第2恋 哲学的ゾンビは愛する人の夢を見るか?

 インフル発症から一週間ぶりに登校すると、まるで僕は死の淵から生き返った気分だった。

 教室の懐かしい木の香りを堪能しながら自分の席に向かう。するとその後ろの席の 生徒が僕に気づき手を挙げて挨拶してくる。


「イチ、久しぶりやんね」

「おう。ヒト、久しぶり」


 こいつは十一つなしひと

 どう見ても女子にしか見えないが歴とした男子である。

 疑いを拭えない人もいるかもしれないが幼なじみの僕が言うのだから間違いない。

 お互いに裸を見たこともあり黒子の位置も知っている。昔の話だけど。

 ヒトは白いカーディガンの萌え袖の生白い指で男子にしては長めのプラチナブロンドの髪を耳に掛ける仕草をした。


「イチ、インフルエンサーになった感想はどがん?」

「それはインフル違いだよ」

「え? そうなん? イチズ菌」

「人を菌類扱いするな」


 僕はビフィズス菌か。

 でもまあたしかに、今の情報化社会では現実のウイルスや菌だけでなく知らず知らずのうちに僕たちはさまざまな情報に感染しているのかもしれない。

 僕が世を憂いているとヒトはシリアスな面持ちで話題を変える。


「そういやさ、イチはインフルで休んどったけん知らんと思うばってん、最近きな臭いもんが校内外で流行っとっとよね」

「ったく、インフルの次はなんだってんだよ?」

「そいがさ、ある種の惚れラブドラッグらしかよ」

「惚れ……薬?」


 架空の薬品だと思っていたがまさか開発されてたのか。


「なにもそいば服用すると人体のホルモンに作用して恋愛対象の人物を視認しただけで幸せを感じる脳内物質が放出されてから理性や抑制が利かんくなってしまうらしかぁ。そいでその対象に聞かれたことなら何でも素直に答えてしまうとよ」

「めちゃくちゃ怖いじゃないかよ!」

「使用者はまるで色惚け猫のごた態度ば取ってしまうことから愛猫ラブキャットって呼ばれとっと」

「ラブキャット……」

「いちおう副作用もあってね、ベンゾジアゼピン系の成分もはいっとるらしくて健忘性の記憶障害が発生するらしか」

「おいおい記憶障害って……」

 

 どおりでなんかクラスの空気がどんより重いわけである。

 都内の高校でそんなもんが売り買いされているとは世も末だ。

 いや、あるいは思春期まっ盛りの高校だからこそなのか。


「そいがどうやら売買はされとらんみたいばってんね」

「なに?」

「始まりは一通の電子メールやったらしかとばってん、その電子メールに書かれとったとはたったの一行だけ――」


 そう言ってヒトはスマホの画面のとあるメッセージを僕に見せてきた。


『あなたは恋をしていますか!!! Yes! Or No!』


「すごいハイテンションだな。こいつ自身ぜったいラリってんだろ」

「っぽかぽか。んで、そのメールに『Yes!』って答えたら惚れ薬が届くらしかよ」

「……返信にもビックリマークは必要なんだな」


 しかしこうなると僕は気になることがある。


「犯人の目的はお金じゃないとすればいったい何なんだ?」

「そいはわからん。ばってん、だからこそ足のつかんくて厄介とよ。学生の間で爆発的に流行っとる背景には無料っていうのも確実にあると思う。ばってん近頃は需要が多すぎるけん、供給の追いつかんことば利用して転売する輩も現れているらしか。しかもそいがうちの生徒っちゅう噂とよ」


 我が校の生徒が売人まがいのことをしているとはそのうち逮捕者も出そうである。


「ってわけやから生徒会も黙っとらんやろうね。以前より空席やった副会長の椅子に今年は生徒会長みずからスカウトした期待の1年生もいるみたいやし」

「1年で副会長?」

「うん。たしか帰国子女らしかばってん。なんでも向こうで不良グループ『ハートスペース』のヘッドばしよった異色の経歴の持ち主らしかよ」

「マジかよ。とんでもないのが生徒会に入ったんだな」


 僕が苦笑しているとヒトは先ほどよりも一段と暗い表情で話を続ける。


「実はそのラブキャットがどうやらトワちゃんの働いとるお店にも入ってきとるらしくてさ」


 トワちゃんとはヒトの母親のひとりである。こんな言い方をすると複雑な話に思われるかもしれないが、実際はことのほか単純でヒトには父親はおらず母親がふたりいるだけの話だ。


