第3恋 怪盗イレブン、現わる。
1
「なあヒト、昨日の犯行予告状のニュ―ス観たか?」
「さあ、なんのことね?」
「知らないのか? マジで?」
ヒトでも知らない情報ってあるんだな。
こいつも人の子ということだ
「当たり前やんね。別にボクだってこの世のすべての噂や都市伝説ば網羅しとるわけじゃなかとよ」
「そりゃそうだろうけど、国内外でニュースになってるしSNSのトレンド1位にもなってるんだけどな」
「へえ興味なかね」
「まあそう言わずに聞けよ」
それからいつものお返しというわけではないが僕は教室の椅子に座り直しながら後ろの席のヒトに情報を提供する。
「事件は宝石商ジュエリーシスターズ東京本店に送られた一通の犯行予告状から始まったんだ」
ゴシック体のフォントで内容は次の通りだ。
『ジュエリーシスタ―ズへ告ぐ
来たる5月11日
ハートダイヤをいただく
グッド・バイ
日本の諸君
怪盗イレブン』
ヒトは眉をハの字にひそめる。
「今どき犯行予告状って……」
「ああ、怪盗イレブンといったら劇場型の怪盗の代表格だからな」
そして予告状の文面から察するに日本で行う最後の盗みになるだろうことがうかがえる。
どこから漏れたのかジュエリーシスターズとしてもこの件はおおやけにはしたくなかったかもしれないが、イレブン本人がテレビ局やマスコミ関係に電報でも送ったのだろう。
「約一年前、イレブンは時価総額一千京円ともいわれるダイヤモンドの仮面を盗んだかと思えば、盗賊団から盗品を盗み持ち主に返したりもしているそうだ。基本的には盗品は貧しい人たちに分配されてるらしいぜ」
「結局なにがしたいんやろうね」
「イレブンは宝が目的ではなくて盗むことそれ自体が目的になってる感じなのかもな」
目的と手段が完全に入れ替わっている
ヒトは興味ないなりに分析する。
「希少性ば売りにして価格をコントロールしている商人からすっとマーケットクラッシャーのごた存在やろね」
「ああ。だけどその一方で民衆の心を奪って離さない注目の人物でもある」
そこだけを切り取って巷ではイレブンはこう呼ばれている。
「心を盗む怪盗、と」
日本各地に熱狂的なファンもちらほら現れているとかいないとか。
ちなみにそんなイレブンは古式ゆかしい怪盗のようで――
「嘘か真か、イレブンは変装の達人で読唇術から果ては声帯模写までやってのけるらしいよ」
「すごかすごか。年末の隠し芸大会にでもでればよかとけ」
ヒトは自身の爪を眺めながらつまらなそうに言う。
「だけんケイちゃん、ゴールデンウィーク中も忙しくて泊まり込みやったとか」
「そういうおまえはゴールデンウィーク中なにしてたんだよ? ひとりのときは僕を呼べよ?」
もうひとりの母親はホステスさんなのでヒトはひとりで寂しい夜を過ごしたはずである。
「そいがさ、ボクもいろいろ立て込んでて忙しかったとよ」
「……ならいいけどよ。僕とおまえの間に嘘はなしだぜ?」
「嘘はなかよ。秘密はあるばってん」
「……まあ言えない秘密なら誰でもあるだろうけど」
「そうやんね。イチならそういうと思っとった」
そう言ってヒトは儚げに笑った。
「イチ、ありがとくさ」
「なんかしたっけ、僕?」
つーかなんだその今生の別れみたいな……。
「保育園の頃さ、イチは佐賀から引っ越してきたボクに優しくしてくれたやん?」
「そんな昔のこと憶えてないよ」
「ボクは憶えとっと。方言ばからかわれたかっぺなボクを守ってくれたと」
「かっぺって……」
「でもイチがそのままでいいってボクに言ってくれた。イチがおらんかったらボクは小・中・高とずっとひとりやったと思うけん」
「そんなことないと思うけどな」
本心からそう言って僕は真剣な面持ちでヒトにとあるお願いをする。
「それから忙しそうなところ悪いけどよ。個人的な頼み事なんだがケイさんにラブ子先輩のご両親の事件について調べてもらっていいか?」
「急にどがんしたとさ?」
「いやまあ……内緒」
「ふーん」
ヒトは白いジト目を向けたあとうなずいた。
「よかよ。秘密はお互いさまってことで」
「ありがとう、ヒト」
それ以上はなにも聞かずにヒトは了承してくれた。
やはり持つべきものは親が警部で情報通の親友にかぎる。
