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後日、解析結果がでた。
牧村先生によればラブキャットからはメタンフェタミンによる強い依存性とそれからマタタビと似た成分が検出されたとのこと。マタタビって人間にも効くのだろうか?
僕は部室でぼんやりとそんなことを考えながら必死に眠気と格闘していた。というのも
ハナマル先輩、返信が鬼はやい。指の本数が倍くらいあるんじゃないか思うほどだ。というか、あの人いつ寝てやがんだ。もしかしてそういう嫌がらせの作戦か。これが生徒会のやり方か。
まさかこんなRAIN魔だとは思わなかった。遅まきながらユーザーネームの所以がわかったわ。雨のようにRAINメッセージを降らせてくるから雨女なのだ。
このことを本人に直接ぶつけてみると、次のような返信があった。
『言葉の雨で! 笑顔の花を! 咲かせてみせる!!!』
こちとら涙の雨で毎晩マクラを濡らしてるんだけどな。
まるでSNS社会の生み出した妖怪である。
しかし恋愛探偵の助手として負けるわけにはいかない。
ともあれ昨日の理科室を出たあと僕とラブ子先輩は本格的に聞き込み調査を始めて浮き彫りになったのは、どうやらラブキャットはこの白鳩学園から校外に流出しているらしいということだ。犯人はSNSの捨てアカを駆使し駅前のコインロッカーなどでラブキャットを取り引きしている。他にも一般生徒を売り子にしてラブキャットを配っており親元には届かないような構造にもなっているためたとえ一般生徒を捕まえてもトカゲの尻尾切りというわけだ。
引き続き聞き込み調査を行ってはいるがさすがの恋愛探偵も手詰まりのようである。一方の生徒会のほうはといえば、売人は商品を広く普及させてから値段を跳ね上げるのが商売の常套手段と先読みし生徒会長は大金を積んで犯人をおびき寄せる作戦らしい。ハナマル先輩がRAINでそう言っていた。それが本当だとすれば情報ダダ漏れだ。そもそも犯人がそんなわかりやすい罠に乗ってくるとも思えないが。
そう思いながら僕がラブキャット販売のSNSスパムを閲覧していると訝しげにくまの濃い目を細める。
なんか気になるんだよなぁ。
僕が部室の桃色ノートパソコンとにらめっこしていると思案顔のラブ子先輩が心配げな視線を向けた。
「イチズくん、寝不足なのかね?」
「ええ、まあ。実はですね……」
僕はラブ子先輩にいま現在取り憑かれている雨の妖怪について話した。
するとハナマル先輩とのRAINの一件を聞いたラブ子先輩はパッと顔を明るくさせる。
「あらはなり!」
「あらはなり?」
たしか『あらはなり』とは古語でその意味は明白とか丸見えとかだったっけ?
「ラブ子先輩、まさか犯人がわかったんですか?」
「そうではない」
「なんだ……違うんですか」
あからさまに落胆する僕にかまわずラブ子先輩は問う。
「イチズくん、私を何だと心得る?」
「え? 先輩は先輩でしょう?」
「そう。私は恋愛探偵、恋泉ラブ子だ」
ラブ子先輩は服の上からでもわかるほどの豊満な胸を叩く。
「であるからしてわかったのは犯人ではなく、犯人を恋に落とす方法だ!」
「……はい?」
畜生。
聞き返しながらも僕はすこしだけ犯人のことをうらやましく思ってしまったのである。
ラブ子先輩が犯人を攻略するキテレツなギャルゲームを始めてから一週間後、生徒会を屋上へと招集した。
「恋泉いったいどういうつもりだ、こんなところに呼び出して?」
生徒会を代表して怪訝そうに問う京極寺。
ラブ子先輩は上部に返しのついた草色のフェンスを向いたまま大胆不敵に答えた。
「みなに集まってもらったのは他でもない。今回の愛猫事件の犯人がわかった」
「なんだと?」
京極寺は眉をひそめラブ子先輩に全員の視線が集中するなか、金髪ツインテールは自身の二の腕をさすりながら口を開く。
「にしてもなんで屋上なわけ? ニッピ寒いんですけど?」
「相田副会長、放課後に屋上に呼び出す理由などひとつしかあるまい?」
「も、もちろんあたしもわかってるけどためしに言ってみれば? ラブ子」