「お客がラブキャットを混ぜたお酒ばホステスさんに飲ませようとすっとって。そいで何人も出禁になって……そうとう手ば焼いとるって愚痴っとったよ」


 トワちゃんは銀座のナンバーワンホステスで十六夜永遠いざよいとわという源氏名で働いている。そしてヒトのもうひとりの母親のほうはなんと――


「そいからけいちゃんのほうもなんだか忙しそうやけんさ」

「ケイさんってたしか警部だよな?」

「そそ。表では警察が動き出しとるみたいやし、裏ではシマば荒らされた蜂鳥はちどり組も黙っとられるわけもなかけん、動き出しとるって噂よ。ヤクザは面子が命やけんね」


 プラスマイナス

 もしかしたらヒトは社会の光と影の狭間にいるのかもしれないと僕は思った。

 ヒトの情報通は完全に母親ふたりの血を受け継いでいる。


「だいぶと大事になってるみたいだな」


 そこまで言って僕は一番大切な人の身を案じる。


「ラブ子先輩に限って大丈夫だろうけどラブドラッグの魔の手から僕が守らないとな」

「イチズってほんなこて一途やんね」

「はあ? 当然だろ。僕は僕なんだから」

「そがん意味じゃなくて昔から真っ直ぐすぎるとよ。やけんさ、ちょっとはひねくれてみせんね」


 自分ではひねくれてるつもりだったんだけど。

 自分のことをひねくれていると思っているうちはまだひねくれ方が足りないのかもしれない。

 そこでヒトは話を変える。


「今朝ボク告白されたとばってんさ」

「へえ、男子? 女子?」

「今日はひとりずつ。ボクに振られたあとふたり仲良ういい雰囲気で去って行ったとよ。なんか振ったこっちが振られた気分やった」


 どこか冷めたように言うヒト。


「ばってん、そのふたりが告白してきたとも惚れ薬の影響かもしれんけんね。ラブキャットの流行る前から告白されすぎててもう区別つかんばってん」

「嫌味かよ」


 告白してきた相手が自分のことを本当に好きなのかどうかも惚れ薬のせいでわからないという奇妙な状況なわけだ。いずれにせよヒトは平常運転で断っただろうけど。

 それならば好きという感情や気持ちはどうやって証明できるのだろう。

 ちなみに余談だが、情報通の親友によれば浮雲と天野のバカップルは別れたらしい。

 破局はやっ!?

 別れを切り出したのはどうやら天野からだという。惚れ薬は関係なく浮気癖の浮雲に愛想を尽かしたのだろう。それともいま流行りの蛙化現象というやつだろうか。

 ちなみに蛙化現象とは、片思い中は相手に夢中なのだが両思いになった途端、相手のことが気持ち悪くなったり興味を持てなくなったりする現象を指す心理学用語のひとつである。

 僕からすれば想い人と両思いになれるならたとえ死んだとしても墓からゾンビとなって這い出てくるけどな。そしてこれをのちにゾンビ化現象と名付けるだろう。


 そんな毒にも薬にもならないことを授業中も考えているとあっという間に休み時間となり、僕は旧校舎へと足を運んだ。とある部室の前で足を止めるとスライド扉に手を掛ける。その扉の上の室名札には『恋愛探偵部』と丸っこいフォントで書かれていた。末尾にはピンクのハートマーク付きである。

 ガラガラと部室に入ると部屋中は真っピンクの装飾で統一された空間が広がっていた。壁紙、カーテン、クッション、デスク、ぬいぐるみ、ティーセットをはじめとした食器類、ノートパソコン、テレビゲーム機、電気ケトル、本棚に至るまでが桃色に浸食されており落ち着かない。本棚には小説、源氏物語全集、マンガ、ゲームソフト、映画のブルーレイなどがぎっしり詰まっておりジャンルはすべて恋愛ものだった。

