恋愛探偵LOVEKO

悪村押忍花

第1恋 ただの探偵じゃない、恋愛探偵だ!

 恋愛探偵とは好きな人の前でとってしまう謎の行動を解き明かし、恋を成就させるキューピッドのことである。

 断じて余計なお節介焼きなどではない。

 白鳩学園の校門前。

 とある乙女がマスクをした男子生徒にビシッと人差し指を突きつけた。


浮雲うきぐも男子生徒、きみは天野あまの女生徒という恋人がありながら他の女生徒と浮気しているね?」

「は、はあ? 急に何すか?」


 人差し指を突きつけた乙女の隣には、クローバーの髪留めをした女生徒が涙で瞳を潤ませ立っており下校中の生徒たちの注目を集める。さすがに入学早々校内ナンバー ワンと呼び声高いイケメンでも女の涙の前では形無しのようである。

 動揺を隠せない浮雲に天野は涙ぐみながら問う。


「浮雲くん、どうしてRAINの返信してくれないの?」

「そ、それはスマホ落としちゃってできなかったんすよ……マジっすよ?」

 

 浮雲は苦しい言い訳をするように冷や汗を垂らす。ちなみにRAINとはメッセージアプリのことである。

 すると浮雲は話を逸らすように天野の隣の奇矯な女生徒に誰何した。


「つーか、そもそもあんた誰っすか?」

「私かね?」


 その女生徒はピンクのボブカットにチェック柄のハンチング帽を合わせ、制服の上からトレンチコートを羽織っている。首元にはワンポイントのリボンタイ、左手には持ち手がハート型のステッキを所持しており、全身ピンクコーデの色味はともかくそれに目を瞑れば、まさしく昔ながらの探偵の正装だった。トレンチコートの上からでもわかるほどに豊満な胸部を突き出して彼女は自己紹介する。


「私は3年3組の恋泉こいいずみラブ子。恋に恋して愛を愛する恋愛探偵なのだ!」

「た、探偵……?」

「ただの探偵じゃない、恋愛探偵だ!」

「はあ……まあなんでもいいっすけど」


 浮雲は興味なさそうに嘆息すると体調悪そうに咳き込み、それから問う。


「んで、オレっちが浮気したっていう証拠でもあるんすか? 今日はオレっち体調悪いからさっさと終わらしてくんねえっすかね、先輩」

「うむ。よかろう」


 ラブ子先輩は大仰にうなずいたのち語り出した。


「ここ最近、我が白鳩学園内で季節はずれの流行性感冒が流行の兆しを見せている」


 流行性感冒とはいわゆるインフルエンザのことである。


「これは保科ほしな保健委員長に問い合わせて裏どりもとった確かな情報なのだよ」

「だからどうしたんすか。オレっちもそのインフルかもしれねえから早く帰りたいんすけど?」

「待て。焦るな。きみは早漏かね?」

「は、はあ? ち、違えし!」


 本人がそう言うんだから信じてあげよう。


「ともあれ、毎年日本列島に猛威を振るう流行性感冒、略して流感だが実は複数の型が存在することはご存知かね?」

「型? 血液型みたいなもんっすか?」

「その通り。ではイチズくん、みなに説明したまえ」


 そこで初めて静観していた僕に話が振られた。

 先ほどまで空気だったので素直にうれしい。

 僕は助手として恋愛探偵の期待に応えるべく説明を始めた。


「まず前提としてインフルエンザにはA、B、C、Dの四つの型があります。そのうち流行するのはA型とB型です。C型に関しては子供のうちに大体の人が罹るとされ、いちど罹ると残りの一生かかることはありません。D型に至っては動物にしか感染しません。問題は残りのA型とB型です。感染経路は飛沫や濃厚接触などが挙げられ、このふたつの型の場合、基本的に症状に違いはありません。そしてインフルエンザウイルスに感染してから一~三日後に38度以上の高熱、頭痛、全身のだるさなどの症状が現れます」

