第1話 猶予は何刻
それから一年が経過した、あの七閃を見たあの日から私の日常は驚く程何も無かった、まあそうだろう、現実とはそうなのだろう、急に何か起こって現実が変わるなんてことはない、寺生まれは動じない、いや動じたい
近隣から疎まれる目は変わらず、毎日和尚様がどことなく手に入れて来る本を有難く読み、境内の掃除、時間があるときは山中で枝集め、枝集めが早く終わった時は山中探検全く変わらない
ちょっと変わった事は二つある、まず些細な事ではあるけど山中で洞窟を発見した、奥までは入ってないが夏には良い休息場になりそうだった
もう一つは近隣の村へのお使いを頼まれる事が増えた、そして何と無しだが旅人の数が去年よりも心なしか増えているような気がする、春前だからだろうか……?
ともかく外に出る時は頭に布を巻いて髪を隠す、そうすると私を元々知ってる人以外の目が向く事はなくなる、見知っている童が馬鹿にしてくる事もあるが、そんな事で寺生まれは動じない
良く知った道、良く知った村のお使いとはいえ多少距離がある、近くの掛茶屋でお茶をしばき一息つき、開口
「とてもまずい…」
小声といえ口に出てしまったらしい、後ろにいる茶屋の主に聞こえて無ければ良いけど、決してお茶が不味いのではない、むしろちょっとケチって薄い位の方が助かる、飲みやすいし便所に入る回数は少ない方が良い
さて何がまずいかといえば現状がまずい、お使い、お使いの回数が増えているというのはあれだ、母鳥が子を羽ばたかせようとするアレの前段階だ、勿論分かる和尚様ももし次の捨て子を寄越されたりした時のことを考えると一定まで育ったら出て行って欲しいと考えるのは道理だ、とはいえ私以降捨て子はあまり見なくなったのだけど
物覚えの良い男児なら寺の跡継ぎ候補として弟子にする事もあるだろうが
女児にそれはない、基本村の誰かに貰っていかれるか……
旅をしながら修行するアレになる
成人した比丘尼は弟子として当てのない若い女子を寺や農村から引き取って比丘尼にする、少なくとも複数人で旅をした方が安全なのは間違いないので結果的にそういう仕組みになる
つまり私がいるあの寺にソレが来たら終わりなのだ、途中で逃げる事は容易くも親のいない女一人、その後とる手段は結局一緒
年貢の納め時か、今まで納めた事無いけど
また悪い癖の思考を巡らせてお茶を飲み干す、そろそろ行かねば帰り道が暗くなってしまうかもしれない
行こう、軽蔑された目を向けられながら、鍋のひび割れを治してもらいに、猶予は後何刻か、今の私は鉄すらも羨む、人の心のように揺れ動く事なく、割れれば直せて役に立つ
「羨ましい」
お使いも無事完了し帰路に立つ、余裕を持って日が昇った時に出て昼には村の鋳掛屋にもっていき完了したのは暮れ六つ前、本当はもっと早く終わると思ってたが私以外の注文も多かったらしい
縁起の悪い時刻に寺に着くだろう、にしてもやはり人の往来が多い気がする最近外に出る事が多くなったからだろうか、たまに和尚様と外に出てた時に比べれば多くなっているのは間違いない、地理に詳しくは無いが聞いた話だとここは大きい街道からは少し離れているからあまり旅人は通らないと聞いた事があった
私の頭ではお上が何か施策を行って何かが変化してるという推測しかできない、情報を得られる仲良い人がいるわけでもないし、だから一人でこうして頭だけ回す事ばかりする、同じ年の子ならきっと今頃何かこう、経験が無いから分からないけどこう、華やかな話とかもっと平穏な隣の村で赤子が生まれたらしいとかそういう他愛のない話で一日過ごしてる、きっと
そんなことを考えながら足をただ前に進める、鍋が重い、この疲れが頭を下げさせ思考を鈍くする、今日は気持ちよく眠れそうだ
と考えていると。ふと、かすかに木を燃やす煙の匂いが入って来た、重たい頭を上げると夕暮れの色と炎の色が混ざった煙が上がっている、私が住む寺のある山から