***
その日の放課後、部室に行ってもラブ子先輩の姿はなかった。ハートフィリアがいつものクッション性のハート型キャットベッドで丸まっている。僕は足音を殺して近づき撫でようとした次の瞬間。
「ギャース!」
ガブッと手を噛まれた。ラブ子先輩はいないし猫に噛まれるはの踏んだり蹴ったりの背中を引きずりながら僕は帰り道を歩く。すると何の前触れもなく黒塗りのリムジンに横付けされたかと思えば、中から飛び出してきた屈強な黒服に車内に押し込まれる。
「え? なになに!?」
頭から座席にダイブすると僕の頭は柔らかなクッションに衝撃を押し殺された。心臓バクバクのまま見上げるとそこには見知った人物がいた。
「ラブ子……先輩?」
「ごきげんよう。イチズくん」
奇しくも僕はラブ子先輩に膝枕されていた。
柔らかですべすべで温かい太ももの感触を後頭部で直に感じる。
もうこのまま死んでもいい。
「……こんなところで奇遇ですね」
などと平静を装いながら僕も言ってる場合じゃない。なんだこれは。
「今はいったいどういう状況なんですか?」
「私がイチズくんを湯たんぽ代わりにしているという状況だね」
たしかにラブ子先輩目線ではそうなる……のか?
「いやそうじゃなくてですね……」
「私もよく知らんのだ。詳しいことはそこの老齢の紳士に聞くんだね」
コキッと僕の首をラブ子先輩は無理に曲げてリムジンの後部座席側を向かせた。そこには黒いタキシードを着用した老紳士が持ち手の丸い黒杖をついて座っていた。白髪と白ひげをたくわえ、シミだらけの顔。目深にかぶったよれよれのハットからのぞいた目は白く濁っている。しかし弱々しい雰囲気は一切なく堂々とした佇まいだった。
「はじめまして。わしは九十九八雲ともうす者じゃ」
「九十九八雲って探偵協会会長の?」
そしてラブ子先輩の育ての親である。
「そうじゃ。ラブ子がいつもお世話になっておるようじゃな。王道一途くん」
「いえいえ、こちらこそ……」
というかなんで僕の名前を知っているのだろうか。
しかしこの探偵の中の探偵に調べられたら僕の経歴なんて一瞬で丸裸にされてしまうだろう。
僕は身構えながら名残惜しいがいいかげん起き上がろうとしたところで強い重力に沈んだ。
「湯たんぽが動くでないよ」
「は、はい」
そんな膝枕される僕を死神探偵は濁った白い目で見つめる。
「そのままでよい」
そのお言葉に甘えてこれから僕は湯たんぽとして生きようと思った。
だがいかんせんこんなワガママを言うとはラブ子先輩にしては珍しい。
なんか不安よな。
この車はどこに向かってるんだ?
その僕の疑問を察したように九十九会長は説明を始める。
「おぬしらを集めたのは他でもない。探偵協会にとある依頼があってじゃな」
「私は探偵協会所属の探偵ではないのだがね」
「ラブ子や、そう言うな。老い先短い老人の頼み事を聞いておくれ」
さすがの死神も娘には弱いらしい。
「だいたい依頼があるなら部室に来ればよいではないかね」
「わしは重度の猫アレルギーでな。ただでさえ猫は好かんのじゃ。行動が読めんからのう」
孫に言いきかせるように言ってから九十九会長は概略を説明した。
「怪盗イレブンの犯行予告状の件は知っておろう?」
「はい。一大トピックスになってますからね」
「その怪盗イレブンからハートダイヤをぜひとも守り抜いてほしいのじゃ」
「僕たちが? いち高校生に過ぎませんけど……」
「年齢は関係なかろう」
それは重みのある発言だったが、しかし。
するとラブ子先輩が口を開いた。
「あんなものくれてやればよいものを」
「そう言うでない。ラブ子や」
僕はそのラブ子先輩の言い草にとうぜん引っかかる。
「あんなものくれてやればよいって……ラブ子先輩、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だが?」
しかしそれ以上ラブ子先輩はなにも言うつもりはないようだ。その代わりに九十九会長は懐からスキットルを取り出してウイスキーを煽ったのち説明した。
「二対一体の宝石であるところのハートダイヤは実はいわく付きでな、ふたつ揃って持っておると不幸が訪れるとされておる。そしてもともとはラブ子の両親が持ち主だったんじゃ」
「なんですって?」
なぜそんな危険なものをラブ子先輩のご両親は所有していたんだ?