「よくもそのインフルエンザに罹ってる人の前で長々と説明できるっすね」

「いやそれほどでもないよ」

「褒めてないっす」

「あっそう」


 苦しげに咳き込む浮雲にかまわず僕は続ける。


「では凝りもせずなぜ毎年インフルエンザが流行するのか? それはインフルエンザウイルスの表面から突き出たタンパク質のふたつの種類の組み合わせによって約144通りの亜型があり、この亜型によって流行する年と流行しない年があるからです」

「で、それがなんすか?」

「え?」

「今のは単なるインフルエンザの説明っすよね? 調べれば誰でもわかるっすよ」


 浮雲に詰められて僕はあわててラブ子先輩に熱視線を向けて助けを求める。


「ラブ子先輩……」

「まったくしょうがない助手だね」

 

 ラブ子先輩はやれやれというふうにかぶりを振ってから突如たとえ話を始めた。


「わかりやすく恋愛に例えるとだね。とある両思いの好きな人がいたとして、しかしその人はとんでもない飽き性なので一年で恋人に飽きてしまう。だが自分はその人のことが好きなので整形をして別人になりすましてまた同じ好きな人と付き合うことに成功するのだ。要はそれを毎年くり返すみたいなものだね」

「その例に則るとウイルスのやつ人間好きすぎるでしょ」

「人間と小さき者、種を超えた恋愛模様はなんと儚く美しいものだろうね」

「そんな感性の持ち主はラブ子先輩だけでしょうね……」


 この先輩は何でもかんでも恋愛に結びつけるのだから手に負えない。

 真実はウイルスも繁栄するためにただ必死なだけなのだろう。


「もう付き合ってらんねえっす。オレっち帰るっす」


 浮雲はそう言って僕たちに背を向けて校門をくぐり歩き出してしまった。

 それを引き止めようとした僕を制したのち、ラブ子先輩は杖の石突きでアスファルトをコツンと小突く。


「最近校内で流行っている流行性感冒の型は実は二種類あり、A型とB型なのだよ。そしてB型に感染している生徒の大半が女生徒だ」

「…………」


 浮雲は足を止めた。その背中にラブ子先輩は畳みかける。


「さて、きみはいったい何型のインフルエンザに蝕まれているのかね?」

「オレっちがB型のインフルエンザに罹っていたら何だってんすか? そもそも誰が誰に伝染したかなんてわかんないすよね?」

「ウイルスだけを追えばそうかもしれんね。だが、恋の行方を追えばおのずと答えは導かれてくるのだ」


 ラブ子先輩の桃色の瞳が光った。


「三日前の昼休み、きみは4組の花澤1年生と談話室で密会しているね?」


 それを聞いて浮雲の恋人である天野は驚いたように声を漏らした。


「その他にも5組の小峠1年生、1組の秋野1年生、3組の恵1年生。それからその日の放課後には5組の畑2年生、2組の大川2年生、3組の谷3年生――」

「もういいっす!」


 たまらず浮雲は制止の声を上げて向き直った。

 そんな彼にラブ子先輩は落ち着いた様子で新たな事実を突きつける。


