35階に到着すると恰幅のよいスーツ姿の男性が出迎えた。


「お待ちしておりました。わたくしは当店の店長を任されております、ハットリと申します」


 ハットリ店長は深々とお辞儀をした。


「ハットリ、イジョーはない?」

「はい。異常なしです、アカ代表。すくなくとも今のところは」


 アカの問いに広い額をハンカチで押さえながら答えるハットリ店長。


「まあ安心して。タンテー事務所から派遣された八乙女タンテーが来たからにはカイトーイレブンの好きにはさせないもんねーだ」

「おお、心強い味方ですな」

「どうも」


 腕を組んだまま八乙女さんはそっけなく答えた。


「さすがのオーラですな」

「油断は禁物よ。店長さん」

「ええ、わかっておりますとも。そちらの助手二人もご協力感謝します」

「ども」

「…………」


 僕が軽く頭を下げる横でラブ子先輩はもはや何も言う気も起こらない様子だった。

 そこでアカはあくびまじりに服部店長に指図する。


「じゃあさっそくだけどさぁ~あ、ハートダイヤまで案内してよー」

「かしこまりました」


 ハットリ店長に案内されるままに床が大理石でできた通路を歩いてすぐに無人のレジがあり、それを過ぎるとルビーやサファイア、真珠のネックレスなどの宝石の並んだショーケースが置かれていた。その通路には何体ものロボットの番犬がガシャンガシャンと金属音を響かせながらパトロールしている。


「宝石をこんなショーケースに並べてていいんですか? もっと金庫とか……」

「ジョシュのバーカ、一カ所に固めておくほうがリスクあるもんねーだ」


 そういうものなのか。


「それにどうせ安物だもん」

「安物つったって一粒ウン十万もするんですけど……」


 金銭感覚が違いすぎる。アカ、恐ろしい子。

 僕が白目を剥いているとアカは驚きの提案をした。


「ジョシュがあちしのクツをなめてくれたら好きなの一個あげるよー?」

「滅多なこと言うもんじゃないよ!」


 こんな小さい女の子の足をなめるなんて人として駄目だろ。

 僕が至極真っ当なことを思っているとアカを肩車している執事が取り澄ました顔で言う。


「それでは代わりに俺がお嬢様の靴をなめ――」


 舌を突き出してアカの靴をなめようとしたロックの鼻っ柱にアカのちいさなトゥーキックがお見舞いされて鼻血が噴き出す。


「サンキューベリーマッチ!」


 ポタポタと鼻血が床に垂れた瞬間、フロアのロボドッグがペロペロと清掃するついでにDNA鑑定までやってのけていた。なんてハイスペック機器の無駄遣いなのだろう。そんな優秀な番犬が店内をパトロールしている横を僕たちは歩いて行くと横並びの三部屋に突き当たった。


「こちらは宝石展示室と監視室です」


 ハットリ店長が説明した。


「左の部屋が宝石展示室のAルーム、右がBルーム、そして真ん中が中央監視室になっております。AルームとBルームにはそれぞれハートダイヤの半分が厳重に保管されています」

「別々の部屋に分ける意味はあるんですか?」


 これは僕の素朴な疑問。


「本来ハートダイヤはふたつでひとつの宝石。分けることによってリスクヘッジすることができ、セキュリティーを担保できます」

「半分は盗まれてもしょうがないってことですか? ずいぶん後ろ向きなんですね」

「そうは言っておりません。ただ先述の理由に加えてハートダイヤはいわく付きの宝石です。ふたつ揃って展示していると途轍もない悲劇が起きると言われているためでもあります」


 悲しくもそれは双子姉妹の両親やラブ子先輩の両親が実証済みだった。

 僕はおずおずとラブ子先輩の顔を見やると先輩は口を開く。


「中に人はおるのかね?」

「この展示室には展示中以外は基本的に人は立ち入りません」

「大丈夫なのかね?」

「心配ご無用」


 ハットリ店長はそう言ってから眉をひそめた。


「というか先ほどから探偵よりもでしゃばる助手たちですね」

「なぬを!?」


 ラブ子先輩は憤慨した。

 いちおうこの人、現探偵協会会長の娘なんだけどな。まあラブ子先輩は父親の権力を笠に着るタイプではないので言わないだろうけど。


「百聞は一見にしかずです。ではご覧いただきましょう」


 ハットリ店長はAと書かれた扉の脇の生体認証パッドに手をかざして網膜をカメラでスキャンしたのち自身の名前を発した。それからハットリ店長はハンドルノブを握りガチャンと重厚な鉄扉を開くと展示室の内部が露わになる。真っ白な空間には赤い糸が縦横無尽に張り巡らされており、まるであやとりの東京タワーが倒壊したようだ。その展示室の中央には鮮やかなピンクに輝くハートダイヤの半分がショーケースに収められていた。

 そして不思議なことに僕はそのハートダイヤを見た途端、気づけば一歩二歩と歩みを進めて展示室へ吸い込まれてしまう。それはまるで見えない魔力に引き寄せられるようだった。


「イチズくん、あぶない!」


 そんな声が背後から聞こえたかと思えば、僕はふたつの手に首根っこを引っ張られて尻餅を着いた。するとチリチリと焼け焦げた髪の毛が股の間の床に落ちる。


「世話の焼ける助手ね」

「イチズくん、怪我はないかね?」


 好対照の反応の探偵を見て僕は我に返った。


「ええ、だいじょうぶみたいですけど……。いったい何が起こったんですか?」

「あはは。説明してやるもんねー」


 そんな僕を見てアカはにやにやと笑ってからロックの片眼鏡を奪うと躊躇なく展示室に放り投げた。片眼鏡がレーザーに触れた瞬間、ジュッと焼け融けてから半円のレンズが床に落ちる。