「探偵と死神は紙一重じゃ。じゃからこそハートダイヤの呪いにも屈せず頻発する事件にも対処できたんじゃよ。その甲斐あって探偵協会でもふたりはナンバーワンツーの業績を叩きだし、あやつらは腕利きの探偵として一気に名を馳せたんじゃ」
探偵と死神は紙一重か。
有名な探偵のジレンマだ。
事件が起こるから探偵がいるのか、はたまた探偵がいるから事件が起こるのか。
「じゃが十年前、探偵業を引退して田舎でカフェを営んでおったラブ子の両親はそのカフェで起こった火事により鬼籍に入った。事件後、警察は密室であった点と店のダイヤル式の金庫が開いていたにもかかわらずなにも盗まれていなかった点、そして決め手はふたりの遺体から薬物が検出されたことから事件性はないと判断したんじゃ」
「薬物?」
つまりはラブ子先輩の両親はまともな判断能力を失っていたってことか。
すると聞き捨てならないというふうにラブ子先輩が口をはさむ。
「そんなもの偽装工作でなんとでもなる。たとえばクスリを第三者から盛られたために火事から逃げ遅れたと考えることも可能だ。こんな初歩的なトリックに欺かれるとは死神探偵も地に落ちたものだね」
「ラブ子よ、あまり年寄りをいじめるでない。事件当時、店は閉まっており恋泉夫妻が使用したと思われるふたつのティーセットからも薬物反応が出たことやその他もろもろ検証されたはずじゃ」
九十九会長は頭を掻きながら苦笑した。
僕は水掛け論になりそうだったのですこし話の角度を変える。
「ということは仮に犯人がいたとしてもハートダイヤもお金も盗まずに現場を去ったってことですか?」
「そうなるのう。ちなみに事件当時、ダイヤル式の金庫はなぜか開けられておりその中に保管されておったハートダイヤは無事だったそうじゃが売上金のほうは燃えカスになっていたそうじゃ」
「ん? でもダイヤってたしか燃えると二酸化炭素となって消えるんじゃ……」
「それが普通のダイヤとは違いハートダイヤは耐火性なんじゃよ。たとえ炎のなかでも輝き続けるんじゃ」
そう言って九十九会長はしわくちゃな頬をあやしく緩めた。
手つかずの金庫と火中のハートダイヤ……か。
「聞くのは酷かもしれませんけど、事件当時ラブ子先輩はどうしてたんですか?」
「当時小学生だった私は英語教室に通っておってな」
「ええ!?」
「驚きすぎだ。馬鹿者」
「英才教育の完全敗北じゃないですか」
絶望する僕を無視してラブ子先輩は続ける。
「私が英語教室に行っておる間に家が全焼してしまってね。それ以来、私は英語が心的外傷になってしまったのだよ」
「…………」
本当かよ。ただの言い訳では?