強がってんじゃねえよ。
それからラブ子先輩を呼び捨てにすんな。
しかしラブ子先輩はそんな無礼な後輩にも心やさしく正解を伝える。
「それは愛の告白に決まっておろう」
「「な!?」」
心ならずも僕と相田は同時に驚いてしまった。
実は僕もラブ子先輩の隣に立っていながら詳しくは聞かされていないのだ。
謎解きを披露するとばかり思っていたが……まさか愛の告白とは。
つか驚いてんじゃねえよ、相田プリンセス。
問題は誰が誰に告白するのかということだ。相田はラブ子先輩と京極寺を交互に見てあきらかにうろたえていた。そんな露骨に慌てられたらこっちまで不安になるだろう。
しかし僕たちふたりの考えは杞憂だったようで、ラブ子先輩はラブ子カスタムのスマホで時刻を確認した。
「そろそろ定刻だね」
するとちょうどそのタイミングで屋上のドアがガチャリと開いた。
そこに現れた意外な人物を見て思わず僕は声を漏らす。
「どうして……牧村先生が」
「私が呼び出したのだよ」
「ええ!? まさか告白の相手って?」
「フフフ。イチズくん、半分正解で半分間違いだ」
ラブ子先輩は愉快げに説明する。
「残念ながら告白するのは私ではない」
であればいったい誰が告白するのだろう?
「そして私がこの一週間なにをしていたのかといえば、それは愛猫を販売する捨て口座の直接窓口にしつこく何度も恋文を送り続けていたのだよ」
直接窓口とはダイレクトメッセージのことである。
「恋泉、きさま正気か?」
「私は至って正常だよ、京極寺生徒会長」
「とてもそうは思えんが」
僕は京極寺に心のなかで同意しながら質問する。
「売人の捨てアカにラブレターのDMを送ってたってことは?」
「そう。つまり今日、私がこの屋上に呼び出したのは犯人だ」
みなの視線が自然と牧村先生に集中するが当の本人は臆するふうもなく身じろぎひとつしない。どころか白衣のポケットからシガレットケースを取り出してタバコを咥えると、突如どこからともなくもうひとりの喫煙仲間が現れてボォッとジッポーで火を灯した。
「伊集院先生、いつの間に……」
そして伊集院先生は自身もタバコを咥えるとそこで牧村先生は咥えたままタバコを突き出して火口を向ける。伊集院先生は察してその火口に自身のタバコの先端を近づけて火を移すと一服した。
「心に小さな火を灯すのが教師の仕事よね」
「もみ消すのも忘れずにな」
「そこのふたり、気取ったやり取りをしないでください」
二人の変態教師の関係性はいち生徒である僕にはうかがい知れない部分も多いが、どことなく哀愁が感じられた。
その牧村先生の様子を見て京極寺はたじろぐ。
「恋泉、牧村が犯人とはどういうことだ?」
「そのままの意味だよ。愛猫を製造販売していたのが犯人なのだからね」
「それを鵜呑みにしろと?」
京極寺はどうも納得いかない様子だった。
「ダイレクトメッセージを受け取ったからといってほいほいと来る首謀者があるか?」
「もちろんそれなりの動機付けが必要だったがね」
「動機付けだと?」
「教師もひとりの人間ということなのだよ」
じゃれつく猫のようにラブ子先輩は言ってから牧村先生に視線を向けた。
「黙ってないでなんとか言ったらどうかね? 牧村理科教師」
「黙るもなにも恋泉ラブ子の言うとおりだ。おれは他に何を言えばいい?」
牧村先生は肩をすくめた。
「恋の病に効く薬が開発されれば大発明となる。おれは天才になり損なったようだ」
「恋は病というがその薬は愛に他ならないと私は思うがね」
犯人は高校理科教師の
やはりそうなのか。
でもどうしてだよ、牧村先生。
僕はふつふつと言葉にできない怒りが湧いてきた。
それからラブ子先輩は独自の推理を展開する。
「愛猫の製造は理科室ないし理科準備室で行われてたのではないのかね?」
「なぜそう思うんですか? ラブ子先輩」
「イチズくん、きみも一緒に見ていたはずだ。理科室の床に無造作に置かれていた透明な小皿をね」
「小皿というかシャーレですけどね」
細かい訂正を入れる僕を無視してラブ子先輩は続ける。
「要するに、あの小皿は猫の皿だったのだよ」