「こゆこと」


 そんな見るも無惨な片眼鏡を見て全員がゾッとするなか、なぜかロックだけは息遣いを荒くして興奮していた。

 それはさておき気を取り直して。


「ヘイ、ストーン。展示モードに移行」


 そうハットリ店長が音声コマンドで展示室内のレーザートラップを解除すると手のひらを向けたジェスチャーで僕を挑発するように先へ誘導した。

 癇に触りながらも今度こそ僕は展示室に入室しようと心を決めていたのだが、


「部屋の中には心臓石と監視撮影機以外は何もないのだね」


 と、いつの間にかラブ子先輩が先に入室しており僕は肩透かしを食らった。

 こういうのは助手の役目のはずなんだけどな。

 展示室の入り口から見てハートダイヤの断面は右を向いていた。監視カメラは合わせて二台あり正方形の間取りを上から見たときに右上と左下の対角線上に設置されている。部屋全体を捉えており死角はない。

 八乙女さんは黒いメモ帳に展示室の間取りを克明にメモっており、一方のラブ子先輩はスマホのカメラで八乙女さんとのツーショットをパシャパシャと撮影し煙たがられていた。

 そんなふたりの探偵を尻目に僕はショーケースの中で輝くハートダイヤから目が離せなかった。いま目の前にあるのは半分だけだが、ふたつ合わせればだいたい心臓ほどの大きさだろうか。しかしそんなことよりも正直ラブ子先輩が傍にいなければ僕は正気を保てなかったかもしれない。それほどまでに魅力的な宝石だった。

 するとハットリ店長が僕の耳元で囁く。近い近い、顔。


「ハートダイヤは宝石の色度を示す階級のなかでも最上級のファンシービビットにあたり、見る物を狂わせる魔性の石なのです」

「魔性の石?」

「人を恋に落とす、それが真の宝石なのですよ。あなたも心当たりがあるのでは?」

「…………」


 僕は答えずにハートダイヤを見つめた。

 半分でもこの魅惑なのであればふたつそろったときはどうなってしまうのか、僕は怖くなった。そりゃ不幸も起こるはずだ。

 そして入室とは逆の手順でハットリ店長が展示モードから元の警戒モードに移行させたのちAルームをあとにする。中央監視室を挟んで今度はBルームに僕たちは入室したがたいした違いはなく監視カメラの配置はAルームと同様であり、部屋の中で違うところといえばハートダイヤの断面が左を向いていることのみだ。空間を無視してこのままふたつのハートダイヤを横にずらしていけば綺麗なハート型の宝石が見られることだろう。

 気づけばこんなことを考えてしまう自分に辟易しながらも僕は邪念を振り払って、次に僕たちは中央監視室に入った。薄暗い室内には監視モニターが何十台と並び、軽い全能感に浸れる空間だ。もちろんAルームとBルームの監視カメラ映像もあった。


「ここのモニターには他に35階内の監視カメラの映像、1階エントランスや非常階段、そして店の外の交差点の映像にいたるまでが4K画質で映っております」


 ハットリ店長の言うとおり僕を引き止めた女性の警備員の顔まで視認できるほど解像度はクリアだった。そのたくさんのモニターの前では複数の監視員が常時目を光らせていた。

 そこで僕はふと双子に目をやるとアカは目をこすりながらウトウトしており、そしてついには眠ってしまう。

 さっきからやけに静かだなと思ってはいたが……。

 いくら宝石店の実権を握っているとはいえまだまだ子供だ。


「もう九時ですか」


 ロックは時計を見る素振りもなくノールックで時刻を言い当てた。

 僕は当然のごとく疑問に思う。


「ロックさん、どうして今が九時だってわかるんですか?」

「アカ様は九時になると眠ってしまわれるのだ」

「子供の体内時計すげえ」


 僕が感心していると入れ替わるようにして双子姉妹の片割れであるアオが寝ぼけ眼で起床した。


「ロック、グッドモーニング」

「おはようございます。アオ様」


 アオは僕たちに一瞥もくれずに焦点の合わない瞳で一言だけ言った。


「VR展開」

「かしこまりました」


 それからロックは二人を肩車したまま懐から器用にVR機器をとりだすと携帯ゲーム機に繋いでからアオにヘッドセットを被せた。こうして双子姉妹は夢の世界と仮想世界へとそれぞれ旅立ってしまったのだった。


「アカ様とアオ様は睡眠を交代シフト制で管理しているのだ」


 ロックがそう説明した。

 これで一日のうち双子のどちらかは必ず起きており二十四時間カバーできるというわけだ。

 そうなると執事のロックはいつ寝ているのだろうか。

 もしかして無眠……?