重たい話ゆえにあえて突っ込まずに僕が膝の上でおとなしくしているとラブ子先輩は事件当時の状況を説明しだした。
「実家から立ちのぼる黒い煙を見て私は血の気が引いていると、不思議なことにいつもは店のなかで看板猫をしておるハートフィリアがなぜか店の外にいたんだね」
実家が燃える光景を見るとは筆舌に尽くしがたいものだろう。
横向きで膝枕してもらっているために僕からはラブ子先輩の表情はうかがえないが。
「ん? というか事件当時カフェは密室だったんですよね? ならハートフィリアはどうやって店の外に出たんですか?」
「今も昔もハートフィリアは脱走の名人猫だからね。だけど気がつけばコロッと店内に戻ってきておったよ」
「……猫あるあるですけど」
つまり脱走の謎は猫のみぞ知るってことか。
「ちなみにハートフィリアの猫の巣は火事にあったにもかかわらず奇跡的に燃え残っておってな、今でも同じものを使っておるよ」
「猫は寝床が変わると眠れないらしいですしね」
ずいぶん年季の入ったキャットベッドだと思っていたがそういう背景があったとはな。
まだラブ子先輩の中でこの事件は終わっていないのだ。
「ラブ子先輩とハートフィリアはそのときから一緒だったんですね」
すると九十九会長はハートダイヤの件に話を戻した。
「その事件の後ハートダイヤを相続したラブ子がジュエリーシスターズに寄贈したのじゃ。じゃがその年の暮れにジュエリーシスターズの先代夫婦は不慮の交通事故に遭い帰らぬ人となった」
「え?」
「そして現在は先代の実の娘である双子姉妹がジュエリーシスターズを相続し実権を握っておるらしいのう。特にハートダイヤの管理には注意を払っておるとか」
そういう経緯があったのか。
こうしてまたひとつハートダイヤの呪いが生まれてしまったというわけだ。
すると九十九会長は念押しするように確認した。
「ラブ子や、探偵協会に入会する気は本当にないんじゃな?」
「ないね。九十九おじさま、断言できる」
「そうか。ラブ子がおれば数多の未解決事件が解決されてたくさんの人が救われると思うんじゃが残念じゃ」
こうも頑なに恋愛探偵にこだわる理由がラブ子先輩にはあるのだろうか。
それがいちばんの謎だ。
「じゃがそれと今回の依頼は別じゃ。元を辿れば今回の依頼は
「…………」
「どうじゃ? ハートダイヤの件、引き受けてくれんかのう?」
続けて説得する九十九会長にラブ子先輩は迷っている様子で沈黙した。
なので大きなお世話だと思いつつも僕は助手として口をはさんだ。
「お言葉ですけど、九十九会長みずから依頼を受けるのでは駄目なんですか? 安楽椅子探偵として名を馳せているわけですし」
それともやはり探偵の花形といえば殺人事件で『怪盗退治』は得意なジャンルではないのだろうか。
ミーハーな僕がそう思っていたら思わぬ解答が返ってきた。
「わしは探偵ではない」
「はい?」
どういう意味だろう。
あなたこそが探偵というか名探偵の代名詞的存在のはずである。
もう現場からは引退したってことか?
「かつてはわしも日本三大未解決事件のひとつ『百億円事件』に人生を懸けたんじゃがのう」
「日本歴史史上もっとも大きな金額の盗難事件ですね」
「悲願じゃった。寝食も忘れるほどに血道を上げたもんじゃったが、ついぞ真相究明には至らんかった」
たしかラブ子先輩の両親もこの事件について調べていたはずだ。
すると九十九会長は悲哀をにじませて回顧する。
「わしの母親は銀行員でな、この百億円事件のあと自らの責任をとるかたちで首をくくったんじゃ」
「……そうだったんですね」
本当に優れた探偵の周りでは不幸が尽きないと僕は思った。
「この事件解決自体に百億円以上が費やされたがいまだ解決の糸口は見えず迷宮入りしておる」
「でも半世紀以上前の事件ですよね? 犯人ももうこの世にはいなんじゃ……」
「かもしれんな。じゃが、もはやそういう問題ではないんじゃよ」
そんなひとつの事件に人生を捧げてしまうこともあるのか。
