会談の場に赴いた。



 2



「隊長! 先遣隊の準備が完了しました!」

「よし、それでは第二『魔窟パイモン』攻略作戦を始める!」

「「「「ハッ!!」」」」


 白の国西南部荒野にて、何十人もの声が轟いた。


 彼らはこの度、最高難易度ダンジョンの攻略作戦に参加するメンバーたちである。全員が準二級を超える実力者で構成されており、彼らをここ『魔窟パイモン』へと派遣した白の国の、攻略に対する本気度の高さを伺うことができるだろう。


「……チッ」


 いや、この男だけはそう考えていなかった。


(派遣されたのはたかが二級レベルの冒険者と同格か、せいぜいが一級程度。その程度で、千年の間攻略されることなく大口を開けていた最高難易度ダンジョンの牙城を打ち砕くことができるもんか)


 そう考えるのは、この騎士団の隊長を務める男――アルバ・ヴィヒテン・シュバルツであった。


 現大貴族シュバルツ家の跡継ぎの一人であり、そしてである彼は、静かに自分たちの寄せられる国からの期待値の低さに心の中で毒づいた。


(母様が裏で指揮している試作魔道具もなければ、例の兵器も円卓も出張っていない時点で、これはお遊びの範疇なのだろう。おそらくは椰子と遊戯でのダンジョン攻略の報せを聞いた国民たちの支持があったから、仕方なく派遣された、といったところか)


 彼はこの作戦が、国民たちに対するアピール以上の意味があるものではないと悟っていた。過去千年に渡って攻略されたことのない最高難易度ダンジョンが、立て続けに二つも攻略されたという知らせを聞いた白の国の国民が、それら攻略国に自分たちが劣っているのではないのか、という疑惑を抱かない様に、表向きには攻略を続けているようにも見せる必要がある。


 特に、白の国が主導権を握る椰子の国の最高難易度ダンジョンが攻略されたことで、思いあがった貴族が椰子の国の独立に手を貸す可能性がある。白の国としてもそれは少々面倒だからこそ、椰子の国のダンジョン攻略の背景には、白の国が手を貸していて、その攻略が終わった次に魔窟パイモンへと挑戦するという筋書きをわかりやすくアピールする必要があるだろう。


 とはいえ、攻略する必要はないのか、それほどの戦力が送られてこなかったことにアルバは苛立っていた。

 ……いや、二級冒険者クラスの兵士で構成された軍隊ともなれば、一国の主要兵力になりえるのだが――大国である白の国にとって、それほどでもない兵力であることには違いない。


(いや、いい。俺が期待されていないことは、最初からわかっている。ならば、この作戦を成功に導き、再び母様の眼を俺に向けさせるべきだ)


 ただ、この状況をアルバは好機と取ったようだ。さほど期待されていない作戦を成功に導いたとなれば、それ相応の箔が付く。それをもってして、国内での自分の評価を見直させてやろうと、彼は息巻いた。


(あんな俗物よりも俺が優れているところを、母様には認めてもらわないといけないからな)


 ある一人の男の顔を思い浮かべながら、彼は先遣隊として派遣される兵士たちと共に、荒野に大口を開けた渓谷の奥底へと下っていくのだった。



 3



「……恐れ入った」


 一人の老人が声を上げた。

 劇場のような広場の真ん中で、彼は一人、目の前にうずくまる首輪付き――すなわち奴隷を見下ろして言うのだ。


「どうやら君は私とは正反対な性質を持つらしい。俄然、興味がわいた」


 虚ろな目を浮かべる奴隷の少女は、そう語る老人を見上げつつも、何か反応らしい反応を返すことはない。


 それは、その傍らにうずくまる主人だった物に気づいたとしても同じことだった。果たして、それがかつて人間だったのかどうかに気付けるかは措いておくとして――彼女はただ、そこに座っていた。