 そんな甘ったるい匂いの充満する風変わりな部屋の奥には、この部屋の主がハート型の背もたれの安楽椅子に浅く腰掛けている。その膝の上には桜色の毛並みをした恋愛探偵部の看板ネコが寛いでおり僕を一瞥したとたんシャーッと威嚇した。このネコはハートフィリアという名で胸部にある白いハートマークが名前の由来だ。ちなみに特異な毛色は突然変異らしい。

 そんな愛猫を撫でるのは珍しくもしおらしい態度のラブ子先輩だった。


「ご無沙汰です。ラブ子先輩」

「…………」


 返事がない。ただの人形のようだ。


「どうしたんですか? 今日はやけに元気ないですね」


 もしやすでに怪しいクスリの毒牙にかかってしまわれたのか?

 ダウナーでメランコリックにアンニュイなラブ子先輩も素敵だけども……。

 しかしそんな僕の心配は杞憂に終わった。

 ラブ子先輩はそっぽを向いたままモジモジしながら言う。


「すまない。私のせいでイチズくんを危険に晒してしもうたのだ」

「危険って……そんな大袈裟な。ただのインフルじゃないですか」


 そんな軟弱に思われてたのか、僕。そのほうがショックだ。

 だいたいどこで伝染されたかなんてわからないし。浮雲を羽交い締めにしたときにはすでに感染していたはずなので、おそらく可能性として高いのは浮気の聞き込み調査をしていたときだろう。


「私は恋愛探偵失格だ」

「なに言ってんですか。合格ですって」

「自分では到底そうは思えん」

「まったくラブ子先輩をおいて他にいないでしょ。そんなヘンテコな肩書きを名乗る人なんて」

「ヘン……なんだと!」

「おっと、つい本音が漏れてしまった」


 僕はあっさり訂正する。


「革新的な役職は世間に受け入れられるまでに時間がかかるってことですよ」

「ふむ。ならいいが」


 ちょろいラブ子先輩。意外と騙されやすいというか人を信じすぎるきらいがあるから助手たる僕が気を配らないとな。特に恋愛問題となれば疑うことを知らないのだ。

 するとラブ子先輩はデスクの上で両肘を立ててから両手を組む。


「イチズくん、最近ちまたで惚れ薬なるものが出回っているらしいのは知っておるかね?」

「ええ、聞き及んでいますけど……」

「ならば話は早い。私が、恋愛探偵部が何を為すべきかわかるだろう?」

「え? 何かするんですか?」

「ばかもん。当然だね」


 ラブ子先輩は叱責してからこめかみに四葉型の青筋を立てて気炎を吐く。


「いま私は激怒しておる」

「はあ。でも今回はさすがに警察に任せたほうがいいんじゃ……」


 そんな真っ当な僕の意見をラブ子先輩は遮った。


「今現在、校内のカップルたちは悲しいことに恋愛疑心暗鬼に陥っておる」

「恋愛……疑心暗鬼?」

「相手は自分のことを本当に好きなのか、自分は相手のことを本当に好きなのか。もしかしたら気づかぬ間に惚れ薬を摂取しており盛り上がっているだけではないのか。自分の気持ちに自信を持てなくなっておるのだね」


 いっけん普通の恋模様に思えるが、薬物が絡んでいるぶん厄介である。それを乗り越えてこそが本物の恋だという向きもあるかもしれないけど不健康な状態であることには変わりない。

 これが今まさに校内で蔓延している業病――恋愛疑心暗鬼。

 ラブ子先輩は恋を愛しているからこそそういうクスリに手を出すことが許せないのだろう。


「これではまるで恋への冒涜ではないかね!」

「ラブ子先輩……」

「私は恋愛探偵への挑戦状と受け取った。早急に薬物浄化作戦を行わなければならんようだ」


 そうと決まれば善は急げだ。

 僕が腹を決めたまさにそのとき、恋愛探偵部の扉が前触れもなくとつぜん開いた。


「カリ首そろってるわね、あんたたち」


 そんなとんでも発言をするのは黒いロンTに白いパンツを着用した高身長の男性だった。黒髪ロングヘアは外ハネがトゲトゲしく、左手首の腕時計は正確な秒針を刻んでおり黒光りする革靴が摩擦音を奏でる。しかし何を隠そうこのロックミュージシャンのような見た目をした人物こそが恋愛探偵部顧問なのである。ちなみに担当教科は音楽だ。