「そしてその女生徒ら全員が流行性感冒を発症し、今日は欠席しておる。無論、保科保健委員長にも確認済みだ」

「そ、そりゃ同じ学校の生徒なんすから会って話すことくらいあるっすよ。小学生じゃないんすからそれだけで浮気なんて言われちゃたまったもんじゃないっす」

「今日も校内で複数の女生徒と密会していたようだが?」

「だ、だから――」

「あくまで濃厚接触には至っていないと?」

「そ、そうっす」


 まだ言い逃れを続ける浮雲にラブ子先輩は懐から平べったい箱を取り出した。そのパッケージにはイチゴ味と書かれている。それから急角度のとある提案をした。


「よかろう。ならば浮雲男子生徒、私と甘箸近づき遊びをしたまえ」

「あまばしちかづきあそび……?」


 浮雲が眉をひそめるのも無理はない。これはラブ子先輩がとことん英語が苦手なために生み出されたいわゆるラブ語である。子という名前なのに皮肉な話だ。

 すかさず僕はラブ子先輩の持っているアイテムから推測して注釈を入れた。


「おそらくポッキーゲームのことかと」

「え!?」


 しかし僕の注釈を聞いて口に手を当てて驚いたのは天野だった。当の浮雲本人はだんまりを決め込んでいる。


「どうしたのだよ? できんのかね?」

「あんたはバカっすか? オレっちインフルなんすよ?」

「だったらどうしたというのかね?」

「オレっちが何のためにマスクしてると思ってるんすか?」

「逆に問おうか。何のための衛生仮面なのだね?」


 その問いを最後に沈黙を保ったままふたりは数秒間にらみ合う。するとラブ子先輩はイチゴ味のポッキーを開封すると一本つまみ、日本刀のように引き出してから浮雲の口元を指した。


「私の桃色の脳細胞がはじき出した推理によれば、その衛生仮面の下に浮気の動かぬ証拠が潜んでいるはずなのだがね」

「だからなにを根拠に――」

「イチズくん」

「はい!」


 僕はラブ子先輩とアイコンタクトを交わしたのち実力行使に出た。こういうのは助手の僕の役目である。万が一にでもラブ子先輩をこんな浮気男のウイルスの毒牙にかけるわけにはいかない。僕はすり足で近づき浮雲のマスクに手を掛けて思いっきり引っ張った。


「ちょっ、いきなりなにするん――」


 抵抗する隙も与えずに浮雲の耳に掛かっていたマスクの紐はみょーんブルンと抜けて、その白い仮面はあえなく引っ剥がされた。

 そして露わになったのは浮気男ピエロの素顔だった。なんと浮雲の口元はおびただしい数のキスマークで彩られていたのだ。まるでそれは世の女性たちの怨念にすら見えた。

 これがラブ子先輩からのポッキーゲームを断った理由である。そうでもなければこんな美少女からのポッキーゲームを断れるわけがないのだ。少なくとも僕はそうだ。


「きみは流行性感冒を校内にまき散らした。いやそれだけならば私も責めはしない。問題は恋の病まで発症させてしまうということだ。浮雲男子生徒、いわばきみは恋愛クラスターなのだよ!」