探偵とはなんと業の深い職業なのだろう。
ともあれ、今回こんないち高校の弱小部に警護のお鉢が回ってきたのは元を辿ればハートダイヤがラブ子先輩のご両親の持ち物だからなのだろう。
だとすれば助手として僕の答えは決まっていた。
「ハートダイヤはラブ子先輩のご両親が大切にしていたものです。怪盗イレブンなんかに絶対に渡せません」
「イチズくん……」
ラブ子先輩はしばし考え込んだのち決心したように答える。
「よしわかった。今回の依頼、恋愛探偵部が承ろう」
「おほほ。よく言った、ラブ子や」
「勘違いしないでほしいね、おじさま」
ラブ子先輩は窓の外を見つめながら九十九会長に言った。
「これは元はといえば私が宝石姉妹の先代夫婦に心臓石を譲ってしまったことをきっかけに始まったことなのだ」
ちなみに宝石姉妹はジュエリーシスターズ、心臓石はハートダイヤのことである。
ラブ子先輩なりにいちおう責任は感じていたらしい。
そうこう話し込んでいるとリムジンはきらびやかな高層ビルの前で停車した。カラフルにライティングされたビルディングはまるでお洒落なカクテルを思わせる。
「実はもうひとり探偵協会から優秀な探偵を派遣した。ラブ子、おぬしもよく知る人物じゃ」
そう言って死神探偵は血色のよい笑顔で僕たちを送り出した。
かくして地上70階のタワー型宝石店ジュエリーシスターズの前で僕と先輩は降車した。するとそこにはとある人物が腕を組みながらビルのエントランスに背をあずけていた。
「久しぶりね。ラブ子」
「うむ。息災だったかね、
「おかげさまでね」
その女性は黒髪ロングヘアをなびかせ、黒いセーラー服の上にはこれまた黒いロングコートを羽織っていた。黒いハーフフィンガー手袋を嵌めた手で探偵協会所属の証である銀の懐中時計を見やる。
「けれどマコトくんはやめなさい。
どうやらこの人物が探偵協会から派遣されたという探偵らしい。
するとラブ子先輩は重たい雰囲気にならないように気を遣いながら口を開いた。
「風の噂で聞いたがマコトくん、きみは絶賛スランプ中らしいね?」
「大したことじゃないわ」
「なにも追い詰めた犯人を死に追いやってしまったとか……」
「そうよ。でも探偵として生きていくためには避けられない悲劇だわ」
それから八乙女さんはキッとラブ子先輩を侮蔑の込もった眼差しで見返した。
「謎から逃げる臆病者なんかに気を遣われたくないわね。とっとと帰りなさい」
「ふむ。私も帰りたいのはやまやまなのだがね」
そう言ってラブ子先輩が視線を僕に向けるとつられて八乙女さんも僕を見やった。
「うちの助手が魔性の石ころをどうしてもとご所望でね」
「ラブ子、以前あなたはサイドキック……助手はとらない主義だって言っていなかったかしら?」
それは僕は初耳だった。
でも考えてみれば、九十九会長に引き取られ幼い頃から探偵だったラブ子先輩なら助手のひとりやふたりいてもおかしくないはずだ。
ラブ子先輩は飄々と答える。
「それは探偵時代の話だね。今の私は恋愛探偵に新しく生まれ変わったのさ」
「恋愛探偵、ね。どうせ依頼といっても浮気調査が関の山でしょう?」
「人の恋愛模様ほど心動かされるものはないよ」
「酔狂ね。理解に苦しむわ」
「それはきみが本当の恋を知らないからだよ。マコトくん?」
「余計なお世話よ」
これは八乙女さんの言うとおりである。
人の恋愛観についてとやかく言うべきではない。たとえ恋愛探偵であっても。
「失敬。私としたことがつい差し出がましいことを言ってしまったね」
ラブ子先輩は素直に反省した様子で言った。
「だがね、恋愛はいいものだ。そしてこの世に愛ほど深い謎はない」
「私はそんなの認めないわ」
八乙女さんはこれに真っ向から反論した。
「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば
「呼ばれたくて呼ばれていたわけではないがね」
懐かしむように語るラブ子先輩。
僕はそのことに素直に驚く。
ラブ子先輩、名探偵って呼ばれてたの?
