第36話 悪魔の団欒


「……また紅茶?」

「またと言っても、そのまたの前は二週間も前の話だぞバラム。まあ、我らの時間の感覚ともなれば、二週間という数字を“たった”という言葉で済ませてしまいそうになるのは仕方のない話ではあるがな」

「失敬なヴィネちん! 私はヴィネちんほどおばあちゃんじゃないよーだ」

「悪魔に老化は関係ないだろう……」


 はてさて、異変渦中の王都地下。そこよりはるか1500メートル以上を下った先にある高難易度ダンジョン低国ヴィネが最深部172層にて、相も変わらず二人の悪魔が語らい合っていた。


 半年前の騒動から一部の建物が崩壊して出来た広場は、今では椅子と机が置かれた団欒だんらんスペースとして利用されている。


 そこに座るのは、もちろんあの二人――


 百智の悪魔ヴィネと、知略の悪魔バラムである。


 彼女らの何を指して悪魔なのか、そしてその何たらの悪魔という称号が彼女たちにどういった意味を齎しているのかは措いておくとして、今日も今日とて日常の一片を味わうように談笑する二人は、その実地上で起きている出来事にしっかりと気が付いていた。


 だからこそヴィネはこうして話の場を設けたのである。


「ねぇ、ヴィネちん」

「どうしたバラム」


 そろそろ話しの切り出し時か。空になったカップを静かに置いたバラムは、ヴィネの名前を呼んで本題を切り出した。


「アレ、なんでこっちに来ないのかな」

「さてな。もしかしたら、奴の目的が我らやこのダンジョンではないのやもしれんぞ」

「えー? だってあいつだよ? あの自分大好きナルナルシストのプルソンだよ~? それに、プルソンはヴィネちんのこと大好きだったじゃん。いっつも振られてたけど。今回もその一つなんじゃないの?」

「だとすれば話はこうもこじれてはいなかったと思うぞ、バラム。少なくとも、アレの頭がそうも単純な作りになっていたとすれば、町二つが完全に機能を停止することも、一国の王族郎党を皆殺しにすることも、こともなかったと思うのだが?」


 流石は百智の悪魔ヴィネか。地上に起こったことのみならず、それを起こした張本人が何をしてきたのかさえお見通しだ。


「ありゃ、ヴィネちんはあいつの後ろに居る存在に気づいてんだ。私はさっぱりだったよ~……やっぱり未来見れるだけじゃ、わかんないことばっかでさ~。しかも、最近じゃ未来が見えないことが多くなってきて。あーん、なんでこんなに変な未来になっちゃったのさ~!」

「何を言っているバラム。主の知略の名はその未来視から来た称号では無かろうに……」

「そんなに大それた称号じゃないよ、私の知略は」


 知略の悪魔、と呼ばれるバラムは、その実高い精度で未来を見ることが可能だった。ここで過去形になるのは、主にその未来に映ることのないルードという男が関係しているのだが、まあそれは措いておこう。


「冗談が厳しいぞ。あの男を相手にした時だけ歯車が狂うだけじゃないか。実際、主が作り出したは、この数百年間誰にもたどり着けない秘境の地となっているではないか。その知略の先に描いた絵図通りに」

「あー……やっぱり、ヴィネちんにはわかっちゃうかー」

「当り前だ。何しろ我の称号は百智。人の智を百集めても届かない。それが我らが主から付けられた、百智の称号の意味だ」


 推移する会話の中で、乾いた声でケラケラと笑うバラムは、真面目ったらしく理屈ったらしいヴィネの言葉に何かを返すことなく、話を戻した。


「それで、地上のあれはどうするつもりなのさ、ヴィネちん。実際、私とコルちんとは違って、ルードちんとは? だとしたら、プルソンに入り口占領されちゃったら、次の人間が来なくなっちゃうよ」

「それはそれでよいのだがな。ただ、一つ間違いを撤回するとすれば、契約しなかったのではなくのだ。やはり奴は悉くのルールから外れた男。我が百智をもってしても例外と言わざるを得ない大それた謎だ」

「ふーん……」


 契約。そんな言葉を使ってヴィネに迫るバラムであったが、くっくっくと楽しげに笑うヴィネの表情を見て、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「じゃあさ、ヴィネちん」