僕も落語の中では『猫の皿』が一番好きな噺だけども。
「ここら辺をうろつく猫といえばハートフィリアくらいのものですけど……でもラブ子先輩、ハートフィリアはタバコのにおいが嫌いなはずではないですか?」
「うむ。イチズくんの言うとおり猫は基本的にタバコのにおいを嫌がる。もちろんハートフィリアも例外ではない。それはマサルちゃんも認めるところだね」
「へへーん、アタシのほうも嫌ってるもんね!」
「どこで張り合ってるんですか……」
僕は伊集院先生に白い目を向ける。
あんたは子供か。
それから気を取り直してラブ子先輩は続ける。
「ならばなぜタバコのにおいを嫌うはずのハートフィリアが理科室に入り浸っていたのか。それは愛猫に含まれるとある成分に惹かれたからだ。違うかね?」
「…………」
牧村先生は肯定も否定もせずただ紫煙を燻らせる。
「で、ラブキャットに含まれてるそのとある成分とはなんだ? もったいぶってないで早く言え」
京極寺に催促されてからラブ子先輩は答えた。
「それはマタタビだね」
正確にはマタタビと似た成分らしいが製造した本人ならわかっているはずだ。
麻薬犬ならぬ麻薬猫がはからずも仕事をしたというわけである。しかしこれはあくまで状況証拠だ。実はネコの皿じゃなくてイヌの皿だと言われればそれまでだ。なのでラブキャットの製造現場を押さえる必要があるのだが、しかしその必要はなかった。
「おれは本物の愛を知りたかった」
やっと口を開いたかと思えば牧村先生はそんなことを言った。
「おれは普通に憧れていた。一度だけでいい。恋をしたかった。だがいくらラブキャットを飲んでも誰のことも魅力的に思えず恋に落ちれなかった」
「うへぇ。恋に恋する中年なんてイタいだけじゃない。グロスグロス」
「ふっ、相田プリンセスの言う通りだ」
「フルネームで呼ぶんじゃないわよ!」
プリプリと怒る相田を無視して牧村先生は自白する。
「実はラブキャットには元となったクスリがある。それはとある国では自白剤として使われるほど強力なためラブキャットはそれを弱効果させたものだ」
これはとある科学者による恋愛実験だ。
恋ができるというのは実は当たり前ではない。さまざまな条件や環境や、もちろん出会いがなければ発生しない現象なのである。
「おそらくは両親からの無償の愛を知らずに育ったのが原因で愛に飢えていたんだろう」
「恋愛に年齢は関係ない。好きなときから始めればいい。焦らなくてよいのだ」
ラブ子先輩ならきっとそう言うと僕は思っていた。
さすが恋愛探偵。
「恋は落ちようと思って落ちるものではない。いつの間にか落ちているものなのだからね。敏腕刑事に尋問された容疑者のようなものだよ」
最後の例えのせいでいいセリフが台無しだった。語るに落ちるとはまさにこのことである。
それからラブ子先輩は何でもないことのように続けた。
「私の両親は、私が幼い頃に自殺した」
「え?」
それは衝撃の告白だった。
ラブ子先輩が幼い頃にご両親を亡くしていることは僕もなんとなくは知っていたがあえて深くは聞かなかった。
「警察は心中だと判断したようだが、しかし私は両親が自ら命を絶つとは考えられん」
「心中に見せかけた殺人だってことですか。でも誰がそんなことを……」
「私の両親は元探偵協会所属の探偵で逆恨みを買うことは多かった。そして現役時代はかの有名な『百億円事件』を追っていたくらいなのだ」
僕でもさすがに知っている有名な未解決事件だ。
「そしてどうやら私の両親はその百億円事件の真相にもたどり着いていたようなのだ」
「え? でもまだ百億円事件は未解決のままですよね?」
「うむ。私の両親は真相を公表せずに探偵を引退したからね。その後鬼籍に入ったため、今となってはこのふたつの事件の真相は闇の中だ」
なぜラブ子先輩のご両親は百億円事件の真相を公表しなかったのだろう? いろいろと証明や検証に時間がかかるからなのだろうかと、素人ながらに僕は思った。
というかラブ子先輩はこんなところで恋愛探偵なんぞをやっていていいのか。
両親の仇をとりたいとは思わないのだろうか?