「私は喜び、怒り、悲しみ、楽しむ。しかして、その感情が私に残ることはない。だから私自身は往々にして無感情だ、と言われてしまう」


 過去に交流してきた友人知人の言葉を思い返しながら、老人は語る。


「このダンジョンはいわば牢屋。を閉じ込めるための牢屋に過ぎない。しかしてこうも閉じ込めてしまうと、それは交わり、呪へと変じる。しかしながら、君はどうやら私の呪を受けても平気なようだ」


 笑い声が聞こえる。怒鳴り声が聞こえる。泣き声が聞こえる。それらはすべて、老人の持つ感情。そして、それは目の前の奴隷の少女の中へと消えていった――


「共に暮らそう。いつか、私に空を見せてくれ」


 老人は――『劇場ベレト』に閉じ込められた悪魔ベレトは、そう囁いて少女の手を取った。


 少女は何もしゃべらない。



 4



(……ここはどこだろうか)


 微睡の中で目覚めた悪魔プルソンは、最初にそんなことを思った。そして、動かすことのできない体に気づき、記憶を辿る中で自分の敗北を悟る。


(ああ、そうだ。僕は負けたのか……やはり旧時代の支配者。弱体化してもなお勝つことは難しい、か)


 自分を負かしたであろう相手の顔を思いつつ、最後に聞いた言葉を彼は思い出した。


(あの声は確か――ヴィネのものだったか。できることならばあの可愛らしい顔をもう一度拝みたかったのだけれど……今は難しい、か)


 彼は自分の状況をこれ以上なく理解していた。


 ルードとの戦いに敗れ、ヴィネに封印されてしまったというこの状況。しかし、彼に焦りはない。

 なぜならば――


(『今は休め。ぬしにはまだ仕事がある』か。契約者を作ったうえで敗北した以上、僕に収穫祭への参加権限はない。収穫祭での地盤を固めるためには、不安要素を少しでも減らしておきたいはずだが――いや、あのヴィネのことだ。彼女にしか見えない景色があるのだろう)


 封印される前に話された言葉を思い返しながら、彼はひと時の安息を享受する。封印の中ならば、争うこともなければ、自らを王と誇張する必要もない。


 あの約束を守らなくても、一人静かに生きていられる。


(……仕事とは何だろうか)


 いつか訪れるであろうその時を待ちながら、彼は静かに微睡むのだった。



 5



「んー……まさか、俺のダンジョンにこんな攻略方法があったなんてね。いやしかし、お前はどうやら普通の人間とは違うらしい」

「何も違いやしないやい。強いて言うなら、あんまりにも持ってないとこぐらいだ」

「渇望にこそ俺のダンジョンは牙を剥く。何ももっていないのならば、こうも荒らされるはずがない」

「んじゃあ、このダンジョンにはわしを満足させられるものがなかっただけじゃねぇのか?」

「かもしれないな」


 噂に名高い最高難易度ダンジョン『奸街かんがいアスモデウス』に、この日最悪の客人が訪れた。


 彼は一本の刀とぼろ布一枚を羽織り、人の精神を惑わすダンジョンのすべてを切り捨てたのである。


 奸街かんがいアスモデウスとは、人間が抱く欲望に対して罠を張るダンジョン。物欲や性欲はもちろんのこと、取り戻したい過去や生きていてほしい仲間、或いは理想の自分や追いつきたい目標などなど――それらの願いを叶え、陥れる。


 ダンジョンに見返りを求める欲深きものほど深くはまってしまう落とし穴に塗れた欲望の世界。それが奸街かんがいアスモデウスなのだ。


 しかし、今日この日。そのダンジョンは無残にも消えることとなる。


「わしはよ。30年使って技を磨いた。強くなるためにな。どうも体が強くないから、技を磨けば強くなると思ってた。しっかしどうも勝てないもんだから、今度は体を鍛えた。んだが、要領が悪いったらありゃしないわけで、更に30年も年を食っちまったわけだ。ここまで来たら、心技体ってことで心も鍛えてやろうと思ったわけ」