 ラブ子先輩はイチゴ味のポッキーを浮雲に突きつけた。


「食べ物で人を指すなっす」

「犯人は皆そう言うよ」


 ラブ子先輩は反省する素振りもなくその勢いのままポッキーをポキッと齧った。

 行儀の悪さはさておき、ウイルスの変異株の種類や感染経路によってクラスターを特定するのは感染症学では定石である。ラブ子先輩はその手法を恋愛に当てはめたのだ。


「いつもは事後に口をすすぐのだろうが油断したな、衛生仮面」

「っす。言ってもどうせ信じてもらえないだろうっすけど談話室にオバケが出たんす。それであわてて逃げたっすから拭くヒマもなかったんすよ」


 なんと気持ち悪い言い訳だろう。

 いずれにせよ拭いたところでそれも証拠になったのだろうが。


「たぶんそんときにスマホも落っことしたんす」

「浮雲男子生徒、魔法板の心配などしている場合か?」


 ちなみに魔法板とはスマホのことである。


「他にいちばんに気を回さなければならない相手がいるのではないのかね?」

「…………」


 浮雲はその相手の目も見れない様子だった。

 ラブ子先輩は悠然と円を描いて歩く。


「雨の日も風の日も雪の日も雷の日も、まっことなぜかそのひとりだけのことを想ってしまう。きみにこの彼女の気持ちがわかるかね?」

「…………」

「この不可解な謎はきみへの気持ちですべて解決するのだよ」


 ラブ子先輩に背中を押されるかたちで天野は一歩前に出ると素朴な疑問を投げかける。


「浮雲くん、どうして浮気なんてしたの?」

「ごめんっす」

「なんで謝るの? ねえ? 答えてよ? 謝るなら……謝るくらいなら……!」


 天野はその先の言葉を噛み殺してから別の言葉を吐き出した。


「浮雲くん、こっち向いて! わたしの目をちゃんと見てよ!」


 浮雲と天野は至近距離で互いに見つめ合った。

 端から見ている僕のほうがなぜかドギマギしていると天野は予想だにしないことを言う。


「わたしにも……インフル伝染うつしてほしかった」

「え?」


 奇しくも僕は浮雲と同じ感想だった。

 その後ラブ子先輩をちらりと見やると微笑みを浮かべており僕はすぐに思い至る。

 そうか。これが乙女心というやつか。

 もはや意味がわからねえな。


「ごめん。ままよのことが好きだからこそ伝染したくなかったんすよ」


 ここぞとばかりに口からでまかせのひどい言い訳である。

 僕だったら浮気されたあげく、病気まで伝染された日にゃたまったもんじゃないけどな。


「だから最近わたしのことを避けてたんだね」

「そうっす」

「そっか。わたしのことを思って……」

 

 ん?

 おやおや?

 雲行きが変わった……のか?

 僕が呆気にとられていると良きタイミングと判断してラブ子先輩は指示を飛ばした。


「イチズくん、例のものを出したまえ」

「はい。承知しました」


 そうして僕が学ランのポケットから取り出したのは一台のスマホだった。

 浮雲は目を細めてそのスマホを見やる。


「なんか見覚えがあるっす……って、それオレっちのスマホじゃないっすか!」

「イチズくん!」

「はい、ラブ子先輩!」


 僕はラブ子先輩に上投げのオーバースローでスマホを投擲した。


「投げるなっす!」


 それから僕は流れるような動作で浮雲を羽交い締めにする。ラブ子先輩の手に渡ったスマホは運ばれるように天野の前に差しだされた。


「天野女生徒、きみならその鍵画面を解除できるはずなのだよ」

「そんなわけないっす。そのスマホのパスコードを知っているのは所有者であるオレっちだけなんすから」

「果たしてそうかね?」

「な、なんすか」


 ラブ子先輩は浮雲から視線を切って天野へと向き直る。


「浮雲男子生徒の天野女生徒への気持ちが本物であれば、きみになら開けられるはずだ」

「でもこれで開かなかったら、わたし……」

「勇気を持ちたまえ。恋愛探偵の推理を信じるのだ」


 ラブ子先輩のその言葉に一拍置いてから天野は心を決めたようだ。


「はい。わかりました。恋愛探偵先輩を信じます」

「えっ、ちょ、ままよまでなに言ってんすか!? 考え直すっす!」

「わたしにも浮雲くんのこと信じさせてよ!」

「……ままよ」


 その腹をくくった恋人の言葉に浮雲はそれ以上は何も言えなかった。

 そして意を決して天野はスマホのロック画面に表示された6桁のパスコードを慎重に親指でタップする。最後の6桁目の数字を入力した――次の瞬間、ロックが解除され画面が開いた。

 しかし、それはパンドラの箱だった。

 RAINには女生徒の名前がズラリと並んでおり恥ずかしさで身悶えるような内容のやりとりが記されていた。浮気の動かぬ証拠である。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。だけど同情はできない。

 浮雲はわかりやすく脱力してからうな垂れた。

 というか僕に全体重をあずけるな、うっとうしい。


「恋人の前でくらい自分の足で立てよ」


 僕が突き放すと浮雲は膝からその場に崩れ落ちた。その前に夕陽を逆光にしてとある影が落ちると春の夕空にたなびく雲は逃げるように風に流されていつしか消えてしまった。


「浮雲男子生徒、きみはさんざん恋する乙女の気持ちを弄んだ。さて天野女生徒、この春の雲のように浮かれまくった男をどうするのだね?」

 

 答えはもはや決まっていそうなものだけど。

 僕がそう思っているとラブ子先輩の問いにまたしても天野は驚くべき答えを返した。


「それでもわたしは浮雲くん、いや雷太のことが好きなんです!」


 なんでそーなるの?

 ちゃっかり下の名前で呼んじゃってるし。


「そうかね。その言葉が聞きたかった」


 そして納得するんですか、ラブ子先輩?