失火だろうか、ともかくあの寺にしか縁が無い私は和尚様なりその弟子なりを確認しなければならない、小走りで近づくと付近の農村の人が既に見物に来ていた、しかし山には入らない、村の住居一つが燃えているなら家が崩れた後川から桶と人を動員し消火も出来るだろうが、山寺ともなると山に入るのは危険だ、危険という事は当然知っている
……知っているがこの野次馬の中に寺の人達が見えなかった以上、近くで確認しに行く以外の選択肢はなかった、助ける為とかではない、助けたくてもこの体じゃ無理なのは分かってる、身元を保証して貰わないといけないという極めて打算的な理由文字通り必死、必死なのだ、山の中に入る、どうやら本堂のみが燃えているだけで延焼はまだしていない、であれば……希望はまだある
猶予は何刻、火が蝋を溶かすように、私の猶予は火によって今消されている最中かもしれない、勢いのある火かそれとも焦燥によってか、体が熱い
寺の入り口についた、人がいる、燃える本堂を背にして立っているが為、顔が分からないしかし髪があり衣服が着崩れている、和尚様ではない、私の頭は間違いなく、現実を見る事を拒みたいが為に混乱している、嫌な予感が増す、私の蝋燭は今消えたかもしれない、その事実を拒みたい一心で呼吸が荒くなる
男の足元に倒れているのは頭と体が切り離された和尚様だった
あれを見れば分かる、あそこにいる人達は全員殺された、そういう殺し方だ、容赦がない、でも何故 あぁ 悪い癖だ、頭を回すな 回して良いのは次何をするかを決める事だけ、逃げる、逃げるが先、ずっと背に抱えてしまっている鍋は明らかに邪魔だが、強めに結んでしまったのが悔やまれる、今はこれを外す時間も無い
逃げる、何処に 村の人達の元まで辿り着けば助けてくれるか、それとも皆殺してしまうのだろうか
「おかしらー!」
もう一人いた、その声は塀の上から聞こえた、胡坐をかきながら私を、見ていた
頭より脚がそいつからとにかく離れるよう先に動いてくれた、鍋を背にして安直に走ってもまず追いつかれる、山中の道を外れて隠れるしかない
「童がいますが」
「ばか!俺に伝える前に殺せ!!」
もはやそのやり取りは耳に入っているが聞こえていない、とにかく道ではない所を走る、雑多に生える草木や石が脚をいじめる、しかし痛みを感じない途中木枝が頭の布に引っかかる、その事すら気づかず、とにかく奥へ
行先は思いついた、あの洞窟ならもしかしたら、そう思い、ただ脚を動かした。
「でもおかしら、前はまず伝えろって」
「それはそれだばかたれ、自分で考えろ」
――このばかなおかしら、こと”ばかしら”は全く以て理不尽だなぁ、まぁ腕は立つのは間違いないし、冷酷なのもこの時代には合っている、精々言う事を聞いて都合の良い所、自分がある程度修練を終えたら殺してやろう、なんてことを考えて童が逃げた方を見る
「はー、そっちに入られると面倒なんだけど、白髪なんて呪われてるねぇ」
それに、春前と言うのも良くない、草木が生え始めてはいるが、完全に隠れるには全く足りない、所詮童、多少の過失があろうが楽勝である
「後から追っかける、木に血塗っとけ」
”ばかしら”が血が滴った布を投げて寄越す、きたねーし服に付くだろうが殺すぞ
と思いつつもこの依頼を受け続けているが故に自分も"ばかしら"も流石に手馴れている、こういう襲撃を周囲にバレずにやるには完璧な連携が必要になる
"ばかしら"が破壊担当、自分が偵察担当、体格の差からもそれが最善だった
そして時にはこういった離れた場所の目撃者を始末する必要がある、そしてばかしらは他人を信用していない、目の前で確認しようとする、あわよくば殺しを楽しんでいる所があり、殺せるなら自分で殺そうとする、なので離れた時についてくる仕組みが自然に出来た、それが殺した相手の血で通った道を伝える方法
きたねーけど我ながら良く出来てる、と自分をほめつつ塀を降りた
「にしても、童殺すのは出来れば勘弁願いたいがねぇ」
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