「伊集院先生それを言うなら雁首です」


 僕は訂正した。

 開口一番ガッツリ下ネタじゃねえか。

 するとラブ子先輩は注意する。


「ノックくらいしたまえ、マサルちゃん」

「やだぁ。世を忍ぶ仮の名前で呼ばないでよね。のめすぞぉ? ぶち」


 急に怖っ!

 一転、伊集院先生はパァッと声色を明るくさせる。


「でもまあそうよね。昼下がりの情事中だったら困るものね」


 真っ昼間からなに言ってんだ、あんた。


「ふむ。一理あるな」

「……ラブ子先輩まで乗らなくていいんですよ」


 意外と下ネタ好きなんだよな、ラブ子先輩。

 たしかに恋バナと下ネタって切っても切れない関係だしな。


「別にちゃんとコンドームを付けてるならアタシは何も言わないわよ」

「先生はもっとデリカシーを身に付けてください」

「ちなみにアタシの彼氏のアレックスはちゃんとしてくれるわ」

「聞いてねえよ!」

 

 ちなみにアレックスとは烏ヶ丘からすがおか高校に勤めるアメリカ人の英語教師である。


「サイズはダイナマイト級よ」

「だから知らないですって……」


 あんたを爆破してやろうか。


「オレのダイナマイトで?」

「うっせぇわ!」


 そんなねえよ!

 言わせんな!

 するとラブ子先輩がなぜか訳知り顔で僕の肩を叩き慰める。


「イチズくん、大きいことはけして恥ずかしいことではないのだよ。むしろ健康的でよいではないかね」

「ラブ子せんぱぁ~い」


 サムズアップとかしないでください。

 意味深なサインに見えちゃいますから。

 だからこのふたり混ぜると危険なんだよな。

 それからラブ子先輩は基本的なことを尋ねる。


「して、マサルちゃんは何をしに来たのだね?」

「あっ、そうだったわ!」


 そう言って伊集院先生はわざとらしく手を叩いたあと部室の扉に向かって声をかけた。


「もう入ってきていいわよ」


 伊集院先生がそう声をかけた瞬間、食い気味に扉が開くと、とある一団が部室に踏み込んでくる。人数は合計三名。そのうち二名は金髪ツインテールと茶髪なが前髪の女生徒だった。ラブ子先輩のように制服を探偵仕様に改造しておらず純正の白鳩学園の制服である。しかしその二人にもまた一般生徒と異なる点がある。二名の制服の腕には『副会長』と『書記』とそれぞれ記載された腕章がはためいていた。

 そしてふたりの先頭に立つ残り一名の生徒は黒髪おかっぱの見るからに真面目然とした雰囲気で折り目正しく白ランを着こなしていた。品行方正、文武両道、才色兼備を絵に描いたようなこの人物こそが何を隠そうこの白鳩学園一一〇代生徒会長なのである。この白ランは歴代生徒会長から代々受け継がれてきた生徒会長の証なのだ。