 すると天野はうな垂れている浮雲に細い手を差し伸べる。


「ほら、雷太。いつまでそうやってるの?」

「許してくれるんすか?」

「バカ、一生許すわけないでしょ」

「っすよね」

「だからさ、わたしのこと一生愛して償ってよ」


 その天野の言葉を受けて浮雲は顔を上げると子犬のように何度も頷いた。


「もちろんっす!」


 こうして暮れなずむ放課後、恋の熱に浮かされているバカップルは夕陽で火照った手を繋ぎながら市民病院へと向かった。すると風に乗ってとある会話が流れてくる。


「雷太、安心して。他の女の連絡先はぜんぶ消しておいたから」

「そ、そうっすか。サンキュー、手間が省けたっす」

「それから雷太、スマホは毎日わたしに見せてね?」

「……うっす」

「それからそれからパスコードは絶対に変えちゃダメだからね。約束だよ」

「や、約束っす」


 約束というかもはや契約である。


「それにしてもうれしかったなぁ。まさか雷太が私の誕生日を自分のスマホのパスコードにしてくれてたなんて」

「恋人として当然じゃないっすか。断じてままよの誕生日を忘れないようにパスコードに登録してたとかじゃないっすから。あはは」


 なんというか。

 男と女のエゴの話だった。

 しかしそれが恋愛なのかもしれない。


「ちなみに私の生年月日は2000年6月6日だよ」

「だから何なんですか。ラブ子先輩」


 もちろん僕は知っていた。パスコードにこそしていないけど。

 そしてラブ子先輩のスマホはどんな意味合いのパスコードが設定されているのだろうとふと気になった。

 そんな疑問を飲み込んで僕は恋愛探偵に問う。


「ラブ子先輩、これで良かったんですか?」

「不満かね?」

「だって浮気性は死ぬまで治らないと思いますよ」


 今回の浮気調査において本当は浮雲の浮気現場を写真で撮ることも可能だった。にもかかわらずラブ子先輩はどんな形であれふたりだけの愛の世界を第三者が外の世界に晒して恋愛を辱め、貶めてはならぬ――というわかるようなよくわからないような主義においてシャッターは切らなかった。その代わり双眼鏡でのぞいてヨダレを垂らしながら体をくねくねさせてこの先輩は興奮していた。極度の変態だ。

 何にせよ、その生々しい浮気現場を見ればさすがに天野も許さなかっただろう。

 そして自白すると、先ほど浮雲の語っていた談話室にでた幽霊とは実は僕とラブ子先輩のことだった。興奮したラブ子先輩のせいで危うく見つかりそうになり咄嗟に付近に敷いてあったブルーシートを被りオバケを演じたのだ。ブルーシートの中でラブ子先輩の荒い息遣いを感じながら至近距離で密着した際に僕の肘が柔らかな双丘に挟まれる感触がして、僕はそのとき違う意味でドキドキしていた。初めて浮雲に感謝したくらいである。

