第30話 自分たちだけの世界


「……なにこれめっちゃ疲れてる」


 ヌディアの街に訪れてから一晩が経過して、翌朝。二人部屋だというのに結局返ってこなかったブルドラのことなど忘れて寝に入った俺は、思ったよりも取れていない疲れに言葉を漏らした。


 これもそれも、昼食を取った後も変わらず続いた少女たちの買い物タイムが原因だろうか。


 まったく、どれだけ凶悪な魔物に潰されてもへこたれなかった俺の神経をすり減らすとか、あいつらはいったい何者だ……。


「まだ朝には早いか。とりあえず井戸でも借りて、顔でも洗いに行くか」


 ぐぐーっと背伸びをした後に俺は、まだ全体像の見えない太陽を東の山間に見ながら、眠気を覚ますために部屋を出た。


 そうすれば――


「あ、ルードさん。どうもです」

「マリアか」


 ばったり偶然、俺はマリアと出くわした。



 ◇◆



 ばったりと出くわしたマリアと挨拶をした俺は、そのまま二人で朝の淡い日差しの中、井戸を目指して歩きながら会話を続けていた。


「ルードさんもこの時間帯に起きるんですねぇ」

「いや、普段は――つってもこんなもんか。冒険者は眠りが浅いんだよ」

「と言ってもナズベリーさんはぐっすりと眠っていましたよ」

「ああ、まああいつは――普段から気を張ってるからなぁ。人よりもちょっとだけ疲れるんだろうよ」

「なるほどです」


 おそらくナズベリーの奴は、隣の部屋に王女様が居たから、眠れなかったのだろう。

 王女様の護衛を務めるということもあって、三つ並んだ部屋を借りて、真ん中にコルウェットとモアラを据えて、その両脇を俺とナズベリーが埋める部屋割りとなった。結局ブルドラは帰ってこなかったが、ナズベリーの部屋には同行者の一人であるマリアが入ることとなったわけだ。


 しかし、時間にしてまだ五時に入ったあたりだというのに、マリアは早起きだなぁ。


「朝は誰よりも早く起きると気持ちがいいんですよ」

「そういうもんか」

「そういうものです。なんというか、朝起きて共用の井戸に行ったとき、そこには誰も居ないじゃないですか。そんな時、ふと東から昇る太陽を見ると――なんか、世界を独り占めにしてる気分になれるんですよ」

「確かにな。誰も起きてないときって、寂しい気持ちもあるが、ちょっとした征服感もある」

「征服感って……まあ確かに、自分だけのものにしようとしてるのは征服者ですね」


 そんなことを言って、マリアはふふっと鈴を転がしたように笑った。俺の知る女性陣――ソロモンバイブルズの四人や悪魔二人の誰とも違うしおらしい笑みには、やはりどうしても好感を覚えてしまうものだ。


 そうして俺は、二人だけの世界の中で廊下を歩き、裏口から共用の井戸のある裏庭へと出た。

 出たのだが――


「ふんっ! ふんっ! せいやっ! ああ、朝からかく汗は格別なものだなぁ!」

「……何やってんだブルドラ」

「む? 誰だっけお前ぇ。何やってるって、そりゃ自分を磨いているに決まっているだろぅ! 男たるものぉ! 日々の鍛錬を怠っては男が廃るぅ! 特にこの腰つき! この日々の鍛錬こそが、昨晩のような素晴らしき夜を作り出すのだぞ!」


 そこには、何ともむさくるしい半裸の男が、パンツ一丁でスクワットをしていたのだった。ってか、またブルドラの奴俺のこと忘れてやがるな……。


「あの、すいませんルードさん。後ろに隠れさせてもらってもよろしいですか」

「いいよいいよ。知ってると思うけど、あいつ昨日一日行方知らずだったからさ」


 見ろよこのマリアの顔! 汚物を見るような眼をよく見ろブルドラ! お前、女性を口説く手練手管とか言ってるけどさ、俺お前がコルウェットとかマリアを口説けてるワンシーン一回も見たことないぞ!


「すんすん。このほのかに香る刺激的な柑橘類の香りは……マリアか! この恥ずかしがりやさんめぇ! 俺に会いたくなったのはいいが、一人では恥ずかしいから連れと一緒に来たのだなぁ! 許す! そんな男のことは忘れて、俺の胸に飛び込んでこぉい!」

「うわマジで気持ちわりぃ……なあ、マリア。もしかしてソロモンバイブルズが解散してから、こいつずっとこの調子だったりするのか?」

「いえ、まあ……はい。一応、仕事終わりに付いてくるといったことはしないのでまだましなのですが、受付に私が立っているのを見つけると、いの一番に声をかけてきて……それにギルド長も追い払うだけで、あまり警告もしてくれなくて」

「そ、そうか……」


 脅威的な嗅覚を発揮して、俺の後ろ身を隠したマリアを発見したブルドラは、一種の恐怖さえ感じてしまうほど。マリアが怯えてしまうのも無理のない話だ。


「恥ずかしがる必要はないぞぉ、マリア! 見よ、このたくましく男らしい筋肉を! 包容力に満ち満ちたこの腕を! さあ、共にベッドの上に行こうではないか!」

「うるせぇぞブルドラ! マリア、こんな奴放っといて中に戻るぞ! あのテンションは目に毒だ!」

「あ……」


 流石に面倒くさくなってきた俺は、マリアの手を取って宿の中にとんぼ返り。あっけにとられた彼女は、大人しく俺に手を握られたままついてきた。


「あ、あの……」

「どうした」

「以前も……言うタイミングが、いえ、言い損ねていたことなのですが……あの時、試験の時……ブルドラさんからの攻撃から、私を助けようとしてくれてありがとうございます」

「あんまり気にすんな。あいつは強引にでも拒否しないと、ずっと言い寄ってくるタイプだからな」

「そう、ですね。はい。でも……気にするなと言われても、私は感謝します。だって――あなたが私を助けてくれたことには変わりありませんから。あの時も、そして今も」

「ああ、そうかい。んじゃ、その感謝はしっかりと受け取っておくよ」


 ブルドラは押しの強い奴だが、マリアもこう見えて押しの強い奴だった。そんなマリアの知らなかった一面を知りながら、騒がしいブルドラによって起きてしまった宿の客たちの中に紛れた俺たちは、自分たちだけのものではなくなってしまった朝の中で、未だにぐっすりと眠る仲間たちを起こしに部屋に戻るのだった。

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