「そんな天涯孤独の身になったところを現探偵協会会長である九十九八雲(つくもやくも)に引き取られ、薫陶を受けると私は探偵のイロハを叩き込まれたのだね」
「九十九八雲……」
もはや探偵の代名詞ともいえる人名だった。
通称、死神探偵。
彼がひとたび道を歩けば事件が起こり人が死ぬ。そのためにつけられた異名だ。それを防ぐべく九十九会長は外出を極力ひかえ、安楽椅子に座ったまま数々の事件を解決するようになったのだという。探偵として有名になるのはハンデだが、その点この死神探偵には関係ない。
「失敬。脱線させてしまったね」
ラブ子先輩はピンクのハンチング帽を被り直しながら伏し目がちに言う。
「イチズくん、話を戻してくれたまえ」
「は、はい」
僕はラブ子先輩の意に沿うように話をレールに乗せる。
「えーっと、牧村先生がラブキャットを製造した理由はなんとなくわかりました。それならなぜラブキャットを流行らせようとしたんですか?」
「そんなことか。決まっている」
牧村先生はポーカーフェイスを崩すと狂気に顔を歪ませて答えた。
「治験だよ。完璧なラブキャットを作るためのデータは多ければ多いほうがいいからな」
マッドサイエンティスト・マキムラの異名は伊達ではない。
しかし本当にそうなのか?
牧村先生は本当にそんなことをやる人なのか?
「それは違うね」
そんな僕の思いが通じたのかラブ子先輩はするどく否定したのち懐からココアシガレットを取り出して人差し指を中指の間に挟んだ。
それを観察しながら牧村先生は目を細める。
「恋泉ラブ子、その否定の根拠は?」
「実は私は牧村理科教師に成分解析を依頼するまえに愛猫をこっそり服用してみたのだが――」
「な、何やってんですか! ラブ子先輩!」
そうか! あのお手洗いのときか!
トイレの洗面台の水を手杯に溜めてラブキャットを胃に流し込んだのか。
そんなことをしてラブ子先輩がどこぞの馬の骨に万が一にも惚れてしまったら……。
想像しただけで僕はゾッとした。
「だがしかし、私の心と体には何の変化も見られなかった。誰にも惚れる気配すらなかったのだ」
それはそれで僕としては寂しいわけですが……。
「つまりどういうことだ? 恋泉」
苛立ったように京極寺は結論を促した。
「つまりラブキャットは偽薬ということであろう」
「……偽薬」
ラブ子先輩の言っていることが事実だとすれば、牧村先生の生徒を使った非人道的な治験というのは嘘? でもなぜそんな嘘を?
僕が疑問に思っていると牧村先生は愉快そうに笑い出した。
「くはは。恋泉ラブ子の言うとおり実は出回っているクスリの大半はただのラムネ、要するに単なるブドウ糖だ」
「え? でも実際に交際を始めたカップルもいて……」
「ただの
「でもじゃあなんで、さt……」
佐藤汐の名前をここで出すのはさすがにまずいと思い留まり、僕は改める。
「あの女生徒Sは本物のラブキャットを持って……」
僕はそこまで言って気付いた。
あれも偽物だったのか。
しかし解析結果は本物のラブキャットのそれだったはずだ。
「だとすれば牧村先生はなぜ本物のラブキャットの解析結果を教えてくださったんですか? 適当に嘘をでっちあげればよかったのに……」
「何の変哲もないブドウ糖だとわかればこの流行り物も廃れるからな」
そういう理由か。
しかし何にせよ真実を告げてもいずれ実物を警察が調べればブドウ糖だとバレるだろう。それまでの時間稼ぎができればよかったのか?
