第8話 特訓特訓猛特訓


「……ゴクリ」


 生つばを飲み込んだ俺は、冷汗したたる背中を無視して、目の前の恐怖に近づいた。


 ―kurrrrrrrrrr


 俺の目の前に居るのは、世界最難関と呼ばれる巨大ダンジョン低国ヴィネの深部172層に住処を持つ、生きていれば普通出会うこともなければ、出会った瞬間にその生が終わるような魔物である。


 見た目は人型。ゴブリンとか、オークとかに似ているようにも見えるが、その背丈は二メートルを超えて巨大であり、ありえない量の筋肉を動かして深層のビルの間を闊歩かっぽしている。


 そして俺は、そんな魔物に背後から近づいていた。


 なぜこんなことをしているのか。もちろん、それはヴィネが言い出した特訓にある。


『まずみがくべきは生存力だ。息をひそめて相手から気付かれなくする“技術”。そうだな、まずはそこら辺の魔物に気づかれずに近づいて触って帰ってくる。これができたら次のステップに進むとしよう』


 と、病み上がりにいきなり無茶苦茶を言い出したのだった。


 俺が13層より落ちてきてから三日が経って、その間にそれなりに回復した時の話だ。そして、その時からわずか一時間も経たずに、俺はこうして安全地帯セーフルームの外へと駆り出されたわけである。


 ちなみに、当のヴィネは魔物に気づかれないほど後方で、相も変わらず表情のわからない獅子面を付けてこちらを見ている。


 何かあったら助けに入れるように、らしいがどうにも俺にはあの獅子面がにやにやとこちらを見て笑っているようにしか見えないのが腹立たしい。


 くそう、見せてやるよ俺の根性! おらぁああああ!!


 と、心の中で叫んでは見たが、残念なことに音を立てては一巻の終わり。いくら〈瀕死止まり〉のスキルがあろうとも、172層なんてダンジョン深部の魔物に気づかれては、俺の命もそこまでに決まって――


 ―gur?


 その時、俺は魔物と目が合った。目が合ってしまった。そして、次の瞬間にはその声を聞くこととなる――


『スキル「瀕死止まり」が発動しました』



 ◆◇



 いくら瀕死で止まるとはいえ、痛いものは痛いし苦しいものは苦しい。


「すまん! お前に生存系のスキルがあるからって油断してた!」

「いや、いいよ……一応、生きてるし……」


 筋肉の塊のような魔物の一撃を俺が受けたところで、遅れてやってきたヴィネが魔物を撃退した。ただし、時すでに遅し。壁にめり込みながら手や足やいろいろな骨を砕け散らせた俺は、血塗れになりながら奇妙な壁画としてクリエイティブされてしまったところである。ミンチよりひでぇや。


 しかし、俺は面倒をみられている側として、助けに来てもらっただけありがたいと思わなければならない。なぜならば、彼女が助けてくれなければ、今頃あの魔物の胃の中に納まっていたかもしれないからだ。


 だから、俺はヴィネの遺憾を買ってはいけないと、ひたすらに平静に会話した。ちょっと涙が出そうだけど。


「ほら、これ食べろ」

「なにこれ」

「地上でいうポーションみたいなものだ。深層の瘴気に当てられた魔力たっぷりの素材でできてるから、相当に効果があるはずだぞ」


 なんとか俺を壁から引っ張り出した後、ヴィネは団子のようなものを俺にくれた。彼女曰く名前は無いらしいので、俺は適当に『薬効団子』と名前を付ける。何ともひねりのない名前だが(そもそも名前自体がなかったが)、これまた飛び切りに効果のある代物だった。


 かつて13層から落ちた俺が傷を癒したポーションと同レベルの効果を発揮し、瞬く間に折れていた骨が治ってしまったのだ。


 ただ、消えた俺の数か月分の給料を思えば、何とも言えない気持ちになってくる。そして、そんな代物をぽんと渡してきた彼女が、恐ろしくもなってくる。


「治ったばかりは特訓は無しだ。なしだが――基礎訓練はするぞ」

「……というと?」

「歩けるな?」

「まあ、一応は」

「走れるな?」

「問題は無いかな。どうやら、前の時よりはひどくはないらしい」

「なら走るぞ! ほら、我についてこい!」

「え、いや……わかったよ!」


 なんとも唐突な彼女のことだが、文句は言ってられない。俺はこんなところで死にたくない。だって、ここで死んだら――あの、俺を突き落とした奴らの思惑通りになっちまうから。


 だから、俺は死なない様に食らいつかなくてはならない。地上に出れずとも、このダンジョンの奥底で大往生するのだとしても――絶対に、あいつらの思惑通りに死んでやるもんか。


「あ、気を付けろよ」

「何にだよヴィネ」

「走るっつってもここダンジョンの中だから、こうも目立って動いてれば魔物に気づかれて追いかけられる」

「はぁ!?」

「だから、追いつかれないように必死で走れ。我は前にしかいないからな」


 やっとのことで追いついた俺を見てからそんなことを言うヴィネは、言い終わるや否や突き放すように加速した。前へ前へと走っていく彼女のなんと俊敏しゅんびんなことか。瞬く間に米粒のように小さくなってしまったヴィネの背中を見ていれば――


 ―gurrrrrrr


 すぐ後ろから聞こえて来た魔物の唸り声に気が付いた。


「ちょ、……待てよ……いや、待ってくださいお願いしますぅ!!」

「ははっ、いい訓練だろう!」

「洒落になってねぇって!」


 無駄に言い笑顔を浮かべていそうな声色のヴィネは、随分と楽しそうに軽やかな足取りで走っている。その後ろを俺は、必死の形相で追いかける。


 俺が一人立ちするための実力を身に着ける。そんな名目で始まった地獄の訓練の一日目は、まだ終わらない。

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