 僕が恐ろしい真実にたどり着こうとしたところで、とつぜん監視室に着信音が鳴り響くと、全員の視線がとある人物に集中した。ハットリ店長はあわててスマホの通話ボタンを押したのち、ロックの射ぬくような視線を背に受けながら申し訳なさそうに退室した。

 その着信音にもアカは起きる気配はなくラブ子先輩はそんな双子姉妹を眺めながら思い出を語る。


「マコトくんも出会った頃は少年のような見た目をしていたね」

「あなたこそ床につくくらい髪が長かったわ」

「フフフ。あの頃は見た目にはとんと無頓着だったからね」


 ネイルやおしゃれなファッションに精通している今のラブ子先輩からは想像できないな。


「両親を亡くしてからというもの謎を解くことだけが私の生き甲斐だったからね」

「そんなあなたがどうして探偵をやめたの?」


 八乙女さんは当然の問いを投げかけた。

 ラブ子先輩が恋愛探偵をしている理由なんてただ惚れた腫れたが好きなだけだと僕は思っていたが、だからといってなにも探偵と決別する動機にはならない。


「探偵と死神は同義である」


 ラブ子先輩は語った。


「私は旅先で必ず事件に見舞われてね。ひとたび道を歩けば事件が起こり、謎がさらなる謎を呼ぶ。心が安まる暇もなかったのだ」

「いわゆる事件誘因体質ね」

「うむ」

「でもそれは探偵としての資質のひとつではないかしら?」

「当時の私もそんなふうに思っていた。……いや思い込もうとしていたのだね」


 するとそれからラブ子先輩は沈痛な面持ちに変わる。


「とある人物が私の目の前で亡くなった。そのとき私はもう探偵を続けられないと思ったのだ」

「けれどあなたのせいではないのでしょう?」

「私とともにいれば事件に巻き込まれるとわかっていながら拒絶しきれなかった私のせいだよ」


 その人物のことをラブ子先輩は本当に大切に思っていたのだろう。

 探偵をやめてしまうほどに。


「そしてすべてを清算するついでに私は心臓石を手放すことに決めたのだ。血生臭い事件はもうこりごりだからね」

「そんなのは逃げじゃない」

「逃げでも構わないね。周りを不幸にするくらいなら逃げたほうがマシだ」

「それは違うわ。探偵というのは不幸を食い止める職業よ」

「仮にそうだとしても過ぎたる力は周りを不幸にするだけなのだよ。私の両親にしたって……」


 そこでラブ子先輩は言葉をグッと飲み込んだ。

 そんなラブ子先輩に八乙女さんは言い聞かせるように言った。


「いい、ラブ子? あなたの両親が亡くなったのはあなたのせいではないわ」

「いいや、すべて私のせいだよ」


 ラブ子先輩は確信的に言い切った。


「すべて私のせいなのだ」

「勘違いしないで。あなたがいくら責任を感じようとどうでもいいの」


 八乙女さんはクールな表情ながらも言葉は熱く言い放つ。


「だって目の前で事件が起こったらそれを解決せずにはいられない。それが探偵というものなのだから」

「…………」

「探偵が事件の謎を追いかけるんじゃない。事件のほうが探偵を追いかけてくるのよ。あなたもわかっているはず。探偵と事件は赤い糸で固く結ばれているということを」

「しかしそれは被害者の血で染まっておるのだろう?」

「そう。それが探偵の宿命なのよ」


 探偵の呪縛ジレンマ

 鶏が先か卵が先か。

 事件が先か探偵が先か。

 恋が先か愛が先か、それとも別れが先か。

 するとそこでラブ子先輩は人好きのする笑顔を作った。


「それならば私は愛の謎を追いかけて恋に落ちる恋愛探偵を目指すよ」


 ひとたび恋愛探偵が道を歩けば恋が生まれる。それがラブ子先輩の選んだ道だ。

 ならばそれを応援するのが助手である僕の役目だろう。

 そんなラブ子先輩の顔を見て八乙女さんは探偵論をふっかける気も起こらない。


「それがあなたが恋愛探偵になった理由なのね」


 だからこれは探偵ではなく八乙女真から恋泉ラブ子というひとりの人間に対しての挑戦的な問いだった。


「でも、たとえばあなたの目の前で誰かが犯人に拉致されたとして、その犯人が監禁場所の手掛かりを残したとして、警察に連絡しても無能な警察官しか現れなかったとして――」