「そんなにまでして牧村先生はどうしてラブキャットを流行らせたかったんですか?」
違法薬物の蔓延実験とかそういう名目なのか? だからそんなことをして何になる? 理系特有の好奇心? それともただの愉快犯? だとすればどれもつまらない答えだ。
すると牧村先生ではなくラブ子先輩が口を開く。
「そのくだんの女生徒サ行のために牧村理科教師はこの学校で愛猫を流行らせたのではないのかね?」
ちなみに女生徒サ行とはイニシャルSのことを指す。
「さあどうだかな」
明らかにはぐらかす牧村先生。
ラブ子先輩の言う佐藤汐のためにラブキャットを流行らせたとはいったいどういうことだろう。いや、それよりも。
「そもそもどうしてこの場に来たんですか? 聡明な先生なら不可解なDMが飛んできた時点で罠だとわかったでしょ?」
「…………」
黙り込む牧村先生に代わりまたしてもラブ子先輩が答える。
「たとえ罠だとわかっていても『いつまでも待っている』なんて言われたら駆けつけずにはいられない。それほどまでに熱烈な恋文だったのだよ」
「自分で言うか」
とそこで牧村先生は失笑まじりに言葉を挟んだ。
まあ確かにラブ子先輩にラブレターを送られたら来ちゃうよな。
僕がひとり納得していると相田が一般論をぶつける。
「そんな誘いに犯人が乗るはずないでしょ。あんたら思考クレイジーなんじゃないの?」
「普通の誘い文句ならそうだろうね」
ラブ子先輩は大胆不敵に微笑んだ。
「しかしあの直接窓口に送られた電子恋文は偽物ではなく本物なのだよ」
「へえあんた、こんなティーチャーに恋してんの? 趣味わるーい」
「教師に恋してなにが悪い? 禁断の恋? 大いに結構ではないかね」
え? マジで?
内心焦る僕。
「しかし残念ながら恋をしているのはこの私ではない」
ですよねー。
僕はひと安心した。
「そして補足しておくと電子恋文はもともと犯人ではなく牧村理科教師に宛てられたものなのだよ」
「どういう事ですか? ラブ子先輩」
「イチズくん、きみも知っておるだろう。先日舞い込んだ恋文の代筆の依頼を」
「つまりその依頼人が恋文を渡したかった相手って……」
僕はてっきり佐藤汐がラブレターを渡したかった相手は元彼だと思っていたが違ったのだ。たしかに思い出すとラブ子先輩は一言もそんなことは言っていなかった。
「依頼者の想いを利用するかたちになってしまったが本人には許可はとっている」
ひとまず僕なりに状況を整理すると犯人はお金が目的ではなく愛に飢えていることを看破したラブ子先輩は牧村先生に宛てられたラブレターを犯人に送り、その犯人がたまたま牧村先生本人であったということか?
控えめにいってめちゃくちゃだが。
「そしてその本物の気持ちがあったからこそ牧村理科教師は今この場にいる」
しかしよくよく考えればラブ子先輩が罰ゲームのような、もっといえば人の心を弄ぶような嘘の恋文をたとえ相手が悪い犯人だとしても送りつけるわけがなかった。この先輩は恋愛を茶化すことをいちばん嫌うのだから。
このラブ子先輩の恋愛探偵の流儀がある以上、犯人が牧村先生であることを事前に知っていたことになる。そうしなければ牧村先生へ宛てられたラブレターを犯人に送りつけるという奇想天外な行為を思いつくわけがない。たとえ思いついたとしても実行には移せない。
僕と同じ結論に至ったのかどうかはわからないが牧村先生は問うた。
「いつからおれが犯人だとわかっていた?」
「恋文の代筆を依頼した女生徒サ行と打ち合わせするうちに確信した。あの女生徒サ行は常日頃から誰よりも牧村理科教師を観察しておった。ときには法外すれすれな手段を用いてね」
具体的にはどんな手段なんだろう?
