Rebirth

妹尾優希

第1話

 天から舞い落ちる雪によって建物や道路を白一色に染め上げられた、古都シルベール。

 そのシルベールの郊外にある小山の上には白亜の城が聳え建っている。城にはシルベールを統治している伯爵が住んでいると言われているが、シルベールの住民にとって伯爵は謎多き存在であった。

 何故ならば、伯爵の姿を見た事がある住民は誰一人としていないからである。だが、シルベールを治める者としての資質は十分に備わっているようで、凄まじいまでの手腕を発揮している。そのお陰で、シルベールの都は再びかつての繁栄を取り戻した。

 姿こそ一切現さないが、外出先からシルベールへと戻ってきた伯爵が乗っている馬車を呼び止めた時や、城にいる執事を通して相談事を投げかけると、伯爵は住民達の希望を汲んでくれる。彼等にとって、伯爵はシルベールの良き君主なのだ。

 そんなシルベールの統治者である伯爵の城の尖塔の最上階に位置する客室にて——。


「……本当に、いいのか?」

 客室に備え付けられているレンガ造りの暖炉の火が煌々と部屋を照らしている中、緩く波うっている紫銀の長髪と紫色の瞳を持った秀麗な青年は、視線の先にいる腰まで届く黒の髪と瞳を持った少女に問い尋ねた。

 少女ははかなげな笑みを浮かべながら、小さく頷く。

「……はい。わたしの血を啜る事で、あなたさまの飢えの渇きを満たせるのであれば……」

 言葉とは裏腹に、少女の細い身体は小刻みに震えていた。彼女の身体が震えているのは、かすかに部屋へと入って来る外の冷たい空気に当てられたというだけではないだろう。

 自分から申し出た事がどういう意味を持っているのか——それを知っているからこそ、少女は恐怖で怯えているのだ。無論、それが分からぬ青年ではない。

「……駄目だ。お前を“闇の世界”の住人にする訳にはいかない。現に、お前はこんなにも怯えているではないか……」

 彼は少女の両肩をそっと包むように手を置くと、かすかに頭を振ってうなだれた。

 少女の両肩に触れている男の大きな手は白磁のように白いが、熱を帯びておらず、ひんやりと冷たい。彼女は彼の冷たい手の感触を意識しながら、顔を背けている男を見つめる。

 紫銀の髪に、紫の瞳を持った男の美貌は、普通の人間には決して持ちえないものだ。

 事実、彼は人ならざる『存在』——いや、正確には人間ではない『存在』と人間との間に生まれた混血児——ハーフなのだ。それ故に、青年の内には二つの顔が秘められている。

 一つは、シルベールを統べる領主としてシルベールに住まう住民達に接し、人間の世界に溶け込みながら生きている伯爵としての顔。

 そして、もう一つの顔は——。

「……確かに、あの夜——寝室で吸血鬼としてのあなたさまに襲われそうになった時、あなたさまが恐ろしいと思いました……。でも、わたしの血を吸わまいと必死で吸血鬼としての本能を抑えていらっしゃっていたあなたさまの姿を見て、このお方をお救いしたいと思ったのです」

 “闇の世界”でしか生きる事が許されず、人間の生き血を啜る事で不老長寿を得ていく生き物——吸血鬼(ヴァンパイア)としての顔。

 シルベールの伯爵である青年は、自身の内に流れる二つの血によって常に苦しんでいた。人間として生きていきたいと願い、シルベールに住まう人々と接し、血を一切吸わずにいても、太陽の光が輝き溢れている昼間に行動すると体調や気分が悪くなり、徐々に生きる為に必要な活力が失われてしまうのだ。それだけではなく、平凡な人間とはあまりにもかけ離れた自身の容姿を見られた時の人間達の反応を恐れ、臆病にも人前に出る度胸がないのである。だから、彼はなるべく人間達に異端な自分の姿をさらさないようにして、日々の生活を送っている。

 少女はそんな伯爵の正体を知ってもなお、彼の側を離れなかった。いや——離れたくなかったのかもしれない。

 何故ならば、彼女にとって伯爵は——。

「二年前のあの日——今日みたいに雪が降り積もっていたあの夜、あなたさまがシルベールの街道に倒れていたわたしを助けて介抱して下さらなければ、わたしは今もこうして生きていることなど出来なかったでしょう……」

 そう。彼は少女の命の恩人なのだ。それが、伯爵の正体を知った今でも、彼女が彼の側にいる理由の全てだった。

「……わたし、伯爵さまに助けて頂いた事には本当に感謝しているんです。家族からの虐待を受け続ける日々から開放してくれたあなたさまに何かご恩返しが出来ないか、とこれまでずっと考えていました……。だから、お願いです。どうか、わたしの血を……。わたしは、もうこれ以上あなたさまが苦しむお姿を見るのが耐えられません」

