第6話 現実逃避してる瞬間が一番現実を見ていたりもする


 172。

 13を引いて159。

 そこに五メートルをかければ……


 え、俺って800メートル近くも落下して生きてたの……?


「おい、どうしたルード。調子が悪いのならそう言え。ここであったのも何かの縁、薬ぐらいならいいのがあるぞ」

「それは随分とありがたい話だけど、こちらとしては外傷で死にかけてたぐらい元気だから丁重に断らせてもらう。それよりも、俺は突如として現れたあまりにも巨大な現実におののいているところだからちょっと待ってくれ」

「……お、おう。わかった」


 大きく息を吸ってー、吐いてー。上を向いて下を向いて、左向いて右を向いて、それから明るい未来に視線を向けて……


 いや、十メートルの魔物も存在するわけで、一層の高さが五メートルなわけなくない? もしかして、千メートルは上に出口があったりする?


「おい、溶けすぎて変なオブジェクトみたいになってないか……?」

「うるはい……だってよー、地上に出たいのに道のりが遠すぎるんだよ……」

「ああ、まあ確かに道のりは長く険しいな。ただ、登れば登るほどにが薄くなって、徘徊する魔物も弱くなるはずだから、下に向かうよりは簡単だと思うぞ?」

「うるさい! これでもおれは10層の魔物も倒せないような雑魚なんだよ!」

「あー……どんまい?」

「惨めだぁ!!!」


 顔の変わらない獅子面に気を使われてまで己の惨めさを自覚したくなかった! せめてスキルが……攻撃系のスキルでもあれば……!!


 もうこれ、俺がここに住んだ方が早くないか? 

 ヴィネだって、聞く限りじゃここで暮らしてるらしいし――


「なあ、ヴィネ」

「な、なんだ?」

「俺をここに住ませてくれないか? さすがに、今の実力で上まで登るのはきつ過ぎる」

「ああ、その……なんだ。いいぞ?」


 そうしてこうして、ちょっと引き気味のヴィネに俺はここに住み着く許可を取るのだった。


 ただ――


「住むとなると話が変わってくる。寝床に食料、水の確保が必要になってくるが……一人でできるのか?」

「できないので助けてください!!」

「……なんと鮮やかな人任せだ」


 ふへへへ……こちとら真一級のパーティのすねかじってここまで来たんじゃ、この程度の頭などいくらでも下げてやるさ。それに、思ったよりもヴィネの奴は人が良い。となれば、彼女の好意にはできるだけ甘んじよう。


「とりあえず、生活基盤を整えるところからだな」

「生活基盤ねぇ……とりあえず寝床からか?」


 寝床……寝床かぁ……。


 ダンジョン内での睡眠は基本的に二種類だ。安全地帯セーフルームでの睡眠か、寝ずの番を立てて十数分仮眠をとるかの二種類になってくる。


 しかし、後者は探索中の仮眠でしかなく、この深層に居を構えるとなると安全地帯セーフルームの確保が必須。そうでなければ、訪れる魔物に怯えて過ごす夜を送ることになるだろう。


 いや、そもそもこんな深層の魔物ともなれば、足音が聞こえてきた時点でアウト。目にもとまらぬ速さで見つけられ、そのままガブリといかれてしまう。


 そうなる前に安全地帯セーフルームを確保しなければならない――


「そういえば、ヴィネはどこで寝てるんだ?」

「……我の寝床の話か?」

「それ以外に何があるんだよ……暮らしてるからには、寝る場所はちゃんとあるんだろ?」


 俺の言葉を訊き返してきたヴィネは、そっぽを向いて口笛を吹き始めた。なんだなんだ、都合の悪いことでもあるのだろうか。


「迷惑を承知で、安全地帯セーフルームがあるなら、俺もそこに寝させてくれないか?」

「我の一撃に耐えれるスキルがあるのだから、夜にその辺で寝てても問題ないだろ」

「大問題だよ! 丸のみにされたらどうするつもりだ!!」


 確かに、推定千メートル以上の高さから落下して生きているようなスキルを持っている俺ならば、魔物の攻撃では死にはしないかもしれない。しかしそれは可能性でしかなく、尚且なおかつ丸のみにされて胃の中にでも放り込まれたら大惨事だ。


 胃酸で溶かされてまで生きているかなんてわからないし、仮に生きていても胃酸で溶かされ続けて、最後の最後に魔物の尻から排出されるなんて考えたくもない。


 なので、寝床の確保はたとえ『瀕死止まり』のスキルを持っていようが、喫緊きっきんの課題なのだ。例えこの、獅子面の少女の奴隷になってでも、そこだけは何とかしなくては――


「き、汚いぞ?」

「気にしねぇよ」

「それに、ちょっと危ない……」

「安心しろ。魔物がいつ出てくるかわからない場所にいるよりかは安全だから」

「くぅ……わかった。我の負けだ、付いてこい」

「……そんなに人に見せたくないものなのか?」

「人間の命をかろんじる程ではないがな。ほら、くいくぞ!」


 獅子面の奥の表情は見えないが、その声色こわいろはあまり寝床を人に見せたがっていないようにも聞こえる。


 照れ隠しか、荒げた声につられて俺は、彼女の後についていくのだった。


 ……ああ、それと。


「……なにそれ」

「なにって、さっき狩った魔物だが? お主も我がこいつを狩る騒ぎを聞きつけてここに来たのだろう?」

「そうだけどさぁ……」


 ヴィネの寝床に向かう傍らで、彼女が肩にしっぽを背負って引きずっていたのは、身の丈四メートルはあろうかという大型の魔物であった。俺程度なら指の一本で――いや、鼻息一つで死んでしまいそうな威圧をそのままに息絶えた姿は、かつてのパーティの中で何度も見たことのある光景だ。


 いわば、俺なんかが逆立ちしても勝てない怪物か、それよりも強い怪物に一方的に駆られた現場、といったところか。


 ……憐れだけど、ちょっと怖い。


「おい、何してるんだルード! 早く移動しないと、血の匂いを嗅ぎつけて来た魔物に襲われるぞ!」

「お、おう! それなら急がないとな!」


 おそらくはヴィネの今晩のおかずになるであろう魔物を横目に走りながら、急いで先頭を行く彼女の背中に追い付くのだった。

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