「なんだね、バラム」

「……彼が、ルードがこのまま死んじゃうとしても、ヴィネは何もしないの?」


 まっすぐとヴィネに向けられた視線に漂うのは僅かな。そこから感じ取れるのは、非難めいた警告。バラムの頬に並んだ六つ目のすべてを開眼してまで、そして彼女が人に使う独特の愛称を削り取ってまで使った言葉の槍を向けられたヴィネは――


「……ふっ、ルードの心配をするとは。バラムも変わったな」


 それこそ、浮かべていた笑みを朗らかに深めたのだった。


「な、何を言うのヴィネちんは! べ、別に私は、ルードちんの心配をしてるわけじゃなくて……そ、そう! ルードちんが居なくなったら、出不精のヴィネちんが困るから! これは唯一無二の友人を心配して言ってるの!」

「はいはい、そういうことにしておくよ。そういう意味として受け取っておくよ」

「むー!」


 ヴィネに言われたことが図星だったのか、頬を赤らめて言葉を並べ立てるバラムは、その真意を覆い隠すようにわたわたと手を振ってあれやこれやとまくし立てた。


 照れ隠しでわたわたと振るわれる腕だが、バラムの巨体、そして悪魔の身体能力で振られてしまえば、その風圧だけで周囲を破壊していっているのだが――当のヴィネはそよ風が吹いたように受け流していた。


 そんな彼女の猛攻撃を軽くあしらったヴィネは、ふぅと一息を付いてから、そしてカップに残った紅茶を飲み干してから、言葉を続けたのだった。


「確かに、悪魔と人間が正面から戦ってしまえば普通は勝てない。それは主に勝利したルードと言えども適用される定説だ」


 悪魔と人間の間には、それほどの生物としての格の違いがある。


「ただ、その上で我らがあるじは決定したのだよ。プルソンがダンジョンから解き放たれれば何をしでかすかわかっておったろうに、その上で奴をあやつは九人に選んだのだ。人間に課す試練として、選んだのだ。ならば我らは主の――を尊重するべきだろう?」

「それが、ヴィネちんの答えなんだね」

「ああ、そうだ。これが我の答えだ。我だけの答えだ。主にはくれてやらんぞ、バラム」

「いや、私はいいよ~……私、ヴィネちんみたいに真面目じゃないし、あの方のこと好きになれないし~」


 ぶーと頬を膨らませるバラムは、少しだけ拗ねるように地面に突っ伏する。そんな彼女を見て、ヴィネは――


「……試練だぞ、バラム」

「試練、ね」

「ああ、そうだ。我ら悪魔は試練を与える側。そして、あのルードはよりにもよって我がわざわざ用意した173層の厚みを軽々しくショートカットしてきたのだ。ともなれば、我の契約者になるための試練が足りていないとは思わんか?」

「その代わり、172層でこってりと修業を付けてたじゃ~ん」

「我が手解きしてやったのだ。あれを試練とは呼べまいよ。せいぜいが、ダンジョンボスを倒して10点。合格点の100点満点まで90点も足りないさ」

「きびし~」


 どこか抜けたバラムの声が響いた後に、二人は大いに笑った。笑い合った。何が彼女たちの琴線に触れたのかはわからない。それでも、そこに笑う意味はあったよで――


「わかったよ。私も信じる。契約者としてのコルちんを信じて、友人としてのルードちんを信じる。あの二人なら、悪魔なんて目じゃないね」

「ああ、そうだ。悪魔一人何とかしてくれなければ、これから起こるであろう収穫祭で生き残ることなんてできやしない。前哨戦とは早すぎるが、そしてにしては役者が足りぬが、奴らならやってくれるさ。なんたって、我らが未来視は数か月先をかげらせておる。それはつまり、その翳りを――我らが未来視を不確定にする常識外でルール無用の人間が、その時まで暴れておるということではないか」

「あっはっは! 確かに~!」


 高らかに笑うバラムの様子を見れば、先ほどの剣呑な雰囲気はどこへやら。そんな彼女に友人として相対するヴィネは、。


「それに、我らは未来を見ることができる悪魔。先の未来が見えずとも、未来を憂うのは我らが性。となれば、これから先の騒動を案じて、彼奴等に何も渡していないわけではあるまい?」

「ふふっそうだね。うん。そうだ。じゃあ、私たちは観戦としゃれ込もうか~!」


 二人の悪魔の団欒は続く。地上の喧噪を――静まり切ってしまった騒動を楽しみながら。

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