「なるほど。確かに、その話なら俺のダンジョンは最適だ」


 そんな奸街かんがいアスモデウスを破壊し尽くした男の言葉を聞いたこのダンジョンの管理者は、深い深い溜息を吐きながら、その手を男へと差し出した。


「契約しよう。俺は壊欲かいよくの悪魔アスモデウス。この世で最も危険な力を持つ悪魔だ」

「ほーん、契約ねぇ。ま、面白そうだししてやるさ。わしの名は無明。しかと覚えておきなされ」



 8



 トーン、トーン。


 音が響く。


 カツーン、カツーン。


 静かに響く。


 ここは最高難易度ダンジョンが一つ、『工房ザガン』。

 その奥底から響く槌の音は、工房の名の通り幾百もの業物が飾られし壁に反響し、ダンジョンの中に響き渡る。


「……………………」


 このダンジョンの中には、ザガン以外の誰も居ない。いや、正確には工房ザガンの中に生息している魔物こそいるが、それだけだ。


 なにしろ、ここザガンに訪れた冒険者は千年の歴史上誰一人として存在しないのだから。


 同じ記録を持つバラムのダンジョンは、入り口からして見つけることのできない仕掛けが施されているため、運一つでバラムのダンジョンの門を開けようものなら、猿が振り回す筆から落ちた墨が、偶然魔導書を書き上げるような天文学的確率に頼らなければいけなくなる。


 しかし、ここザガンは違う。冒険者たちにしっかりと場所を認知されているし、正門を隠しているわけでもない。


 単純に、ここが深海5000メートルの位置に作られたダンジョンだから、誰も訪れることができないというだけだ。


 そんなスタート地点からして低国ヴィネの最深部よりも深い場所に在るこのダンジョンの中心で、管理者であるザガンは手を止めて上を見た。


「動いた、か」


 何を見てそう言ったのか、ザガンの眼はここではない遠方を捉えて離さない。


「千年……そうか、もう千年も経ったのか。やつらは……いや、考えるまでもないか。契約者は今どれぐらいいるのだろう。どちらにせよ、ここに近づいてくる人間がいない限り、収穫祭が始まることはない」


 それからザガンは独り言ちる。

 そんな自分の言葉に納得したのか、彼は再び土を取り、目の前にある金床へと向き合った。


「いや」


 しかし、槌を振り上げた手が止まる。


「そうか、そういうことか。魔王よ、世界がそうであると定め始めたのだな?」


 ガンッ!

 金槌が強く振り下ろされる。ただその一撃だけで、形を整えていたはずの金属が砕け散り、その下に合った金床すらも粉砕された。


 しかも、被害はそれだけにとどまらない。


 金槌の一撃は金床を粉砕しただけに終わらず、ダンジョンの地面にすらも罅を入れ、大きなクレーターを作り出した。


 そして次第に熱気があふれて来たと思えば――割れた地面の端々から、煮えたぎる溶岩が溢れ出て来た。


「……しまった、やりすぎたか」


 しかし、ザガンに慌てた様子はない。

 それこそ、ふとした癇癪で花瓶を壊してしまった――そんな程度の焦りしか、彼は浮かべていなかった。


 湧き出てきた溶岩は、次第に彼の工房を満たしていく。


 もちろん、その赤はザガンの体にも襲い掛かり、火魔法もかくやという熱気を与えて来た。それでも、ザガンの眉は一ミリたりとも動かない。


「そうだな。……オラも覚悟を決めようか」


 膝下まで溢れてきた溶岩をどうしようか悩みながら、彼はそう言葉にした。



 9



「んっんー……いい景色じゃぁないかぁ、ゲルアーニ」

「悪魔にも絶景を前にして感動するなんて心があるなんて、僕は初めて知ったよ」

「おっと、嘗めちゃ困るぜ。俺様はそんじょそこらの悪魔とは違うのさ。こうして感動を分かち合うことも、芸術を嗜むことも、美味に酔いしれることだってできる」

「確かにそれはすごいのかもしれないけど、全てを同時にやっている姿はとても滑稽なことを忘れないほうがいいよ」


 とある国の未開拓地。

 そこで二人の男が談笑をしていた。


 一人はゲルアーニ。欺場ぎじょうベリアルを攻略した、元ソロモンバイブルズのメンバーだ。

 そんな彼は、もう一人の連れを見ながら呆れた声を漏らしていた。


 彼の視線の先に居るのは、ゲルアーニと契約した悪魔ベリアルである。どうやら今日は調子がいいのか、オペラグラスで絶景を楽しみながら、わざわざ前掛けをしてまでその辺の野獣の姿焼きにかぶりつき、空いた手でここではないどこかの景色の油彩画を作り上げていた。