 ドラマとかでよくある展開だ。


「あなたはそれでも謎を解かないというの?」

「…………」

「見て見ぬふりをするというの?」


 鬼気迫る八乙女さんの問いかけにラブ子先輩は一言だけ答えた。


「私はそれでも恋愛探偵なのだ」

「それが答えというわけね。もういいわ。あなたはやはり探偵失格よ」


 八乙女さんは腕を組んで会話を打ち切った。

 ラブ子先輩はやれやれというふうに首を振ってから一転いやらしい顔付きに変わる。


「ところでマコトくん、最近恋してるのかね?」

「なによ、急に……」

「年頃の乙女の恋人が事件だけなんて悲しいよ」

「そういうあなたはどうなのよ?」

「私は恋愛が恋人だからいいんだね!」

「意味がわからないわ」


 八乙女さんは辟易したように言ってから続けて爆弾を投下する。


「というか、あなたたち交際しているわけじゃないのね?」

「な、何を言ってるんですか! 八乙女さん!」


 僕はついドギマギしてしまう。


「何を慌てているの? 探偵界隈では別に珍しくないことよ」

「そ、そうなんですか!?」


 なんか嬉しい情報を手に入れたぞ。


「心配いらんよ。私たちは恋愛探偵とその助手の関係だからね」

「……そうですね」


 僕からしたら心配しかなかった。

 そんな僕を見かねたように八乙女さんは核心に迫る。


「ラブ子、あなたは恋愛探偵と助手という体のいい関係に逃げているんじゃないのかしら?」

「体だけの関係だって?」


 まずい。ラブ子先輩の下ネタレーダーが反応してしまった。


「はあ、王道くんに同情するわ」


 八乙女さんはこめかみを押さえる。


「恋愛探偵なんて名乗るのをやめて下ネタ探偵とでも名乗りなさいよ」

「誰が下ネタ探偵だね!」


 怒髪天を衝くラブ子先輩であった。

 八乙女さんはそっけなく言う。


「まあいいわ。この一件が片づく頃にはこの助手は私のもとに来ているのだから」

「マコトくん、きみはそんなにも助手にこだわるタイプだったかね?」

「その台詞そっくりそのままお返しするわ」

「ひょっとしてイチズくんに惚れたのかね?」

「は? そんな冴えない助手にどうして私が……」


 なぜか飛び火で傷つく僕。


「まあたしかに彼は童顔で顔は悪くないし意外とタッパもあるし気も利くし声もいいし性欲も強いがね」


 最後のはあんた知らねえだろ。別に普通だし。

 すると八乙女さんはふっと微笑んだ。


「なによ、充分わかっているじゃない」

「むむ?」

「そうね。私は王道くんのためにもあなたに勝つわ」

「おっとこれは手強そうだね。フフフ、だけどそうはさせないよ」


 監視カメラの映像を監視するラブ子先輩と八乙女さんの目の奥は静かに燃えていた。

 なんか知らないけど……ふたりともがんばれ。

 僕が探偵応援団として応援しているとラブ子先輩があごに手を当てながら眉をひそめた。


「この映像どこか妙だね」

「ラブ子、何か気づいたのね?」

「うむ。ところで今何時だね?」


 八乙女さんが銀の懐中時計を取り出して答える前にロックが言った。


「九時過ぎです。さきほどアカ様とアオ様の交代の時間でしたので」

「そうかね」

「セカンドサイドキックさん、それがどうかしたのですか?」

「うむ。誰のことを言うておるのかしらんが――」


 そう前置きしてからラブ子先輩は違和感の正体を突き止めた。


「撮影機の時間が繰り返されておるね。心臓石に映る照明の揺らぎが不自然だ」

「ホワッツ?」


 ロックがモニター前の監視員にすぐさま確認をさせるといつの間にかAルームとBルームの監視カメラの映像がループしていることに気づいた。正確には九時零分零秒から九時零分十一秒までの十一秒間を延々と繰り返していた。


「今すぐ更新しろ! ハリーアップ!」

「は、はい!」


 慌てふためく監視員の横でラブ子は道破する。


「残念だがもうあと一歩遅いだろうね」


 ラブ子先輩の予想どおり映像を更新するとBルームの警戒モードは解除されておりハートダイヤはすでに盗まれていた。一方のAルームはいまだ警戒モード中であるにもかかわらず、透明なショーケースの上に驚きの人物が立っていた。その人物を見て僕は合点がいく。先ほどの着信のあった時間からカメラの時刻がループしていたのだ。つまり事前に映像機器になんらかの細工を施していたのだろう。

 その人物、すなわち――ハットリ店長の手にはハートダイヤがふたつそろって握られていた。

 まるで心臓を鷲掴みにされたような錯覚に僕が陥った次の瞬間、店内に警報が鳴り響いた。


「まさか、どうしてストアマネジャーであるハットリが……」


 ロックは双子を肩に担ぎ直しながら我が目を疑っていた。


「おそらく彼は本物のハットリ店長ではないわ」

「どういうことですか? ディテクティブ・ヤオトメ」

「イレブンお得意の変装ってことよ。彼もしくは彼女が百の顔を持つ怪盗と呼ばれる所以ね」

「でもどうやって生体認証を突破したのですか?」

「それは……まだわからないわ」


 八乙女さんは悔しげに唇を噛んでからハーフフィンガーグローブをはめ直した。


「それよりも今はいちはやく犯行現場に向かうことが先決よ」


 その八乙女さんの横からラブ子先輩は提案する。


「マコトくん、こういうのはどうかね。心臓石を盗めばやつは不幸に見舞われ、それで事件を自然に解決に導くのだ」

「ASAP! 無駄口たたいてないで行くわよ、助手一号、二号」

「誰が助手二号だね!」


 一号は僕に譲ってくれる心優しいラブ子先輩だった。

 それから八乙女さんとラブ子先輩に続いて僕とロックは中央監視室を飛び出すとフロアは赤く明滅していた。その奥ではなぜかエレベーターが上階に昇っている。


「?」


 いやしかし今はそんなことよりも。

 えっと先ほどの監視カメラの映像でハットリ店長がいたのはたしかAルームだったはず。Aルームは実地調査した展示室だから今の僕から見て右だ。エレベーターから見たら左である。

 するとそこでラブ子先輩はぶつぶつ何やら言っている。


「A? B? A……? B……? エビ?」

「それは甲殻類ですから!」


 こんな緊急事態のときに何を言ってんですか。


「ラブ子先輩、Aルームはこっちです!」

「たまに左右がこんがらがってしまうのだね」

「あるあるですけど今はなし!」

「AとBもわかりづらいのだよ」

「それはないよ!」


 そんな初歩的なことでつまづいてたの?


「恋のABCならわかるのだがね」

「だったらわかって!」


 ラブ子先輩はアルファベットのことをなんだと思ってるんだろう?