 かくして由緒正しく伝統を重んじる白鳩学園の生徒会と恋愛探偵部は対峙することとなった。


「何の用かね? 京極寺きょうごくじ生徒会長」

「以前より通達していたはずだ、恋泉」


 京極寺は冷ややかな声色で言う。


「この恋愛探偵愛好会は部員が三名以上を越えない場合は正式な部とは認められない。そのためこの部室を明け渡してもらう」


 ちょ、ちょっと待て。

 僕は部室を明け渡すことよりも別のことに驚いていた。


「恋愛探偵愛好会……だって?」

「そうだ。表向きは恋愛探偵部と名乗っているようだが書類上では恋愛探偵愛好会と定義されている」

「ええ……」


 正式な部でもなかったんかい。

 だとすれば僕はこの一年間ほんとうに何をしてたんだろう。

 するとそこでラブ子先輩が反撃に転じる。


「部員数の件だが、現在を持ってして部員は三名いるのだがね」

「生徒会が把握しているかぎりでは届け出は受理されていない。だが仮に貴様の言っていることが真実だとすれば今すぐそいつをここに連れてきて入部手続きを済ませろ」

「何を言っておる? その者ならもうすでにここにおるではないかね?」

「なに?」

「もう一名の部員は私の膝の上にいる」


 そう言ってラブ子先輩は桜色の和毛を愛撫する。


「その名も探偵猫ハートフィリアだ」

「よもやその理屈が通用するとは思っていまい?」


 京極寺とラブ子先輩は両者にらみ合うとその殺伐とした雰囲気をいち早く察してハートフィリアはラブ子先輩の膝から飛び降り自らの寝床であるキャットベッドの上で丸くなる。それを待ってましたとばかりに金髪ツインテールが撫でようとするとシャーッとハートフィリアに威嚇された。ショボーンと背を猫のように丸めてからツインテールは八つ当たりするように言う。


「わざわざ生徒会じきじきに忙しい仕事の合間を縫って来てやったんだからごちゃごちゃ言ってんじゃないわよ」

「その威圧的な態度は気に食わないな」


 僕は反抗的に言うとツインテールはキレ気味に問う。


「はあ? つーか、あんた誰?」

「僕は2年1組出席番号1番、王道一途だ」

「ふーん。ヘンな名前」


 ほっとけや。


「こっちが名乗ったんだからそっちも名乗ったらどうだ?」

「はあ。あたしを知らないとかそれだけでバカの証明なんですけどー」

「いちいち癇に触るな」

「まあでもいいわ。オバカさんのためにもわかりやすく教えてあげる」


 そして金髪ツインテールは名乗った。


「あたしは白鳩学園生徒会副会長の相田プリンセス。アメリカの大学を飛び級で卒業したのち日本に帰国した才女よ」

「副会長……」


 ってことはまさかこいつが例の帰国子女の1年か。なんか僕は勝手にもっと筋骨隆々なゴリマッチョな風貌を想像していたのだが……なんというか。


「ただのチンチクリンじゃねえか」


 あっ、つい勢いで言ってしまった。


「チンチク……ですって?」


 すると相田は肩をわなわな震わせてから顔を真っ赤にした。


「あたしはまだ成長途中なの! 三年後、見ときなさい。ボンッキュッボンのナイスバディになってんだから! あーあ外国の血が騒ぐわ!」


 精一杯の強がりを見せる相田に僕は情報通のとある親友から聞いた噂を確認する。


「そういえば相田が海の向こうにいたときに不良グループのヘッドを務めてたらしいけど、それって本当なのか?」

「は、はいぃぃ? ヒ、ヒヒヒヒトチガイジャアリマセンカ?」

「急にカタコトになってんじゃねえよ」


 こいつ、明らかに動揺している。

 流暢な日本語も忘れてしまうほどに。


「か、勘違いしないでよね! 別にハートプリンセスなんて呼ばれてないんだからね!」

「呼ばれてたのか?」

「高級外車とか燃やしてないし!」

「燃やしたの!?」

「ドラッグなんてキメてないし!」

「キメてたの!?」


 ダメ、ゼッタイ!


「ピアスとか空けてないし黒紅とか塗ってないんだからね!」

「それは……」


 別によくね!?