 まったくもって、どうしてそんなことをしているのか。ゲルアーニが理解に苦しんだところで、返ってくる言葉は決まっている。


「今を楽しまなきゃ損だぜゲルアーニ」


 欺場ベリアルを攻略し、悪魔ベリアルと契約を交わしてから幾度となく発されるその言葉を聞いて、ゲルアーニは深くため息をついたあと、興味を失ったように景色の方へと視線を向けた。


 ベリアルの奇行はともかく、景色ばかりは素晴らしいものだ。幾重にも積み上げられた山の地層が、風や魔物の影響でくりぬかれ露になっている。それらは不思議と奇妙な虹彩を浮かべ、何もない荒野を彩っているのだ。


 まさしく天然の絵画、と呼んでもいい景色に、ゲルアーニはうっとりとした。


「……あ、ベリアル。この魔物食べる?」

「いんや、お前が食っていいぜ。俺は健啖家だが、味の好みはあるからな」

「僕だって食べないよこんなの」


 ふと、彼は足元に転がる死体の処分方法を考えた。やはりベリアルは食べないらしいし、自分としてもこの量を食べきれる自信なんてない。


「いや、食べようなんて発想自体が無茶か」


 そう言って彼が見下ろした先にあるのは、何十体にも折り重なり、一つの小山となって彼らが絶景を高台から見下ろせるように積み上げられた巨大な魔物の死体の山であった。


 もちろん、これを成したのは他でもないゲルアーニだ。ベリアルはただ傍観していただけ。ああ、一応ながらいま彼が食べている獣は、彼自身が狩ったものであると追記しておこう。


 一匹の大きさが小ぶりなモノでも三メートルを超えるような魔物の大群。それらを五十六十を超えて殺しきったゲルアーニは、真一級の実力者と言っても過言ではないだろう。


 いや、ここが今の今までただひたすらに『出現する魔物が強すぎたから開拓が進まなかった』という経緯を加味すれば、真一級という冒険者の寸尺で計り知れない強さを秘めているのかもしれない。


 とにもかくにも、彼は世界漫遊の旅を楽しんでいた。


「……そろそろかなー……いや、まだ先かな」


 でも、彼の旅の終着点は決まっている。


 今やっていることは、その日が来るまでの暇つぶし。何時か訪れるその時を、彼はじっくりと待っている。


「ケッケッケ……待ってますよ、最底辺で」


 いつ聞いても不思議な笑い声を上げながら、彼は太陽に手を伸ばした。もちろん、死体を積み上げて作った小山に登っているとはいえ、その手が太陽に届くことはない。


 それでも、彼は――


「いつか、届くかな?」


 届かないとわかっていても、この世界の生き物全ての死体を使ってみたらどうだろうか、なんて考えて、改めて空に手を伸ばした。


 何時か、太陽を掴めるその時が来るのか。



 0



 それは産声を上げた。


 いや、上げていた。いつからそれが目覚めていたのかなんて誰にも分らないし、いつまでそれは産声を上げているのかすらもわからない。


 ただ一つ言えることは、それは数多くの憎しみをもって生まれたことか。


 生まれたばかりだというのに、その心に封じ込められたのはマイナスに振り切れた負の感情。怒り、妬み、悲しみ――それらがひたすらに綯交ぜになった、黒々とした感情が蜂蜜のようにどろりと渦巻いている。


 この世界のすべてを殺さんと、あらん限りの殺意をもって。


 ああ、かの赤子が産声を止め、月に手を伸ばすことはいつになるだろうか。


 願わくば、その日が来ないことを祈るばかりだ。

 


――第一章 完

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