実は探偵業界ではかなり有名なのか、この人。まあ血縁関係はないとはいえ探偵協会会長の娘だし、会長じきじきに鍛えられたって言ってたしな。
「でも安心するがよい。私は永遠の十七歳だ」
とても本物の十七歳とは思えない発言である。
「そんな減らず口を叩けるのも今のうちよ、元名探偵さん」
それから八乙女さんは探偵特有の観察眼をもって僕の全身をまじまじと観察する。
「ふうん。それにしても冴えない助手ね」
「……もしかしてディスられてます、僕?」
「もしかしなくてもいいわよ」
「もしかしてもくれないんですか!?」
なめやがって。普通の探偵め。
僕が内心憤っているとラブ子先輩が僕の代わりに応戦した。
「マコトくん、きみは人を見る目がないのだね。本当に探偵かね?」
「なんですって?」
「イチズくんは私にはもったいないくらいの優秀な助手だよ」
「いやー照れますね」
僕は素直に嬉しくなってしまう。
そんな間抜け面の僕を見て八乙女さんは悔しげに眉をひそめる。それから突如なにかを思いついたように提案した。
「ではこうしましょう。どちらが怪盗イレブンからハートダイヤを守り切れるか競争をするの。それで勝ったほうが負けたほうの言うことをなんでも聞く――というのはどうかしら?」
「ほう。おもしろい。乗った」
ラブ子先輩は乗り気のようだ。
「私が勝った場合、そうね」
八乙女さんはあごに手を当ててわざとらしく考えるような仕草をしたあといやらしげな視線が僕を捉えた。そして探偵の人差し指で僕を指す。
「そこの助手をもらうわ」
「僕はラブ子先輩以外の助手になるつもりはありませんよ」
「と、言っているけれど?」
八乙女さんに水を向けられたラブ子先輩は瞑目してから「すまない。イチズくん」と謝ったのち決断をくだした。
「よかろう。条件を飲もう」
「そう。よかったわ。ちょうどうちの屋敷に雑用がほしかったところなのよ」
僕をこき使う気のようである。性格わるぅ!
「おや奇遇だね」
するとラブ子先輩も負けじと対抗する。
「恋愛探偵部にもちょうど雑用がほしかったところなのだよ」
「ちょっとあなた……なにを言い出す気なの?」
八乙女さんはたじろぐ。
構わずラブ子先輩は続ける。
「何のことはない。私が勝った暁にはマコトくんには恋愛探偵部に加入してもらおう」
「その提案はゾッとしないのだけれど……」
八乙女さんは冷や汗を拭いながらも最終的にはうなずいた。
「わかった。いいわ。承知しましょう」
「イチズくんもそれでいいね?」
「はい。望むところです!」
ハートダイヤに関心の薄かったラブ子先輩も部員勧誘魂に火が点いたらしい。
この対決はいろんな意味で負けるわけにはいかなくなった。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私は烏ヶ丘高校3年5組、八乙女真。探偵協会では主に殺人事件を担当しているわ」
殺人事件――連日ニュースで聞くものと同じ単語にもかかわらず違う響きだった。
「あなた、名前は?」
「僕は王道一途です」
「王道一途……助手にしては自己主張の激しい名前ね」
「どうもすいませんね」
文句ならうちの親に言ってくれ。
「安心しなさい。そんな名前でも私のもとで一流の助手に鍛えてあげるわ」
八乙女さんはすでに勝った気のようである。
探偵はどうしてこうもプライドが高くて賭け事の好きな自信家が多いのだろうか。
するとラブ子先輩は一言謝る。
「イチズくん、話の流れとはいえ賭けの対象にしてしまって面目ない」
「やめてください。先輩らしくもない。勝てばいいだけです。僕はラブ子先輩を信じていますから」
僕が気炎を吐いていると、車の窓からその光景を見ていた九十九会長は手を叩いた。
すべて九十九会長の手のひらのうえ感が否めないが乗ってやろうじゃないか。どうせ僕らはみんな地球のうえで玉乗りするしかないのだから。
「マコトちゃん、ハシラとトビラにもよろしく伝えといてくれ」
「はい。お爺さまとお父様にお伝えしておきます」
なんだか良い家が建ちそうな名前の一家である。
どうやら九十九会長と八乙女家は親交が深いらしい。
そしてリムジンの車の窓を閉める際に会長は車内で杖を掲げた。
「両者健闘を祈る」
それは探偵協会会長から贈られた最大級のエールだった。
それからリムジンは真っ赤なルビーのようなテールランプを流線型に描きながら走り去っていく。それを見届けたのちふたりの探偵は肩を並べながら煌々とまぶしい宝石店へ押し入っていった。そんな対照的なふたりの背中を僕は見失わないようにあとから追いかけた。
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