 黒紅で全身にお経を書いてもいいくらいである。その場合、せっかくピアスを空けた耳を失うことになるけどな。

 しかしなんというか、勝手にどんどん喋るじゃん。

 藪をつついたら蛇どころかヤマタノオロチが出てきちゃった。

 僕では処理しきれないと思い、この場の年長者に視線をあずける。しかし伊集院先生もどういうリアクションしたらいいのか困ってる様子だった。


「……さ、さすがドラッグの本場ね」

「フォローになってねえ!」


 相田の弱点にラッキーパンチが決まったところで、すかさず京極寺がフォローに入る。


「過去に興味はない。今、そしてこれから何を為すかだ」

「……会長」


 相田は自身の胸に手をあて膝を折った。


「会長に拾ってもらったイッツ・マイ・ライフ、会長のために使います」


 その様子を前髪の長い書記は微笑ましく眺めていた。ちなみに余談だが京極寺と書記先輩は幼稚園からの幼なじみらしい。

 てかこの書記の人、ぜんぜん喋らないんですけど。

 その僕の視線に目ざとく気づいた京極寺は説明する。


花道はなみちは会話ができないためテキストでのみコミュニケーションが可能だ」


 おもむろに書記先輩はスマホの画面を向けるとそこにはこう書かれていた。


『手間かもしれないけど! ごめんね! 私のことは気にしなくていいから!!!』


「いえ、こちらこそすみませんでした」


 これに関しては完全に僕の想像力が欠けていた。大変失礼しました。

 するとそこで中休みの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。

 一般生徒の規範となるべき生徒会としては授業に遅れるわけにはいかない。


「話し合いは平行線のようであるしこうしようではないかね。京極寺生徒会長」


 ラブ子先輩は提案する。


「最近、生徒たちの間で蔓延している惚れ薬――通称、愛猫」


 ラブキャットのことだ。


「これを撲滅させたほうの要求が通るというのはどうかね?」

「くだらん。そんな児戯に乗らずとも我が校の生徒の安全は生徒会が全力で守る所存だ」

「私に先を越されるのが怖いのかね?」

「なに?」

「別に逃げてもいいのだぞ。たとえ恋愛探偵部が廃部になろうと私が恋愛探偵であることに変わりはない。残るのはきみが勝負から逃げたという真実のみだからね」


 わかりやすい真っ向からの挑発だ。

 それゆえに京極寺のような人間にはガン決まりである。


「いいだろう。その勝負受けて立つ」

「というわけだ。マサルちゃん」

「はいはい。そうと決まればこの場はアタシがあずからせてもらうわ」


 すると今まで静観していた伊集院先生がここぞとばかりに両陣営の間に立つ。


「巷で流行っている薬物問題をいち早く解決できたほうの要求が通る。生徒会が勝利すれば恋愛探偵部、もとい恋愛探偵愛好会は廃部。逆に恋愛探偵愛好会が勝利すれば晴れて恋愛探偵部として正式な部に認められる」


 やはりこの教師、いかれてやがる。

 警察案件に手を出そうとしている生徒を止めるどころか後押しするだなんて。

 もはや最近の教師はいかれてないと務まらないのかもしれない(ド偏見)。


「両者、これでいいわね?」

「よろしい」

「構わん」


 こうして恋愛ドラッグ撲滅をめぐって対立している生徒会との対決が始まった。

 ひと仕事終えた雰囲気を醸し出す伊集院先生は白パンツのポケットからジッポーとタバコを取り出すと流れるような動作で火を点ける。


「この部室は禁煙なのだよ」

「正しくはこの旧校舎内全域が火気厳禁だ」


 ラブ子先輩と京極寺のふたりから猛禽類のような視線を向けられて伊集院先生は齧歯類のようにたじろぐ。


「こ、これは指揮棒よ?」


 苦しい言い訳をしながら指揮を振るう伊集院先生。指揮を振るたびに火口が赤熱して灰がハラハラと降った。

 ガチで危ないからやめろ!

 指揮タバコとか初めて見たぞ。

 するとハートフィリアは伊集院先生にシャーと威嚇してから飛びかかると顔を引っ掻いた。そののちスタッと着地すると煙草灰の肉球スタンプが押された。


「キッー! アタシの美しい顔になにすんのよ! この淫乱ネコ!」

「ハートフィリアに限らず猫全般はタバコのにおいが嫌いらしいですからね」


 ちなみに僕は喫煙しなくてもハートフィリアには好かれていない。別にいいけどね。というか動物に好かれるかどうかで人間性をはかるみたいな風潮いい加減やめません? 動物の純粋無垢な本能を盾にするのは浅はかな人間のやることだと思う。ちなみになぜかもっともハートフィリアに嫌われているのはヒトだったりする。

 生徒と猫から煙たがられた伊集院先生はタバコをポケット灰皿に押し消したのち、居心地悪そうに退室した。


「この童貞処女どもめ! 一生そのまま老いて死ぬがいいわ!」


 なんて捨て台詞だ。

 あんた本当に教師だよな?