 しかしそれとこれとは話が別だ。


「あの娘、近い将来また傷つくことになりますよ」

「優しいのだね、イチズくんは」

「別に僕は確率的な一般論を言っているだけです」

「だがね、きみは乙女心というものをわかっておらんな」

「はい?」


 そりゃ恋愛探偵に比べたら僕は何もわかっていないに等しいだろう。

 万有引力を知らない原始人のようなものだ。


「たとえ彼に傷つけられるとしてもそれが他の誰でもない自分であったらいいのだ」

「なるほど。そういうもんですか」


 僕は目から鱗が落ちた。

 好きの反対は嫌いではなく無関心。

 無関心になって初めて恋愛は終わる。そして失恋という恋もまた新たな恋によっていずれ終わりを告げる。


「ラブ子先輩はこの結末がわかってたんですか? あのふたりならうまくやっていけるって」

「そんなのわかるはずがなかろう」

「え?」

「ただ私は信じただけだ。愛の力をね」


 いささかロマンチックな答えだった。だけどこうでもなければ恋愛探偵など務まらない。

 恋愛は千差万別、十人十色の恋がある。

 この世にラブ子先輩に解けない恋はない。この世に解けない魔法がないように。


「ラブ子先輩にも雨の日も風の日もつい想ってしまう相手がいるんですか?」

「フフフ」


 僕のその問いにラブ子先輩は意味深長にはにかむ。それから答えた。


「私はただ恋に愛されているだけなのだよ、イチズくん」

「さいですか」


 なんだかはぐらかされてしまったな。


「イチズくんも好きな人がいるのなら私が解決に導いてあげようかね?」

「……もっとこじれそうなんでやめときます」


 だって。

 だってだってだって。

 白鳩学園2年1組出席番号1番。

 僕こと、王道一途おうどういちずは恋泉ラブ子に恋をしているのだから。

 ラブ子先輩のことがとてもすごく好きなのだ。自分でも謎に思うくらい好きなのだ。


「そうかね。一所懸命に頑張りたまえ。イチズくん」


 しかし自分の恋愛事となると途端に驚異の鈍感力を発揮するラブ子先輩がそのことに気づく日は永遠に来ないのかもしれない。今までそう体よく諦めていたけどそうじゃない。

 もう待つのはやめた。大切なのは今この瞬間なんだ。

 勇気を出せ!

 王道一途!


「ラブ子先輩!」

「ど、どうしたのだよ? 急に大声を出して」

「す、すみません。でも僕はラブ子先輩にどうしても伝えなくてはいけないことがあります」

「ほう。それは何かね?」

 

 目を丸めたラブ子先輩に向かって僕は猛々しく脈打つ心臓を押さえつけながらなけなしの勇気をふるう。今まで生きてきてこんなに緊張したのは初めてだ。体が熱くて言うことをきかない。それでもこの気持ちをぶつけるんだ。

 王道一途に迷いはない。

 たとえどんな道なき道でも自分の信じた道を一途に突き進むだけだ。


「僕をラブ子先輩の人生の助手に――」


 しかしながら僕は最後まで言うことができなかった。


「イチズくん!」


 とつぜん目の前の世界がぐるんぐるんと回って、気づけば僕は前方に倒れるかたちでラブ子先輩に体をあずけることになってしまう。僕は桃園のようないい匂いに包まれ、白桃のような胸の膨らみに抱かれると天国と間違うような至福の時を過ごした。

 もしもこの世にどんな名探偵にでも解けない謎があるとすれば。

 それはきっと。


「だ、だいじょうぶかね!? しっかりするのだ! イチズくん!」

 

 ラブ子先輩は僕を抱きとめたのち仰向けにして自身の膝枕の上に寝かせた。

 というか心配してるラブ子先輩、かわいすぎないか。潤んだ瞳も長いまつげもナチュラルメイクも桃色の声も白桃風味のリップを塗った唇もすべてが愛おしい。

 茜色の空に染まるラブ子先輩の面差し。僕の顔も同様に、いやそれ以上に赤くなっていることだろう。すると僕の鼻の奥から温かな液体がツゥーッと伝う感覚があった。


「イチズくん、鼻血が!?」

「これは生理現象なんで気にしないでください」

「男の子にも女の子の日があるのかね!?」


 どゆこと!?


「とりあえず落ち着きたまえ! いま生理用ナプキンを持ってくるからね!」

「ラブ子先輩が落ち着いてください」

「そうか。鼻血の場合はタンポンのほうがいいかね?」

「さっきから思春期の男子としては反応に困るんですけど……」


 こんなにも取り乱すラブ子先輩を僕は初めて見た。


「イチズくん、ぜったい死ぬでないぞ! すぐに救急車を呼ぶからね!」


 これほど心配してくれているラブ子先輩には悪いが僕はなんかちょっとだけ嬉しかった。こういう最期も悪くないなと割と本気で思いながら僕はそのまま意識を失ってしまう。

 後日、僕はインフルエンザと診断された。

 タイプはB型だった。

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