「具体的には盗聴や盗撮を駆使した観察方法だね」
「アウト!」
「ヘタな探偵よりも優秀なのだよ」
立派なストーカーじゃないか。
もしかしたらこの学校、頭おかしい人しかいないのではなかろうか。
そんな僕の心配をよそにラブ子先輩は咥えタバコ(ココアシガレット)をすると改造制服の懐からとあるものを取り出した。
「これがその女生徒サ行からの直筆の手紙だ。受け取りたまえ」
ラブ子先輩の説得によりけっきょく佐藤汐は直筆で書いたらしい。やはりそのほうがいいだろう。直筆のほうが気持ちが伝わるし、テキストに比べ情報量も多いのでゆったり読める。
咥えタバコのまま牧村先生はハート型の封蝋をはがすと中の手紙にひと通り目を通した。
「やはり恋だ愛だはおれにはわからん」
牧村先生はそんな感想を漏らすと春の空に紫煙とともに吸い込まれていった。
***
これは私が絶望に胸を膨らませて今にも張り裂けそうだった四月のことです。
私は遺書が風に飛ばされてしまわぬようにスリッパを重し代わりとしてそろえて置いた。学校の屋上から地面とにらめっこすると延長戦に突入していた。
ここから飛び降りたらすべての問題が解決する。そのことをわかっていながらほとんどの人間はこの選択肢を選ばない。その理由をわたしは知らない。
するとどこからか風に乗ってタバコのにおいが香ってきた。
気づけば背後の柵に肘をついた白衣の男が紫煙を燻らせていた。その視線は地平線の彼方を見据えているようである。
たしか彼は理科教師の牧村正吾。狂気のマッドサイエンティストとして校内では有名だ。
「おまえ、死ぬのか」
それは質問とも確認とも取れる問いかけだった。
そこで私も思う。
わたし、死ぬのか。
そうだ。そうだった。そうだった。これから死ぬのだ。
そのはずなのに。
「わたし、今いじめられてるんです」
気づけば私は話していた。どうせ何もかも手遅れなのに。
「いじめなんて所詮は暇潰しの持ち回りですから。給食当番みたいなものです。見て見ぬフリをすればいずれ終わる」
「そうか」
「現に私もエリちゃんが同じ目に遭っているのを知ってて何もできなかった。いやしなかったんです。それが自分に返ってきただけ……。ちなみにエリちゃんっていうのは私の親友だった子です」
「親友だった……」
「はい。そのエリちゃんとも最近話せてませんし。だから私はこの地獄の連鎖を断ち切ろうと思います」
「だから遺書を残して死ぬと? 非合理だ」
「そうかもしれませんね」
だからといってなにができる?
もう疲れたのだ。
「わたし、彼氏がいたんですけどいじめっ子のせいで気まずくなっちゃってそのまま別れました。そしたらあいつ、そのいじめっ子と付き合ったんですよ。信じられます?」
「恋愛のことはわからん」
牧村先生は哀愁を漂わせてから目をぎらつかせる。
「見てろ。佐藤汐。そのうちこの学校から本物の恋愛が消滅する」
「え?」
恋愛が消滅? というかなんで私の名前……。
「人間関係は化学反応だ。そして化学ならおれの専門分野。おれが人間関係を解剖してやる」
そんな不気味な犯行声明を残して狂気のマッドサイエンティストは去って行った。あとにはタバコの匂いだけが残る。
しかし今ならわかる。なぜ人間が問題を解決できないでいるのか。一生解けない謎があることを私は知った。遺書を細かく破り捨てて屋上から紙吹雪をまくと、今や別のあたたかいもので胸が張り裂けそうだった。
よし決めた。今度は遺書などではなくラブレターを書こう。
私は青空とにらめっこをするといつの間にか泣きながら負けていた。
***
佐藤汐と牧村先生の間でどんな物語が繰り広げられていたのか僕は知らない。あるいはそんなもの必要ないのかもしれなかった。『好き』に理由はいらないのだから。
すると唐突に牧村先生は言った。
「王道一途。おまえも惚れ薬が欲しいんじゃないのか?」
「ブドウ糖……なんですよね?」
「出回っているものの大半はそうだが、今なら出血大サービスで本物のラブキャットをくれてやる。振り向かせたいメスはいないのか?」
「メスとか言わんでください」
「オスでもいいぞ」
「そういう問題じゃありません!」
もはや男とか女とかそういう問題でもないのだ。
「そんな変なクスリになんか頼らないでも僕は振り向かせてみせます。きっと、いつか」
僕はラブ子先輩を直視しながら言うと当の本人は腕を組み誇らしげだった。
「よくぞ言った、イチズくん! それでこそ私の助手なのだよ!」
その様子にガクッと僕は肩を落とす。
「んむ? どうしたのだね?」
「……なんでもないです」
いつものお約束だ。やっぱり惚れ薬ほしいかも。
「そうか、王道一途」
そう言って牧村先生は満足げに笑った。
牧村先生は僕を試したのだろう。生徒としてもしくはひとりの男として。
しかしひとつだけまだ答えてもらってないことがある。
「どうして理科室であんな質問をしたんですか?」
――王道一途はなにをもって人間と判定する?