 いちばんの謎多きラブ子先輩はさておき、僕たちはAルームの前まで駆けつけると双子を肩車しているため両手の塞がっているロックは肩をすくめた。


「見ての通りです。誰か代わりに部屋のロックを解除してください」

「わかりました。ここは僕が」


 そう言ってから僕は掌紋パッドに手のひらを当ててから「王道一途」と、自身の名前を発すると、ガチャンと鍵が解錠された。この扉のすぐ向こうに怪盗イレブンがいるのだ。ラブ子先輩と八乙女さんとアイコンタクトを交わしたのち僕が意を決してハンドルノブを握って扉を開ける。しかし部屋の中を見て僕は拍子抜けした。

 なぜならもぬけの殻だったからである。

 警戒モードは解かれておりレーザートラップもない。赤い警報灯のせいで見えないだけかとも思ったがそういうわけでもなさそうだ。そして怪盗イレブンどころか肝心のハートダイヤもなかった。

 警報の鳴りやまぬなか僕たちはおっかなびっくり入室すると八乙女さんは中央のショーケースに近づき、天井や床や壁をくまなく調べたがやはり誰も隠れておらず何も発見できない。

 そんな僕たちを尻目にラブ子先輩はぶつぶつとまたもや独り言を呟いている。


「やはりあの監視撮影機の映像はおかしい」

「何がおかしいのよ?」


 八乙女さんが問うとラブ子先輩はひとり合点がいくように手をたたいた。


「そうか。違和感があるのは画角だったのだね。A部屋とB部屋は監視光学機が同じ位置に仕掛けられており唯一違うのは心臓石の向き。要するに心臓石の断面と外側がまったくの逆に映っていたのだ」

「何が言いたいのかしら?」

「わからんのかね? 八乙女探偵ともあろうものが」

「黙りなさい。いいからはやく言いなさい」

「黙るのかはやく言うのかどっちなのだね?」

「言え」

「おー怖。よかろう。つまりは――」


 ラブ子先輩がそう言いかけた――その次の瞬間、ブゥン! とゾウの断末魔のような音が聞こえたかと思えば、間もなく停電した。警報が鳴り止み、世界が真っ暗闇の静寂に包まれるなかで自分の心臓の音とラブ子先輩の声だけが聞こえた。


「つまりはA部屋とB部屋の監視撮影機の映像が入れ替わっていたのだね」


 とそこで、とあるところから光が一筋のびた。どうやら八乙女さんが小型の懐中電灯を取り出したようである。彼女は扉まで進むとガチャガチャとハンドルノブを揺すったがビクともしない。


「やられたわ」


 どうやら僕らは展示室内にまんまと閉じ込められてしまったようだ。電子キーの弊害か。

 怪盗イレブンのほうはAルームに入る僕たちを横目にBルームからすでに脱出していることだろう。


「みなさん、慌てないでください。すぐに非常用電源に切り替わるはずです」


 ロックが落ち着いた声音で説明してから無線で外部に的確な指示を飛ばす。


「こちらロック。ただちにエントランスを封鎖しろ。ラット一匹このジュエリーシスターズから逃がすな」

『ラジャー!』

「オルソ、近くの暗視部隊は35階に増援を送れ。ファントムシーフ包囲網始動だ」

『ラジャー! こちらデルタ1。34階から35階に到着。対象が非常用扉をピッキングした形跡あり。今しがた階段を昇り屋上に逃げたと思われます』

「オーケー。追跡しろ」


 ロックが命令したところでデルタ1から不審な無線が入る。


『了解。ん……? なんだあれは?』

「デルタ1。どうした?」

『うわ! こっちに来るな! うわああああ!』


 それを最後にデルタ1からの通信は途絶えてしまった。


「いったい外で何が起こってるんだ?」


 ロックは怪訝そうに呟いた。するとその肩の上の双子の片割れが騒ぎ出す。


「インターネットからせつだんされた? いったいぜんたいどうなってんの!」


 光の漏れるVR機器を装着したアオは「わいふぁいわいふぁい」と必死に空間をまさぐっている。そのうちちいさな手が僕の髪の毛を捉えて勢いよく引っ張った。


「いてててて! やめろ! 僕の髪の毛は電波じゃないよ!」

「ジョシュさん、ずるい」

「ずるくない!」


 黙ってろドM。

 それよりも今すぐやめさせろ! あんたのご主人様だろうが!

 いいかげん僕の毛根も限界だった。


「とっとと現実に帰ってこい!」


 僕はアオのVRセットを奪い取るとアオは驚いたような声を漏らした。


「おそと、まっくら」

「ようこそ。これが現実だ」

「うう、こわい」


 暗闇の中イタいセリフを吐く男子高校生に怯えるアオをロックはなだめる。


「安心してくださいお嬢様。イレブンは袋のラットです」

「どゆこと?」

「イレブンはおふたりの作戦にまんまと引っかかりました。いつからハットリ店長に変装していたのかは知りませんが、もしかしたらイレブン自体の生体情報もゲットできているかもしれません」

「それを売ればまた儲けられるしいい取り引き材料になる」

「さすがアオ様」


 きっとふたりして悪い顔してんだろうな。


「いやしかし……あのイレブンがそんなヘマしますかね?」


 僕がそんなふうに疑問を呈しているとパッと展示室は明るくなった。

 非常用電源に切り替わったのだ。


「はやく部屋を出ましょう。王道くん、お願い」

「はい。というか八乙女さんも開けられるはずですけどね……」


 僕は扉の横の掌紋パッドに触れてから自身の名前を言ったのだがストーンは無慈悲に答える。


「一致する登録情報はありません」

「え?」

「王道くん、何をやっているの? 急ぎなさい」


 しかし何度やっても結果は同じだった。

 まさか。

 そこで僕の代わりにラブ子先輩が言う。


「登録情報が停電により初期化されているみたいだね」


 ということはイレブンの生体情報もゲットできてはいないことになる。加えてこの部屋から出られないってことか?

 さらに追い打ちを掛けるようにストーンは警告する。


「一分後にレーザートラップが起動します。危険ですのですみやかに退室してください」

「は?」


 僕は一瞬にして頭が真っ白になった。


「ヘイ、ストーン。展示モードに移行して!」

「承認できません」

「なんでだよ!」

「声紋が一致しません」


 洒落になってねえって。


「ロックさん!」


 僕はこの場でシステムに詳しそうな執事に視線を向けるが絶望的な答えが返ってきた。


「この部屋にいる限り誰にもストーンは逆らえない。インポッシブルというやつだな」

「そんなぁ」

「おのれ! よくもやってくれたな、怪盗イレブン!」

「なんでちょっと嬉しそうなんだよ! このド変態が!」


 破滅的な性癖に付き合ってられるか!