 少女が話を終えると、伯爵はようやく顔を上げて、彼女の顔を見下ろした。

 恐怖で全身を震わせながらも気丈に微笑む少女を見て、彼は“闇の世界”の住人の血を引く者としてどす黒く淀みきっていた自分の心が一気に洗われた気がした。

 おぞましい己の正体を知ってからも、変わらず自分の側にいてくれる少女——彼女の存在は、伯爵にとって大きな救いとなっていたのだ。

 人間らしく生きる事を諦めかけていた時に彼女と出会い、同じ時を共に過ごす日々に幸せを見出し、もう一度人間として生きようと考えられるようになった。

 だが、少女はそんな自分に血を吸えと言う。

 改めて、人間として生きていく決意を固めた矢先の事だった。

 そんな事をすれば、自分の決意を覆す事になるし、少女もただでは済まなくなる。

 何故ならば、吸血鬼に血を吸われた人間は、未来永劫夜しか活動出来ない吸血鬼となり、かつ血を吸った吸血鬼の支配を受け続けなければならない。

 その事を一度話したのにも関わらず、少女はなお血を与えると言っているのだ。全ては、この自分の為に——。

 そんな少女の血を吸う事など、当然出来るはずがない。

 だが、半分とはいえ吸血鬼の血を引く彼は、人間よりも遥かに長い寿命を持っている。それ故、少女とは生きる時があまりにも違う。普通の人間である少女の方が必然的に早く老いていき、先に死を迎える事になる。

 彼は、これからもずっと彼女と共に過ごしたいと思っており、手放すつもりは毛頭ない。しかし、皮肉な事にその願いは少女の申し出の通り、彼女の血を吸って吸血鬼にさせるしかないようだった。もしかしたら、彼女もその事に薄々と気付いたから、望んだのかもしれない。

 それに、決して認めたくはないが、吸血鬼としての本能が少女の血を欲しているのも事実だ——。

「……本当にいいのだな?」

 伯爵は慎重な面持ちで、再度少女に意志の確認をとろうと問うた。

「……はい」

 案の定、少女は一切の迷いもなく頷きながら返事をする。彼女の決意は固かった。いくらこちらが説き伏せようとしても、決して考えを改めはしないだろう。こうなった以上、彼女の望みに応えてやるしかなかった。

「……わかった。望み通りお前の血を吸い、同胞としてお前を改めて迎え入れるとしよう」

 伯爵は観念すると、溜め息交じりで低く呟く。そんな彼の顔は、苦渋の表情を浮かべていた。少女は微笑みながら手を差し出すと、彼の頬をそっと触れてやる。

「どうか、そんな顔をなさらないで下さい。わたしは、これからもずっと長い時をあなたさまと共に過ごせるのがとても嬉しいのですから……」

 そう囁く少女の手のぬくもりは、とても温かかった。だが、彼女が吸血鬼になってしまったら、二度とこのぬくもりを感じる事は出来なくなるだろう。それが、とても辛い。

 だから、せめて——自分の為に血と人間としての生を差し出してくれた少女の為に、誓いをたてよう。

「……私は、今ここでお前に誓おう。未来永劫、お前以外の娘を我が妻として決して娶らぬ事を。そして、お前だけを一生愛し続ける事を——」

「伯爵さま……」

 二人は見つめ合うと、唇を重ねた。最初は軽く触れただけの口付けは、徐々に激しくて深いものへと変わっていく。それと同時に、互いの身体を強く抱き寄せあう。

 長い口付けを終えると、伯爵は少女を胸に抱き、彼女の耳元で喘ぐように囁いた。

「……許せ」

 そして、次の瞬間——少女の首筋に、鋭い痛みが走った。彼女はその痛みで顔をしかめ、悲鳴をあげる。だが、少女は自分の首筋に感じる痛みの正体を自ずと理解していた。自分の望み通り、伯爵が血を吸っているのだ。その影響なのか、全身から力が抜けていき、彼女の意識は徐々に朦朧としていく。

 しかし、何故こんなにも心地がいいのだろう。少女は赤みを帯びた唇から甘い喘ぎ声を漏らしながら、恍惚に満ちた表情を浮かべていた。

 これで、少女は人間として生きられない身体となった。そして、これからは夜にしか活動出来ない“闇の世界”の住人——吸血鬼として生きる事となる。

 だが、不思議と未練はなく、後悔もしていない。

 何故なら、心から愛する伯爵とこれからずっと長い時を共に過ごし、かつ愛し続ける事が出来るのだから——。彼女は自分が生まれ変わるのを、心底嬉しく思っていたのだった。

 そして、彼女は自らの身体を伯爵に委ねると、意識を完全に手放したのである。

 少女が人間として生きる事から決別し、これまでの自分に別れを告げた瞬間であった——。




 古都シルベールでは、遥か昔に都を治めていた伯爵と彼に愛され続けた少女の恋物語が長い時を経て今なお語り継がれており、大変な人気があるのだという。それは、吸血鬼と人間という——決して相容れない存在同士の者達が想いを通わせて、結ばれたという非常に珍しい恋物語だからなのかもしれない。

 しかし、シルベールに訪れる旅人達に語り聞かせても、話を信じない者が殆どである。

 それでも、シルベールに住まう者達は語り継ぐ事を決して止めない。彼等はシルベールの都で生まれたこの恋物語を大切にしており、誇りにしているのだから——。

 その証拠として、降り積もった雪で白く化粧をされたシルベールの至る所にある酒場では、今日も吟遊詩人達が竪琴を手にしながら酒場に集まった客達へと伯爵と少女の恋物語を朗々と詠い上げている光景が見られるのだから——。

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