僕はこの設問がずっと気になっていた。
「なんだ、そんなことか」
嘆息すると冗談でもなく真剣な面持ちで牧村先生は答えた。
「おれの夢は人間を作ることだからだ」
「人間を作る……?」
それはなんというか、マッドサイエンティストらしい答えだった。
いや、意外と用いる言葉が違うだけで一般的な夢なのかもしれない。
僕と同じことを思ったであろうラブ子先輩はココアシガレットをポリポリと噛み砕きながらあっけらかんと言う。
「そんなに人間を作りたいのならば、愛する者とともに子供を作ればよいではないかね」
その人間の作り方を聞いて牧村先生は角膜から鱗が落ちたように目を見開いたのち、笑った。
人間の作り方としてもっともポピュラーなその方法は先生にとっては予想外だったのだろう。
禁忌と言い換えてもいい。
「人はみな、ふたりから始まるか」
基本的なことを忘れていたというふうに牧村先生は言った。
「おまえはおれみたいになるなよ」
「……牧村先生」
そんな悲しいこと言わないでくれ。
僕が口を開こうとしたまさにそのとき、牧村先生の足下で桜の花びらを巻き上げたつむじ風が舞う。それに紛れるようにとある一匹の猫がすり寄った。
「マタタビの香りに寄ってきたか」
「違いますよ。ハートフィリアは先生のことが好きなんです」
牧村先生はタバコをポケット灰皿に仕舞ってからハートフィリアを愛でる。
「おれはもう疲れたよ」
「牧村先生……」
「おれをまだ先生と呼んでくれるんだな」
「当然じゃないですか。僕にとって先生は一生先生ですよ」
別れが必然だというのならばなぜ人は出会うのか?
みんなこんな別れの連続にどうして平気な顔をして耐えられるんだろう。それほど仲良くなかったのか。もっと話したいことがあった気がする。今では他愛もない会話が恋しくて愛おしい。やっぱり別れは嫌いだ。割り切れない。まるで素数のように。
「餞別代わりだ」
そう言ってニヤニヤ笑いながらラブ子先輩はギャルゲー『無償の
僕の先生はもう「さようなら」とは言わなかった。
***
それからラブキャットは撲滅され恋愛疑心暗鬼が終わりを告げた。生徒たちは恋という名のプラシーボから目覚めると白鳩学園に大失恋時代が訪れた。そんなこんなで校内では恋愛シミュレーションゲームがブームとなっているらしい。
そんな有様のなか浮雲天野カップルはなんと復縁したそうだ。バイト先のマックにてラブスケ強要で店長を困らせているらしい。ちなみにラブスケとはラブスケジュールの略で出勤と退勤が同時刻でさらに休憩まで一緒の時間のシフトのことをいう。結論、バカップルは最強だ。
それともうひとつ後日談がある。
佐藤汐の元彼はラブキャットのせいだと言い訳をぶらさげて復縁を迫ったそうだが佐藤は振ったらしい。いじめっ子のほうはといえば生徒たちからラブキャットを集めて売り捌いていたことが発覚し退学処分となったそうだ。
そして現在、京極寺を筆頭に生徒会じきじきに恋愛探偵部の部室へと足を運んでいた。
「約束は約束だ。正式な部として認めよう」
「やった」
僕は喜びの声を上げていると京極寺が水を差す。
「ただし部に昇格したところで部活動規定では部員三名以上が必要であることに変わりはない」
「え?」
「部として存続したければ残り一名を追加しろ。猶予は一ヶ月。話は以上だ」
それでは部に昇格したところで廃部寸前に変わりはないじゃないか。
こんな物好きな部に入部する変わり者なんてそうそういない。
僕は三歩進んで二歩下がる胸中だった。
京極寺は僕たちに背中を向けるとラブ子先輩に問う。
「どうして恋愛専門の探偵など始めた?」
「私は恋愛が好きだからね」
「くだらん解答だ」
言いたいことだけ言って引き上げていく生徒会の最後尾をつとめる書記を僕は引き止める。
「ちょっとハナマル先輩いいですか?」
「?」
振り向くハナマル先輩に僕は単刀直入で問いかけた。
「ハナマル先輩、あなたは本当は牧村先生が犯人だって知ってたんじゃないですか?」
ハナマル先輩はスマホを握りしめたまま答えない。
「それどころか共犯関係にさえあったのでは?」
しかしこれらのことに関しては決定的な証拠はない。言いがかりもいいところだ。
「イチズくん、なぜそう思ったのだね?」
「はい。それは……」
僕がなぜそう思ったかといえばスパムの文体だ。加えて僕はハナマル先輩と夜通しRAINをやり取りしていた。普段から複数人とRAINをする人はわかると思うのだが意外と人によって文章は違う。ときにそれは筆跡以上に顕著だ。使う絵文字だったり句読点を使うかどうか、長文ではなく刻んで送るかどうか、三点リーダーを使うかどうか、『笑』と『w』と『草』どれを使うか。そしてエクスクラメーションマーク、いわゆるビックリマークを多用するかどうか。
クスリ売買のメッセージには! ビックリマーク! が! このように! 句読点の代わりに! 多用されているのだ!