 するとそこでストーンが十秒のカウントダウンを始めた。

 やばいやばいやばい。

 レーザートラップで五体をバラバラにされてしまうぞ。死体展示場なんて笑えない。

 ふと僕がラブ子先輩を見やれば文字どおりのお手上げ状態だった。

 もう終わりだ。

 僕が諦めかけたそのとき、バチバチッバン! と耳障りな音が鳴った。その方向を見やれば、なんと八乙女さんが扉をこじ開けているところだった。その八乙女さんの手には黒く物騒なものが握られており、おそらくそれで電子キーを破壊したのだろう。

 お手頃サイズのスタンガンを握った八乙女さんは微笑む。


「私の目の前に姿を現さないからこうなるのよ」


 八乙女さんの実力行使にて無事九死に一生を得た僕ら(ロックはすこし残念そうだったが無視だ)は間一髪のところで展示室を脱出した。35階のフロアに躍り出ると蛍光灯が割れており薄暗い店内を八乙女さんは引き続き懐中電灯で照らす。割れたショーケースからカラフルな宝石が散乱する床に暗視部隊と思わしき人物が倒れていた。駆け寄ると気を失っている。

 とそこで速い物体が宝石のショーケースの間を高速移動した。八乙女さんが懐中電灯で追いかけるが捉えることはできない。

 なんだ?

 するとその物体は死角から八乙女さんに飛びかかるとしゅるしゅるーと大理石の床をガラケーが滑った。そののち何者かがバキバキッと黒いガラケーを踏むと薄氷のように破壊される。


「……まさか」


 僕が看破した瞬間、一ツ目を赤く光らせた数匹のロボドッグがオイルを垂らしながら僕たちの目の前に立ちはだかった。


「そんな……警備するはずのロボドッグがどうして……」

「おそらく停電によって管制制御系統が狂いロボドッグは排除モードに突入したのだろう」


 僕の疑問にロックは簡単に説明した。

 それから階段を昇って増援に来た警備員たちをロボドッグは見境なく襲いだした。そのなかにはエントランスで僕を引き止めたあのときの女性警備員もいた。そんななか一匹のロボドッグがこちらを睨みつけており僕はラブ子先輩の前に一歩出る。


「ラブ子先輩は僕から離れないでください」

「イチズくん、ご武運を」

「はい。こういうときのための助手ですから」


 格好つけて僕が構えをとった瞬間、ロボドッグはガチャンガチャンと走り出して特攻してきた。宝石でならされた砂利道を滑ることもなく一直線に向かってくる。鋼鉄の犬歯が僕に牙を向けたところで僕は咄嗟にその場に落ちていた真珠のネックレスを掴み取るとロボドッグの口に押し当てた。ロボドッグの強靱な力に押されて倒されてしまうが、さすがはジュエリーシスターズ製のネックレスだ。ロボドッグに噛まれても壊れない。


「八乙女さん! 今です!」

「え?」


 呆気にとられる八乙女さんだったがすぐさま僕の意図を察する。


「でもそれではあなたまで感電するわ」

「構いません! はやく!」


 体の頑丈さだけが僕の取り柄だ。

 僕が必死の形相で訴える横で変態執事はうらやましげに指をくわえていた。


「ジョシュさん、あなたも好きですねぇ」

「あんたと一緒にするな!」


 するとラブ子先輩もここぞとばかりに変態的な提案をする。


「今度いっしょにSMごっこでもするかね」

「え? いいんですか?」


 ボンテージ姿のラブ子先輩とか最高かよ。

 やばい。ラブ子先輩からの甘い誘惑のせいで力が抜けてしまう。だらしなく僕が相好を崩していると八乙女さんは死んだ眼であろうことか僕の脇腹にスタンガンを押し当てた。


「うぎゃー! なんで僕にー!?」

「どちらが獣なのかわからなくてつい間違えてしまったわ」

「わざとでしょ!」


 僕は言いながらネックレスを握りしめると今の電撃で断線した真珠が床に散らばった。

 しかし八乙女さんのおかげでロボドッグは回路がショートしてばたんきゅープスプスと黒い煙を上げてから倒れた。


「八乙女さんのおかげで命拾いしました。まあその代わりに僕の寿命は縮んだかもしれませんが……」

「だいたいあなたが不謹慎で破廉恥なことを言うのがいけないのよ」


 僕というかラブ子先輩から言い出したんだけどな。


「八乙女さん……なんか怒ってません?」

「別に怒っていないわ。あなたは私の助手でもないわけなのだから」

「そうですか」

「今はまだ、ね」

「えっと……」


 僕が答えに窮していると後方から聞き馴染みの声が聞こえる。


「こっちに来るでない! あっちいけ!」


 ラブ子先輩が一匹のロボドッグに追われていた。とそこでラブ子先輩は床に散らばった宝石を踏んでしまいすってんころりんと転んでしまう。


「ラブ子先輩!」


 僕はあわててラブ子先輩に向かって走ったのだが間抜けなことに真珠を踏んづけてしまい、恋愛探偵とまったく同じ轍を踏んだ。すってんころりんと転んでずるずると床に顔面ダイブを決め込むと目、鼻、口に宝石がはまってしまった。


「ラブ子先輩だいじょうぶですか?」

「うむ。宝石マッサージという貴重な体験をさせてもらったよ」


 僕の目から宝石が落ちるとラブ子先輩のスカートの中が見えそうになり思わず赤面した顔を背けてしまう。そんな気まずい空気を知ってか知らずか、ロボドッグが僕たちに襲いかかる。


「ラブ子先輩!」


 僕は咄嗟にラブ子先輩を庇った――まさにそのとき、僕の目の前に新たな人影が立ちはだかった。

 しかしそんなわけありえない。

 どうしてこんなところに?