 それに続くように生徒会の面々も部室をあとにする。

 その際、京極寺はハートフィリアを横目で見た。


「言い忘れていたが部室で猫を飼うな。愚か者」

「京極寺生徒会長、それだけは聞き入れられない。先ほども言ったとおりハートフィリアは恋愛探偵部の歴とした一員なのだ」

「ふん。くだらん。廃部となった暁には生徒会で引き取ってやる」

「フフフ。本当はそれが目的なのではないのかね?」

「勘違いするな。動物に罪はない。生類憐れみの令だ」


 京極寺は視線も寄越さず背を向けたまま言う。


「それと制服はちゃんと着ろ。見苦しいぞ」

「雅であろう?」

「ふん。校則を守れないものを俺は白鳩学園の生徒だとは認めない」

「規則だけが人の規範かね?」

「それは違う。だが校則も守れないものにいったい何が守れる?」


 最後にそんな問いかけを残して京極寺は去って行った。その背中を相田は追いかけるなか、なぜか書記先輩だけが残った。


「どうかされましたか?」


 まさか非礼を詫びろと詰められるのかなと僕が警戒していると花道先輩は無言でスマホの画面を向けてくる。そこにはRAINのQRコードが表示されていた。


「RAIN交換しようってことですか? 花道先輩」


 花道先輩は深く頷いた。

 この状況で先輩からのRAIN交換を拒否するのは意味がわからないので僕はラブ子先輩の反応を窺いつつQRコードを読み取り友達になった。画面には、『まるこ(雨女)』と表示されていた。

 雨女……?

 僕が不気味に思っていると花道先輩は一礼してからそそくさと去った。

 ラブ子先輩とようやくふたりきりになってから僕は問う。


「心なしかやけに生徒会長はラブ子先輩にあたりが強かったですよね?」


 もしかして好きな女子をいじめるタイプ?


「まあね。実は私と京極寺生徒会長は同じ中学出身でとある確執があってだね」

「確執ですか?」

「そんな大したことじゃないのだが、中学2年生のときに生徒会選挙で争ったのだよ」


 ラブ子先輩は懐かしむように説明した。

 その話を僕なりにまとめるとこうだ。

 ラブ子先輩はかつて京極寺と学年テスト一位の座を争うほど成績優秀だったらしい。だがラブ子先輩は高校では恋愛探偵なるものに傾倒し成績はみるみるうちに落ちて今では赤点まみれなのだそうだ。つまり京極寺からすればかつてのライバルのそんな現状を嘆き憂いているのかもしれない。京極寺のあの性格からしてけして言葉にはしないだろうけど。


「先日の学力検査で私は国語で満点を取ったのだが」

「へえ、すごいじゃないですか」

「そのかわり英語が壊滅的でな」

「何点だったんですか?」

「0点だ」

「0点!?」


 現実で初めて聞いたぞ。

 そんな英語力で現代社会を生きることって可能なのかな?

 ラブ子という名前なのに英語が苦手とは……なんと因果な。


「ラブ子先輩、LOVEの意味って知ってます?」

「馬鹿にしおって」

「それなら言ってみてくださいよ。え? もしかしてわかんないんですか?」


 ここぞとばかりに僕はラブ子先輩をからかう。普段からかわれているお返しだ。


「ならば逆に訊くが、きみはラブの意味を知っておるのかね?」

「え?」


 思わぬカウンターパンチが飛んできて僕は言葉に詰まる。急に深海一万メートルくらいの深い話になってきた。

 いったん落ち着け、僕。

 LOVEは日本語で愛だ。ここまではだいじょうぶ。さて問題はここからだ。

 僕は愛の意味を知っているのだろうか?

 愛ってなんですか?

 答えられる人がいるのなら教えてください。

 しかしもちろんそんな人物が都合よく現れるはずもなく、そもそも彼女いない暦=年齢の僕が愛の意味など知っているわけもなかった。


「すみません! わかったつもりになってました!」


 その僕の答えを聞いてラブ子先輩は勝ち誇ったように愛らしく笑った。


「ならきみも今日から0点だね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る