そしてSNSの通説としてこんなものがある。現実で引っ込み思案で内向的な人ほどSNS上ではビックリマークを使う傾向にある。僕はRAIN友達としてハナマル先輩とスパムメールになんとなく同じミームを感じたのだ。
「佐藤汐をいじめていたいじめっ子にラブキャットを捌かせてたのもハナマル先輩の差し金なんじゃないんですか?」
生徒たちと幅広くRAINで繋がっているハナマル先輩ならいじめっ子の動きを容易に把握できたはずである。そして頃合いを見ていじめっ子の情報をリークして退学に追い込んだ。
ほんと僕のただの考えすぎであってくれと思うが。
すると今まで反応のなかったハナマル先輩は突然両手持ちのスマホに高速フリック入力した。
ピコン、と僕のスマホから音が鳴り目を落とす。
『きみは! 想像力が豊かだね! 小説家にでも! なったほうがいい! なんちゃって!』
僕がスマホから顔を上げるとハナマル先輩は花嵐のように消えていた。
「どうやら一杯食わされたようだね、イチズくん」
どこか慰めるようにラブ子先輩は言った。
スマホ一台で学園内を牛耳る影のフィクサーとか怖すぎる話だが、あの京極寺と幼なじみだけのことはある。
とはいえ。
「どうして京極寺生徒会長はあんなに校則にこだわるんでしょうか?」
「校則を守らないものを守ることができないからであろう。
それからラブ子先輩は目の覚めるようなピンクの机にとあるものを滑らせた。
「それときみ宛に手紙が届いておるよ」
「僕ですか?」
「うむ。しかも恋文だ」
「マジですか!? 僕も隅に置けないな」
「まあ嘘だがね」
「嘘かよ!」
嘘って嘘だろ!?
恋愛探偵が一番吐いてはいけない嘘じゃないか。
「正しくは牧村元理科教師からだ」
それを聞くやいなや僕は封筒を開けてなかの手紙を読みこんだ。
『拝啓、この手紙は燃やせ』
手紙はそんな一文からは始まった。あれから牧村先生は沖縄で保護猫を引き取るNPOで活動しているらしい。特にイリオモテヤマネコの保護に注力しているとか。ちなみに禁煙したそうだ。今では代わりにペロペロキャンディを咥えて猫と戯れる写真が同封されていた。心と体が健康になるなら一石二鳥である。
すると封筒の中に猫の顔のようなピンクの錠剤が同封されていた。
これは単なるブドウ糖か、はたまた魅惑のドラッグか?
「いらないって言ったのに」
冒頭の手紙は燃やせってこれのせいか。意味わかったらもっと怖えよ。錠剤ごとはやく燃やそう。
それから手紙の末文には続きがあった。
『PS.あの日、恋泉ラブ子が所持していたラブキャットは本物だった』
ん? ってことはどういうことだ? いったん落ち着いて考えよう。
そもそもあのラブキャットの入手経路はたしか……。
そうか。佐藤汐には本物のラブキャットが渡っていたのか。
果たしてそれは牧村先生の本意だったのだろうか? あるいは雨の妖怪の仕業か?
いや、今はそんなことはどうでもいい。
つまりそのラブキャットを飲んだラブ子先輩は……。
僕が当の本人を見やるとラブ子先輩は何食わぬ顔で首をかしげた。僕も一緒に首をかしげてしまう。かわいい……って、僕のほうに効き目が現れてどうする。そのまま僕は机に突っ伏してしまった。
なんというか。
「恋はいつも哲学的だよな」
そんな浅学的なことを考えながら今日も今日とて、みんな人間を満喫していた。
やっぱりにんげんっていいな。
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