 その人物はロボドッグに首を噛まれ甲高い破壊音を奏でると僕たちの身代わりとなった。

 僕はその人物の名前を叫ぶ。


「オシコちゃん!」


 オシコちゃんはもがき苦しみながらロボドッグの尻尾に触れようとした瞬間、ロボドッグはオシコちゃんから離れた。僕はその隙にオシコちゃんを抱き起こすと何度も名前を呼んだ。


「オシコちゃん……どうして?」


 先ほど警報が鳴っているときエレベーターは上昇していたはずだ。そして停電復旧後はエレベーターはこの35階に留まっておらず現在はR、つまり屋上の案内表示が点灯していた。そこから導き出される結論はオシコちゃんは警報が鳴っているときエレベーターには乗っていなかったということになる。ならば他の誰かがあのエレベーターに乗っており、そしておそらくその人物こそがオシコちゃんをエレベーターから追い出したのだろう。

 オシコちゃんは首の皮一枚ならぬ、コード一本で意識を保っているようだった。事切れる直前までオシコちゃんは譫言のように繰り返していた。


「上に参ります。☆@※◆に到着しました」


 そのままオシコちゃんは電池が切れたように動かなくなってしまった。


「僕たちを守ってくれてありがとう。オシコちゃん、どうか最上階でも安らかに」


 僕はオシコちゃんの冷たくなった手を胸の上で組ませてから床に優しく寝かせた。花畑のような宝石に囲まれながらオシコちゃんは永い眠りについた。

 その最期を見届けたのちラブ子先輩はピンクのチェック柄のハンチング帽を目深に被りながら言う。


「フフフ。どうやら機械人形も恋に落ちるらしいね」


 恋愛探偵にしてもいささかロマンチックな物言いだった。

 しかしオシコちゃんがこの場に現れた謎を解き明かすためにも屋上へ行かなければならない。

 ロボドッグなんかに足止めされているわけにはいかないのだ。

 そうはいったものの数匹のロボドッグが屋上へと続く通路に立ちはだかっており僕たちの行く手を阻む。にらみ合い膠着状態が続いていると僕たちの前に変態執事が颯爽と現れた。


「ご主人様に噛みつくとは飼い犬の風上にも置けん」


 一歩前に出たロックをロボドッグは取り囲み一斉に飛びかかった。するとロックは肩に背負った双子を高いたかいの要領で真上に投げてからその滞空している間にロボドッグの頭を掴みもう一匹のロボドッグの頭にぶつける。さらに襲いかかるロボドッグに掌底を食らわせたのち脳天にかかと落としを決めて鉄クズに変えた。正当防衛とはいえ、それはこちらの心が痛むほどだった。

 それからロックは双子を華麗にキャッチすると背中越しに言う。


「ここは任せて先に行け!」

「ロックさん……恩に着ます」

「その代わり必ず怪盗イレブンを捕まえてみせろ」

「はい!」


 僕は大きく返事をしてからラブ子先輩と八乙女さんとともにショーケースの間隙を縫う。依然としてエレベーターは屋上で停まっていた。さてどうやって屋上まで向かおうか。

 そんな僕の心中を察したように八乙女さんとラブ子先輩は言う。


「またいつ停電が起こってエレベーターが停止するかもわからないわ」

「うむ。それに十一怪盗は非常階段を昇って屋上に逃げたらしいのだ。ならばわれわれも階段で追ったほうがいいだろうね」


 探偵ふたりの意見が一致したのでさっそく非常階段へと向かった。

 薄暗い緑のフットライトが照らす階段には隊員たちがのびている。気を引き締めながら僕たちはその屍を超えていった。といってもまだ息はあるんだけど。見たところ全員不殺だ。

 すると40階を超えたあたりでラブ子先輩に異変が起こる。


「ハアハア、んあはあ」

「ラブ子先輩?」

「勘違いするな。喘いでいるわけではないぞ。んはっぁ」

「喘いでんじゃねえですか!」


 強がってんじゃねえよ、まったく。


「僕がおんぶしましょうか?」

「ばかをいえ。そんなことされたらもっと喘いでしまうではないかね」

「そうなの!?」

「私は感じやすいのだ」

「知らないですよ!」


 いきなり衝撃の告白をするな。

 僕たちの会話を聞いて八乙女さんはこめかみに手を当てる。


「情けない。探偵に体力は基本でしょう。恋愛にばかりうつつを抜かしているからよ」

「恋愛も夜は体力勝負だがね……フフフ」


 しょうもないことを言ってからラブ子先輩は柄にもなくその場にへたりこんでしまった。


「私はいいから先に行け」

「は? なに言ってんですか?」

「体力の限界。私はここまでのようだ」

「だとしたら僕もここに残ります」

「いかん」

「どうしてですか?」

「きみは最高の助手だからだ」


 ラブ子先輩はまっすぐとした眼差しで僕に言った。


「きみはどんなときも前だけを向いてひた走れ。王道一途」


 前だけを向いて走れって言われても……僕はどこに向かって走ればいい?

 いや、とぼけるのはよそう。

 そんなのあなたと出会ったときから決まっていた。僕にとってあなたが道しるべなんだ。

 僕はラブ子先輩の体温の上昇した肩を担いだ。


「な、なにをしておる!? きみは前を向いて――」

「僕の前にはいつもラブ子先輩がいるんだ! それ以外はうしろでいい!」

「イチズくん……」

「僕じゃダメなんですよ。ラブ子先輩がいなきゃ解決編が始まらないんだ!」


 この世で探偵だけが事件を終わらせる権限を持つ。

 だったら。


「ラブ子先輩を現場に連れて行くのが助手である僕の役目だ!」


 今夜は名探偵・恋泉ラブ子の一夜限りの晴れ舞台なんだ。

 ぜったいに台無しにしてたまるか。

 すると横からとある人物がラブ子先輩のもう一方の肩を一緒に担ぐ。八乙女さんだ。


「こんなにも世話が焼けるものなのかしら? 恋愛探偵というのは」

「マコトくん」


 僕らは両サイドからラブ子先輩を支えて階段を一段一段昇った。千里の道も一歩からだ。


「わかったのだよ。私を現場まで連れて行ってくれたまえ」

「お安い御用です!」


 と僕が言った瞬間、上階の非常用階段からロボドッグが降りてきた。赤い一つ目が僕たちを捉える。

 絶体絶命の大ピンチ。


「――ッ!」


 僕は先手必勝でロボドッグに飛びかかると階段の踊り場で取っ組み合いの格好になった。最終的に僕がマウントポジションに収まったのだがばたつくロボドッグを押さえるので精一杯だった。


「ラブ子、離れなさい」


 そこでバチバチッと八乙女さんがスタンガンを鳴らす。


「ちょっと八乙女さん! さすがに一日にⅡ《ツー》スタンガンはやばいですって!」


 いくらタフな僕といえど心臓がもたない。


「ならどうするの?」

「それは……」


 僕は必死に頭をひねる。所詮はロボドッグも機械のはずだ。だとすれば安全装置やら電源ボタンやら搭載されているはずである。そこで僕はオシコちゃんがロボドッグにしようとしたことを思い出した。


「そうだ。しっぽ……ロボドッグの尻尾です!」

「そういうことかね、イチズくん」


 僕の思惑を瞬時に察したラブ子先輩は僕の股下からロボドッグの尻尾を思いっきし引っ張った――次の瞬間、ロボドッグの赤目がピコピコとカラフルに点滅してからブゥンとうな垂れた。そののちロボドッグは再起動すると今度は黄色の目に変わり油断した僕をはねのけるとラブ子先輩を標的に見据えてから飛びかかった。


「ラブ子先輩!」


 あわてる僕をラブ子先輩は手で制す。それからロボドッグに手を甘噛みさせて体臭を嗅がせるとロボドッグの目が緑に変わり尻尾をブンブンと振る。


「おすわり。おかわり」


 ラブ子先輩が命令するとロボドッグはおとなしく従った。


「ちんちん」

「余計な芸を仕込まないでください!」


 しかしどうやら新しい主人を新規登録できたようである。

 そのロボドッグの首輪には型番MS311と表記されていた。


「今日からきみの名前はイヌタクだ」

「イヌタク?」


 ずいぶんと変わった名付けのセンスである。

 ともあれ、その仲間に加わったイヌタクにラブ子先輩は飛び乗った。


「では屋上まで頼むぞ、イヌタク!」


 その元気になったラブ子先輩を追いかけるかたちで僕と八乙女さんも階段を駆け上がる。

 そしてついに階段を昇りきると屋上へと続く扉は電子ロックでもない普通の扉だった。ドアノブも一般的な円筒型のものである。そしてあとは扉を開けるだけといったところで、ノブを握ったままなぜか足踏みする探偵。


「八乙女さん?」

「ええ、わかっているのだけど怖いの。この扉の向こうで犯人が待っていると思うと」


 犯人を追い詰めて死なせてしまったトラウマ。そのせいで八乙女さんは現在までイップスに陥ってしまったらしいが、しかし探偵に限らず犯人と対峙するのはそら怖いだろう。だけどそんなことを言っていては探偵は務まらない。


「本当はひとりで立ち向かうのが怖かったのかもしれないわね。お父様にもおまえは探偵に向いてないってはっきりと言われたわ」


 八乙女さんは本音を吐露するように言った。


「でも八乙女さんは探偵協会のエースなんでしょう?」

「その期待も裏切りつつあるわね」

「そんなことありませんよ。もっと自信を持ってください。僕は頼りない助手かもしれないですけど頼りになる恋愛探偵がついてます」


 僕が指すと当の本人は、


「お尻いて」


 と、お尻をさりながらロボドッグと戯れていた。

 助手としてはバツが悪い。


「要するにですね。八乙女さんはラブ子先輩のライバルなんですからすごいに決まっています」

「ライバル、ね」


 八乙女さんは失笑まじりに微笑む。


「いつかそうなれたらいいわね」

「きっとなれますよ」


 僕が陰ながら応援していると突如お尻に激痛が走る。ロボドッグにお尻を噛まれていた。


「うぎゃー!」

「だ、大丈夫? 王道くん」

「はい……なんとか」


 ラブ子先輩、あんたやりやがったな。

 僕は四つん這いになりながらお尻をさすって恨み節の視線を向けるもラブ子先輩は素知らぬ顔でロボドッグを撫でていた。


「いい子だ、よくやったぞ」

「なんでこんな真似するんですか? ラブ子先輩」

「それはきみのお尻が美味しそうだからだろう」

「はい?」


 そんな意味不明なことを言い残したのち、ラブ子先輩は最終決戦への扉を開け放った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る